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行方不明
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金居の記憶を失くして以降、詩音は時々沈み込んだ表情を見せることが増えた。もちろん蓮や雛子の前では明るく振る舞っているものの、ふとした瞬間に暗く陰のある遠い目をするのだ。
そして、まるでこれ以上誰の記憶も失いたくないというように、詩音は手帳を肌身離さず持ち歩くようになった。中身は誰にも見せようとしないけれど、恐らくは今覚えている人たちとの思い出を、必死に書き留めているのだろう。
「じゃあ、そろそろ俺、行くね」
時計を確認して蓮が立ちあがろうとすると、詩音が酷く不安そうな顔をした。だけど蓮と目が合った瞬間その表情はかき消えて、代わりに明るい笑顔が浮かぶ。
「忙しいのにありがとね、蓮くん」
「また明日も、来るから」
「うん。約束」
差し出された小指を絡めて、お互い何度か上下に振る。
いつもより指先が離れていくのが遅くて、名残を惜しむようなその仕草がまるで離れたくないと言われているような気がした蓮は、思わず小さく首をかしげた。
「詩音ちゃん?」
「何でもない、また明日ね」
にこりと笑った詩音が、ぱっと手を離す。指先に残ったぬくもりを、蓮はそっと握りしめる。
笑顔で手を振る詩音に見送られながらも、その顔は泣く手前のように見えて、蓮は妙に騒ぐ胸を押さえながら病院をあとにした。
レッスンを終えたあと、やはりどこか落ち着かない気持ちが続いていて、気がつけば蓮の足は病院へと向かっていた。
詩音のことを想って弾くといつもより柔らかい音が出せるようで、本間にも悪くないと褒められた。
だけど不安気な詩音の顔を思い出すと、それに引きずられて音も曇ってしまうから、難しいところだ。
面会時間の終了まではあと少し。顔だけ見て、すぐに帰ろうと決めて蓮は足を速めた。
エレベーターで最上階へ上がると、いつも静かな病棟が妙に騒がしい。何かあったのだろうかとナースステーションをのぞき込んだところで、看護師の山科と目が合った。
「蓮くん! 詩音ちゃん見てない?」
「え……、昼前に別れてから知らない、けど。何かあったんですか?」
蓮の言葉に、山科の表情が微かに歪む。
「お部屋にいないのよ。詩音ちゃん、日中はお散歩してることもあるけど、夕食の時間が過ぎても戻らないなんてこと、今までなかったのに」
もう一度確認するように向かった詩音の部屋には確かに誰もいなくて、彼女が肌身離さず持っているはずの手帳も見当たらない。
ベッドサイドのテーブルの上には、いつも詩音が右手首に着けているはずの、入院患者を示すためのバンドが転がっている。それは、もうここには戻らないという彼女の意思表示のような気がして、鼓動が嫌な速さで打ち始める。
胸騒ぎの原因は、これだったのだろうかと胸を押さえつつ、蓮は山科を見た。
「俺、病院の外を探しに行きます」
「お願いできる? 院内はスタッフで探すから。雛子ちゃんも心当たりのある場所を探してくれてるんだけど、まだ見つかってないの。蓮くんも何か思い当たる場所があれば……」
「分かりました」
うなずきながらも、蓮は詩音のことを何も知らないことに気づく。彼女の行きそうな場所、思い入れのある場所なんて、どこも浮かばない。
それでもじっとしていることなんてできなくて、蓮はもどかしい気持ちで病院を飛び出した。
そして、まるでこれ以上誰の記憶も失いたくないというように、詩音は手帳を肌身離さず持ち歩くようになった。中身は誰にも見せようとしないけれど、恐らくは今覚えている人たちとの思い出を、必死に書き留めているのだろう。
「じゃあ、そろそろ俺、行くね」
時計を確認して蓮が立ちあがろうとすると、詩音が酷く不安そうな顔をした。だけど蓮と目が合った瞬間その表情はかき消えて、代わりに明るい笑顔が浮かぶ。
「忙しいのにありがとね、蓮くん」
「また明日も、来るから」
「うん。約束」
差し出された小指を絡めて、お互い何度か上下に振る。
いつもより指先が離れていくのが遅くて、名残を惜しむようなその仕草がまるで離れたくないと言われているような気がした蓮は、思わず小さく首をかしげた。
「詩音ちゃん?」
「何でもない、また明日ね」
にこりと笑った詩音が、ぱっと手を離す。指先に残ったぬくもりを、蓮はそっと握りしめる。
笑顔で手を振る詩音に見送られながらも、その顔は泣く手前のように見えて、蓮は妙に騒ぐ胸を押さえながら病院をあとにした。
レッスンを終えたあと、やはりどこか落ち着かない気持ちが続いていて、気がつけば蓮の足は病院へと向かっていた。
詩音のことを想って弾くといつもより柔らかい音が出せるようで、本間にも悪くないと褒められた。
だけど不安気な詩音の顔を思い出すと、それに引きずられて音も曇ってしまうから、難しいところだ。
面会時間の終了まではあと少し。顔だけ見て、すぐに帰ろうと決めて蓮は足を速めた。
エレベーターで最上階へ上がると、いつも静かな病棟が妙に騒がしい。何かあったのだろうかとナースステーションをのぞき込んだところで、看護師の山科と目が合った。
「蓮くん! 詩音ちゃん見てない?」
「え……、昼前に別れてから知らない、けど。何かあったんですか?」
蓮の言葉に、山科の表情が微かに歪む。
「お部屋にいないのよ。詩音ちゃん、日中はお散歩してることもあるけど、夕食の時間が過ぎても戻らないなんてこと、今までなかったのに」
もう一度確認するように向かった詩音の部屋には確かに誰もいなくて、彼女が肌身離さず持っているはずの手帳も見当たらない。
ベッドサイドのテーブルの上には、いつも詩音が右手首に着けているはずの、入院患者を示すためのバンドが転がっている。それは、もうここには戻らないという彼女の意思表示のような気がして、鼓動が嫌な速さで打ち始める。
胸騒ぎの原因は、これだったのだろうかと胸を押さえつつ、蓮は山科を見た。
「俺、病院の外を探しに行きます」
「お願いできる? 院内はスタッフで探すから。雛子ちゃんも心当たりのある場所を探してくれてるんだけど、まだ見つかってないの。蓮くんも何か思い当たる場所があれば……」
「分かりました」
うなずきながらも、蓮は詩音のことを何も知らないことに気づく。彼女の行きそうな場所、思い入れのある場所なんて、どこも浮かばない。
それでもじっとしていることなんてできなくて、蓮はもどかしい気持ちで病院を飛び出した。
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