スノードロップの残り香を

潁川誠

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スノードロップの残り香を

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花を吐く。
そんな奇病にかかるはずないって僕は思ってた。ものがたりの中でしかみたことのないそれが、現実的に起こるわけないと。花葺くそれを。僕は、ただ。



口からせりあがってきた異物に、それを口からぽろぽろ流しながら、僕は驚きのあまり目を見張った。震える指が口元を覆い、甘い強い香りのするそれをぐしゃりと握りしめる。本来ならば、口から落ちるはずのないそれが、気持ち悪くて不気味で。

「どうして…」

えづきながら呟いた言葉が空に消える。空中に散った淡い言葉を繰り返しながら、僕は膝を着いて頭を垂らした。どうして、こんなもの、夢としか思えない。夢だといえたらどんなにいいか。胃のあたりに感じる不快感に冷や汗を流しながらも、僕は緩やかに腰を折って吐き気に備えた。

1度だけ聞いたことのある、この病の正体。叶って欲しいと強く望んだ人の願いが、病となって形になる。願って願って、願い続けた結果、叶わぬと絶望した身体が病に落ちるという。もしそれが本当ならば、僕の病の正体はなんなんだろうかと、霧がかかったような頭を霧散させようと緩やかに首を振る。
ふわりと浮かんだのは、僕の恋人。艶のある黒髪に、肌の綺麗な猫目の彼女。

「どうして隠すの」

微笑んだ彼女が、えづいて腰を丸めた僕にそっと近づいてきた。やめて、こんな姿、見ないでくれ。そう主張するように片腕で緩く制止するが、彼女は僕の腕を乗りこえて近づいてくる。

「隠さないで」

彼女の細い指が僕の背中をさする。微かなラベンダーの香りが僕の鼻腔を擽る。
しかし、彼女を視認したその瞬間、胃が痙攣して「あれ」がせりあがってきた。

「うっ、げほ」

僕の口元からぽろぽろと落ちてくる白い花。咳き込みながらも、目を強く瞑って耐えるように片方の手のひらをぐっと丸める。

「大丈夫、大丈夫よ」

そんな僕の耳に、彼女の柔らかな声が届く。ぽん、ぽん、と幼子をあやすように均一に背中を叩きながら、彼女はずっと僕のそばに居てくれた。そんな優しい彼女に対して、やめてくれ、と脳内の僕が悲鳴をあげている。どうせ、君にそんな気はないくせに。その優しい声もまやかしでしかないくせに。
僕の顔の下にはこんもりと白い花が積まれている。ひらひらと散ったその花を憎々しげに見つめながらも、僕はゆっくりと顔を上げた。夕焼けが差し込んだ部屋を背景に、猫目の彼女がこちらをじっと見つめていた。薄い唇が僅かに上がっている。柔く微笑んだ彼女の薄い黒色の瞳に、僕は唇を震わせた。
愛しげに見つめるその瞳が嘘で出来ていることを、僕は知っているんだ。

「ねぇ、こっちにおいで」

そんな僕を知ってか否か、動けないでいる僕に彼女はふわりと腕を広げた。僕はくっと奥歯を噛み締める。微笑んだ彼女は随分と余裕そうで、薄く微笑んだその表情はいつも通りひどく美しくて、嫌になった。余裕綽々な瞳が、まるで全てわかっているのだと弧を描くさまに苛立ちげに頬を震わせながらも、数秒の空白の後、躊躇うように腕を伸ばした。彼女が薄く微笑む。おいでというように包み込まれた腕に引っ張られ僕は彼女の胸にとんと額を置いた。
胃のあたりの気持ち悪さは、幾らか治っていた。それでも荒れた息を整えようと息をしていると、彼女は僕の首に手を置いて、そして僕の背中をまた摩り始めた。

「好きよ、大好きよ」

まるで呪いのように。そう繰り返す彼女に、僕は瞳を強く瞑る。この病の正体を、君はわかっているはずなのに。どうしてそんなに、残酷になれるんだ。この病は、強い願いから生まれるもの。決して叶わぬと絶望した身体が自然と病にかかる。僕のこれは、強い恋慕が原因だった。君を愛しいと思えば思うほど、僕の病は進行する。この恋が叶わぬ限り、僕は白い花を吐き続ける。僕に、好きだと笑う彼女の心が、本物ではないと示し続ける僕の病。いっそ、あんたのことなんて好きじゃない、とはっきり言葉で言われた方がどんなに楽だろうか。

「好きって言わないでって、あなたは言うけどもさ」

生理的に滲んだ涙もそこそこに唇を震わせていた僕に、彼女はそう静かに言う。

「好きな人に好きって伝えて、何がいけないの」

それが本心じゃないからでしょ?と言おうとして、また胃が震え始めた。止める間もなく口からこぼれ落ちた白い花は、彼女の膝の上にボロボロと降り注がれた。強烈な花の香りに、気持ちが悪くなる。それ以前から気分は悪かったけども、彼女の言葉と今も摩ってくれる手のひらの感覚が、なおさら僕の身体を痛めつける。痛みとともに、苦しみを。君から与えられる感情が、いつしか苦痛へとかたちをかえた。愛しかった君から受ける言葉が、刃となって心を刺した。

「…あなたが好きよ。スノードロップの花を吐くあなたが好き。」

ぎゅっと、彼女の細腕が背中に回る。
子供をあやす様にポンポンと撫でられる感覚に、どうしてか、目尻から涙が零れた。

君を好きになってしまった自分を呪う。同時に、君が僕を好きになってくれないから、自分を呪いながら君を呪う。そんなふうにしか君を愛せない僕が、殺したいほどに憎い。

「……僕を……して」

「ん?なぁに」

震える腕に力を込めて、彼女から離れる。掠れた声で呟きながら、僕はきっと彼女を睨みつけた。驚いた顔すらしない君は、あの僕の好きな猫目を、きゅっと眇めて彩やかに微笑む。そんな風に艶やかで美しい君を、本当に愛しく思う。
それでも、僕は。

「僕を、愛してよ」

君の柔い手のひらを拒み、その滑らかな肌に爪を立て、色鮮やかな鮮血を見れば、幾らかはこの病も治まるのかもしれないと。噛みつきたくなるほどに扇情的な細い首に噛み付いて、赤い花の痕を残したいと。けど、そんなふうに血迷いたくはない。君を傷つけなくはない。だから、お願いだ。
懇願するように腕を伸ばし、くっと顔を下げて堪えるように唇を噛んだ。

「当たり前でしょ」

あぁ、そうだ。君は、そうやって、僕の腕をとる。
そして、微笑むのだ。ひどく残酷に、美しく。そのあでやかさに、僕は結局何も言えなくなる。


僕はいつまでも、君の残り香に囚われている。
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