16 / 65
捕虜として 1
しおりを挟む翌朝ファテナが目覚めた時には、部屋に誰もいなかった。
昨夜のことは悪い夢だったのだろうかと思うものの、部屋の隅には引きちぎられた服の残骸が落ちていて、嫌でも何があったのかを思い出させる。
ぼろきれになった服の代わりに見慣れない織り模様の服を着せられており、手枷は外されている。拘束されていないことを不思議に思いつつもゆっくりと寝台から降りようとしたら、両脚に力が入らなくてそのまま座り込んでしまった。
冷たい床に座ったまま、ファテナはぼんやりと部屋の中を見回す。
あまり物の多くない部屋だが寝台は広く豪華だし、窓にかけられた日除けの布も細やかな織り模様が美しく、見るからに高級品だ。大きな窓の向こうには、綺麗な花が咲く庭まで見える。
「テミム族の、ザフィル……あの人が」
無理矢理身体を暴かれたことを思い出して、ファテナはうつむいた。最初は嫌だと抵抗していたはずなのに、得体の知れない香油のせいとはいえ途中から彼の与える快楽に溺れたことを思い出してしまう。そして、ずっと守ってきた純潔を失ってしまった。精霊の声が全く聞こえないのは、やはり見限られてしまったからなのだろう。
下を向いたせいで頬にかかる髪も、見慣れた白ではなく濃紺をしている。髪の色を精霊に変えられていたなんて、まだ信じられない。だけど、白く無垢なものを愛する精霊は、純潔を失い黒い髪になったファテナを愛することはもうないだろう。
何もかもを失ってしまったと、ファテナは微かに唇を歪めた。この先はあの男の捕虜として、身体をいいように弄ばれる日々が続くだけだ。
同じように捕らえられた両親や妹は、そしてウトリド族の皆はどうなったのだろうかと心配ではあるものの、ファテナには何もできない。自分のことは好きにしていいから、せめて村人たちは悪いようにしないでほしいとザフィルに願い出ることぐらいが、長の娘としてできる最後のことだろう。
立ち上がることすら億劫で、ファテナは床に座り込んだままぼうっとしていた。
どれほど時間が経ったのか、外から部屋の扉の鍵が開けられる音がしてファテナはのろのろと顔を上げた。
「起きてたのか」
そう言いながら部屋の中に入ってきたザフィルは、ファテナの姿を見て眉を上げた。
「どうした、立てないか」
「平気、です」
差し出された手を振り払おうとしても、身体に力が入らない。結局ファテナは、ザフィルに支えてもらいながら椅子に座った。
「朝食を持ってきた。食べられるか」
「……ありがとうございます」
テーブルの上に置かれた食事を見て、ファテナは小さく礼を言う。まだ湯気をたてているパンは柔らかそうだし、スープは普段食べていたものより具がたくさん入っている。鼻をくすぐるいい匂いに空腹を自覚して、こんな時でもお腹は空くのだなと何だかおかしくなる。
だがスープの中に肉が入っているのに気づき、ファテナは思わず手を止めた。困ったように椀の中を見つめるファテナを見て、ザフィルが首をかしげた。
「何だ、食わないのか」
「あの、肉は私……食べられなくて」
「肉は嫌いだったか」
「精霊は、殺生を嫌うから……だから、その」
言いながら、もうそんなことを気にする必要もないことを思い出して、ファテナは言葉を切ってうつむく。
「昨日も言っただろう、精霊はあんたの味方なんかじゃない。精霊が殺生を嫌うというなら、なおさらそれを食え。あんたはもう、精霊に愛された巫女姫じゃない」
冷たく宣言されて、ファテナは小さく唇を震わせた。そして顔を上げるとザフィルをにらみつけた。
「そうね、あなたのせいで私は全てを失ったもの。精霊は、いつだって私のそばにいてくれたのに。命を食われていたって、構わなかった。あなたに辱められるくらいなら、精霊に全てを捧げて死んだ方がましだったわ」
「あぁ、そうだ。俺があんたから何もかも奪った。ウトリド族を壊滅させるためには、精霊に愛されたあんたがいると邪魔だったからな」
静かな声でそう言って、ザフィルはファテナの向かいの椅子に腰掛けた。昂った感情をぶつけたのに、彼は淡々とした表情でそれを受け止めている。
ファテナは再びうつむいて小さくため息をついたあと、ザフィルの顔を見上げた。
「……どうして、ウトリド族を襲ったの。私たちが何をしたというの」
「あんたは何もしてない。だからここに連れてきたんだ」
「どういうこと?」
「妹の手にあった指輪の出所を、あんたは知っているか?」
「え……?」
質問に質問で返されて、ファテナは眉を顰める。ウトリド族では富は権力の象徴であり、両親も妹も常に多数の装身具を身につけていた。中でも妹のディアドは指輪が大好きで、いつも全ての指にきらきらと輝く指輪を嵌めていた。行商人から買い求めていたと思っていたが、違うのだろうか。
戸惑って答えを探すファテナを見て、ザフィルは憐れむような笑みを浮かべた。
「あんたは、自分の部族のことを何も知らなさすぎる」
「何も? あなたが何を知っているというの」
「さあな。ただ、ウトリド族は滅ぼすべきだと俺が判断した。それだけだ」
「そんな、勝手な」
「戦って、強い方が勝つ。単純なことだろう。ウトリド族は、戦いに負けたんだ。平和ボケしていたのか、ろくに戦い方も知らない奴らばかりだったが」
その言葉に、ファテナは唇を噛む。テミム族の残虐な噂がどこまで本当かは分からない。だけど、ウトリド族の者を守らなければならない。たとえ力を失っても、何の役に立たなくなっても、それでもファテナはウトリド族の長の娘だから。
ファテナはごくりと唾を飲み込むと背筋を伸ばし、まっすぐにザフィルを見つめた。ファテナの表情が変わったことに気づいたのか、青い瞳が面白そうな光を宿してファテナの視線を受け止める。
「私は……どうなっても構いません。だからどうか、ウトリドの民を傷つけるようなことはやめてください」
「それなら、民を守るために、あんたは何を差し出せる? 力を失った巫女姫様には、何ができる」
静かに問い詰めるようなザフィルの言葉に、ファテナは怯むように一瞬身を引いた。確かに彼の言う通りだ。今のファテナは何も持たず無力だ。だけど、ここで黙っているわけにはいかない。ファテナは震える唇を開いた。
「……何でも、します。下働きでも、あなたに抱かれることだって、構いません」
「俺を満足させてくれるって? 確かにあんたの身体はとても良かったからな」
身を乗り出したザフィルが、ファテナの顎に手をかけた。うつむいた顔を強引に上を向かされ、視線を逸らすことすら許さないというように固定される。まるで肉食獣を思わせるその表情に身体が知らず震える。それでもここで逃げたらだめだと、ファテナは目を閉じたくなるのを堪えて必死にザフィルの顔を見つめ返した。
しばらく観察するように見つめていたザフィルが、やがてふっと表情を緩めて小さく笑った。
「あんたは無知だが、優しいな。その優しさに免じて、テミム族は元ウトリドの民を受け入れると約束しよう」
「本当に?」
「ただし、俺を含めテミム族の者に反抗的な態度をとるやつは問答無用で切り捨てるからな。俺にも、テミム族を守る義務がある」
ザフィルの言葉にファテナは黙ってうなずいた。ウトリド族だというだけで無慈悲に殺されるようなことがなければ、それでいい。戦いに負けた方の部族が、より強い方の部族に吸収されることはウトリドの民も理解しているだろう。
「とにかくあんたは飯を食べろ。もう少し太らないと、倒れるぞ。どうしても身体が受けつけないのなら仕方ないが、好き嫌いはするなよ。肉も魚も、黙って残さず食え」
目の前に木の匙を差し出されて、ファテナは躊躇いつつも受け取った。どうやらファテナが食事を終えるまではここを動かなさそうなので、ファテナはゆっくりとスープに手を伸ばした。
24
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる