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2 左目の呪い

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 車窓を流れる景色は、紺碧の空。個室の窓は大きくて、時折ちらりと輝く小さな流れ星が、まるで列車と競争するかのように空を走っては消えるのがよく見える。
 飽きもせず窓の外をずっと眺めていたセチアは、ふと窓から視線を外すと向かいの席に座るノアールを振り返った。
 黙って本を読んでいる彼の表情は険しくて、微かに眉間に皺まで寄っている。そんな不機嫌そうな顔は彼の通常だけど、何かに気づいたセチアは軽く眉を顰めると立ち上がり、ノアールの前に立った。
 
「ノアール」
 セチアの声に、ノアールが本から視線を上げる。彼が座っていてなお、少し見上げないと目は合わないけれど、まるで目を合わせたくないとでもいうように微妙に顔を背けられて、セチアは靴音高く更に距離を詰めた。

「ノアール、こっちを見て」
 きっぱりとしたセチアの言葉に、ノアールがため息をついて視線を向ける。こちらを見つめる右目は透き通った青空の色。そして傷のある左目は、色を失った黒い色をしている。
 そっと手を伸ばして、額にかかる青みがかった黒髪を指先ではらい、左目の傷跡に触れたセチアは怒ったようにノアールを見上げた。
「熱をもってるわ。いつから?」
「大したことはない、放っておけばそのうち治まる」
 煩わしそうに首を振るノアールに、セチアは腰に手を当てて頬を膨らませた。
「どうしていつも我慢するの。あなたがいなくなったら、私はどうなるの。守ってくれると言ったのは嘘なの?」
「それは……」
 きまり悪そうに視線を逸らすノアールの頬に触れて、セチアはその顔をのぞき込む。
「少しでも酷くなったらすぐに言って。お願いだから、……私を一人にしないで」
 少し震えた語尾に、ノアールは小さく息をのんだ。
「すまない、セチア。これからは、すぐに言う」
「うん。そうして」
 うなずいたセチアは、胸元を撫でてキラを呼び出す。キュ、と小さく鳴いて白いコウモリがケープの下から飛び出してきた。ぱたぱたと確かめるように部屋の中を一周したあと、キラはセチアの指先に止まった。
 
「キラ、お願い」
 そっと囁いたセチアの言葉に応えるようにもう一度鳴いたキラは、今度はノアールの頭の上に止まった。キラの頭の上にある小さな角が淡く光り、その柔らかな光はノアールの傷跡へと流れていく。
 やがて光が傷跡に溶け込むように消え、セチアはそっとノアールの左目に手を伸ばした。
「うん、ちゃんと浄化されたみたい」
 指先で傷跡を撫で、熱をもっていたのが治まっているのを確認して、セチアは安心したように小さく息を吐いた。
「ありがとう、セチア、キラ」
 ノアールの言葉に、キュ!と得意げに鳴いたキラは、セチアがポケットから取り出した小さな赤い果実をひとつ食べると、満足したようにケープの中へと戻っていった。

 ふうっとため息をついて座席に腰を下ろしたセチアは、窓枠に顎を乗せるようにして車窓の風景をまた黙って見つめる。吐息で窓がほんの少しだけ、白く曇った。
「ねぇ、ノアール」
 指先で曇った窓を拭いながらつぶやいたセチアの声に、ノアールは読んでいた本から顔を上げる。軽く首をかしげてみせながら、セチアはノアールをじっと見上げた。
「少し寒いわ」
 セチアはケープを羽織ったままだし、個室内は適温に保たれている。顔色も良く体調が悪いわけでもないことはノアールも分かっているようで、小さな苦笑がその顔に浮かぶ。
 
「おいで」
 それでも優しくそう言ってくれるノアールの腕の中に、セチアは笑顔で勢いよく飛び込んだ。驚いたキラの鳴き声が一瞬響いたものの、いつものことなので退散するようにキラは向かいの座席の上へと移動する。
 頭を撫でる手のぬくもりに目を細めながら、セチアはノアールのシャツの襟元を飾るチェーンを指先で弄んだ。冬の月のような冷たい銀色は、彼によく似合う。
 
「ねぇ、ずっとそばにいてね。私を守ってね、ノアール」
「もちろんだ。この命をかけてでも守るよ、セチア」
 重々しくうなずいた言葉に、セチアは顔を上げると眉を顰めて首を振った。
「それはだめよ。あなたの命と引き換えに守られることを、私は望まない。一緒に生きてくれなきゃだめ」
 セチアの真剣な眼差しに、ノアールは小さくうなずいた。大きな手が、そっと慈しむように頭を撫でる。
「ずっと、セチアと一緒にいると約束するよ」
 その答えに満足して、セチアは笑顔になるとノアールに向かって右手の小指を差し出した。
「約束ね」
 うなずいて同じように右手を出したノアールの小指に、セチアの細い指が絡む。確認するように数度上下させたあと、二人の指はそっと離れた。
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