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金の腕輪 1
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水の精霊ヤーファルと再会してからというものの、ザフィルの態度が大きく変化した。
それまでは毎晩遅くに訪ねてきてはファテナを抱き、朝早くに出て行っていたのに、最近では日中にも顔を出すようになった。
さすがに昼からファテナを抱くようなことはしないが、何故か昼食を一緒にとることが増えた。
頻繁にやって来る割に会話はなく、無言で食事を共にするのはファテナにとって少し気疲れする時間だ。
今日も目の前で黙々と食事をするザフィルを見つめながら、ファテナは思わず漏れそうになるため息を堪えていた。せめて会話が弾めばと思うのだけど、ザフィルから話しかけてくることは滅多にないし、ファテナも彼に提供する話題を持たない。
そもそも、夜に会っていた時だって会話らしい会話なんてほとんどしていなかったのだ。
身体を重ねた回数ばかり増えているのに、お互い何を考えているのか知らないままだ。
結局二人は向かい合って、ほとんど目も合わさないままに食事を続ける。
少食のファテナとは違い、ザフィルは山のように盛られた食事を次々と平らげていく。しっかりと筋肉のついた身体を維持するのには、このくらい食べなければならないのだろう。
見ているだけでお腹がいっぱいになり、ファテナは早々に食事を切り上げてひたすらにお茶を飲んでいる。
ようやく食事を終えたザフィルが、今度は無言でファテナの前に何か小さな包みを置いた。
「……これは?」
「あんたにやる。木札の代わりだ」
開けてみろと仕草で促されて、ファテナは包みを手に取った。
中から出てきたのは、金色の腕輪。中央に香り玉が埋め込まれていて、木札と同じ甘い香りがする。
「これなら紐が切れることもないし、常に身につけておけるだろう」
「そう、ですね」
細めの腕輪には、細かな花の彫模様が施されていた。見るからに高級品のようで、捕虜の立場でこんなものを受け取っていいのだろうかと気後れしてしまう。
「着けてやる」
ファテナの躊躇いに気づいていないのか、ザフィルは腕輪を取り上げると、ファテナの右手に装着した。ぱちんと金具を留められると、ひんやりとした感覚が手首を滑っていった。
「ありがとうございます」
「うん、よく似合うな」
満足そうな声に思わず顔を上げると、ザフィルは笑みを浮かべていた。視線はファテナの腕に注がれていて、こんなにも嬉しそうに笑う顔を見るのは初めてだ。
思わず黙って見つめてしまうと、視線を上げたザフィルと目が合った。その瞬間笑顔は消え、気まずそうに顔を背けられてしまう。
「……ともかく、それは外すな」
「分かりました」
もう一度小さく礼を言って、ファテナは頭を下げた。
その時、ザフィルの名を呼ぶ声がして、背の高い男が部屋の中に入ってきた。
「エフラ、わざわざ呼びに来なくてもいいと言ってるだろ」
不機嫌そうに眉を顰めるザフィルにも、エフラは全く表情を変えないままそばにやってきた。
ザフィルの側近だという彼とは、ここ最近になってよく顔を合わせるようになった。最初は不審者を見るような顔をしていたが、最近は友好的とはいかないまでも軽く会釈くらいは返してくれるようになった。
今日も、目が合うと彼は小さくうなずくように挨拶をしたあと、ザフィルの腕を掴んだ。その仕草に遠慮はなく、側近というよりも仲の良い兄弟のように見えて微笑ましい。
「そろそろ行きますよ、昼からは井戸の様子を見に行く予定でしょう。早く出発しないと日暮れまでに戻ってこれなくなりますよ」
「分かってるって。小さな子供でもあるまいし、わざわざ迎えに来てくれなくてもいいんだが」
「放っておいたら、いつまでも戻ってこないのは目に見えてますからね。さぁ、行きますよ」
ぐいぐいと腕を引っ張られて、ザフィルは痛いと悪態をつきつつ立ち上がった。
「今夜は遅くなるかもしれないから、先に寝てていい」
エフラに引きずられるようにしながら、ザフィルがファテナに声をかける。小さく了承の返事をしながら、ファテナは慌ただしく去っていった彼らを見送った。
精霊はあれ以来姿をあらわすことはないが、それはザフィルに与えられた木札や腕輪によるものなのだろう。あの日から、部屋の中にも常に香が焚きしめられるようになった。
ヤーファルはファテナを迎えに来ると言っていたが、本気だったのだろうか。
ファテナに向けられた、再会を喜ぶような優しい表情は、餌として欲しがっているようには見えなかった。ザフィルは嫌がるだろうが、もう一度会ってあの美しい微笑みを向けてもらいたい。自分が必要なのだと、誰かにそう言われることをファテナは欲している。
そんなことを考えるファテナを咎めるように、腕輪から漂う甘い香りが思考をさえぎった。
それまでは毎晩遅くに訪ねてきてはファテナを抱き、朝早くに出て行っていたのに、最近では日中にも顔を出すようになった。
さすがに昼からファテナを抱くようなことはしないが、何故か昼食を一緒にとることが増えた。
頻繁にやって来る割に会話はなく、無言で食事を共にするのはファテナにとって少し気疲れする時間だ。
今日も目の前で黙々と食事をするザフィルを見つめながら、ファテナは思わず漏れそうになるため息を堪えていた。せめて会話が弾めばと思うのだけど、ザフィルから話しかけてくることは滅多にないし、ファテナも彼に提供する話題を持たない。
そもそも、夜に会っていた時だって会話らしい会話なんてほとんどしていなかったのだ。
身体を重ねた回数ばかり増えているのに、お互い何を考えているのか知らないままだ。
結局二人は向かい合って、ほとんど目も合わさないままに食事を続ける。
少食のファテナとは違い、ザフィルは山のように盛られた食事を次々と平らげていく。しっかりと筋肉のついた身体を維持するのには、このくらい食べなければならないのだろう。
見ているだけでお腹がいっぱいになり、ファテナは早々に食事を切り上げてひたすらにお茶を飲んでいる。
ようやく食事を終えたザフィルが、今度は無言でファテナの前に何か小さな包みを置いた。
「……これは?」
「あんたにやる。木札の代わりだ」
開けてみろと仕草で促されて、ファテナは包みを手に取った。
中から出てきたのは、金色の腕輪。中央に香り玉が埋め込まれていて、木札と同じ甘い香りがする。
「これなら紐が切れることもないし、常に身につけておけるだろう」
「そう、ですね」
細めの腕輪には、細かな花の彫模様が施されていた。見るからに高級品のようで、捕虜の立場でこんなものを受け取っていいのだろうかと気後れしてしまう。
「着けてやる」
ファテナの躊躇いに気づいていないのか、ザフィルは腕輪を取り上げると、ファテナの右手に装着した。ぱちんと金具を留められると、ひんやりとした感覚が手首を滑っていった。
「ありがとうございます」
「うん、よく似合うな」
満足そうな声に思わず顔を上げると、ザフィルは笑みを浮かべていた。視線はファテナの腕に注がれていて、こんなにも嬉しそうに笑う顔を見るのは初めてだ。
思わず黙って見つめてしまうと、視線を上げたザフィルと目が合った。その瞬間笑顔は消え、気まずそうに顔を背けられてしまう。
「……ともかく、それは外すな」
「分かりました」
もう一度小さく礼を言って、ファテナは頭を下げた。
その時、ザフィルの名を呼ぶ声がして、背の高い男が部屋の中に入ってきた。
「エフラ、わざわざ呼びに来なくてもいいと言ってるだろ」
不機嫌そうに眉を顰めるザフィルにも、エフラは全く表情を変えないままそばにやってきた。
ザフィルの側近だという彼とは、ここ最近になってよく顔を合わせるようになった。最初は不審者を見るような顔をしていたが、最近は友好的とはいかないまでも軽く会釈くらいは返してくれるようになった。
今日も、目が合うと彼は小さくうなずくように挨拶をしたあと、ザフィルの腕を掴んだ。その仕草に遠慮はなく、側近というよりも仲の良い兄弟のように見えて微笑ましい。
「そろそろ行きますよ、昼からは井戸の様子を見に行く予定でしょう。早く出発しないと日暮れまでに戻ってこれなくなりますよ」
「分かってるって。小さな子供でもあるまいし、わざわざ迎えに来てくれなくてもいいんだが」
「放っておいたら、いつまでも戻ってこないのは目に見えてますからね。さぁ、行きますよ」
ぐいぐいと腕を引っ張られて、ザフィルは痛いと悪態をつきつつ立ち上がった。
「今夜は遅くなるかもしれないから、先に寝てていい」
エフラに引きずられるようにしながら、ザフィルがファテナに声をかける。小さく了承の返事をしながら、ファテナは慌ただしく去っていった彼らを見送った。
精霊はあれ以来姿をあらわすことはないが、それはザフィルに与えられた木札や腕輪によるものなのだろう。あの日から、部屋の中にも常に香が焚きしめられるようになった。
ヤーファルはファテナを迎えに来ると言っていたが、本気だったのだろうか。
ファテナに向けられた、再会を喜ぶような優しい表情は、餌として欲しがっているようには見えなかった。ザフィルは嫌がるだろうが、もう一度会ってあの美しい微笑みを向けてもらいたい。自分が必要なのだと、誰かにそう言われることをファテナは欲している。
そんなことを考えるファテナを咎めるように、腕輪から漂う甘い香りが思考をさえぎった。
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