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湖の章
遠く彼方へ 8
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洋月の部屋はもぬけの殻だった。
いつも御簾越しに「洋月の君」と声をかけると、白百合の花が咲くような清楚な笑みで「丈の中将か」と返答してくれた君がいない。洋月の部屋を見渡すと文や本も綺麗に整理されていて、どことなくいつもよりすっきりとした雰囲気だった。洋月の焚いていた薫物(たきもの)の甘い香りのみが部屋に取り残されていた。
「一体、何処へ」
中庭に目をやると、牡丹の赤い花びらが洋月の部屋の前に散っていた。
「牡丹……」
その言葉を口にすると虫唾が走った。何故このような所に牡丹の花びらが落ちているのだ?
我が庭に真っ赤な牡丹の花なんてない。
不吉な予感……当たらなければ良い予感が駆け上がって来る。
洋月は帝のことを隠語で『牡丹』と呼んでいた。まるで赤い花びらが洋月の流した血の涙のように見えてしまう。
早く……早く探してやらねば!
その時、洋月の舎人の者が庭を横切った。キョロキョロと焦った表情を浮かべ誰かを探しているような素振りだ。彼は確か洋月の乳母の子供で忠実で信頼できる乳兄弟だと以前洋月が話していた。
「おい!お前は洋月の舎人だな? 」
「あっ何でございましょう。丈の中将様」
「洋月はどこへ行った? 」
「それが……実は私も先ほどからずっと探しているのです。午後参内すると伺っていたのに、私がお迎えに上がった時にはもう部屋にいらっしゃらなくて」
「何だって? 」
なんてことだ。洋月が信頼している舎人を置いて一人で出かけるはずがない。これはまずいことになった。
「洋月の網代車はどうした?」
「それが……何故か私がいないうちに出発したようで」
「行き先は? 」
「洋月の君は宮中へと仰っていたのですが」
「他に何か変わったことはなかったか」
「いえ……あっあの……」
舎人が言い難そうな表情を浮かべたので、すかさず突っ込んで問う。
「なんだ?」
「何故か身辺の整理していたような気がします。実は朝からずっと部屋で文などの片づけをしていました」
「何か行き先の手がかりはないのか」
「分かりません。すっすいません、私がついていながら……一体何処へ」
探してやらねば。また危険な目に遭ったり、無体なことをされていないだろうか。
だが一体どうやって探せばいいのだ。とにかく足取りを追ってみよう。
「とにかく馬を出せっ!」
****
ガタガタと凄い速さで駆け抜ける牛車の中、躰をあちこちにぶつけ、乗り物酔いもしてくる。
「もう……もう停めてくれ……」
叫びすぎて……もう大きな声も出せない。懇願するようなか細い声で訴えても誰も聞いてくれない。どこへ連れて行かれるのか、不安で不安でたまらない。
何処くらい走ったのだろうか。やっと牛車が停止した。
物見窓も固定されてしまい外の景色も見ることが出来ず、自分が今どこにいるのか全く分からない状態だ。込みあげる吐き気と躰中をぶつけた痛みを堪え、入り口が開くのを怯えながら待つ。
「さぁお降りください」
恐る恐る降り立った地は、全く縁もゆかりもない山奥の山荘だった。
「ここはどこだ? 一体誰が俺をここに連れて来たのだ?」
気丈に問うが乳兄弟の舎人もおらず、見知らぬ随行達はまったく表情を変えず、俺の両腕を思いっきり掴んだ。
「はっ離せ! 気安く触れるなっ!」
何故……このように罪人のように扱われるのか。すると俺の心の声を見透かしたように、随行の中でもひときわ体格の良い男が、俺を蔑むように見下ろして、呟いた。
「罪人ですよ、あなたは」
どうして……一体俺が何をしたというのだ。
何かされ続けたのは俺の方なのに。
牡丹の仕業だということが分かっている。分かっているが……こんな風に攫うように俺を連れて来て、まさかここへ閉じ込める気か。
「嫌だ……頼む……帰らせてくれ」
いつも御簾越しに「洋月の君」と声をかけると、白百合の花が咲くような清楚な笑みで「丈の中将か」と返答してくれた君がいない。洋月の部屋を見渡すと文や本も綺麗に整理されていて、どことなくいつもよりすっきりとした雰囲気だった。洋月の焚いていた薫物(たきもの)の甘い香りのみが部屋に取り残されていた。
「一体、何処へ」
中庭に目をやると、牡丹の赤い花びらが洋月の部屋の前に散っていた。
「牡丹……」
その言葉を口にすると虫唾が走った。何故このような所に牡丹の花びらが落ちているのだ?
我が庭に真っ赤な牡丹の花なんてない。
不吉な予感……当たらなければ良い予感が駆け上がって来る。
洋月は帝のことを隠語で『牡丹』と呼んでいた。まるで赤い花びらが洋月の流した血の涙のように見えてしまう。
早く……早く探してやらねば!
その時、洋月の舎人の者が庭を横切った。キョロキョロと焦った表情を浮かべ誰かを探しているような素振りだ。彼は確か洋月の乳母の子供で忠実で信頼できる乳兄弟だと以前洋月が話していた。
「おい!お前は洋月の舎人だな? 」
「あっ何でございましょう。丈の中将様」
「洋月はどこへ行った? 」
「それが……実は私も先ほどからずっと探しているのです。午後参内すると伺っていたのに、私がお迎えに上がった時にはもう部屋にいらっしゃらなくて」
「何だって? 」
なんてことだ。洋月が信頼している舎人を置いて一人で出かけるはずがない。これはまずいことになった。
「洋月の網代車はどうした?」
「それが……何故か私がいないうちに出発したようで」
「行き先は? 」
「洋月の君は宮中へと仰っていたのですが」
「他に何か変わったことはなかったか」
「いえ……あっあの……」
舎人が言い難そうな表情を浮かべたので、すかさず突っ込んで問う。
「なんだ?」
「何故か身辺の整理していたような気がします。実は朝からずっと部屋で文などの片づけをしていました」
「何か行き先の手がかりはないのか」
「分かりません。すっすいません、私がついていながら……一体何処へ」
探してやらねば。また危険な目に遭ったり、無体なことをされていないだろうか。
だが一体どうやって探せばいいのだ。とにかく足取りを追ってみよう。
「とにかく馬を出せっ!」
****
ガタガタと凄い速さで駆け抜ける牛車の中、躰をあちこちにぶつけ、乗り物酔いもしてくる。
「もう……もう停めてくれ……」
叫びすぎて……もう大きな声も出せない。懇願するようなか細い声で訴えても誰も聞いてくれない。どこへ連れて行かれるのか、不安で不安でたまらない。
何処くらい走ったのだろうか。やっと牛車が停止した。
物見窓も固定されてしまい外の景色も見ることが出来ず、自分が今どこにいるのか全く分からない状態だ。込みあげる吐き気と躰中をぶつけた痛みを堪え、入り口が開くのを怯えながら待つ。
「さぁお降りください」
恐る恐る降り立った地は、全く縁もゆかりもない山奥の山荘だった。
「ここはどこだ? 一体誰が俺をここに連れて来たのだ?」
気丈に問うが乳兄弟の舎人もおらず、見知らぬ随行達はまったく表情を変えず、俺の両腕を思いっきり掴んだ。
「はっ離せ! 気安く触れるなっ!」
何故……このように罪人のように扱われるのか。すると俺の心の声を見透かしたように、随行の中でもひときわ体格の良い男が、俺を蔑むように見下ろして、呟いた。
「罪人ですよ、あなたは」
どうして……一体俺が何をしたというのだ。
何かされ続けたのは俺の方なのに。
牡丹の仕業だということが分かっている。分かっているが……こんな風に攫うように俺を連れて来て、まさかここへ閉じ込める気か。
「嫌だ……頼む……帰らせてくれ」
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