11 / 43
第1章
第11話 くらえ! 乙女の一撃!
魔石ランプが煌々と店内を照らす。
辺りを見れば、香房の床は一部が抉れ、焼け焦げた薬品と茸の匂いが漂う。
転がった小瓶。
棚から落ちた茶葉の入った陶器。
壁にはいくつかの粘性の液体も滴り、淡く湯気を立てていた。
立つは、異形の筋肉の塊、顔だけは薄弱の面影を残した狂乱の青年客が、片手に棒を持ち、余裕の表情を浮かべている。
対して立つは、葉っぱ型の小盾の付いたステッキを持つ、ぽっちゃり乙女。
女の子というには大人びていて、妙齢というには幼い……
サフラン香房店主代理、ハルネ・サフラン。
カウンター裏に隠れ、顔を覗かせて様子を伺っている可憐な少女……
シャリエナ・サフランは、姉に全幅の信頼を寄せ、真剣な表情で隙を伺う。
そして、戦いはクライマックスへと舵を切った。
―――――――
「シャリエナ! 『フォーメーションD』よっ!」
ハルネの合図で、即座に壁際へ移動するシャリエナ。
「無駄だ、無駄。 シャリエナちゃんも見惚れるほどの、この最強筋肉を身に着けた俺に敵うはずが無い」
「ぜんっぜん、見惚れてないですケド! 不自然過ぎてむしろ気持ち悪いよ! わたしはもっと均等な筋肉が……」
「シャリエナっ!」
「っ! はいさ!」
ヒョロキモ改め、マチョキモの戯言に応答を返していたシャリエナも、即座にハルネの合図に反応する。
フォーメーションD――初動として、まずシャリエナが行ったのは……
カウンター横の壁に設置された、魔石ランプのスイッチを切る事。
――シュウウゥゥゥ……
天井や壁に備え付けられた魔石ランプの照明が切れ、店内はモノの1秒で暗闇に包まれる。
「なっ!」
窓から多少薄明かりが入ってくるとはいえ、基本的に物の多い香房の店内は、明かりが無ければ真っ暗闇。
魔石ランプを切る事で、互いに相手の姿を見る事が適わなくなった。
――ハルネを除いて。
(見えてるわよぉ、その憎しみと余裕を表している、――赤黒色と白青色の混合色!)
感情色の魔眼(エモパレ)を持つハルネだけは、暗闇だろうが関係なく相手を視認できる。
感情色と温度の縁取りが、その輪郭を暗闇でも浮かび上がらせる。
しかし、全身の姿をハッキリと捉えているワケでは無い。
あくまで輪郭とぼやっとした位置のみ。
しかし打撃を加えるには十分だった。
「せいっ!」
姿勢を低くし、ステッキを振るう。
とにかく徹底して脚、とくに膝とスネを狙う。
フォーメーションAでも見せた、足狙いの戦術。
「グっ! ドコだぁっ!」
しかし、発達した筋肉の塊へと変貌したマチョキモの脚には、それほど大きく効果を発揮していない。
再び位置を変え、ハルネはステッキを振るう。
「せやっ!」
「グっ!」
膝裏に上手くヒットし、マチョキモはバランスを崩す。
大きく筋肉を肥大させても、ダメージの蓄積は残っていたようだった。
しかし、ハルネの表情は曇りを見せる。
(あんまり効いてない!? でももう少し削らないと!)
効いてはいるものの、想定よりマチョキモへはダメージが通っていない。
ハルネは焦りを感じ、再々度位置を変えて、膝を狙う。
「もういっちょ!」
――ここでついに、ハルネの戦略に綻びが出た。
振るわれたステッキは、マチョキモの脚に到達する事無く、彼の持つ調合棒によって弾かれた。
「あっ……」
「あめえぜ! 何度も同じとこ狙われりゃ、バカでも分かるっつーの!」
そのまま、ハルネのいる場所に当たりを付け、渾身の返しの突きを繰り出すマチョキモ。
暗闇の中で放たれた突きは、不幸にもハルネの肩口へと吸い込まれた。
「んぎゃっ!!!!」
100%の直撃は受けなかったものの、
吹っ飛ばされ、カウンターへ背中から激突し、大きな音を立てる。
「かはっ……!!」
「お姉ちゃんっ!!!!」
姉の悲鳴にたまらず、シャリエナは魔石ランプのスイッチをオンにしてしまう。
パッと明るくなる店内。
「おっとぉ、初のクリーンヒット。 嬉しいねぇ……さんざんボコされたお礼は、ちゃあんと返させてもらうからな、豚ァ! ……シャリエナちゃんは待っててね!」
「ダメよ!! シャリエナ! もう一度消して! そして構え、Bタイプ!!」
「……っうん!」
気丈にも泣きそうになりながら、姉ハルネの言う事を忠実に守るシャリエナ。
店内は再び暗闇に包まれる。
(痛い! 痛い! 痛い! ……でも、やらなきゃ! あたしが、お店を、シャリエナも、守るんだ!)
暗闇に紛れ、機を伺う。
持ち前の思考の早さから、想定外のダメージを食らってもなお、ハルネは勝つ為の戦略を考えていた。
本来、普通の迷惑客や粗暴な客に対し、ほんの少しの火力と制圧力で、お帰り頂くはずの『お客様、お帰りはあちらですフォーメーション戦略』。
こんな異形の化け物と対峙するためのモノでは無い。
脚への打撃だってもっと有効であるはずだし、そもそもトリモチトラップで終わっていたはずだった。
しかし現実はそうでは無い。
2度の人生を通じて、上手く行かない事なんて多々ある事を知っているハルネは、泣き言は出ても、諦める選択肢は無い。
殺傷力の高いBタイプを選択し、シャリエナに指示した。
痛む肩を押さえ、破れてしまったケープを指で遊ばせながら、少しばかり逡巡する。
「どこに行きやがった? だがもう目が慣れてきたぜ?」
(目が慣れるのが早すぎる! 何!? 感覚も鋭くなってんの!? あいつ!?)
暗闇の中を感情色で捉えられるアドバンテージも、それほど長くは持たなそうだ、と、ハルネは決意を固めた。
(やるしか無い……!)
人影だけは感情色で捉えられる。
店内は変わらず暗闇に包まれ、移動も困難を伴うはずだが、勝手知ったる自分の店。
どこに何があるかなんて把握済みだ。
姿勢を低くし、店の入り口に向かう。
そう、カウンターにいるシャリエナと向かい合い、マチョキモを挟む形を狙う。
それほど掛からずに、マチョキモを挟む位置に辿り着く。
小麦ボールを片手に、もう片方でステッキの魔石に力を込め、暗闇の中、小火が灯る。
合図だ。
「今よ! シャリエナ!」
「うんっ!!」
「おっ?」
ハルネの合図でシャリエナは魔石ランプのスイッチを入れる。
煌々と照らされる店内。
一瞬の照明に注意をとられるマチョキモ。
その隙を逃さず、近距離で小麦ボールを放るハルネ。
命中し、破裂。
そして、派手に舞う粉塵。
「また粉かよっ! もう飽きたぜ!」
「えいっ!! ピカパフBっ!!」
シャリエナがカウンターから投げたピカパフが、マチョキモに命中し、閃光を纏う。
――カッ!
本来であれば光と共に、破裂茸の破裂音で脅かす効果のあるピカパフ。
しかし、この時シャリエナが投擲したのはBタイプ。
破裂茸の代わりに調合されているのは……ガンパウダー。
「くらえっ! 点火っ!! ピカパフ……バーストぉッ!!!!」
――ズバアァァンッ!!
「ぐああああぁぁぁぁっっっ……」
シールドステッキのチョロ火に触れ、着火したピカパフは大きな爆発音を伴って破裂した。
小麦の粉塵と重なり、大きな火力となってマチョキモを襲い……そして、倒れた。
「やったか!?」
「やったね!!」
口に出してから気付く。
「やったか!?」じゃないよ!
終わるという安堵から、意識せず、つい口をついて出てしまった。
フラグだ。 絶対終わらない。
「クソ……豚……がっ!!」
「まだ立つの!?」
生存フラグが正しく働く。
ダメージは大分あるようだが、それでも平然と立ち上がるマチョキモ。
つい、フラグめいた言葉を口にした後悔を即座に棚に置き、ハルネは次の策を考える。
ピカパフを見せたのは2度目だ。
警戒が間に合って直撃を避けられたのかもしれない。
しかし、相手を大きく傷つける覚悟で選択したピカパフバースト。
それでも、すぐさま立ち上がってくるマチョキモ。
その化け物じみた姿に、ハルネの心に、ついに恐怖が湧き始めた。
「…………っ」
「お姉ちゃん……」
シャリエナも同じ気持ちを感じている。
感情色だけでなく、顔色も蒼褪めている。
「愛を……シャリエナちゃんの愛を、モノにするんだ…………そして、許さねぇ、豚ァ……絶対殺してやる!」
効いてはいる。
効いてはいるが、尚の事、殺意の強くなるマチョキモに対し、
あたしは喉から漏れようとする悲鳴を噛み殺すのがやっとだった。
負傷した背中と肩がズキズキと痛む。
鎖骨はもしかしたら折れているかも。
意識すると、どんどん痛み始めた肩が、あたしの弱気を誘い込む。
そもそもなんでこんな痛い思いしてるんだっけ……
さっきまでシャリエナと楽しくしゃべっててさ、いっぱい甘えて、お茶でも入れようって。
昼間も怖い目にあった。
でも前向きになれたと思ったのに……
なんでこんな目にあってるの?
痛いよ……怖いよ……
痛みと恐怖と理不尽さに、思わず涙が滲む。
また涙が……今日二度目だよ……
今日は散々だ。
どこからケチがついたんだっけ?
昼間はリゼラちゃんと楽しくしゃべってて……
そうだ、リゼラちゃんが変な人見たっていうからだ。
その不安の感情色に影響されて……恨むぞリゼラちゃん。
で、その後、キモチワルイ視線感じて……実はこのマチョキモなんじゃないの?
……いや、全然違うよ。
なんでも繋げちゃうのは良くない。
そして、神父様にクッキー貰って、そうだ、お礼も返さなきゃ……
目に涙が浮かびながらも、ぐるぐるぐるぐる思考は回る。
今日も仕事がんばろって、やる気になって、シャリエナも待たせちゃったから……
なんかやろうって考えて……なんだっけ?
リゼラちゃんの……そうだ、ハバネロ。
あれでピザ作ろって考えてたんだ。
お母さんとシャリエナと一緒に、ピザでも作って、辛いのも好きなシャリエナをさ、びっくりのピザを、作ってやろうって思って……
……ぐすっ…………お腹空いたよ……
…………
………………
……………………そうだよ。
お腹、空いたんだよっ!!
本当なら!
今頃ご飯作って、食べてる頃じゃん!!
なのに、なんなのさ!!
この、クソヒョロキモアホ迷惑客ヤロウのせいで!!
まだ! ご飯食べれてない!!
朝食べてから神父様に貰ったクッキーしか食べてないよ!? あたし!?
めちゃめちゃに怒りが湧いてくる。
……シャリエナもこんなに怯えさせて!
……あたし達のお店をめちゃくちゃにしちゃってえ!!
あたしの幸せな時間をっ……ご飯の時間を邪魔しやがってぇっ!!!!
「何が許さないのさ…………ねえ、アンタ」
「あ?」
あたしはゆっくりと、取れそうだった肩のケープを滑らせる。
露わになるデコルテライン。
――真っ白い肌が、鎖骨に出来た痣をより痛々しく見せている。
「勝手な感情押し付けて、誰かを壊して、暴れまくって! そんなんで誰かを好きだの愛してもらおうだの、ちゃんちゃらおかしいのよっ! 自分は客だってぇ? ショボいカップ一つ買っただけでいっぱしの客きどってんじゃないわよっ! そんなん適当な口実でしょう!? せめて男ならもっと気概を、余裕を、紳士っぷりを見せなさいよ! キモいだけじゃなくてケチなの!? そんなの嫌われて当然よ!! せっかくシャリエナと楽しいお茶の時間かと思ったのに、アンタのせいで台無しよっ!! プリンだって残ってるんだからぁぁ!!!!」
理路整然とは程遠い、怒りに任せた感情が呼びよせる感情を、そのまま口から文句と罵倒に変換する。
喋ってる内にどんどん怒りの感情も加速する。
そして、外したケープを掴んだ手で、強くマチョキモを指差す。
「絶対、許さないっ!」
「ほざけ! クソ豚ァァ!!」
「そうだよ! 絶対許さないんだからぁ! このマチョキモやろうっ! 嫌いっ!」
あたしの怒りの勢いに触発され、怖れを感じ始めていたシャリエナも元気を取り戻す。
「そんな……シャリエナちゃん……」
怯んだ隙を逃さない。
「シャリエナっ! もう一度フォーメーションDよ!!」
「っ! うん!」
合図が伝わった事を確信し、姿勢を低くし、シールドステッキの盾を構え、相手を見据える。
「今よっ!」
再び店内は暗闇へ。
直後、あたしは本気のタックルで、マチョキモに襲い掛かる。
「てりゃあっっ!! ハルネタックルっ!!」
「うおおおぉぉぉ!」
――ドシンっという鈍い音が響く。
暗闇での本気タックルが決まり、マチョキモは大きく跳ね飛ばされ尻もちを付く。
位置を確認したあたしは、手に持ったリボンケープをヤツの足元へ叩きつける。
そしてすかさずステッキで……
「着火っっ! くらえ奥の手! ウルルンケープ!!」
ケープは即座に勢いよく燃え、多量の白煙を生み出す。
煙は螺旋を描き、マチョキモの周りに立ち昇る。
「ゲッホっ!! なんだコリャ、ゲホゲホ、ゲホっ!! くっ、目、目がっ!! うああああっっ!!!」
燃やすと多量の催涙ガスが発生し、付与された風の加護が、対象にしつこく纏わりつく。
これが奥の手、ウルルンケープよ!
……昼間は火種が無くて選択肢には無かったけどっ!
「ゲホゲホゲホっ!! く……ち、ちきしょう! ゲホっ! 煙がっ纏わりつく!!」
「シャリエナ! ランプ付けて! 追撃ぃ!!」
あたしの合図で魔石ランプのスイッチを入れ、アロマポシェットから濃い緑色の玉を取り出す。
「あいさっ! いっけー! クサクサハーブグレネードっ!!」
命中!
濃緑の玉は、小さく破裂し、緑の粉塵をまき散らす。
「ゲッホ! ゲホ! ………く、くっせぇ! なんだこの匂いは、たまらん!!! ゲッホ!!」
「まだまだよっ! ポンポンビーンズ!」
「はいさっ!」
あたしはカウンターに駆け寄り、シャリエナからポンポンビーンズを受け取り、そのままマチョキモに投げ、次の準備をする。
――パパパパパァンっ!!
ポンポンビーンズの鋭く連続した破裂音が、マチョキモを襲う。
「ぐ、う、うあああぁぁ………」
視覚、嗅覚、聴覚の三重器官を同時に痛めつけられたマチョキモは、これはたまらないと、入り口の方へ向かって走り出す。
「ぐえっ!」
運良く入り口のドアまでたどり着くも、走り出した勢いそのままでドアに激突。
目も鼻も耳も効かないのだから、当然の結果だ。
そう、これがサフラン香房の真骨頂。
ピカパフバーストのような火力に特化した戦術も有りだけど、元々は、非力なあたし達だからと考えた戦略。
だから、こうやって直接的な暴力を伴わない搦め手こそが、あたし達らしさ!
……とはいえ、物理も必要。
あたしはカウンターにある最後の仕掛けを取り出した。
それは天井につながる一本のロープ。
香房最大の物理火力を叩きつける!
シャリエナと顔を見合わせ、共にロープを握り、今抱える想いは同じと頷いた。
「よし、決めるわよっ! シャリエナ!」
「うん!」
これでフィニッシュよ!
ロープを握る手に力を込め、あたしは大仰に、もう片方の腕を突き出し……
高らかに口上を謳った!
「無茶な要望もなんのその!」
「え!? え、えーと、サフラン香房は今日も一番!」
「迷惑振りまくお客には!」
「えーと、くっさいハーブでおしおきよ!」
「黙って聞いてりゃ図に乗って!」
「「許せぬ乙女の一撃を!!」」
「「 お客様っ!! お帰りは、あちらです!!!! 」」
あたし達は、勢いよくロープを引き下ろした。
「ゲホッ! な、なんだ!?」
すでに立ち上がり、まごまごしていたマチョキモ。
位置もバッチリ!
サフラン香房の入り口の上部、ディスプレイのように備え付けられている巨大な樽。
よく見れば樽には横側に丈夫な棒が挿してあり、大きなハンマーのようにも見える。
樽に挿した棒の反対側は固定されているものの、歯車のようなものが取り付けてある。
つまり、そこを支点に、回転するのだ。
あたし達が今引いたのは、その大きな樽の前部を支えているロープ。
大きな樽は支えを失い、支点を軸に大きく回転。
徐々に加速し、巨大な運動エネルギーを伴った樽のハンマーが入り口にいたマチョキモを襲う。
くらえ!
お水満載で頑丈な樽(合計推定300キロ)の、さらに蓋に金属鋲を打ち込んだ……
必殺のぉ……!
――樽木槌っ!!
「う、うおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
その巨大な迫力と圧力を躱せるはずもなく、メコリという音が聞こえてきそうなほどクリティカルヒットッ!
マチョキモの身体にめり込んだ樽木槌は、そのままその巨大な力をまっすぐとマチョキモに伝え……
――ゴッ、ガッシャーーーンッ!!
入り口の扉をぶち抜き、遥か遠くまで吹っ飛ばした。
「…………」
「…………」
「「イ……」」
「「イエーーーーーイッ!!」」
シャリエナと二人で勝利のハイタッチっ!!
タイミングもバッチリ! さっすが姉妹だね!
―――――――
ぶち壊してしまった入り口から外を眺めると、街灯ランプの明かりの中、遠巻きに野次馬の姿が幾人か見えた。
お店の中だったとはいえ、そりゃあんだけ騒げばね。
もうじき警備の衛兵も来るだろう。
仰向けにぶっ倒れているマチョキモをちゃんと確認する。
いつの間にか筋肉が萎んでヒョロキモに戻っている。
「さて……」
「あ~~、随分散らかっちゃったねー」
二人で店内を見渡し、荒れ果てた有様に溜息をつく。
「ま、でもシャリエナが無事でよかったわよ」
「そうだよお姉ちゃん! ケガは!? 肩のらへん!」
シャリエナの言葉で思い出す。
そうそう、派手にやられたんだった。
意識すると痛みがぶり返してくる
「あたたた……思い出したら痛みが……」
「どうしよう……治療薬は特注依頼でしか作らないから在庫も無いし……お母さんに頼む?」
「そうね。 帰ってきたら、お母さんに頼みましょ」
香房内に響く姉妹の会話。
それほど大きな声ではないが、外にも多少響いていた。
ふと、風が吹く。
焼け焦げたリボンケープが風に吹かれ、ヒラヒラと舞った。
月明かりに照らされる中、仰向けに倒れている男の指先が、その風でピクリと動いたようにも見えた。
「そういえばお姉ちゃん、ごめんね。 お気に入りのリボンケープだったのに」
「ああ、いいのよ。 めちゃめちゃムカついてたからね。 いい気味よ! それに、ウルルンケープはあれ一つだけど、同じデザインのケープはもう一つあるし」
「かっこよかったよ、お姉ちゃん!」
「シャリエナもね! よく頑張ったわ!」
月明かりに照らされた仰向けの男。
虫の息をしていた男の腕がハッキリと動いた。
その手は懐へ、ゆっくりと確実な動作で何かを探っている。
「このありさま、どうしようか……」
「とりあえず、床の危ないモノだけ片付けましょ。 本格的な片づけは明日。 午前中だけちょっとお休みってお知らせして。 ギルド長にも伝えないと」
月明かりに照らされた仰向けの男。
……その姿はもう、見当たらない。
「お腹空いた~~、ご飯の前にプリンね! 半分あげるって言ったけどアレは無し! やっぱりあたしが全部食べる!」
「元々お姉ちゃんのだからいいけどぉ。 ご飯の前にスイーツとか、また……」
「また……何?」
「また……え、えーと、お、お腹いっぱいで寝られなくなっちゃうよ!」
「大丈夫よ。 むしろお腹いっぱいじゃないと寝られないもの」
「ふふふ、お姉ちゃんらしいなー」
安穏な会話。
姉妹の普段の会話。
日常の会話。
彼女たちは、すでにさきほどの攻防に決着がついたと、安心しきっていた。
戦いを生業としない、商店の娘たちの限界。
その油断が――――牙をむいた。
「クソ豚アァァァァァァ!! 死ねええぇぇぇぇ!!!!」
いつの間に起き上ったのか。
懐に隠し持っていたナイフを構え、ヒョロキモは、裂帛の気合の声と共に、ハルネの背中へと襲い掛かった。
「お、お姉ちゃんっ!!」
「くっ!! シャリエナ!!」
気付いて振り向き、なんとか妹を突き飛ばす。
――その行動で、ハルネのターンは終了した。
そこから何かを起こせる時間も、アクションポイントも、もう、何も残っていなかった。
ヒョロキモの突進してくるナイフが、自分の身体にまっすぐ突き刺さる未来が見える。
――あ~、これはダメだ。 しくじった。
どうしてあたしはこうなんだろう。
どうしていつもツメをしくじっちゃうんだろう。
今日だけでこれ、何度目よ?
いっぱいいっぱい考えてるのに、結局どこか穴だらけ。
なんでなのかなぁ……悔しいよ。
思考がどんどん加速する。
逆に現実の時間が遅くなる。
ほら、ヒョロキモのナイフはまだあそこ。
この現象は知っている。
……走馬灯って、いうんでしょ?
あ~あ、またダメだったのか、二度目の人生。
ぽっちゃりの呪いにかかっても、一生懸命頑張ったのにな。
……恋したかったな。
二度目の人生ならワンチャンって何度も考えたけどさ。
こんなあたしを選んで、愛してくれる人なんて……
……でもさ、
今日のあたしは、ちょっとカッコよくなかった?
妹も守れたし、お店はグチャグチャになったけど、あんなの掃除すればいいんだし。
いつかの夜、シャリエナといっぱい妄想したな~、理想のオジさま。
シャリエナは、筋肉が有っても、年があんまり離れてるのはイヤみたい。
あたしはそれがいいのにな、と思ってるのに。
年が離れてればさ、あたしをいっぱい甘やかしてくれて、あたしがポカしても優しく受け入れてくれて、あたしの方が沢山年下なら、それだけで可愛いって思ってくれるに違いない。
人生に深みも無いとね、渋くて、イケボで、カッコよくて、でも人間的に弱いとこもあって、それをあたしが甘やかしてあげるの。
いっぱい。 いっぱい。
感情色の魔眼(エモパレ)の事も話してさ、こんな変な悩みもあるんだよって共有して、お話して……それから……
そこでハルネの思考は途絶えた。
――ドンッ!
「………………え?」
次の瞬間、世界は反転していた。
あたしの身体は、知らない誰かの腕の中にあった。
温かさと濃密なヒトの匂いが、誰かに抱き寄せられているという事実を物語っている。
助かった、の……?
混乱状態の中、視線を上げると……
そこには、淡い灰銀の髪、琥珀色の瞳、頬に刻まれた老練な経験を思わせる皺。
ブルーの制服。
そして、紋様の刻まれた黒い眼帯が特徴的な……
まさに、あたしの理想を組み上げたような……
「……間に合って、よかった」
安堵を与えてくれる、落ち着いた低音の声色。
その声を聞いた瞬間、
あたしの、うんと胸の奥の、小さな蕾がほどけたような音がした。
あなたにおすすめの小説
嫌われS級治癒師は、治すたび寿命を削っていた
なつめ
恋愛
王国最強の冒険者パーティに所属するS級治癒師・フィオナは、
どんな傷も呪いも癒せる“奇跡の治癒師”として知られていた。
けれどその力には、誰にも言えない代償があった。
治療するたび、彼女自身の寿命が削られていくのだ。
仲間を救えば救うほど、彼女の身体は静かに壊れていく。
それでもフィオナは口を閉ざしたまま、笑って治し続けた。
だが、奇跡を当然のように受け取る仲間たちは、次第に彼女を疎み始める。
「冷たい」
「恩着せがましい」
「治せるなら最初からやればいい」
そんな言葉が積み重なり、彼女はついに“嫌われ者”となった。
そしてある日、致命傷を負った仲間を救った代償で、フィオナは余命わずかとなる。
彼女が去ろうとしたその時になって初めて、
仲間たちは、自分たちが踏みにじってきたものの大きさを知る。
これは、
誰にも理解されなかった治癒師が、それでも誰かを愛してしまう物語。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
指輪を外す夜― 横浜・雨の馬車道で ―
La Mistral
恋愛
その恋は、
横浜の雨の日に始まった。
広告代理店に勤める水瀬亜矢(32)。
穏やかな結婚生活の中で、彼女は小さな孤独を抱えていた。
ある夜、
横浜駅で傘を差し出してくれた男。
高坂恒一(46)。
落ち着いた声、微かな香水、
そして彼の左手にも結婚指輪があった。
再会したのは
石畳の街 馬車道 の古い喫茶店。
触れてはいけない距離。
それでも、二人は何度も会ってしまう。
港町の夜景と海風の中で、
静かに始まる大人の恋。
それはきっと、
長く続くはずのない恋だった。
エブリスタにも連載中
亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』
まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」
五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。
夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。
生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。
冷淡な視線、姉と比較される日々。
「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」
その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。
しかし、彼女が消えた翌朝。
カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。
そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。
そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。
――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」
真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。
だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。
これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
推しの妻になりました 〜アイドルと契約結婚〜
桐生桜
恋愛
コンシェルジュ見習いの高階苺依には(たかしなめい)には、パート掛け持ちの母、受験生の弟、高校生の妹……支えるべき家族がいる。
そんな毎日の中、唯一の癒しはアイドルグループ『XENO』のTOMAだった。
ある日、勤務先のホテルで苺依は目を疑う光景に出くわす。
冷たい水を浴びせられている男性……慌ててタオルを持って追いかけると、振り返ったのは、あのTOMAだった。
「……余計なお節介なんだよ」
感動も束の間、TOMAの第一声は冷たい一言だった。
しかもエレベーターの扉が閉まり、気まずい密室に二人きり。
テレビで見せる王子様の笑顔など、どこにもない。
苺依のネームプレートを一瞥したTOMAは、温かいコーヒーを要求した。
そして思いもよらない言葉を告げられる。
「俺の婚約者になれ」
父親から押しつけられる縁談にうんざりしていたTOMAが目をつけたのは、ファンのくせに少しも遠慮しない苺依だった。
苺依はお金のために、その提案を承諾する。
こうして始まった、嘘だらけの夫婦生活。
でも共に過ごすうちに、仮面の裏に隠された「本当のTOMA」が少しずつ見えてきて……。
ニセモノだった婚約者が本物の愛に変わるまでのラブストーリー。
目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした
エス
恋愛
転生JK×イケメン公爵様の異世界スローラブ
女子高生・高野みつきは、ある日突然、異世界のお嬢様シャルロットになっていた。
過保護すぎる伯爵パパに泣かれ、無愛想なイケメン公爵レオンといきなりお見合いさせられ……あれよあれよとレオンの婚約者に。
公爵家のクセ強ファミリーに囲まれて、能天気王太子リオに振り回されながらも、みつきは少しずつ異世界での居場所を見つけていく。
けれど心の奥では、「本当にシャルロットとして生きていいのか」と悩む日々。そんな彼女の夢に現れた“本物のシャルロット”が、みつきに大切なメッセージを託す──。
これは、異世界でシャルロットとして生きることを託された1人の少女の、葛藤と成長の物語。
イケメン公爵様とのラブも……気づけばちゃんと育ってます(たぶん)
※他サイトに投稿していたものを、改稿しています。
※他サイトにも投稿しています。
異世界に来て10年、伝えられない片想いをしている――伴侶と認識されているとは知らずに
豆腐と蜜柑と炬燵
恋愛
異世界に来て、10年。
田中緑(26歳)は、町の食事亭で働きながら、穏やかな日常を過ごしている。
この世界で生きていけるようになったのは、あの日――
途方に暮れていた自分を助けてくれた、一人の狼の半獣人のおかげだった。
ぶっきらぼうで、不器用で、それでも優しい人。
そんな彼に、気づけば10年、片想いをしている。
伝えるつもりはない。
この気持ちは、ずっと胸の中にしまっておくつもりだった。
――けれど。
彼との距離が少しずつ変わっていくたび、
隠していたはずの想いは、静かに溢れはじめる。
これは、
10年伝えられなかった片想いが、
ゆっくりと形を変えていく物語。