婚約者に浮気されたので、肩代わりしてた公務その他をお返しします

泉花ゆき

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ここは貴族街。
私たちを眺める人々は遠巻きに留まり、表立って野次馬のように人が集っているわけではなかった。

それでも、先ほどから聞こえてきていたひそひそ声がぴたりと止まる。
静けさを裂いたのは石畳を叩く規則正しいひづめの音。そして重々しい馬車の車輪が刻む回転音だった。

ゆるやかに集まりかけていた人々を避けるように一人の男が歩み寄ってきた。鍛え上げられた長身を上質なマントで包み、迷いのない足取りでこちらへ来るその人は周囲の人を圧倒させるような気配を放っていた。

「――ヴィクトリア嬢、待たせてすまない」

背後から響いたのは淡々とした声だったが、同時に深い慈しみを含むような色をしていた。
低く心地よく響くその声音は、先ほどまで私の心を削り取ろうとしていたミナの金切り声や男たちの言い訳をすべて無価値なものとして払い除けていく。

……何よりも今私が心の底で求めていたその響きに、私はゆっくりと振り返った。

夕暮れの中に立つその姿を見認めた瞬間、私の胸の奥で張り詰めていた糸がふっと緩むのを感じた。

そこには傾きかけた夕日にその髪を輝かせたジークフリート様が、凛々しいたたずまいで控えていた。
その瞳は、周囲に散見される物見をしていた人々や呆然と口を開けているカイン様たちのことなど一切視界に入れていない。ただ私の方だけへと視線を送っている。

彼は歩みを止めると、私のすぐ傍らでうやうやしく一礼した。

「……そうは言っても、約束はしていなかったわけだが。同行を許可頂けるだろうか」

ジークフリート様は、私の手を取るためにその大きな掌を差し出した。

夕闇が迫る街路で、彼の存在だけがまばゆいような錯覚があった。その光に当てられたのか、先ほどまで私を愛されない悪役令嬢などと罵っていたミナは反論の言葉すら失っているようだ。
ただその場に口を開けて立ち尽くしている。

(……つい先ほど、一人で立てると言ったばかりですのに)

口端に、今度こそ感情の乗ったほほえみを漏らしてしまう。
差し出された手袋越しの手のひらに、私はそっと自分の指先を重ねた。

「喜んで、ジークフリート様」

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