33 / 65
水の精霊 1
しおりを挟む「おまえの前に姿を見せるのは初めてだね。すっかり人の子に戻ってしまって。また一から染め直さねばならない」
そう囁いて、精霊がファテナの髪を一房掬い上げて口づける。唇が触れた場所から、濃紺の髪が白く色を変えていくのを見て、ファテナは息をのんだ。
やはりこの人は精霊なのだという確信と、精霊によって髪の色を変えられていたというザフィルの言葉も真実だったのだと、あらためて実感する。
「あの……」
「ヤーファルだ。いつも泉に祈りを捧げてくれていたおまえには、名を呼ぶことを許そう、ファテナ」
「ヤーファル様……。あの、どうしてここに」
「おまえの気配を求めて、探していたのだよ。このあたりにいることは分かっていたのだけど、嫌な臭いがして近寄るのを躊躇っていた。今日は臭いが幾分か、ましだね」
その言葉に、今日はザフィルからもらった札を身につけていないことをファテナは思い出す。そのせいで、精霊はここに来ることができたのだろうか。
「あの泉から離れて、おまえも随分と穢れてしまったようだ。だけど心配することはない、一緒においで、ファテナ。森に行けば、おまえのその穢れもすぐに消えるだろう」
慈しむように頬を撫でながら、ヤーファルは微笑む。吸い込まれそうな瞳の色と発言の内容から、目の前の人は水の精霊であることが分かる。こちらを見つめる顔はうっとりするほど美しく、ファテナは魅入られたようにその瞳を見つめ返した。
「森へ行こう、ファテナ。我々はおまえを歓迎するよ」
「で、でも、私……あの、純潔を失ってしまって……」
躊躇いがちに申し出たファテナに、ヤーファルは笑顔のままうなずいた。
「知っているよ。だけど、構わない。純潔であることが望ましくはあるけれど、おまえの魂は今なお無垢で美しい。我ら精霊に相応しい」
一部分だけ白く色を変えた髪を撫でると、ヤーファルは笑ってファテナの手をとった。ひんやりと冷たい指先は、触れている感覚があるのに微かに透き通って見える。
手を引かれてふらりと一歩前に踏み出そうとした時、背後から強く抱き寄せられてファテナは足を止めた。
「誰だ、おまえは」
同時に耳元で聞こえた低い声はザフィルのものだった。腰に回した腕でしっかりとファテナを抱き寄せつつ、ヤーファルに向けてまっすぐ剣を向けている。
ヤーファルは、一瞬驚いたように目を見開いたものの、剣には目もくれずにうなずいた。
「あぁ、穢れの原因はおまえだね。肉を食らい、人を殺した臭いがする。やはりここは野蛮だ。我が愛し子のいるべき場所ではない」
「どこから入った。ここには、誰も立ち入ることができないはずだ」
地を這うようなザフィルの声は微かに震えていて、怒りを隠しきれていない。
ヤーファルに握られた手とは反対に、腰に回されたザフィルの腕はとても熱い。引かれた手を取るべきなのか、それともここへ残るべきなのか分からなくなり、ファテナは動けなくなってしまった。
「ふむ、困ったものだね。せっかく染めたのに、また戻ってしまった」
ザフィルの怒りなど気にするそぶりもなく、ヤーファルはファテナの髪に触れた。先程白く染まっていたはずの一房が、いつの間にか元の濃紺に戻っている。
「ファテナに触れるな。――おまえは、精霊か」
「彼女は、我々精霊のものにすると決めている。純潔を奪って遠ざけたつもりかもしれないが、そんな些細なことで我々はファテナを諦めはしないよ」
さぁおいでと、ヤーファルがファテナの手を引く。ザフィルが離すまいとしっかりと腰を抱くのを見て、すうっと目を細めた。表情は穏やかに見えるのに、一瞬で凍りつくような冷たい空気を纏ったヤーファルに、逆らってはならないとファテナは本能的な恐怖を覚えた。
だが、ザフィルはそれに怯む様子もなく更に強くファテナを引き寄せ、再び剣を向け直した。
「なるほど、我が愛し子に手を出したのはおまえだね。随分と身体の深いところまで、おまえの臭いが染みついている」
「あぁそうだ。だから精霊だろうが何だろうが、ファテナは渡さない」
絶対に離さないとでもいうように力のこもった腕を見て、ヤーファルは小さくため息をついた。
「少し目を離した隙に、野蛮な人の子に取り込まれるとは。まぁいい、今日のところはおまえの居場所を確認できたことで良しとしよう。あらためて迎えに来るよ、ファテナ」
ファテナの頬を一度撫でて、ヤーファルはくるりと踵を返す。次の瞬間、その姿は風に溶けるように消えた。
36
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる