49 / 65
2
しおりを挟む
エフラが部屋を出て行き、ザフィルは机に向かって付近の地図を広げていた。地下の水脈が尽きて井戸の水が本当に枯渇してしまえば、別の水源を探す必要がある。テミム族の集落付近にある水源は、ほとんど水の湧いていない泉と水量の減った川、そして地下の水脈だ。少し離れた場所に大きな川があるが、そこは別の部族が使っているため、手を出せば争いは避けられないだろう。
「新しく井戸を掘るなら、このあたりか……」
小さく唸りながら地図を見つめていると、部屋の扉が開いた。ちらりと視線を向けたザフィルは、微かに眉を顰める。
「黙って入ってくるな、ガージ」
「あれ、バレました? ぼくと兄さんを見分けられるのなんて、ザフィル様だけですよ」
にこにこと笑う彼は、エフラとそっくりの顔をしている。エフラの双子の弟であるガージは、兄とは違って自らザフィルの前に顔を出すことはほとんどない。冷たい印象のエフラと比べて、にこやかな表情を浮かべることの多いガージだが、その笑顔の裏に野心を隠していることは分かっている。
「それで、何の用だ」
「あぁそうそう、ザフィル様もご存知かと思いますが、西の……ほら、元ウトリド族の者たちが暮らしてるあたりの井戸、水の出が悪いでしょう。あの人たち、精霊の怒りをかったのではって怯えちゃって。やっぱり長年染みついた考え方っていうのは変わらないものですね。巫女姫が生きていたら良かったのに、なんて言ってますよ」
にこにこと笑いながら、ガージはザフィルに問いかけるような視線を向ける。ファテナの生存を明かすわけにはいかないので、ザフィルは表情を変えずにガージを見つめ返した。
「ウトリドの巫女姫は、残念ながらもういない」
「そうですよね。奇襲をかけた時の館の火事で、焼け死んじゃったんですっけ。噂によるとかなりの美人だったっていうじゃないですか。ぼくも顔見てみたかったな。遺体は黒焦げだったんですか?」
「趣味の悪い発言は慎め、ガージ」
冷ややかな声で言葉を遮ると、ガージは肩をすくめて口を押さえた。
「まぁ、死んじゃった人のことはどうでもいいんですけど。このまま他の井戸も枯れるようなことがあったら、我々の生活にも影響があるかなって心配で。裏の川の水量も心許ないですし、この際新たな水源を求めてフロト族に侵攻すべきなんじゃないかと思うんですよね」
ガージが挙げたのは、近くの大きな川のほとりで暮らす部族だ。テミム族と同じくらいの規模の部族だし、フロト族は弓での戦いに長けている。水をめぐって争うことになればお互い多数の死傷者が出ることは間違いない。
「それは、今考えるべきことではない。暴力的な手段より先にすべきことはまだあるはずだ」
「そんな悠長なこと言ってて、水が尽きたらどうするんです。最近のザフィル様は、平和主義が過ぎる。この地において水は何より貴重なもの。奪うために戦うことの何がいけないんですか」
「戦うことを否定はしないが、そのために失われる命があることにも目を向けるべきだ。いいか、俺の許可なしに勝手な行動をするなよ」
ザフィルがまっすぐにガージをにらみつけると、彼は不満げな表情ながらもうなずいた。
「分かりました。……だけど、これはぼく個人の意見ではない。戦って領地を広げることを望む者が他にもたくさんいることを、ザフィル様も覚えておいてください」
そう言って、ガージはくるりと踵を返すと部屋を出て行った。その顔に、来た時のような笑顔はもう残っていなかった。
静かに閉まった扉を見つめながら、ザフィルはゆっくりと息を吐いた。
戦って水資源を奪い、領地を広げることは、この地に生きる者なら当たり前のことだ。ザフィルも、このテミム族を発展させるために様々な部族との衝突を繰り返してきた。必要とあればためらいなく人を殺してきたし、ファテナの家族と同じように、見せしめのために処刑したことだってある。水の精霊が言うように、ザフィルの手は大勢の血で穢れている。それでも、少しでも多くの人が生きることのできる道を選んできたつもりだ。
「今、侵攻したところで……ただ犠牲を増やすだけだ」
井戸はまだ枯れていないし、川の水だって干上がっているわけではない。
いずれ戦うことになるかもしれなくても、できることなら先延ばしにしたい。
そう考えること自体が、ガージらにとっては甘すぎると捉えられるのかもしれないが。
だが、ガージは心の底から民のことを思っているわけでないのだ。彼が求めるのは、血が騒ぐような戦いの高揚。腕は悪くないが、ガージは戦って相手を完膚なきまでに打ちのめすことに喜びを感じている。その危うさゆえに、ザフィルはガージを戦闘の場でも中心に据えることはない。先日のウトリド族襲撃の際も、行きたいと志願した彼をザフィルは置いてきた。そのことも、きっと不満なのだ。
不満を隠そうともせず、苛立った顔をしながら出て行った彼のことを思い、ザフィルは深いため息をついた。
「新しく井戸を掘るなら、このあたりか……」
小さく唸りながら地図を見つめていると、部屋の扉が開いた。ちらりと視線を向けたザフィルは、微かに眉を顰める。
「黙って入ってくるな、ガージ」
「あれ、バレました? ぼくと兄さんを見分けられるのなんて、ザフィル様だけですよ」
にこにこと笑う彼は、エフラとそっくりの顔をしている。エフラの双子の弟であるガージは、兄とは違って自らザフィルの前に顔を出すことはほとんどない。冷たい印象のエフラと比べて、にこやかな表情を浮かべることの多いガージだが、その笑顔の裏に野心を隠していることは分かっている。
「それで、何の用だ」
「あぁそうそう、ザフィル様もご存知かと思いますが、西の……ほら、元ウトリド族の者たちが暮らしてるあたりの井戸、水の出が悪いでしょう。あの人たち、精霊の怒りをかったのではって怯えちゃって。やっぱり長年染みついた考え方っていうのは変わらないものですね。巫女姫が生きていたら良かったのに、なんて言ってますよ」
にこにこと笑いながら、ガージはザフィルに問いかけるような視線を向ける。ファテナの生存を明かすわけにはいかないので、ザフィルは表情を変えずにガージを見つめ返した。
「ウトリドの巫女姫は、残念ながらもういない」
「そうですよね。奇襲をかけた時の館の火事で、焼け死んじゃったんですっけ。噂によるとかなりの美人だったっていうじゃないですか。ぼくも顔見てみたかったな。遺体は黒焦げだったんですか?」
「趣味の悪い発言は慎め、ガージ」
冷ややかな声で言葉を遮ると、ガージは肩をすくめて口を押さえた。
「まぁ、死んじゃった人のことはどうでもいいんですけど。このまま他の井戸も枯れるようなことがあったら、我々の生活にも影響があるかなって心配で。裏の川の水量も心許ないですし、この際新たな水源を求めてフロト族に侵攻すべきなんじゃないかと思うんですよね」
ガージが挙げたのは、近くの大きな川のほとりで暮らす部族だ。テミム族と同じくらいの規模の部族だし、フロト族は弓での戦いに長けている。水をめぐって争うことになればお互い多数の死傷者が出ることは間違いない。
「それは、今考えるべきことではない。暴力的な手段より先にすべきことはまだあるはずだ」
「そんな悠長なこと言ってて、水が尽きたらどうするんです。最近のザフィル様は、平和主義が過ぎる。この地において水は何より貴重なもの。奪うために戦うことの何がいけないんですか」
「戦うことを否定はしないが、そのために失われる命があることにも目を向けるべきだ。いいか、俺の許可なしに勝手な行動をするなよ」
ザフィルがまっすぐにガージをにらみつけると、彼は不満げな表情ながらもうなずいた。
「分かりました。……だけど、これはぼく個人の意見ではない。戦って領地を広げることを望む者が他にもたくさんいることを、ザフィル様も覚えておいてください」
そう言って、ガージはくるりと踵を返すと部屋を出て行った。その顔に、来た時のような笑顔はもう残っていなかった。
静かに閉まった扉を見つめながら、ザフィルはゆっくりと息を吐いた。
戦って水資源を奪い、領地を広げることは、この地に生きる者なら当たり前のことだ。ザフィルも、このテミム族を発展させるために様々な部族との衝突を繰り返してきた。必要とあればためらいなく人を殺してきたし、ファテナの家族と同じように、見せしめのために処刑したことだってある。水の精霊が言うように、ザフィルの手は大勢の血で穢れている。それでも、少しでも多くの人が生きることのできる道を選んできたつもりだ。
「今、侵攻したところで……ただ犠牲を増やすだけだ」
井戸はまだ枯れていないし、川の水だって干上がっているわけではない。
いずれ戦うことになるかもしれなくても、できることなら先延ばしにしたい。
そう考えること自体が、ガージらにとっては甘すぎると捉えられるのかもしれないが。
だが、ガージは心の底から民のことを思っているわけでないのだ。彼が求めるのは、血が騒ぐような戦いの高揚。腕は悪くないが、ガージは戦って相手を完膚なきまでに打ちのめすことに喜びを感じている。その危うさゆえに、ザフィルはガージを戦闘の場でも中心に据えることはない。先日のウトリド族襲撃の際も、行きたいと志願した彼をザフィルは置いてきた。そのことも、きっと不満なのだ。
不満を隠そうともせず、苛立った顔をしながら出て行った彼のことを思い、ザフィルは深いため息をついた。
33
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる