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捕虜として 1
しおりを挟む翌朝ファテナが目覚めた時には、部屋に誰もいなかった。
昨夜のことは悪い夢だったのだろうかと思うものの、部屋の隅には引きちぎられた服の残骸が落ちていて、嫌でも何があったのかを思い出させる。
ぼろきれになった服の代わりに見慣れない織り模様の服を着せられており、手枷は外されている。拘束されていないことを不思議に思いつつもゆっくりと寝台から降りようとしたら、両脚に力が入らなくてそのまま座り込んでしまった。
冷たい床に座ったまま、ファテナはぼんやりと部屋の中を見回す。
あまり物の多くない部屋だが寝台は広く豪華だし、窓にかけられた日除けの布も細やかな織り模様が美しく、見るからに高級品だ。大きな窓の向こうには、綺麗な花が咲く庭まで見える。
「テミム族の、ザフィル……あの人が」
無理矢理身体を暴かれたことを思い出して、ファテナはうつむいた。最初は嫌だと抵抗していたはずなのに、得体の知れない香油のせいとはいえ途中から彼の与える快楽に溺れたことを思い出してしまう。そして、ずっと守ってきた純潔を失ってしまった。精霊の声が全く聞こえないのは、やはり見限られてしまったからなのだろう。
下を向いたせいで頬にかかる髪も、見慣れた白ではなく濃紺をしている。髪の色を精霊に変えられていたなんて、まだ信じられない。だけど、白く無垢なものを愛する精霊は、純潔を失い黒い髪になったファテナを愛することはもうないだろう。
何もかもを失ってしまったと、ファテナは微かに唇を歪めた。この先はあの男の捕虜として、身体をいいように弄ばれる日々が続くだけだ。
同じように捕らえられた両親や妹は、そしてウトリド族の皆はどうなったのだろうかと心配ではあるものの、ファテナには何もできない。自分のことは好きにしていいから、せめて村人たちは悪いようにしないでほしいとザフィルに願い出ることぐらいが、長の娘としてできる最後のことだろう。
立ち上がることすら億劫で、ファテナは床に座り込んだままぼうっとしていた。
どれほど時間が経ったのか、外から部屋の扉の鍵が開けられる音がしてファテナはのろのろと顔を上げた。
「起きてたのか」
そう言いながら部屋の中に入ってきたザフィルは、ファテナの姿を見て眉を上げた。
「どうした、立てないか」
「平気、です」
差し出された手を振り払おうとしても、身体に力が入らない。結局ファテナは、ザフィルに支えてもらいながら椅子に座った。
「朝食を持ってきた。食べられるか」
「……ありがとうございます」
テーブルの上に置かれた食事を見て、ファテナは小さく礼を言う。まだ湯気をたてているパンは柔らかそうだし、スープは普段食べていたものより具がたくさん入っている。鼻をくすぐるいい匂いに空腹を自覚して、こんな時でもお腹は空くのだなと何だかおかしくなる。
だがスープの中に肉が入っているのに気づき、ファテナは思わず手を止めた。困ったように椀の中を見つめるファテナを見て、ザフィルが首をかしげた。
「何だ、食わないのか」
「あの、肉は私……食べられなくて」
「肉は嫌いだったか」
「精霊は、殺生を嫌うから……だから、その」
言いながら、もうそんなことを気にする必要もないことを思い出して、ファテナは言葉を切ってうつむく。
「昨日も言っただろう、精霊はあんたの味方なんかじゃない。精霊が殺生を嫌うというなら、なおさらそれを食え。あんたはもう、精霊に愛された巫女姫じゃない」
冷たく宣言されて、ファテナは小さく唇を震わせた。そして顔を上げるとザフィルをにらみつけた。
「そうね、あなたのせいで私は全てを失ったもの。精霊は、いつだって私のそばにいてくれたのに。命を食われていたって、構わなかった。あなたに辱められるくらいなら、精霊に全てを捧げて死んだ方がましだったわ」
「あぁ、そうだ。俺があんたから何もかも奪った。ウトリド族を壊滅させるためには、精霊に愛されたあんたがいると邪魔だったからな」
静かな声でそう言って、ザフィルはファテナの向かいの椅子に腰掛けた。昂った感情をぶつけたのに、彼は淡々とした表情でそれを受け止めている。
ファテナは再びうつむいて小さくため息をついたあと、ザフィルの顔を見上げた。
「……どうして、ウトリド族を襲ったの。私たちが何をしたというの」
「あんたは何もしてない。だからここに連れてきたんだ」
「どういうこと?」
「妹の手にあった指輪の出所を、あんたは知っているか?」
「え……?」
質問に質問で返されて、ファテナは眉を顰める。ウトリド族では富は権力の象徴であり、両親も妹も常に多数の装身具を身につけていた。中でも妹のディアドは指輪が大好きで、いつも全ての指にきらきらと輝く指輪を嵌めていた。行商人から買い求めていたと思っていたが、違うのだろうか。
戸惑って答えを探すファテナを見て、ザフィルは憐れむような笑みを浮かべた。
「あんたは、自分の部族のことを何も知らなさすぎる」
「何も? あなたが何を知っているというの」
「さあな。ただ、ウトリド族は滅ぼすべきだと俺が判断した。それだけだ」
「そんな、勝手な」
「戦って、強い方が勝つ。単純なことだろう。ウトリド族は、戦いに負けたんだ。平和ボケしていたのか、ろくに戦い方も知らない奴らばかりだったが」
その言葉に、ファテナは唇を噛む。テミム族の残虐な噂がどこまで本当かは分からない。だけど、ウトリド族の者を守らなければならない。たとえ力を失っても、何の役に立たなくなっても、それでもファテナはウトリド族の長の娘だから。
ファテナはごくりと唾を飲み込むと背筋を伸ばし、まっすぐにザフィルを見つめた。ファテナの表情が変わったことに気づいたのか、青い瞳が面白そうな光を宿してファテナの視線を受け止める。
「私は……どうなっても構いません。だからどうか、ウトリドの民を傷つけるようなことはやめてください」
「それなら、民を守るために、あんたは何を差し出せる? 力を失った巫女姫様には、何ができる」
静かに問い詰めるようなザフィルの言葉に、ファテナは怯むように一瞬身を引いた。確かに彼の言う通りだ。今のファテナは何も持たず無力だ。だけど、ここで黙っているわけにはいかない。ファテナは震える唇を開いた。
「……何でも、します。下働きでも、あなたに抱かれることだって、構いません」
「俺を満足させてくれるって? 確かにあんたの身体はとても良かったからな」
身を乗り出したザフィルが、ファテナの顎に手をかけた。うつむいた顔を強引に上を向かされ、視線を逸らすことすら許さないというように固定される。まるで肉食獣を思わせるその表情に身体が知らず震える。それでもここで逃げたらだめだと、ファテナは目を閉じたくなるのを堪えて必死にザフィルの顔を見つめ返した。
しばらく観察するように見つめていたザフィルが、やがてふっと表情を緩めて小さく笑った。
「あんたは無知だが、優しいな。その優しさに免じて、テミム族は元ウトリドの民を受け入れると約束しよう」
「本当に?」
「ただし、俺を含めテミム族の者に反抗的な態度をとるやつは問答無用で切り捨てるからな。俺にも、テミム族を守る義務がある」
ザフィルの言葉にファテナは黙ってうなずいた。ウトリド族だというだけで無慈悲に殺されるようなことがなければ、それでいい。戦いに負けた方の部族が、より強い方の部族に吸収されることはウトリドの民も理解しているだろう。
「とにかくあんたは飯を食べろ。もう少し太らないと、倒れるぞ。どうしても身体が受けつけないのなら仕方ないが、好き嫌いはするなよ。肉も魚も、黙って残さず食え」
目の前に木の匙を差し出されて、ファテナは躊躇いつつも受け取った。どうやらファテナが食事を終えるまではここを動かなさそうなので、ファテナはゆっくりとスープに手を伸ばした。
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