鈴蛍

久遠

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 美鈴が寝返りを打って訊く。
「洋君、何処にいたの」
「それは……」
 洋平は口籠ると、
「それより、鈴ちゃん」
 美鈴の方に身体ごと向け、低い声で言った。
 二人は布団に寝転がった状態で向き合っている。
 洋平はゆっくり顔を美鈴に近づけた。
 意図がわかった美鈴は静かに目を瞑る。
 洋平は唇を合わせると軽く吸った。
 美鈴が驚いた目で唇を離した。
「ご、ごめん」
「ううん……でもびっくりした」
 そう言ってはにかんだ仕種がまた愛らしい。
 そのとき美穂子が台所を出る気配がして、洋平は慌てて仰向けになった。
「本堂の中」
 洋平は、美穂子に聞こえないように言った。
「えっ、なに?」
 美鈴も囁くように問い掛ける。
「さっきの話の続き……」 
「ああ、そうか。本堂の中って、どうして?」
 洋平は、そのときのことをはっきりと記憶していた。
 洋平は、洋太郎にしばらく待っているようにと言われたが、洋太郎が戻って来るのが遅いので待ち切れなくなった。それほど時間は経っていなかったが、幼い洋平は耐えられなかったのだ。
 洋平は、洋太郎の後を追って石段を上がり始めた。生憎、数個の提灯しか灯っていなかったため、辺りは薄暗くて誰も洋平に気づかなかった。当の洋太郎もしかりだった。
 石段を登り切って本堂の前に辿り着いたが、洋太郎の姿は見当たらなかった。
 洋平は、きっと洋太郎は本堂の中に入ったのだと推量し、自分も中に入ることにした。
 ところが、本堂の中にも洋太郎は居なかった。
 洋平は焦った。心細くもなった。
 このまま本堂の中に居るべきか、それとも家に帰るべきか迷ってしまった。
 一刻も早く家に帰りたいところだが、洋太郎のここで待っていろという言い付けが洋平を拘束した。。
 家に帰って、もし洋太郎が帰宅していなければ、言い付けを破ったことになるのだ。
 というか、そもそもすでに本堂の中に入ってしまい、言い付けを破ってしまっている。洋平は、どうにか自分の方から洋太郎を見つけなければならないという強迫観念に駆られていたのである。
「送って下さった婆さんとはどうやって出会ったの?」
 美鈴がそう訊いたとき、美穂子が戻ってきた。
「あれあれ、まだその話なの」
 と呆れた声で言う。
「詳しく説明してたの」
 洋平は怒ったように言うと、話の続きをした。
「しばらくして、一旦読経に区切りがついたとき、横にござったお婆さんが、やっとおらに気づき、『あんたさんは、恵比寿の総領さんじゃないかいの?』と訊かさったので、おらが『あい』と返事をすると、『あれぇ、だんさんは、だいぶ前に帰られたぜぇ。そりゃあ、大切な総領さんが帰って来られんので、きっと、えりゃあ心配をしてござあよ。わしが送りますけん、一緒に帰えらい』と言われて、家に帰ることになっただ」
 洋太郎は、一度大日堂に戻ったが、まさか洋平が本堂の中にいようとは思いも寄らないことだった。
 何とも皮肉なことだが、このとき本堂の中だけが、唯一村の喧騒から隔離された世界だったのである。
「それから、どうなったの?」
 美鈴は眠気も忘れ、話の続きを知りたがった。
「帰る途中、おらの気持ちは暗かっただ。幼いおらにも、お祖父ちゃんの言いつけを破り、その場を離れたために家中の者が心配しちょうことはわかっていた。きっと、お祖父ちゃんに、がいに叱られるなあと思って、おらの足取りは重かっただ。
 鈴ちゃんも通っちょう、あの海岸通の角を曲がると、百メートル先にうちの門に、がいな人だかりがあって、慌ただしい気配が伝わってきただ。『ああ、やっぱり大事になっちょう』と、おらは泣きたくなっただ。おらの足取りはますます重くなって、まるで恐ろしいものに近づいて行くようにゆっくりとあるいただ。
 ちょうど半分ほどのところまで進んだときだった。
 向こうからお祖父ちゃんの声がしただ。『洋平か?』って。
『あい』とおらが返事をすると、『よかった。ああ、よかった。よかった』と何度もそう言わさりながら、お祖父ちゃんは走ってござっただ。そして、おらを抱き上げっさあと、おらの顔に自分の顔を擦り付け、何度も何度も、『よかった。よかった』と繰り返してござった。そうやって、お祖父ちゃんが顔を擦り付けっさあ度に、おらの顔には冷たいものが当っただ。
 そいが、お祖父ちゃんの涙だとわかると、おらも涙が出てきただ。おらはお祖父ちゃんが泣いてごさるのと、叱られんかったんで、ほっとして泣いただ。そげしちょううちに、お祖母ちゃんやお母ちゃん、お姉ちゃんもやってござっただ。お祖母ちゃんとお母ちゃんは、送ってくれたお婆さんから事情を聞かさって、何度もお礼の頭を下げてござった」
「洋平、わいは知っちょうか? お祖父ちゃんは、『わしが目を離したから、こげんことになった。わしが洋平を抱いて石段を上がりゃあよかった』と自分を責めてござった。わいの身にもしものことがあったら、お祖父ちゃんも自らの命を絶つ覚悟でござったと思うよ。いつもは、威厳のあるお祖父ちゃんが、あんなにうろたえ、狼狽してござったのを見たのは、後にも先にもあのときだけだが」
 美穂子がしんみりとした口調で言った。
 洋平は、美穂子の言葉で洋太郎のそのときの覚悟の程を初めて知った。姉の言葉が真実かどうか確かめる気はないが、たしかに洋平も、洋太郎の涙を見たのはあのときだけだった。そして祖父の性分を考えれば、自らの命を絶つまではしなくとも、出家して仏門に帰依し、残りの生涯を自分の魂を弔うためだけに生きることはしかねないと思った。
「洋君は、本当に家族から愛されているのね」
 美鈴は、握った洋平の手に力を込めた。
 彼女の言葉を潮に会話がなくなった。
 ただ庭で鳴く鈴虫と風に触れて鳴る風鈴の音が、寂寞たる深夜に物悲しく響き渡っていた。その均整の取れたリズムは、しだいに身体の波長と調和してゆき、いつしか洋平は心地よい眠りに入ったのだった。
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