黒い聖域

久遠

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黒幕の影 第四章・拘束(6)

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 翌日の午後、森岡は帝都ホテル大阪のロビー喫茶で岩清水哲玄と会っていた。同行した坂根は、懐に百万円の札束の入った封筒を忍ばせている。
 榊原壮太郎から紹介されて以来、森岡は岩清水の呼び出しを受け、数回会っていたが、その度に金の無心をされていた。
 岩清水は、普段は名古屋に住まいしていたので、法国寺の用件で京都入りした際は、市内のホテルに宿泊していたのだが、堀川の一件が抜き差しならない状態になったため、手元不如意だというのである。
 堀川の一件というのは、二千基にも及ぶ無縁仏の移設に伴う大規模霊園事業のことである。
 石清水は、法国寺貫主を勇退した黒岩上人と同郷という誼で護山会の会長に就任したということだった。ともあれ、別格大本山という名刹の護山会会長ともあろう者が、高々数十万単位の金に窮するというのは訝しいことだった。
 だが森岡は、彼の無心に快く応えていた。これまでに融通した金は五百万円を上回っていたが、一応の用心はしても決定的な不審を抱くことはなかった。
 森岡にとっては少額ということもあるが、岩清水の人柄、といっても善人だからというのではなく、むしろ脛に傷の有りそうな過去に興味を持ったのである。
 有体に言えば、自分の知らない世界で生きてきたと思われる岩清水は、この先何かのときに役立ちそうな勘が働いたためである。このあたりの嗅覚の鋭さは、彼の天性といえた。
 この日の岩清水には連れがあった。
 恰幅の良い、五十代後半の男である。身形や時計、指輪といった装飾品から、いかにも金持ち風に見えたが、森岡はその目の奥の澱んだ光と、全身から醸し出される気から、真っ当な世界に生きている人間ではないと直感した。
 極道世界とは少し様子が違っているが、堅気でないことは明白であった。
 男の名は『松平定幸(まつだいらさだゆき)』と名乗った。いかにも胡散臭く、本名でないことは子供でもわかる。職業も宝石商だと言ったが、これもまた表看板であり、裏家業があると森岡は疑った。
 森岡の目に、不審の色を嗅ぎ取った岩清水は、床に置いた鞄から風呂敷包みを取り出すと、テーブルの上で紐解いた。百万円の札束が六つあった。
「森岡君。これは今まで用立ててもらった金だ。利息を付けてお返しする」
「いえ。金はお貸ししたものではなく、差し上げたものですから、返済には及びません」
 森岡は毅然として断った。
 岩清水は、松平の方を向いて、
「見たかい、松ちゃん。森岡君とはこういう男だ」
 と微笑んだ。
 松平も口元に笑みを浮かべると、
「岩さんが惚れ込むわけだ」
 と返した。
 訝る森岡に、
「実はな森岡君。わしは、金には困っていなかったのだよ。君を疑ったわけではないのだが、いかに旧知の榊原さんの紹介といっても、君の人柄を知らずに、一緒に仕事はできないと思い、芝居を打たせてもらった。許してくれ」
 と、岩清水は頭を下げた。
「どうぞ、頭をお上げ下さい。岩清水さんが金に困っていらっしゃらないのであれば、それに越したことはありません」
 森岡は笑みを浮かべて言った。
「君の人となりを観察させてもらったが、私もあの榊原さんが自分の後継者にと、惚れ込むだけの男だと良くわかった。そこでだ、私の人脈を君に紹介したくなった」
 岩清水は周囲を見回すと、前屈みになり声を低めた。
「この男は詐欺師なのだ」
 森岡は、はっとして松平を見遣った。当人はいたって涼しい顔をしている。
「ただの詐欺師ではないぞ。超一流の腕だし、部下も数人抱えている」
 何ということはない。詐欺師集団の親玉だというのである。
「君は財界人から極道者まで幅広い人脈を持っているようだが、この詐欺師というのも、使いようによっては、なかなかに役に立つものだよ」
 開いた口が塞がらない森岡の目に、岩清水の老醜の面が、いっそう不気味さを増して映っていた。
 岩清水が松平と知り合ったのは、三十年も前のことだという。その頃の岩清水は、真っ当な繊維問屋を営んでいた。ところが、商品詐欺に遭い店を潰してしまった。
 商品詐欺とは、少額の現金取引を繰り返し、信用を得たところで大口の商談を持ち掛け、商品を持ち逃げすることである。詐欺の手口としては初歩的であるが、売り手の心理を巧みに突くため、現在でも被害が絶えない。
 むろん、持ち逃げされた商品を売買する裏ルートが存在し、それらの商品は量販店などで一般客向けに販売されている。
 さて、一文無しで路頭に迷っていた岩清水を救ったのが松平だった。詐欺師仲間からの情報で、岩清水が詐欺に遭ったことを知った松平は、すぐさま彼の許に駆け付けた。その昔、松平の父が岩清水に世話になったことがあったので、その恩義に報いたいと思ったのだという。
 その後、岩清水は成り行き上、数件の詐欺に加担したが、十五年前に足を洗い、現在の寺院経営を助ける仕事に就いていた。 
「堀川の無縁仏移設の件で世話になっている礼じゃ。何かのときに連絡すると良い」
 岩清水は上の前歯が抜けた口を大きく開けて、ふひゃあ、ふひゃあ、ふひゃあ、と笑った。
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