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第2章
第16話 恋にしても、いいのかな?
舗装の途切れた西街の外れ。
街のざわめきも遠のいたその一角には、灰色の空が広がっていた。
中央街の第二調査局から、西街のリゼラの農場へ。
ノクセラ草を、自分よりも先に買い取っていた商人がいた事を思い出したハルネ。
その歩みは、幼馴染みのリゼラの農場へと急がせていた。
馬車に乗っている間は良かったが、舗装の途切れた土の道を歩いている内に、ハルネの悪い特性がムクリと鎌首をもたげる。
怒りと勢いで調査局を飛び出したハルネはすっかり前進する力を失い、一人で黙々と先ほどの感情を反芻してしまっていた。
なんで説明してくれなかったの……
お店、どうなっちゃうのかな……
オジさまの手を、振り払っちゃった……
とぼとぼと、傾いた柵のコーン畑を歩く。
少しばかり成長した黄緑色の背丈がしっとりと濡れている。
葉を雨粒が叩き始める。
今朝の好天は鳴りを潜め、今は曇天の中、小雨が降りはじめていた。
――まるで、ハルネの心象を表すかのように。
鳥の声すらしない。
ハルネはこのコーン畑に響く鳥の囀りも好きだった。
今はそれに気づく余裕も無い。
好き……嫌い……やっぱり好き……でも嫌い……
幸せをくれたオジさまが好き……冷たく突き放すオジさまは嫌い……
小雨のサーサーと降り注ぐ音だけが聞こえる。
その音は、思考の渦に沈みこむにはピタリとハマる空気だった。
怒りに身を任せて飛び出したはずだったのに。
一人になると、内に沈む。
……どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
――その問いに答えは無い。
雨粒がストロベリーブラウンの髪からぽとりと落ちた時、前方から見慣れた農場のシルエットが浮かび上がる。
素朴な板張りの門、緩やかに続く石畳。
軒下にかかるラベンダーの束。
どれもがいつも通りなのに、どこか遠くに感じた。
母屋の影に一つの影。
リゼラだ。
小雨の降る中、いつも通り元気に明るく手を振って……いや、その手は途中で止まった。
ハルネの様子に違和感を覚えたのだろう。
雨具のフードも被らず、元気のない足取り。
一目見て分かる重たい空気に丸い背中。
いつもなら自分を見るや、その人懐っこい笑顔で駆け寄り、目が合うや勢いよくハイタッチを構えるはずのその少女が、虚ろな表情でこちらに視線を向けようともしない。
数秒の間を置いて、リゼラは駆け寄り、ハルネの方にそっと手を添える。
リゼラの心配は予想通り。
そのまま、何も言わず、母屋の中へとハルネを導く。
小雨はまだ、止むことは無かった。
―――――――
「昨日の今日でどした? ハルネ?」
そう言って二つのカップを持ってきて、テーブルに座るリゼラちゃん。
母屋のリビングは仮住まい用で、ここに住んでいるワケではないのだろう。
あちこち農具や飼料などの物が散らかっていて、お世辞にも整理されているとは言い難い。
隅に乱雑に置かれた薪の香りだけが、生活感を醸し出す。
しかし、テーブルの上だけはなぜか綺麗で、おそらくここで商談や話をするのだろう。
「ホットミルク……」
冷えた身体に、安心する香り。
あたしも大好きな、リゼラちゃんちのミルク。
母屋に迎えてくれたリゼラちゃんは、濡れてしまったケープを脱がせてくれ、髪留めも取ってくれ、タオルで髪を拭いてくれた。
まだ湿っている髪を包むタオルの感触が、あたしをちょっとだけ安心させた。
「そう。 ハルネも大好きなホットミルクだよ。 ほら」
ずいっと勧めてくれたカップを受け取り、両手で包むように持つ。
カップの温かみがまた一つ、冷え切ったココロに温もりを灯す。
「甘い……」
ズズっと啜ると強い甘み。
「蜂蜜も沢山入れたよ。 上質な蜂蜜を仕入れてくれたのは、ハルネのサフラン香房だろ?」
そんな事もあったかなぁ……
口に広がるミルクでほっとしてたのも束の間。
サフラン香房……その単語に連動して、さきほどのオジさまを思い出す。
――『必要、無い』
……っ!
ブンブンと頭を振って、その言葉を振り払う。
う~~…………う~~~!
カップを両手で握りしめたまま、目をぎゅっと瞑る。
悲しみなのか怒りなのか、言葉にならない思いが胸に広がっていく。
なんでなのよ……ちくしょう……
オジさまのバカ……バカ、アホ!!
「アホーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「わっ! びっくりした!」
母屋の空気、リゼラがいる事の安心、そこにミルクの甘みも加わって。
落ち込み、打ちのめされてたはずの、ハルネの心の中に蘇ったのは……
怒りだった。
「何さ! あの態度!! ちょっとは教えてくれたっていいじゃないのさ!! いくら顔が良くったって! イケボだからって! あたしの理想だからって! あんなに、突っぱねる事…………無いでしょーーーーーーーッ!!」
「…………っ!」
母屋いっぱいに響き渡るハルネの声。
ハルネの声は良く通る。
滑舌が良いからなのか、はたまた、見た目からでも分かる内包されたパワーからなのか。
ここが街外れで良かった……耳を塞ぎながら、心底そう思ったリゼラであった。
「あんなに、あんなに優しかったのに! あんなに優しく包んでくれたのに! 気持ちが通じ合ったと思えたのに! なんでさ! あたしばっかり! ズルイよ!!」
「ハルネ……」
事情は全く分からない。
けれど言葉の端々でリゼラは察する。
親友の状況を。
「あたしが……あたしが悪かったの? こんな気持ちになったあたしが悪いの? やっぱり見た目なの? シャリエナならいいの? ゼラちゃんならいいの? だったらあたしは、どうすれば…………どうすれば、好きになってもらえるの……?」
「……ハルネは、その人の事、好きなのね?」
いつの間にか、向かい合っていたはずのリゼラは、隣に座り、その手はそっと、ハルネの背中を撫でていた。
「う~~……う~~~! ……分かんない。 好きなのかもって思ったけど、ドタイプだって思ったけど、あんなに冷たくされちゃったら、あたし……分かんなくなっちゃった……」
「うん……」
「コートを掛けてもらってさ……良い匂いがしてさ……一瞬でさ、これ好きって……オジさまはね、困った顔で、涙を拭いてくれて、幸せだったの。 初めてだったの。 この人があたしの、運命の人だって……思ってさぁ……」
「……うん」
「なのに、なのに、営業停止って……オジさま……酷い……酷いよ……あたしのお店を取り上げて……事情があるならって、飲み込もうって、会いたくて、話したくて、切なくて……でもワクワクもして……また会えるって、会えるの楽しみだったのに……でも、あんなの………酷いよぉ……!」
「……うん」
「悲しいよぅ……あたしじゃダメなのかなぁ……やっぱり太ってたらダメなんだぁ……あたしは、好きになっちゃ、いけないんだぁ…………オジさま嫌い!……自分も嫌い!……みんな嫌い!…………もうやだ、やだよ…………う~、苦しいよぅ……」
「ハルネ……」
ぎゅっとハルネを抱きしめるリゼラ。
ハルネの気持ちが伝わるのか。
リゼラの目にも涙が浮かんでいた。
「ハルネ……ハルネ……そんなに、その人の事、好きだったんだね……?」
「違うもん……嫌い……嫌いだもん」
「その人の事、うんと特別に思ってたんだ……」
「とく、べつ……」
「今、いっぱい、ハルネの言葉、聞いたよ……その人の事、大好きだって、全力で、いっぱい叫んでたよ」
「そんな、こと……」
「ハルネ、悲しいよね……苦しいよね……でも、羨ましい」
「……うらやましい?」
「ハルネは、もっと打算で考える娘だって思ってた。 でも……全力で恋、出来る娘なんだね」
「こ、い……?」
「そう……恋する乙女だよ。 ハルネは」
「恋、なの? ……あたしが、しても……いいのかな? 恋……」
「いいんだよ。 恋なんて誰だってするよ」
「恋……あたし、やっぱり、嫌い……じゃない、の。 ……でも、あたしなんかって……いいの? 恋しても? 好きになっても……いいの?」
「いいんだよ。 アタシが許しちゃうよ。 全力で恋、しなさい! ルネちゃん!」
「ゼラちゃん……う、くっ……う、う、う~~~~…………うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~んん!!!!」
「…………っ!」
ハルネとリゼラ、二人は抱き合う。
抱き合って、涙を交換し合う。
母屋にはハルネの嗚咽と慟哭が響き、リゼラは優しく背中を撫ぜ続ける。
小雨の降る音がかすかに響く中。
それほど綺麗とは言えない母屋の中。
乙女たちの、純粋で濁流のような、熱い虹色の感情が、窓から差し込む光に照らされ、キラキラと輝いていた。
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