【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―

久乃亜

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第2章

第15話 怒りたいわけじゃないのに


 第二調査局――そのロビーは、音がよく響いた。

 誰かの足音、誰かの溜息、軽く咳払いするだけで、その広い空間に遠慮は無しと駆け回る。

 光をよく通す高窓が清潔感を、しっかりとした石造りの床が冷たさを、控えめな装飾は武骨さを表していた。

 隅に置かれたただ一鉢の観葉植物だけが、春の陽気と、そして人が存在する空間だという事実を漂わせていた。

 受付には角ばった眼鏡をかけたどこか老けた男。
 仏頂面を張り付けたような顔は、初老にも見えるし若輩に見えなくもない。

 その前で声を荒げるのは、少々ふくよかな若い娘。
 ケープのリボンを胸に携え、桜の花びらを模した髪留めが、ストロベリーブラウンの髪に良く似合う。
 ハルネ・サフランだった。

 男は諦め半分、苛立ち半分の様子であしらってはいるものの、ハルネは一歩も引く様子はない。

 そして何度目かの言葉の応酬が、今また始まろうとしていた。


―――――――


 ギルドで調査局の場所を聞いたあたしは、迷わず第二調査局の建物へと向かった。

 人の出入りが激しそうな第一調査局と違い、どこか静かな雰囲気漂う第二調査局は、少しだけ入るのを躊躇させた。

 ええい、ここまで来たんだから腹を決めろと扉をくぐる。

 受付で面会の旨を伝え、面会書類を渡した所で押し問答が始まり……今に至る。

「だからぁ……アポは無いんだろ? 副局長は忙しいんだ。帰った帰った」
「だからちゃんと面会の書類も書いたでしょ! 会わせなさいよ!」
「相手がゼオファルド卿だと知ってたら、書類なんぞ書かせなかったよ。 ほら、帰れ」

 くそー……相手にするのも面倒だって感じの感情色してくれちゃって……

 何か無いかな、手札……

 生活が……お店がかかってるんだから!
 あたしだっておいそれと引くわけには行かないのよ!

「そうだ、事情聴取! 昨日、ヴァルグレイのオジさまが、あたしの店に来たの聞いてない? その時の事件で言うのを忘れてた事があったの! 本人に伝えたいの!」

 もちろんブラフだ。

 とにかく会いさえすれば……

「事件ん~?? ……面会書類の署名は『ハルネ・サフラン』……そういえば……いや、やっぱり知らん! そのうちそっちに捜査員が行くだろう、そいつらに聞け! 俺の手を煩わせるな!」

 ムカっ!

 こいつ今……――閃きの白い感情色を出したクセに……知らないフリしたな!

 こいつじゃダメだ。 話にならない。

 どうしよう……どうしよう!

 このままじゃお店が……サフラン香房が……
 うううぅ……

「おっ! ハル姐さんじゃないッスか! 探しやしたよ!」

 押し問答で気付かなかった。

 いつの間にか、入り口からブルーの制服を着た一人の調査局員が、あたしに話しかけてきていた。

 この人はたしか……

「レルガさん!」

 そうだっ!!

「レルガさん! あたし、ヴァルグレイさんに話してない事あるの! 話したいの! お願い、取り次いで!」
「え? ええ??」

 なんでレルガさんがここにいるのか、あたしを探してたのか分からない。

 けど……これを利用するんだ!

「いいよね!?」
「あ、ハイ。 わかったッス……俺もそのつもりだったんでいいっスよ」

 やった! 第一関門クリア!!

「そういうワケでこの子は俺が預かるんで。 いいッスよね?」
「レ、レルガ捜査官! は、ハッ! 了解であります!」


―――――――
 

「実は今朝早く、サフラン香房の方に寄らせてもらったッス。 調べたい事もあるし、掃除も手伝えって命令だったっスからね……」

 レルガさんが事の顛末を教えてくれている。

 けれど、あたしの耳には全く入ってこない。

 オジさま……ヴァルグレイのオジさま……やっと会える。

 自然と歩みが速くなる。

 会って……会って、話すんだ。

 ……どうして営業停止なんてひどい事するの?

 ……あたしの事、ちょっとでも気に入ってくれたんじゃなかったの?

 やっぱり気のせいだったの……?

 どうやら副局長室は応接室とは違う専用の部屋で、奥まった所にあるようだった。

 遠い。 遠い。 早く着け。

 早く着いて…………ううん、着かないで……

「掃除は正直面倒ッスけど、噂の美人姉妹と一緒なら逆に役得ッスからね! 張り切って朝早くから向かったんッスけど、どうやらハル姐さんとは、すれ違っちまったみたいで……いやね、俺もおかしいと思うんスよ。 即日急に営業停止だなんて……」

 一生懸命レルガさんが話しかけてくれている。

 けれど、やっぱりあたしの耳には全く入ってこない。

 靴音はどんどん速くなる。

 まるで今のあたしの鼓動のように、コツコツ、トクトク、加速を増していく。

 どうして裏切ったのさ……

 どうしてあたしからお店を取り上げるの……?

 ひどいよ……あんまりだよ……

 好きになれると思ったのに、理想だったのに、なんでこんなひどい事するの?

 あんな気持ち初めてだったのに……通じ合ったって思えたのに!


 ――そんなものは全部、お前の勘違いだ。


 ちがうっ!!!! 勘違いじゃないもん!!

 あんなに幸せな気持ちをくれたのに……!

 あんなに優しく涙を拭ってくれたのに……!!

「ここッスよ」

 いつの間にか、目的の扉に辿り着く。

 レルガさんは無遠慮に、そして気軽に扉をノックする。

 この扉の向こうにオジさまが………

――コンコン

「レルガっスー。 副局長、入りますよー?」
「――入れ」

 扉越しに聞こえたオジさまの声。

 ……ヒュっと、自分の息を飲む音が聞こえた。

 その呼吸を整える間もなく……

 扉は開かれた。


―――――――


 そこは、一人の私室としては少々広い部屋だった。

 落ち着いた色の木目の戸棚には、整然ときっちりと資料が並べられ、床にはチリ一つない様子。
 隅に観葉植物が一つ。
 ロビーと同じものだろうか?

 ……普段のハルネなら、もう少し部屋を観察する余裕があっただろう。
 しかし今の彼女の瞳は、とある壮年の男に釘付けだった。

 奥まった所にある業務用の机に座り、書類を読んでいたばかりと思しきヴァルグレイは、こちらをなんとも思わぬように一瞥しただけで、こう言った。

「……やはり君か」

――ぶわっ!

 噴き上がった怒りで背中が総毛立つ。

 叫び出したいところを、詰まった喉がそれを許さない。

「何それ……あたしが来るの、知ってたの……?」

 押し殺すように声を絞り出す。

「……ここに来ることが無いよう、レルガを寄越したはずだが?」
「へぇ、すいやせん、入れ違いまして……」

 そう答えるレルガさんを他所に、オジさまは興味が無いとばかりに、再び書類に目を落とす。

 その態度に再びカチンと来て、キレた。

「ちょっとっ!! それだけ!? ちゃんと説明してよ!! 貴方の仕業なんでしょう!!?」

 オジさまは、まるで聞こえていないとばかりに動かない。

「ゼオファルド卿……ちょっとは説明してあげても……」

 そんなオジさまの態度をあんまりと思ったのか、レルガさんが助け船を出してくれた。

「必要ない。 レルガ、何をしている? さっさと店に戻れ」
「……へい。 じゃあ、ハル姐さん、またいずれ……」

 レルガさんが気を使って、ドアの音を鳴らさぬようゆっくりと扉を閉めてくれたのも、この時のあたしは気付けない。

 部屋には、あたしとオジさまの二人きりになった。

 沈黙が支配する時間が過ぎる。 まるでこの部屋には人など存在しないよう。

「…………」
「…………」 

 ……なんで何も喋らないの?
 あたしみたいな木っ端市民に言う事なんか何も無いってワケ?

 再び苛立ちが募り、口を開こうとした刹那……

「……そこで何をしている? 早く店に戻れ」

 ギリッ! 歯を食いしばる音。

 オジさまのそのなんでもないような冷たい言葉に、一気に感情が……怒りが吹き上がった。

「何さっ! 何でよ! なんで営業停止なのよ!! 急にっ! 何の説明もなく!! 酷いよ! あたしの大事なモノ……取り上げないでよっ!!」

 酷いよ……

 オジさま、あたしの味方じゃなかったの?

 お店の味方じゃなかったの??

 助けてくれたじゃない……

 抱き寄せて、くれたじゃんか……優しく、抱いてくれて……

 あったかいコートも掛けてくれて……

 あんなに、優しくしてくれて…………全部、ウソだったの?

「営業停止にしたのは必要なためだ。 それ以上詳しく言う必要は、無い」

 無い……

 無い……無い……

 ……あたしへの気持ちも無いって事なの?

 なんでそんな突き放すのさ……どうしてそんなに冷たいの?

 あたしが傷つくって分からないの?

 だったら……どうして、こんな気持ちにさせたのよ!?

 なんで優しくしたのよ! だったらずっと冷たいままでいてよ!!

 もう好きになっちゃったのに……オジさまもあたしを気に入ってくれてるって思ったのに!!

 こんなあたしでも……太ってるあたしでも……選んでくれるって期待したのに!!

 あたしを特別に思ってくれるかもって、期待したのに!!

 涙を拭いてくれた時も、あんなに幸せをくれたのに……!

 あたしから……お店も、幸せも、取り上げないでよぉ………
 

 ついぞ、涙が零れ始める。

 オジさまは何も言葉を続けない。

 何も届かない。 あたしの気持ちは届かない。

 あたしは下を向いたまま、涙を落とす。

 まるで親に叱られた子供のよう。

 なんの涙かは分からない。

 あたしの感情はグチャグチャだった。
 自分で自分を制御できない。

 なんでこんなに腹が立つの?
 なんでこんなに悲しいの?

 好きなのに、ムカツく!!
 好みなのに、嫌い!!!

 この人しかいないって思ったのに!

 運命かもってトキメいたのに……
 

 オジさまの事もっと知りたかったのに……

 いっぱい知って、何が好きなのか、知りたかったのに……

 あたしの事も、いっぱい知ってもらって……

 初恋なのに……恋人になれるかもって……

 いっぱい、いっぱい……甘やかしてあげたかったのに!


 ……オジさまは、一体、何を考えてるの?

 ねえオジさま、ただの仕事だったの?

 あたしの事、気に入ってくれてたんじゃなかったの?

 ねえオジさま、一体、今、どんな感情なの?

 ねえ…………どうして……?

 なんで……どうして……?

 どうして…………感情色が、視えないのよぉぉ~~~ッ!!!!


 なんでさ! どうして?

 今!! 一番、知りたいの!! オジさまの感情!!

 肝心な時に! なんでさ!? なんで視えないの!?

 いくらオジさまを凝視しても、何の色も浮かんでこない。
 何の温度も感じない。

 こんな事、今まで一度も無かったのに!!

 今使えないで、いつ使うのよっ!!

 使えない異能に腹が立つ!

 期待した自分に腹が立つ!!

 視えないオジさまが一番腹が立つ!!!!
 

 涙はますます止まらない。

 歯を食いしばって奔流する感情に耐える。

 すると、いつの間に席から立ったのか。

 琥珀色の瞳が、すぐ近くに……

 オジさまは、昨日のハンカチを手に携え、こちらに向かって手を伸ばすところだった。

―――ギリッ!!

「何さ!  いらないわよ!! そんなもの!!」

 バシっ! とオジさまの手を払いのける。

 もういい、分かった。
 オジさまには頼らない。

 好きになったのも間違いだった!
 全部あたしの勘違いだった!!

 結局頼れるのは自分なんだ!
 お店だって、人間関係だって、今までだってそうして回して、生きてきたんだ!

 あたしなら、一人だって、出来るんだっ!!


「もういい! オジさまには頼らない! 結局ノクセラ草なんでしょ?! あたしが犯人捕まえて! ここに持ってくればいいんでしょう!!? そうすればほら、円満解決! あたしもハッピー! オジさまもハッピー! それで、満足よねっ!??」

 そうと決まればさっさと調査だ。
 こんなところにいられるか。

「ふん! 邪魔したわね! ばいばい!」

――バタンっ!

 あえて乱暴に扉を閉めてやる。

 へんだ、ざまあみろ。

 そのまま、あたしの店の入り口みたいに壊れてしまえばいいんだ。

 さあ、これからだ。 やる事だ。
 ……ノクセラ草、それがキーワードだ。

 だとしたらまずは……リゼラちゃんち!


―――――――


「入るわよー。 ヴァルグレイ?」

 魔女帽を被り、魔法省の制服を身に纏った、若い……いや少しばかり歳を重ねた美しい女性が、副局長室の扉を叩いた。

 その麗しい手には書類が一枚、握られている。

「何してんの、アンタ?」

 机の傍で、何をせず、ぼーっと立ち尽くしているように見えるヴァルグレイ・ゼオファルドの姿を見て、リオーネは意味ありげな視線を送る。

「はは~~~ん、さては、今そこでスレちがった、カワイイぽちゃ猫ちゃんと何かあったわね?」
「何もない」

 即答するところが怪しい、と睨むも……

「ま、どうせアンタに聞いたところで、何か答えてくれるワケないわよね」
「……何の用だ、リオーネ」

 どうせ答えをくれるはずもない。

 即座に諦める選択を選べる程度には理解がある仲の二人は、口調だけは気安い。

「ああ、ほら、受付行ったらさ。 ついでに雑用頼まれちゃって~。 何の用かといえば、これ、いわゆる一つの面会書類ね~」

 恭しく、そしてわざとらしく、副局長の机に書類を置くリオーネ。

「…………」
「ふーん、ハルネ・サフランちゃんか~。 ぷにぷにしてて凄く可愛らしい子だったわね。 10年早かったらアタシが食べちゃいたいくらい」
「馬鹿な事を言うな」
「あれま珍しい。 鬼のヴァルグレイが即ツッコミをくれたよ。 こりゃ明日は槍でも降るか……」
「……用はそれだけだろう。 早く行け」
「はいはい。 相変わらずツレないわねぇ~。 いや、これがいわゆる一つの放置プレイ……」

 謎な呟きを残し、去るリオーネ。

 部屋には妙な空気が残る。
 
 その空気を振り払うように腕を回し、再び副局長の机に座るヴァルグレイ。

 渡された書類に目を通す。

 いつもやっているように上から順に素早く目を滑らせ、鋭い目つきで確認を施す。

 

 そして、書類の末尾に書かれた本人のサイン「ハルネ・サフラン」の文字。

 本人の気質を示すような、丸みを帯びたどこか癒される文字。

 ヴァルグレイは、文字に指を運ぶと、まるで確かめるように、そっと撫ぜ……

「丸い……文字だ」

 そう呟き、2段目の引き出しに、そっとしまった。

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