忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海

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色は匂へど……

ひねもす 4

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「雨が降るまで……ですか」

 兄さんの言葉の真意がすぐには掴めずに、探るように見つめると、兄さんは「ふぅ」と小さな溜め息一つ残して立ち上がってしまった。

「……馬鹿なことを言った。もう戻るよ」

 背筋を伸ばした兄さんが、俺の横を素通りしようとする。

 横顔が切ない!

 居ても立っても居られない。

 その細い手首を掴んで、強引に引き寄せたい。

 この胸に形の良い頭を埋めさせ、深く抱きしめたい。

 そんなことをしたら兄さんの心が壊れてしまうのに。ここまで修復させた関係が、またバラバラになってしまうのに。

 結局それが怖くて、身動き一つ出来ない我が身が恨めしい。

「くそっ」

 ようやく身体が動いた時には、兄さんは既に玄関で草履を履いていた。
 
「兄さん! 待って下さい」
「……先に行くよ」

 萌黄色の着物姿の兄さんがスタスタと歩き出すと、そのタイミングで天からの恵みが降りてきた。

 遅かったじゃないか!
 
 ポツリポツリと、雨が乾いた大地に絵を描いていく。

 これはひび割れそうになった心を修復する恵みの雨だ。

 玄関に立てかけてある番傘が目に留まったが、撥ね除けて!

「兄さん、濡れますよ!」
「りゅ……流」

 俺の鍛え抜いた腕を庇《ひさし》にしてやると、兄さんはうっすらと頬を染めた。

「ば……馬鹿、何をして……あそこに傘があるのに」
「あんなもんは役に立たない! 兄さんが頼りにするのは、この俺だ!」
「えっ……」

 兄さんが、俺を戸惑いながら見上げてくる。

 あぁ、最高だ。

 控え目に顎を上げる、この角度が好きだ。

 雨粒がポツリと兄さんの柔らかい髪を濡らした。

 もう一滴は、慎ましい唇を濡らしてくれた。

 目の当たりにしてゴクリと喉が鳴りそうになったが、グッと堪えた。

「でも……それでは流が濡れてしまうのに」
「兄さんを守れれば、それでいい! 俺のことは構うな!」
「流……」

 兄さんは呆れたように口を開き、その後、ふっと微笑みを浮かべた。

「流が元気でなければ意味はないのに。こちらへおいで」

 兄さんは俺の作務衣の袖から覗く腕を引っ張り、茶室に戻ろうと誘ってきた。

「流は僕の傘にお入りよ」

 ほっそりとした腕をすっと伸ばし、傘を開く兄さん。

 兄さんに笑顔の花が咲く。

 その所作の美しさに見惚れ、兄さん自身の輝きに見惚れ……

 大きく溜め息をついた。

「参ったな。じゃあ……お邪魔しますよ」
「せっかくだから、遠回りして母屋に戻ろうか」
「いいですね」
「懐かしいね、こういうの」
「えぇ」

 少し背伸びして傘を差す兄さんが愛おし過ぎて、目を細めて見つめた。

 雨脚が少し強くなる頃には、兄さんのさす傘に当たる雨粒と一緒に、俺の心も跳ねまくっていた。

 俺を甘やかす兄さんが愛しくて、今はそっと身を寄せ大人しくしていようと誓った。

 暴れる心とは裏腹に、とても穏やかな時だった。




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