【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―

久乃亜

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第1章

第6話 帰路の不安回廊


 ――路地裏は、まるで誰かが意図的に時を止めたかのように静まり返っていた。

 昼下がりの陽射しは届かず、石畳にもなっていない剥き出しの土道に影が沈んでいる。
 人通りのないその細道に、ハルネはひとり立っていた。

 行き交う人も存在せず、呼び込む店先の声も届かない。
 ただ壁と空と、己の影。

 あの時、確かに感じた温度と視線のざらつき。

 ただその正体を確かめる。

 その気概と闘争心だけが、ハルネをこの路地へと駆り立てていた。

 普段の柔らかな空気を纏う彼女のチャーミングなタレ目は、今は鋭く、凛とした眼光で睨みつけている。

 ――怖れを隠して。

 ……どうしてこうなったんだっけ?


―――――――


 リゼラの農場からの帰り道。
 ハルネは一人、西街から南街へ行く乗合馬車広場への道を、とぼとぼと歩いていた。

 目的のある往路と違い、目的を達して帰るだけの復路は、無用な事を延々と考えてしまうのがヒトのサガ。
 多分に漏れず、ハルネも、別れ際のリゼラの言葉と感情に支配され、悶々と良くない思考をループさせていた。

(人……人ってなんだろう、誰だろう。 リゼラちゃんの農場を観察する人、普通に考えたらお客さんとか。 でもわざわざ農場まで行って見るだけで帰るってのは……ね。 例えばあたしが適当に言ったリゼラちゃんファンってのも全くあり得ない話じゃないけど……)

 答えの無い問答を、仮説を立てては否定する。

 見た目の穏やかな丸っこい印象に反し、ハルネの思考速度は早い。
 お客と話す時、仕事の話をする時、あるいは感情色を分析する時など。

 その思考速度が、利点となる事も、多々あるだろう。
 しかし今は、逆にその負の思考連鎖を加速させてしまう要因となってしまっている。

 鷹揚な性格ではあるものの、もともとネガティブになりやすい体型コンプレックスを持っているハルネは、一人で思考すると負のループに陥りやすい。

 そう。
 彼女は一人が苦手な性質を持っていた。

(……ノクセラ草を見ていたとか? でもノクセラ草なんて取り分け珍しいものでもないし、効能だって安眠作用が強いくらいで。 サフラン香房でもお爺さま、お婆さまに地味人気だったカモミールとのブレンド茶。 それを若者向けに名前弄って、やっとこさ売れるくらいで味も普通な……)


 その時、ハルネの背後……
 今まで感じたことの無い類の視線の感情温度、を感じた。


――まるで、背中を舐めつけられるような……ねっとりとした、温度。


「ひくっ!」

 意識せず出た悲鳴とともに、反射的に振り向く。
 耽っていた思考の連鎖を一瞬で霧散させるほどの、初めての感覚に衝撃を受ける。

「だ、誰さっ!?」

 みるみる内に心が恐怖に染まっていく。
 一人で思索に耽っていたのもマイナスに転じた。
 孤独が、パニックを抑える術を手放していた。

 ……じっと観察してみると、多いとは言えないがぽつぽつと伺える人通り。

 ここは西街の大通りに続く中通り。
 幹線になる大通りほどではないが、それでも少なくない人が、忙しそうな歩みを見せている。

 ……こちらを観察するような視線の持ち主は、まるで見当たらなかった。

 人を目にした事で、ハルネの頭に冷静さが蘇る。
 一たび落ち着きを取り戻せば、単純なハルネは我を取り戻す時間も早い。

(……それっぽい人はいない、みたい。 ああ、こわぁ……こわかった。 視線だったかは正直分かんない。 でも温度はハッキリ感じた)

 感情色の魔眼エモパレは、感情の色を映し出す魔眼だ。
 普段は、目に映る感情の色を「視る」だけのもの。

 けれど、意識を向ければ、話は別。
 相手の感情を、温度として感じ取る事も出来る。

 もっとも、強い感情は、お構いなしに勝手に伝わってきてしまうのだけれど。

(さっき感じたのはまさにソレ。 しかも初めて受ける感情温度だった)

 いくらか時間が経ち、分析する余裕も出てきた。
 まるで蛇のような「獲物は逃がさない」という……
 冷たさとも熱さとも感じる、奇妙な温度。

 背中を舐められたのかと思った。
 ……背中なんか舐められた事ないけれども。

(絶対いる。 あたしを怖がらせた罪、絶対許せない。 見つけてやる! うりゃっ、エモパレ全開!)

 琥珀色の瞳に魔力の微光が灯り出し、常時発動の魔眼の感度がさらに上がる。

 遠くに見える人物の感情色すら浮かび上がってくる。
 通常じゃ視認しづらい人影もエモパレの感度を上げれば感情色は浮かび上がる。
 フラットの状態で感情を消せる人間はいない。

 ……どの色も薄い。 そりゃそうだ。
 ただ歩いてるだけで激情を抱いてるなんて結構な異常者だ。

――ちょっと薄いけど、アレは希望のインディゴブルーかな?

 新しい商談の話でもするのかな?

――おぉっと、疚しさの菫色を発見。

 でもあたしに向いたモノじゃない。

 見えるとしたら定番の「悪意の黒灰色」みたいな色のはず。
 あるいは……

 さきほど背中で受けた温度を改めて考察してみる。

 ……悪意じゃないかも。

 どっちかというと……
 シャリエナに鼻の下を伸ばしてる若い男性客とか……
 あたしの胸にだけ視線を向けるセクハラオヤジの感情温度に似ている……
 ような気がする。

 初めての感覚だったから詳しくは分からない。
 でも……

 エモパレ全開モードでも、それっぽい人物を見つける事が出来なかった。
 もう隠れてしまったか、それとも去ってしまったか。


 あたしはここで選択を間違えた。


 ――「だったら誘き出す!」と息巻いてしまった。


 ――ふと往来を見ると、人が来なさそうな裏路地に通じそうな道が一つ。

 そうだ、あそこで待ち構えれば、姿を隠すことも出来ないはず。
 もしもあたし自身が目的なら、人が来ない道へ行けば付いてくるはずだぞ。

 「さあ、来い!」とばかりに意気揚々と裏路地に入る。
 その時のあたしは、怖がらせてくれやがって畜生めと、心に宿る闘争心と勢いだけで行動してしまっていた。

 一人、若い女性、恐怖すら感じる視線……
 それらの要素から導かれる、自ら最も優先すべき概念を置き去りにして。
 その概念とは……


「身の安全」


―――――――


 ――そして冒頭へ。

 陽が差さない裏路地は、勢いだけの行動を維持するには暗く、そして静かすぎた。

 もう元の大通りに戻るには、路地への歩みを進め過ぎている。

 当初は仁王立ちで待ち構えていたハルネだった。
 しかし、ターゲットからあまりに丸見えとすぐに気づき、今は、路肩に放置された大きな樽の裏に、じっと身を潜めている。

 そう。
 じっと、身を潜めてしまった。

 人間、行動を継続している間は余計な思考を挟まない。
 行動を止めている時に思考は回る。

(このまま待ってれば姿を現すハズ……だってここから大通りまで身を隠す遮蔽は無い。 エモパレの感度も強くして……絶対見つけてやるんだ。 見つけて、それで……)

 そして、ついに彼女は気が付いた。
 若い女性なら一番先に至らなければならない考えに……

(見つけて…………それで? それで、どうするのさ? 問い正すの? あんな舐るような視線をくれるヤツに? 相手がもし、凶悪なヤツだったら? ………………あっ)

 冷静なようで冷静じゃなかった自分の思考にようやく気付く。

 そうだ。

 自衛手段が、無い。

 普段のハルネなら裏路地でなく、真っ先に大通りの人だかりの方へと向かっただろう。
 初めてその身に受けた感情の温度は、それほどの衝撃を与えたようだった。

(やばいやばいやばい! 人の多い所に戻らなきゃ!)

 自分の隠れている樽から大通りの方への目を向ける。

 ……誰もいない。

 そのまま走り抜けてしまえばいいものの、ずぅっと押し隠していた恐怖が一言囁いた。

(もし、鉢合わせたら……?)

 ここでもハルネの思考の早さが仇になった。
 一度走り始めれば勢いで走り続ける事も出来たかもしれない。

 しかし、止まった状態で恐怖に囁かれてしまった。

(ダメ……! 鉢合わせるリスクが高過ぎる! 自慢じゃないけどあたしは動きは機敏な方じゃないのよ! まだ向こうからは見えないはず、じっと身を潜めて、それで……)

 無意識下でずっと感じていた恐怖が、ジワジワジワジワ表層に現れる。

(そうだ武器! いつも持ち歩いてるペッパーボムがあったハズ! シャリエナと一緒に対策して作った……いざとなったらコレをぶつけて……)

 武器の存在を思い出すも、大いなる聖剣ならいざ知らず、胡椒爆弾一つで払拭できるほどの不安レベルはとうに過ぎている。

(ダメだ、外したらどうする? 一個しかないし、腕を掴まれたら終わりだ。 う……ぐすっ……どうする?)

 ついには涙が滲む。

 時刻は昼過ぎ。
 まだまだ晴れ空が広がる時間帯。

 しかし、裏路地の陽の当たらない暗さと静けさは、
 どんどんと恐怖を味方につけ、不安の回廊へと思考を導く。

 そしてなにより……


 孤独は、ハルネの天敵だった。

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