婚約者に浮気されたので、肩代わりしてた公務その他をお返しします

泉花ゆき

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ジークフリート様は立ち上がると、壁近くにある棚へと歩み寄る。
彼は備え付けの小さな氷室仕立ての魔道具から、背の高いグラスと水差しを取り出した。

「中身はただのレモン水で、紅茶ほど気の利いたものではないが」

「ありがとうございます……」

私はグラスを受け取りながら、目を瞬かせた。……まさか、私のために用意したということはないでしょうから。
ここは彼の憩いの場なのかもしれない。

「喉が渇いていましたから、今は紅茶よりもこちらのほうが嬉しいですわ」

微笑んで、口をつける。冷たすぎないドリンクが爽やかな酸味をともなって、乾いた喉を潤した。 

「ジークフリート様は、ここによくいらっしゃるのですか?」

「ああ。生徒会の仕事に行き詰まった時や、周囲の雑音を遮断したい時にな。……ここにいると、大抵の悩み事が些細なものに思えてくる」

彼は手すりの向こう、中庭を豆粒のように歩く生徒たちを眺めていた。その横顔は理知的で、けれどどこか孤独な陰を帯びている。 
……高すぎる能力ゆえに、周囲と馴染めない孤独。それは、私が感じていたものと同質のものかもしれない。

(そう感じるのは、おこがましいかしら……)

「君のおかげで、最近は退屈しないが」

不意に彼がこちらを見て、悪戯っぽく笑った。……そうされると、ジークフリート様も年相応に見える。

「優秀な共犯者がいるというのは、悪くないものだ」

「……それは光栄です。私もあなたのような頼もしい方が味方でいてくださって、心強いです」

私もつられるように笑みを返した。ここでは侯爵令嬢としての仮面も、悪役としての演技も必要ない。ただのヴィクトリアとして、肩の力を抜いていられる。

風が吹き抜け、私と彼の髪を揺らした。会話はそこで途切れたが、沈黙は苦ではなかった。むしろ、言葉を交わさずとも通じ合えるこの静けさが何よりの癒やしだった。

しばらくそうして休んでいると、遠くの鐘楼が時を告げる。放課後の公務が始まる合図だ。

「……さて。そろそろ戻らねばな」

ジークフリート様が立ち上がる。私も名残惜しさを振り切って腰を上げた。

「ええ。殿下もそろそろ癇癪を起こす頃でしょうし……」

「行こうか、ヴィクトリア嬢。次なる一手のために」

彼が扉を開け、私をエスコートするように先を促す。 

その背中は頼もしく、私は迷わずその後を追った。心なしか、来る時よりも足取りは軽かった。
……つかの間の休息と、冷たいレモン水。そして何より隣に立つ存在が、私に新たな活力を与えてくれていた。


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