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襲撃 1

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 精霊の力を借りて火を灯し、声を聞いて人々に伝え、感謝の祈りを捧げる。そんな変化のない単調な日々を、ファテナは過ごす。晴天でも荒天であっても、毎日同じことの繰り返しだ。
 精霊は無垢なものを好むからと、ファテナは純潔であることを求められている。だからファテナは二十歳となった今も、男性と触れ合ったことはない。
 長である父の跡を継ぐのは妹で、少し前に十八の成人を迎えた彼女は、近いうちに伴侶を迎えるのだそうだ。婚約者のラギフは村一番の戦士で、父の側近も務めている。
 今朝も婚約者からもらったという指輪を自慢しに、ディアドがやってきた。

「見て、お姉様。ラギフから婚約の証として指輪をもらったの。この翠玉、美しいでしょう。なかなか手に入らない貴重なものなの。方々手を尽くして探したのよ」
 鮮やかな緑色の石のついた指輪を見せびらかすように、ディアドはファテナの顔の前に左手を突き出す。他の指にも宝石をちりばめた指輪をたくさんはめているせいか婚約指輪もその輝きに埋もれているけれど、ファテナは微笑みを浮かべた。
「おめでとう、ディアド。とっても素敵な指輪だわ」
「うふふ、そうでしょう。ラギフったらあたしに夢中なのよ、いつも僕の太陽って呼んでくれるの。人前でもすぐに触れてこようとするからちょっと恥ずかしいんだけどね。そういうことは二人きりの時にって言ってるのに、彼ったら我慢できないなんて言うのよ」
 豊満な身体をくねらせながら、ディアドは妖艶な笑みを浮かべる。どうやら閨事に関する話題だということは分かるものの、ファテナはどう反応すればいいのか分からない。黙ったままのファテナを見て、ディアドは小さく鼻で笑った。
「あぁそうよね、巫女姫様は清らかでなければならないもの。お姉様には分からない話よね」
 にやにやとした笑みを浮かべながら、ディアドはファテナの耳元にそっと顔を近づける。
「ラギフはね、いつもはすごく優しいけど、夜はとっても激しいの。だけど激しく求められると、女としての幸せを感じるわ。彼がくれる快楽を知ったら、もうそれなしでは生きていけないって思うの。女の喜びを知らずに一生を終えるお姉様って、本当に可哀想」
 憐れむようなことを言いながらも、その声音には笑みが混じっている。馬鹿にされていることは分かるけれど、反応すれば妹を喜ばせるだけだ。
 無反応なファテナに少しつまらなさそうな顔をしたディアドは、気を取り直したようににっこりと笑った。
「でも、とっても感謝してるのよ。お姉様がいてくれるから、ウトリド族は幸せに暮らせているんだもの。大切な大切な、巫女姫様。あたしの結婚式には、お姉様もぜひ出席してね」
 そう言ってディアドは、これから婚約者と会うのだと楽しそうに話し、手を振って去っていった。その背中を見送って、ファテナはため息をついた。
 巫女姫と呼ばれ、精霊と共に生きることをファテナは不幸だとは思っていない。意地悪な母や妹、叱責ばかりしてくる父親に比べたら、ずっとそばにいてくれる精霊の方がよっぽどファテナを大切にしてくれているから。
 結婚にしても、最初から自分には関係ないものだと理解していたから、今更ディアドをうらやましく思うことなんてない。きっと彼女は、ファテナに悔しがる表情を浮かべさせたかったのだろうけど。
 風の精霊が、彼女の纏う甘い香水の香りを吹き飛ばすように部屋の空気を入れ替えていくのを見て、ファテナは小さく笑った。精霊は基本的に人間に何か手出しをしてくることはないし、ファテナがディアドに嫌がらせをされてもそれに対して精霊が何かをすることはない。それでもファテナも苦手な濃く甘い香りを吹き飛ばしてくれただけで、なんとなく味方をしてくれているような気持になる。恐らくは、精霊もあの香りが好きではなかっただけなのだけど。
「ディアドの結婚式の日には、そんなに強い風を吹かせないでね。ちゃんと祝福してあげなくちゃ。……できることなら、婚約者に夢中になって私のことなんて放っておいてくれるといいんだけど」
 再びため息をついたファテナの髪を、風の精霊がふわりと揺らした。
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