慎吾、青春真っ只中

久遠

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天の配剤に感謝

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『キンコン~カンコン~』
 ついに、四限目の終了時間を知らせる鐘の音が鳴った。
 体育館は一年生棟横、敷地の端にあった。境界には椎の樹が十数本植えてあり、その廻りを雑草が鬱蒼と茂っていた。まさに悪事には都合の良い死角になっている。
 慎吾が到着したとき、井原はすでに待ち受けていた。しかも仲間というか、手下を五人引き連れていた。
――ろくに喧嘩もしたことのない僕に、ずいぶんと御大層なことだ。
 慎吾は心の中で皮肉を言った。
 このとき彼は、井原に何を聞かれても黙秘を通そうと覚悟を決めていた。一旦、女生徒を探しているなどと漏らしてしまえば、どのような噂となって校内に広がり、身の置き所が無くなるやもしれないからだ。
「お、逃げずに来るとは感心、感心」
 井原が薄ら笑いを浮かべて言う。
 ちっ、と慎吾は井原に気づかれないようにように舌打ちをした。自分を痛めつけるのがそれほど楽しいのか、と苦々しい思いに駆られる。
「おい、倉田」
 井原が手を差し出すと、倉田と呼ばれた男がポケットから千円札を取り出して手渡した。
 どうやら、慎吾がやって来るか逃げ出すか、賭けをしていたようだ。
「逃げ切れるわけもありませんから」
 慎吾は努めて冷静を装った。
 ほう、と井原が目を細めたのも一瞬だった。
 睨み付けるように、
「さて、お前、さっき俺のクラスの前で誰を探していたんだ」
 ともう一度訊いてきた。
「……」
 慎吾は何も答えなかった。
「お前、井原さんをなめているのか!」
 倉田が声を荒げた。賭けに負けて気が立っているのだ。
「……」
 だが、やはり慎吾は口を開かなかった。
「井原さん、二、三発ヤキを入れてやりましょう」
 倉田は慎吾に近づき、胸ぐらを掴んだ。倉田の拳が振り上がり、慎吾が顔を下げて目を瞑ったときだった。
「倉田。ちょっと、待て」
 井原の止める声が耳に届いた。
「その前に、そいつに聞きたいことがある」
 と、井原が一歩、二歩と近づいてきた。
「お前、名前はなんと言う? それぐらいは言えるだろう。名前も知らない奴をぶちのめしたんでは寝覚めが悪いからな」
 不良にしては殊勝な物言いだった。
「津森です」
 慎吾は初めて口を開いた。
「津森?」
 井原は訝し気な声を上げ、一瞬考えた後、
「下の名前は何と言う?」 
 と重ねて訊いてきた。 
「慎吾です。津森慎吾です」
「なに、津森慎吾だと!」
 井原が驚愕の声を上げた。
 慎吾は何事かと井原を見つめる。
「まさか、こんな形でお前と出会うとはなあ。お前ではないが、実を言うと俺はお前を探していたんだぞ」
「えっ」
 と今度は慎吾の目が大きく見開かれた。
――いったいどういうことだ?
 明らかに親しげな、あるいは旧知のような声に変わっていた。しかも、厳つい顔には不似合いな笑みまで浮かべているではないか。しかも、自分を探していたとまで言ったのだ。
 だが、慎吾は警戒を解かなかった。井原の言動の変化に安堵したものの、何かの誤解であれば糠喜びに終わる。
「井原さん、こいつを知っているんですか」
 倉田が玩具を取り上げられた子供のように不満げな顔をした。 
「ああ、名前だけはな。しかし倉田、不服なようだが、お前は命拾いをしたのだぞ」
「まさか……」
 倉田は木で鼻を括ったように言う。
「まさか、ではない」
 井原が咎めるように言った。
「もし、彼が俺の思っている男だったら、うっかり殴ったりした日にゃあ、後でどんな目に遭うかわかったもんじゃなかった。もちろん、お前だけじゃない。この俺もボコボコにされるところだった」
「はあ?」
 倉田は、何を言っているのだという顔で井原を見た。
「こいつ、いや、彼は何者なんです?」
 倉田は怪訝そうに訊いた。
 彼は中学時代の井原の武勇伝を知っていた。天下無双の彼が、ボコボコにされる絵図が想像できないのも無理はない。
 井原は倉田の問いに答える代わりに、再び慎吾に訊ねてきた。
「津森。お前、赤田勝次(あかだかつじ)さんとは従兄弟だろう?」
――赤田勝次?
 意外な名前だった。およそ湘北高校で耳にする名前ではなかった。
「はい。勝兄ちゃん、いや赤田勝次は僕の従兄弟ですが」
「やっぱり、そうか。いやあ、悪かったな。お前が赤田さんの従兄弟とは知らなかったもので、勘弁してくれ」
 井原は頭を掻きながら、さらに柔和な物言いをした。
――勝兄ちゃんと井原との間に、どういう関係があるというのだ?
 慎吾はますます訳がわからなくなる。
 赤田勝次というのは、慎吾の父の姉の次男、つまり慎吾の従兄弟に間違いなかった。慎吾より四歳年上の二十歳で、今は漁師をしていた。一人っ子の慎吾は、彼を『勝兄ちゃん』と呼んで、実の兄のように慕っていたのだった。

 ただ、彼には大きな問題があった。とてつもない不良だったのである。
 赤田勝次はとても体が大きく、中学生のときにはすでに身長が百八十センチを超えていた。
 性根は優しく悪い人間ではなかったが、とにかく短気で喧嘩っ早く、これまで一度も負けたことがないという無類の強さを誇っていた。
 それほど強いとなると、普通は喧嘩相手がいなくなるものなのだが、皮肉にも彼を打ちのめして名を上げようとする者が引っ切り無しに現れるという始末で、彼の周りから暴力沙汰が絶えるということはなかった。
 ために、彼は周囲から不良の烙印を押され、恐れられていたのである。
 彼の喧嘩の強さは、それこそ不良たちの中では伝説となっているほどだった。他に仲間が二人いて、この三人で地元の中学どころか、辺り一帯の中学の悪という悪を叩きのめしてしまった。中学生相手の喧嘩に飽きた三人は、とうとう高校生を相手に喧嘩をするようになったのだが、それでも負けを知らなかったから驚きである。
 しばしば警察沙汰にもなったりしたため、彼の両親は気苦労が絶えず、何かにつけ祖父の元にやって来ては相談していた。というのも、その勝次がこの世で唯一、頭が上がらず恐れていたのが慎吾の、そして自身の母方の祖父に当たる慎太郎だったからである。
 その頃の慎太郎は、還暦に近づいていたので、体の大きい勝次の方が腕力も上だったと思われ、実際に喧嘩をすれば勝次の方に分が有っただろう。だが本人に言わせると、慎太郎の体が大きく見え、睨まれると、その眼光の鋭さに身動きできなくなるほどの迫力を感じていたのだそうだ。
 さしずめ人間力の違いといったところなのだが、それもそのはずで、慎太郎は弱冠三十三歳で株式会社『日本海水産』を設立し、一網元から脱却して浜浦の漁師たちを纏め上げた傑物だったのである。
 そのような次第で、さすがの勝次も慎太郎の言うことだけは素直に聞いていた。中学校を卒業し、日本海水産で漁師をしているのも、慎太郎の計らいによるものだった。
 慎吾は、その皆が恐れていた勝次と馬が合うのか、とても可愛がってもらっていた。夏には泳ぎや素潜りを教わり、秋には栗やアケビ、山葡萄の穴場を教えて貰った。
 それだけでなく、しきりに慎吾の家へやって来ては、広い庭で野球をして遊んでくれたのである。勝次は、慎吾だけには生来の気の優しい一面だけを見せていたのだった。

 たしかに、赤田勝次と井原武行には不良という共通点はあったが、年齢が違がっている。年上を相手にしていた勝次が、三歳も年下の井原を喧嘩の相手にするとはとうてい考えられなかった。
 戸惑いの表情を浮かべている慎吾に向かって、井原が謎解きをした。 
「赤田さんと俺の兄貴とは親友なんだ」
――彼の兄貴? そういうことか……。
 一瞬、得心した慎吾だったが、すぐに思い直した。
――いや、でもおかしい。勝兄ちゃんは、地元の中学卒業後、すぐに漁師になっている。そんな勝次兄ちゃんが松江市在住の彼らとどうやって接点を持ったのだ?
「あのう。井原さんのお兄さんは、勝兄ちゃんとどうやって知り合ったのですか」
「そうか。お前は知らないのか」
 井原はその厳つい顔を仕舞い込むように言う。 
「実は、俺の兄貴は赤田さんと同い年なのだが、中学校のとき松江一の不良だった。一方、赤田さんは松江市周辺の中学の不良どもを次から次へと叩きのめして行っていた。当然、その噂は兄貴の耳にも入って来ていた。ある日、松江に遊びに来ていた赤田さんと兄貴がゲームセンターでばったり出くわした」
「はい」
「面識の無い二人だったが、お互いに一目で相手の器量を見抜いたのか、対マン勝負をしようということになった。それは、想像を絶する壮絶な喧嘩だったらしい。実力が伯仲していた二人の闘いは、なかなか決着が付かなかったんだ。俺の兄貴は、空手二段だったのだが、何度突きや蹴りを入れても、赤田さんはいっこうに倒れなったということだ」
「……」
 慎吾も倉田ら井原の手下も、聞き入るように井原の口元を注視した。
「最初は、一方的に兄貴が押していたのが、しだいに異常なほどの体力を持つ赤田さんに押されるようになった。とはいえ、それまで兄貴にずいぶんと殴られていたこともあって、さすがの赤田さんもダメージがあったらしく、兄貴に止めを刺すまではできなかった。結局、痛み分けになったということだ」
「ふう」
 誰からとなく溜息が漏れた。
「とにかく、兄貴は赤田さんの尋常ならざる体力と気力に感服し、赤田さんはこれほど自分を殴った奴は初めてだと驚いた。互いに死闘を演じた者のみに通ずる何かを感じたのだろう。決闘を契機に、二人は大の仲良しとなっというわけだ」
――なるほど、そういうことか。あの勝兄ちゃんなら、十分考えられる。
 そう思った慎吾だったが、すぐに新たな疑問が浮かんだ。
「でも、それと井原さんとはどういう関係があるのですか」
「二人は中学を卒業してからも、ずっと付き合いがあるんだ。当然、赤田さんは弟の俺が中学のとき総番を張っていたことも、湘北高校へ進学したことも兄貴から聞いて知っている。そこでた。お前が湘北高校への入学が決まったとき、俺にお前の力になってやってくれと兄貴に頼んだというわけだ」
 井原の話を聞き終えた慎吾は、得心と同時に胸が熱くなるのを感じていた。中学を卒業して漁師になってからは、お盆と正月ぐらいにしか会うこともなく、ろくに言葉すら交わさなくなった勝兄ちゃんが、今でもそれほどまでに想っていてくれた……。
 あっ、と慎吾の胸中に別の想いが過った。
――もしかして、あのときも……いや、きっとそうに違いない。
 慎吾は中学入学早々、坂崎遼平を助けた屋上での一件を思い出した。きっと上級生は、慎吾の背後に赤田勝次の姿を見ていたのだ。
「ま、そういうことだ」
 井原は慎吾の肩をポンと叩くと、顔を倉田に向けた。
「俺は、兄貴の強さには及ばない。となると、訳もなく津森を痛めつければ、俺もお前も赤田さんにボッコボコにされるということだ」
「はあ……」
 顔色無くした倉田が吐息した。 
「ところで、お前昼飯は食ったか」
「いえ。そのような気分では……」
「そりゃあ、そうだろうな。昼休みは、まだ十五分ほど残っている。早く食堂へ行けよ」
 井原は笑いながら言った。
「はい。そうします」
「それとな。今後、何かあったら遠慮なく俺に相談しろ」
「ありがとうございます。そうします」
 慎吾はそう言い残して、足早に立ち去った。

 教室に戻った慎吾は、興奮冷めやらないでいた。皆が恐れるあの井原武行と親しくなったのだ。それは、少なくともこの先二年間は、一切の暴力に怯えることは無いということなのだ。三年生になれば、自然に暴力沙汰とは無縁になる。つまり卒業まで慎吾の身の安全は保たれるのだ。
『災い転じて福と為す』とは、まさにこのことだった。
 慎吾の幸運はこれだけではなかった。
 五限目の休憩時間に、
「よお。津森」
 と教室の前方扉の向こうから慎吾を呼ぶ声がした。
 その野太い声に、慎吾が目を向けると、そこには手招きをする井原武行の姿があった。
 井原は、そばに近づいた慎吾の肩に手を掛けてこう言った。
「さっきは言い忘れたが、お前、誰かを探していたな」
「は、はい」
――やはり見逃してくれないのか……。
 と唇を噛んだ慎吾に意外な言葉が掛けられた。
「遠慮なく続けていいぞ。文句を言う奴がいたら、俺の許可を得ていると言ったら良い」
「本当ですか」
 ああ、と井原は肯く。
「誰を探しているか、訊かずにおいてやる」
「有難うございます」
 慎吾は喜色を隠さずに頭を下げた。断念した彼女探しを再開できるのだ。
 さらに、笑みを噛み殺して席に戻った慎吾におまけまで付いた。クラスメートの慎吾を見る目が明らかに違っていたのである。泣く子も黙ると恐れられている井原と親しげに会話を交わしていた光景を見て、慎吾にある種の畏敬の念の籠った目を向けていたのだ。
 入学当初、学級委員長に任命された慎吾に、クラスメートは一目置いていた。それは、少なくともこのクラスの中では、一番の成績で合格していたと思っていたからである。ところが授業を受けるにつれて、そうではないのかもしれないという疑問を抱き始めていた。
 発表された実力テストの上位二百名の中に、26Rからは五名が入っていたのだが、その中に慎吾の名が無かったことで疑念に拍車が掛かっていたのだ。
 井原の行動は、慎吾のクラス内での地位が揺らぎ始めていた、まさにその矢先だったのである。
 井原の助け舟によって、慎吾は違う一面で一目置かれる存在となった。特に男子生徒はその傾向が強かった。
「津森君、井原さんとは知り合いなのか」  
「半島出身の君が、どうして井原さんと親しいのだい」
 皆が不思議そうに訪ねてきたが、慎吾には答えようがなかった。当の慎吾自身が今もって狐につままれた気分なのだ。
「昔から、ちょっとした知り合いなんだ」
 慎吾は適当に誤魔化して、話を打ち切ろうとするが、
「君が井原さんと親しいなんてすごいなあ」
 などと、追従する者まで現れる始末である。
 慎吾は辟易したが、よくよく考えてみれば、それも無理のない話ではあった。彼らにとっても井原は恐ろしい存在なのである。彼らが、慎吾と親しくなっていれば、もしもの危難を避けられるかもしれない、と皮算用をしても責められるものではないだろう。
 さっそく、次の休憩時間から二年生棟での彼女探しを再開した慎吾に、驚きの展開が続いた。なんと井原が廊下の角に立っていて、目敏く慎吾を見つけると、肩に手を掛け、ご丁寧に廊下の端から端まで歩いてくれたのだ。
 この示威行為に、誰もが驚いた表情を見せ、慎吾の顔を注視した。下級生は当然のことだが、同級生にとっても井原は怖い存在だった。うっかり、慎吾に難癖を付けたりして、井原の気分を損ねたりするわけにはいかなかったのである。  
 井原の配慮もあって、二年生棟での彼女探しは順調に進んだが、さすがに彼女を見つけ出す幸運までは舞い込んで来なかった。

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