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本編第一章
発表会がはじまります1
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大教会は午後の発表会の準備のため、朝から閉館していたが、参加者用の裏口から中に入ることができた。
通路を進み、控室を目指す。そのと中で見知った顔に出会った。
「エメリアお姉さま!」
「あら、アンジェリカ」
王立学院の制服を着たエメリアが、他の学生と一緒に控室の外に立っていた。今回、彼女は学院のボランティアクラブの生徒たちと一緒に発表会の手伝いをしてくれることになっている。受付や出演者のアテンドなど細々した仕事を、シンシア様の指示の元、彼女たちが引き受けてくれた。
「出演者はもうお揃いですか?」
「えぇ、あなたで最後よ。貴族から10名、孤児院から2名。それぞれに順番も伝えてあるわ。アンジェリカの出番は最後から2番目よ」
「大トリはシリウスですよね」
「えぇ。お母様がそうした方がいいって強く言うものだから」
それはそうだろう。彼はまだ7歳とはいえ、卓越した技術を持っている。彼のあとに演奏することになるのはある意味かわいそうだから、これがベストの選択だろう。
「シリウスの演奏のあとは、みんなで円舞になるわ。円舞に出演する子どもたちには、結局客席で待機してもらうことになったの。ここの控え室には収容しきれないから、しょうがないわね」
パトリシア様からもたらされた、貴族の子どもたち向けの円舞の案は、結局採用されることになった。教会は長細い作りになっており、普段は正面があるが、今回はホールの中央に舞台を設けてピアノを置き、それを取り囲むように客席を設けた。最後の円舞はそのピアノを取り囲むようにして行われる。円というより楕円に近い形になるが、大きな問題はないだろう。
「それにしても、とても面白い取り組みになりそうね。母が贔屓にしているシリウスって子の演奏も楽しみだし、ラストの円舞もきっとかわいいでしょうね。あ、もちろん、アンジェリカの演奏も楽しみよ」
「皆まで言わなくても大丈夫です、エメリアお姉さま。私なんて所詮、付け合わせのサラダ以下の存在ですから……」
「やだ、アンジェリカったら! そんなことないわよ、大丈夫、自信もって!あ、ほら、控え室はここよ」
そうして彼女が指差したのは、教会の応接室だった。今日は臨時の出演者控え室になっている。子どもたちが出演ということもあり、侍女や両親を伴ってくる人たちがほとんどだから、中はだいぶ賑わっている。ちなみにここは女子用の控え室だ。男子用はさらに奥になる。
「私は先にシリウスに会ってきます。どうせ着替える予定もメイクをする予定もないですし」
「え、でも……」
「じゃあエメリアお姉さまも頑張ってくださいね」
「あ、ちょっと、アンジェリカ!」
そうして私はエメリアに別れを告げ、さらに奥を目指した。
シリウスと最後の打ち合わせをしようと男子の控え室を訪ねたが、そこに彼はいなかった。シリウスを含め3名の男子出演者がいる予定だったが、部屋にいたのは貴族の2人だけだ。侍女らしき人に彼の行方を尋ねたが知らないと言われた上に、身長以外の意味でなんだから上から見下ろすような視線を受け、私は早々に部屋を後にした。
はたして彼はすでに会場にいた。会場ではすでにセッティングが終わっており、王立学院のボランティアクラブの生徒たちが進行の最終チェックをしているところだった。シリウスはもうひとりの孤児院からの出演者であるアニエスという女の子と一緒に、客席の隅に座っていた。
「シリウス、アニエス!」
「アンジェリカ様! こんにちは。いよいよ本番ですね」
「えぇ、今から心臓がどきどきしているわ。2人はここで何をしているの? 予習か何か?」
「えっと……それもありますが」
シリウスはその美しいかんばせを少し傾け、寂しそうに微笑んだ。
「控え室にいるより、ここにいる方が落ち着くんです。ほら、ピアノも見えますし」
彼が指差した先にはグランドピアノがあった。確かにピアノがあることで落ち着くというのはわからなくもないが、それならなぜネリーも一緒にいるのか。
その理由を考えているうちに、私はひとつの答えに行き当たった。
「控え室で、ほかの出演者に何か言われたりしたの?」
先ほど、私をあからさまに見下ろしてきた侍女は、私より身分が上の貴族に仕えている人だった。私は今日も機動力重視の恰好をしているから、もしかしたら平民にみられたかもしれない。
「ごめんなさい、私の配慮が足りなかったわ。貴族とは別の控え室を用意すべきだった」
「いえ、アンジェリカ様のせいではありません。それにこの教会には控え室に向いた部屋はそうそうありませんから。仕方ないと思います」
「でも、ごめんなさい……。その、アニエスも何か言われたの?」
私の問いかけに、今年10歳になる彼女は首を振った。女子の控え室は7名の貴族の少女とその付き人や家族でごった返していて、彼女に不躾な視線を注ぐような暇な輩はいなかったようだ。ただ、特別大掛かりな準備が必要でない自分は、控え室を使う必要もないと判断して、先にこちらに移動したのだと答えてくれた。
「でも、これから大事な発表会なのに、2人がそんな気持ちになるなんて……」
彼らは私たちのような、ただ披露する発表会に臨むわけではない。今回の舞台でパトロンとなってくれる里親を探すのだ。置かれた状況が違う。
どう言葉をかけたものか逡巡している私の手を、シリウスがとった。
「大丈夫です、アンジェリカ様。きっとうまくいきます」
長めの前髪の分け目から見える、濃紺の艶やかな瞳。それはまるで夜の帳に包まれた世界を映しているような、静寂に満ちた色をしていた。そしてささくれだっていた私の心もまた、彼の瞳の持つ静かな力で、少しずつ凪いでいった。
「ありがとう……私も、ちょっと気が立っていたのかもしれないわ」
シリウスのおまけとしての連弾とはいえ、大勢の前で何かを披露するのは、前世から数えても初めてのことだ。加えて主宰側の人間としての責務もあったから、こうして齟齬が見つかったことで、焦ってしまったのかもしれない。
気を取り直すために、頬をぱんっと叩いた。目の前でシリウスたちが驚く。
「アンジェリカ様! そんなに強く叩いたら跡がついてしまいます!」
慌てたシリウスが私の頬に触れようと手を伸ばす。
その仕草に心臓がとくん、と跳ねたそのときーーー。
「まぁアンジェリカちゃん、こんなところにいたのね!」
通路の入り口から現れたのは、なんとパトリシア様だった。
「パ、パトリシア様!?」
パトリシア様は出演者集めのために多大な協力をしてくださったが、今日は特に仕事をお願いしていない。ミシェルもギルフォードも最初の発表会自体には出演しないから、ここにいるはずのない人だった。
「聞いたわよ、アンジェリカちゃん。発表会のためにドレスを新調しなかったんですって? それくらいは準備させてほしかったってカトレア様が嘆いておられたわよ」
「いや、私は主役でもなんでもないんで……」
そう、発表会の案が持ち上がったとき、継母が嬉々として「ドレスを作りましょう!」と言ってきたのだけど、今後領地に帰ってから行う新しいあれやこれやの施策のことを考えると、少しの出費も惜しくて、丁重にお断りしたのだった。継母も納得してくれたはずだったのだが。
(おかあさまったら、パトリシア様にチクったわね……!)
「あら、アンジェリカちゃん、カトレア様を責めるのは間違いよ? 私が発表会のドレスについて尋ねたら、そう教えてくれただけなんだから」
「はっ! なぜ私の心の声を……!」
「もう、みずくさいわね。私とアンジェリカちゃんの中じゃない! ドレスなんてうちに山のようにあるんだから、どれでも着てくれてよかったのに」
「いえ、そのようなことは大変モウシワケナク……」
「大丈夫よ、そんなあなたのために、私の方でばっちり用意しておいたから。さぁ、あなたたち!」
「「「「はい! 奥様!!」」」」
ズザザザザっとパトリシア様の前に現れたのは、大変見覚えのあるあのメイド軍だった。
「時間がないので超特急でいくわよ。アンジェリカちゃんのために全力を尽くして頂戴!」
「「「「いえす! マダム!!」」」」
(ますます軍隊っぽくなってるし!!!)
「いえ、ちょっと、あの……!! 私、そろそろリハーサルが!!!」
「アンジェリカちゃんの出番は後ろから2番目でしょう? 余裕よ!」
そうして私はメイド軍に担がれ、女子控え室へとドナドナされたのだった。
通路を進み、控室を目指す。そのと中で見知った顔に出会った。
「エメリアお姉さま!」
「あら、アンジェリカ」
王立学院の制服を着たエメリアが、他の学生と一緒に控室の外に立っていた。今回、彼女は学院のボランティアクラブの生徒たちと一緒に発表会の手伝いをしてくれることになっている。受付や出演者のアテンドなど細々した仕事を、シンシア様の指示の元、彼女たちが引き受けてくれた。
「出演者はもうお揃いですか?」
「えぇ、あなたで最後よ。貴族から10名、孤児院から2名。それぞれに順番も伝えてあるわ。アンジェリカの出番は最後から2番目よ」
「大トリはシリウスですよね」
「えぇ。お母様がそうした方がいいって強く言うものだから」
それはそうだろう。彼はまだ7歳とはいえ、卓越した技術を持っている。彼のあとに演奏することになるのはある意味かわいそうだから、これがベストの選択だろう。
「シリウスの演奏のあとは、みんなで円舞になるわ。円舞に出演する子どもたちには、結局客席で待機してもらうことになったの。ここの控え室には収容しきれないから、しょうがないわね」
パトリシア様からもたらされた、貴族の子どもたち向けの円舞の案は、結局採用されることになった。教会は長細い作りになっており、普段は正面があるが、今回はホールの中央に舞台を設けてピアノを置き、それを取り囲むように客席を設けた。最後の円舞はそのピアノを取り囲むようにして行われる。円というより楕円に近い形になるが、大きな問題はないだろう。
「それにしても、とても面白い取り組みになりそうね。母が贔屓にしているシリウスって子の演奏も楽しみだし、ラストの円舞もきっとかわいいでしょうね。あ、もちろん、アンジェリカの演奏も楽しみよ」
「皆まで言わなくても大丈夫です、エメリアお姉さま。私なんて所詮、付け合わせのサラダ以下の存在ですから……」
「やだ、アンジェリカったら! そんなことないわよ、大丈夫、自信もって!あ、ほら、控え室はここよ」
そうして彼女が指差したのは、教会の応接室だった。今日は臨時の出演者控え室になっている。子どもたちが出演ということもあり、侍女や両親を伴ってくる人たちがほとんどだから、中はだいぶ賑わっている。ちなみにここは女子用の控え室だ。男子用はさらに奥になる。
「私は先にシリウスに会ってきます。どうせ着替える予定もメイクをする予定もないですし」
「え、でも……」
「じゃあエメリアお姉さまも頑張ってくださいね」
「あ、ちょっと、アンジェリカ!」
そうして私はエメリアに別れを告げ、さらに奥を目指した。
シリウスと最後の打ち合わせをしようと男子の控え室を訪ねたが、そこに彼はいなかった。シリウスを含め3名の男子出演者がいる予定だったが、部屋にいたのは貴族の2人だけだ。侍女らしき人に彼の行方を尋ねたが知らないと言われた上に、身長以外の意味でなんだから上から見下ろすような視線を受け、私は早々に部屋を後にした。
はたして彼はすでに会場にいた。会場ではすでにセッティングが終わっており、王立学院のボランティアクラブの生徒たちが進行の最終チェックをしているところだった。シリウスはもうひとりの孤児院からの出演者であるアニエスという女の子と一緒に、客席の隅に座っていた。
「シリウス、アニエス!」
「アンジェリカ様! こんにちは。いよいよ本番ですね」
「えぇ、今から心臓がどきどきしているわ。2人はここで何をしているの? 予習か何か?」
「えっと……それもありますが」
シリウスはその美しいかんばせを少し傾け、寂しそうに微笑んだ。
「控え室にいるより、ここにいる方が落ち着くんです。ほら、ピアノも見えますし」
彼が指差した先にはグランドピアノがあった。確かにピアノがあることで落ち着くというのはわからなくもないが、それならなぜネリーも一緒にいるのか。
その理由を考えているうちに、私はひとつの答えに行き当たった。
「控え室で、ほかの出演者に何か言われたりしたの?」
先ほど、私をあからさまに見下ろしてきた侍女は、私より身分が上の貴族に仕えている人だった。私は今日も機動力重視の恰好をしているから、もしかしたら平民にみられたかもしれない。
「ごめんなさい、私の配慮が足りなかったわ。貴族とは別の控え室を用意すべきだった」
「いえ、アンジェリカ様のせいではありません。それにこの教会には控え室に向いた部屋はそうそうありませんから。仕方ないと思います」
「でも、ごめんなさい……。その、アニエスも何か言われたの?」
私の問いかけに、今年10歳になる彼女は首を振った。女子の控え室は7名の貴族の少女とその付き人や家族でごった返していて、彼女に不躾な視線を注ぐような暇な輩はいなかったようだ。ただ、特別大掛かりな準備が必要でない自分は、控え室を使う必要もないと判断して、先にこちらに移動したのだと答えてくれた。
「でも、これから大事な発表会なのに、2人がそんな気持ちになるなんて……」
彼らは私たちのような、ただ披露する発表会に臨むわけではない。今回の舞台でパトロンとなってくれる里親を探すのだ。置かれた状況が違う。
どう言葉をかけたものか逡巡している私の手を、シリウスがとった。
「大丈夫です、アンジェリカ様。きっとうまくいきます」
長めの前髪の分け目から見える、濃紺の艶やかな瞳。それはまるで夜の帳に包まれた世界を映しているような、静寂に満ちた色をしていた。そしてささくれだっていた私の心もまた、彼の瞳の持つ静かな力で、少しずつ凪いでいった。
「ありがとう……私も、ちょっと気が立っていたのかもしれないわ」
シリウスのおまけとしての連弾とはいえ、大勢の前で何かを披露するのは、前世から数えても初めてのことだ。加えて主宰側の人間としての責務もあったから、こうして齟齬が見つかったことで、焦ってしまったのかもしれない。
気を取り直すために、頬をぱんっと叩いた。目の前でシリウスたちが驚く。
「アンジェリカ様! そんなに強く叩いたら跡がついてしまいます!」
慌てたシリウスが私の頬に触れようと手を伸ばす。
その仕草に心臓がとくん、と跳ねたそのときーーー。
「まぁアンジェリカちゃん、こんなところにいたのね!」
通路の入り口から現れたのは、なんとパトリシア様だった。
「パ、パトリシア様!?」
パトリシア様は出演者集めのために多大な協力をしてくださったが、今日は特に仕事をお願いしていない。ミシェルもギルフォードも最初の発表会自体には出演しないから、ここにいるはずのない人だった。
「聞いたわよ、アンジェリカちゃん。発表会のためにドレスを新調しなかったんですって? それくらいは準備させてほしかったってカトレア様が嘆いておられたわよ」
「いや、私は主役でもなんでもないんで……」
そう、発表会の案が持ち上がったとき、継母が嬉々として「ドレスを作りましょう!」と言ってきたのだけど、今後領地に帰ってから行う新しいあれやこれやの施策のことを考えると、少しの出費も惜しくて、丁重にお断りしたのだった。継母も納得してくれたはずだったのだが。
(おかあさまったら、パトリシア様にチクったわね……!)
「あら、アンジェリカちゃん、カトレア様を責めるのは間違いよ? 私が発表会のドレスについて尋ねたら、そう教えてくれただけなんだから」
「はっ! なぜ私の心の声を……!」
「もう、みずくさいわね。私とアンジェリカちゃんの中じゃない! ドレスなんてうちに山のようにあるんだから、どれでも着てくれてよかったのに」
「いえ、そのようなことは大変モウシワケナク……」
「大丈夫よ、そんなあなたのために、私の方でばっちり用意しておいたから。さぁ、あなたたち!」
「「「「はい! 奥様!!」」」」
ズザザザザっとパトリシア様の前に現れたのは、大変見覚えのあるあのメイド軍だった。
「時間がないので超特急でいくわよ。アンジェリカちゃんのために全力を尽くして頂戴!」
「「「「いえす! マダム!!」」」」
(ますます軍隊っぽくなってるし!!!)
「いえ、ちょっと、あの……!! 私、そろそろリハーサルが!!!」
「アンジェリカちゃんの出番は後ろから2番目でしょう? 余裕よ!」
そうして私はメイド軍に担がれ、女子控え室へとドナドナされたのだった。
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