89 / 90
89
「ええ、確かに海には得体の知れないものは多くありますが……けれども、正しく知れば恐れる必要のないこともございます」
怪物の心配よりも、現実的な恐怖の方が私には勝る。海の流儀を軽んじるわけではないけれど、恐怖で脚を竦ませている場合ではないことのほうが多い。
けれどもこの私の感覚は、彼には共有され難いようだった。
「正しく知る……私には、少し耳が痛い言葉かもしれませんね。はは、何だか眩しいな……」
彼が伏せた目元には卑屈な色が混じっていた。謙遜と呼ぶには弱々しい響きを伴っていたため、努めて声の調子を落とさないように言ってみせる。
「まあ。ヴィンセント様も勉学に励んでいらっしゃるのでしょう、そこに違いなどありませんわ」
私はティーカップをソーサーに置いた。座学で基礎を学び実践で舵を取る。彼は未だその道を歩いているだけ……と、その時は思っていたが。
今なら分かる。
彼が口にする勉学とは私の想像するものとは異なっていた。貴族の嗜みという名目の放蕩や、興味の赴くままに買い漁る遊戯に近いものだと。
彼は私の視線から逃れるように目を逸らした。
「いや……そんな……あなたは、とても強い人なんだな……」
「……」
視線をはぐらかしてしまった彼から見えるかどうかは分からないが、私は笑みだけを返しておいた。
(……頼りがいのある、などと称されるタイプではないことは確かね)
だからこそ、女の身でなどと言われながらも表立った実務をこなしているような……私のようなものがちょうどいいと、向こうの家では考えられたのかもしれない。そして割り切ることは、私にとって難しいことではなかった。
婚期。そのような概念をちらつかされることが増えていた時期だった。
逃せば後はない、などと客から脅されることもある。
(……この分だと、私がすることに口出しをしてくるタイプでもなさそうですし)
書類で見る限りには悪いことも書いていない。
怪物の心配よりも、現実的な恐怖の方が私には勝る。海の流儀を軽んじるわけではないけれど、恐怖で脚を竦ませている場合ではないことのほうが多い。
けれどもこの私の感覚は、彼には共有され難いようだった。
「正しく知る……私には、少し耳が痛い言葉かもしれませんね。はは、何だか眩しいな……」
彼が伏せた目元には卑屈な色が混じっていた。謙遜と呼ぶには弱々しい響きを伴っていたため、努めて声の調子を落とさないように言ってみせる。
「まあ。ヴィンセント様も勉学に励んでいらっしゃるのでしょう、そこに違いなどありませんわ」
私はティーカップをソーサーに置いた。座学で基礎を学び実践で舵を取る。彼は未だその道を歩いているだけ……と、その時は思っていたが。
今なら分かる。
彼が口にする勉学とは私の想像するものとは異なっていた。貴族の嗜みという名目の放蕩や、興味の赴くままに買い漁る遊戯に近いものだと。
彼は私の視線から逃れるように目を逸らした。
「いや……そんな……あなたは、とても強い人なんだな……」
「……」
視線をはぐらかしてしまった彼から見えるかどうかは分からないが、私は笑みだけを返しておいた。
(……頼りがいのある、などと称されるタイプではないことは確かね)
だからこそ、女の身でなどと言われながらも表立った実務をこなしているような……私のようなものがちょうどいいと、向こうの家では考えられたのかもしれない。そして割り切ることは、私にとって難しいことではなかった。
婚期。そのような概念をちらつかされることが増えていた時期だった。
逃せば後はない、などと客から脅されることもある。
(……この分だと、私がすることに口出しをしてくるタイプでもなさそうですし)
書類で見る限りには悪いことも書いていない。
あなたにおすすめの小説
新妻よりも幼馴染の居候を優先するって、嘗めてます?
章槻雅希
恋愛
よくある幼馴染の居候令嬢とそれに甘い夫、それに悩む新妻のオムニバス。
何事にも幼馴染を優先する夫にブチ切れた妻は反撃する。
パターンA:そもそも婚約が成り立たなくなる
パターンB:幼馴染居候ざまぁ、旦那は改心して一応ハッピーエンド
パターンC:旦那ざまぁ、幼馴染居候改心で女性陣ハッピーエンド
なお、反撃前の幼馴染エピソードはこれまでに読んだ複数の他作者様方の作品に影響を受けたテンプレ的展開となっています。※パターンBは他作者様の作品にあまりに似ているため修正しました。
数々の幼馴染居候の話を読んで、イラついて書いてしまった。2時間クオリティ。
面白いんですけどね! 面白いから幼馴染や夫にイライラしてしまうわけだし!
ざまぁが待ちきれないので書いてしまいました(;^_^A
『小説家になろう』『アルファポリス』『pixiv』に重複投稿。
幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】
小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」
ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。
きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。
いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。
ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
元の世界に帰らせていただきます!
にゃみ3
恋愛
淡い夢物語のように、望む全てが叶うとは限らない。
そう分かっていたとしても、私は敵ばかりの世界で妬まれ、嫌われ、疎まれることに、耐えられなかったの。
「ごめんね、バイバイ……」
限界なので、元いた世界に帰らせていただきます。
・・・
数話で完結します、ハピエン!
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
あなたを守りたい……いまさらそれを言う?
たろ
恋愛
幼い頃に起きた事件がきっかけで実の父親に疎まれて暮らすファナ。
唯一の居場所は学校。
毎日、屋敷から学校まで歩いて通う侯爵令嬢を陰で笑う生徒達。
それでも、冷たい空気の中で過ごす屋敷にいるよりはまだマシだった。
ファナに優しくしてくれる教師のゼバウト先生。
嫌がらせをされてあまりにも制服が汚れるので、毎回洗って着替えを用意しておいてくれる保健室のエリーナ先生。
昼休みと放課後は、図書室で過ごすことが多いので、いつも何かと気にかけてくれる司書のマッカートニーさんと、図書委員の優しい先輩達。
妹のリリアンは、本人に悪気は無いのだけど、嫌なことや自分が怒られそうになると全て姉のファナに押し付ける。
嫌なことがあればメソメソと泣き姉に頼ってばかりだった。
いつも明るく甘えん坊のリリアンは顔もとても可愛らしく屋敷の中心で、使用人たちも父親も甘やかして育てられた。
一方、ファナはいずれ婿を取り侯爵家を継がなければならないため、父親に厳しく躾をされていた。
明るくて元気だったはずのファナの笑顔は、大きくなるにつれ失ってしまっていた。
使用人達もぞんざいな態度を隠そうともしない。ファナはもう諦めていた。
そんななか唯一、婚約者のジェームズだけはファナのことを優先してくれる優しい男の子だった。
そう思っていたのに………
✴︎題名少し変更しました。