月夜の湖 (改訂版)

志生帆 海

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その後の話

『梅香る君』 4

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 山深き場所にある俺たちの隠れ家、宇治の山荘。

 此処は以前、先の東宮の妃であった四条の御息所の別邸だったというだけであって、風光明媚な場所にあり、四季折々の樹木や草花で覆われて、季節ごとに趣を変えていく風情ある佇まいだ。

 ここが俺は好きだ。

 この中でだけは、俺と丈の中将はお互いが想い合っていることを隠さずに自由に過ごせるから。

 山荘の門に降り立てば、心の底から帰って来た喜びと安堵でほっとした。出かける前に眺めた梅の枝は、すっかり雪が積もり花は姿を隠していた。

「これだけ雪で覆われてしまえば……流石にもう香りもしないか」

 そんなことを思いながら白き梅の枝を見つめていると、遠くから牛車が近づいてくる音が耳に届いた。もしや俺が待っている君が帰ったのか……きっとそうだ。今日戻って来てくれたのだ!期待を込めて振り返れば、やはり見覚えのある牛車だったので、俺は待ちきれずに牛車の元へと駆け出してしまった。

「洋月の君、お待ちください! お足元がっ」
「構わない」

 そのようなことは、構わない!

 少しでも早くあの人の顔をこの目で見たいのだから! 海(洋月の従者)が後ろから慌てて追いかけてくるが、停まることなく駆け寄った。

「丈の中将っ」

 そう声を掛ければ、牛車はその場で停まり、物見窓が開かれた。

「やはり……今日戻ったか」

 牛車には想像通り丈の中将が乗っていた。久しく会えなかったので感極まってしまう。

「あぁ遅くなってすまない。んっ? 洋月、一体どうした? もしや何かあったのか」

 丈の中将は、すぐに牛車から降りてきてくれた。

「丈の中将……すまない。取り乱して」
「いや……そのようなことは構わないが、何か嫌なことがあったのか」
「え……何故? 」

 まるで見透かされたような言葉に、胸がじわっと熱くなる。

「ふっ私と君の間に隠し事はない。すぐに分かるよ。今日は宮中に顔を出したと聞いているが、そこで何か嫌な思いをしたのではないかと心配になり早く帰ってきたのだ」
「つっ……」

 先ほど兵部卿に股間を潰されそうな程強く握られ辱められた痛みと恥ずかしい気持ちが蘇り、涙が零れそうになった。あのようなことをされたとは自分の口から君に告げることは出来ない。だが早くあの気色悪い感触を上書きして欲しくて仕方がなくて、躰が君を求めてしまう。

 俺は熱に浮かされた様な訴えるような眼差しで、丈の中将を見つめることしか出来なかった。

 俺のこの想いは届くだろうか。

 その次の瞬間、俺の想いに応えるように、丈の中将は俺の肩に手をかけ耳元でそっと囁いてくれた。

「まったく……そんな目をして、我慢できなくなるな」

****

「私もすっかり冷えてしまったよ。おいで……今日は私があなたの身を清めてあげよう」

 部屋に入るなり、珍しく※風呂殿に共に入ろうと誘われた。まるで今日俺の躰に起きたことを知っているかのように。

※風呂殿……平安時代に貴族の屋敷内などにあった蒸気風呂。まずは湯を沸かし専用の密室内に湯気を入れ、蒸気が満ちてから入浴したそうです。

「君がそんな誘いをするなんて、珍しいな」

 雪で濡れてしまった直衣はすでに脱いでいたので、お互いに白い※肌小袖姿なのが、妙に恥ずかしい。頬が上気して赤く染まっているのが自分でも分かり、ますます俯いてしまう。

「今更そんなに恥ずかしがることもないだろう、さぁおいで」
「んっ」

 手を引かれ二人で風呂殿に入れば、温かい蒸気で満ちていた。そのまま丈の中将に背後から優しくふわりと抱きしめられたので、身を預けるように寄りかかった。

「あぁ……今日は何かいい香りがするな。洋月の躰から」
「そんなはずはない。今日の俺は……ひどく汚れているのに」
「いや確かに香るよ。あぁそうか……梅の香りが漂っている」

 確かにそういえば、今日は梅の香りに触れることが多かったかもしれない。

「良い香りだな。なんだか甘酸っぱくて……このままここで食べてしまいたくなる」

 丈の中将の手が自然に下半身に降りてくる。

「あっ……駄目だ」

 そこは駄目だ。今日は……そこには触れないで欲しい。そう思って身を必死で捩るのに、執拗にまさぐられ羞恥で顔がますます赤く染まってしまう。

 丈の中将の温かい大きな手のひらによって、尻を曲線に沿うように何度も撫でられ、優しく揉まれてしまえば、抗えない気持ち良さに溺れそうになっていく。

 ところが途中で動作がぴたりと止まり、丈の中将は優しく撫でていた手を離した。それから俺の肌小袖の裾を一気に捲りあげ、剥き出しになった尻をじっと見つめて来た。

 その熱い視線を背後に感じで感じて、ぶるっと身震いした。

「あっ…ん…」
「洋月……ここどうした?」
「なに……?」
「君のこの綺麗な白い肌に、引っ掻き傷が出来ているし、血も滲んでいるじゃないか。一体どうした?」
「あっ」

 俺としたことが迂闊なことを。あの時、兵部卿の宮は爪を立て……俺の尻を鷲掴みにして強引に弄んだ。あまりの嫌悪感に激しく抵抗した時に付いてしまったのか、痛みよりも悲しみが深く気づかなかった。

 丈の中将以外のものが触れた痕跡。よりによって、君自身に見られてしまったのか……

「やはりな。誰かに無理矢理……なのか」
「くっ……」
「あぁ責めているのではない。やはり嫌な思いをしてしまったのか。本当に私は不甲斐ない。君がこんな目にあっているとは知らず、実家に行っていたなんて……すまない」
「違う!君が謝ることではない、俺は抵抗して逃げたから、それ以上のことは何もなかった。だから大丈夫だ。帝も味方になってくださったし……もう大丈夫だ。だが、すまなかった。君以外の人に肌を触れさせるつもりなんてなかったのに……それが悔しい」


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