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洋平は美鈴の身体を強く抱きしめた。充分に弾力のある二つの乳房が、彼の胸で潰れるほどに強く、細い身体が壊れてしまいそうになるほどに、強く彼女を抱きしめた。
「おらが、一緒にいるけん。ずっと、ずっと一緒にいるけん……」
洋平は、美鈴の耳元でうわ言のように何度も何度も呟いた。それは、彼女に向けてというだけでなく、彼自身に言い聞かせた魂の叫びでもあった。洋平の真心を聞いた美鈴の、彼の背中に回していた両手に力が込められた。
洋平の胸は、激しい鼓動を打ち続けていた。だがそれは、先ほどの興奮の熱によるものではなく、ひたひたと忍び寄る、得体の知れない黒い影によるものに変わっていた。
洋平は、こうして美鈴をしっかりと抱きしめていても、いとも簡単にこの腕をすり抜け、自分の手の届かないところに行ってしまいそうな不安に駆られていたのだった。
洋平は、その不安を打ち消すことができるまで、美鈴の身体を抱きしめていたかった。だが、無常にも『わあっー』という母屋から聞こえた歓声が、この濃密な空間を切り裂いてしまった。
洋平は、おもむろに美鈴の身体を離し、頬を隠している濡れた髪を掻き分け、両手でそれを包み込むようにしてもう一度言った。
「これからはおらがずっと一緒にいるけん。心配はいらん」
このとき洋平は、子供心ではあるが、真剣に生涯を掛けて美鈴を護って行こうと心に誓っていた。
「……」
美鈴は無言のまま軽く肯くと、左手で拳を作り、手の甲を洋平の眼前に向けた。 洋平は、作った拳を彼女の腕と絡めるようにして、彼女を引き寄せた。
二人はもう一度唇を重ねた。そうすることで、妖しくも、言いようのないやるせなさを帯びていた時間に、終止符を打つことにしたのである。
美鈴は再び着替え始めた。洋平は、振り返って彼女の姿を視界から外し、前もって用意していた品をかばんの中から取り出した。彼は、この冒険が終わったとき、美鈴に渡す品を用意していた。
「鈴ちゃん、これ」
洋平は、着替え終わった美鈴に差し出した。
「ロケットペンダントね。うれしい。この中に洋君の写真を入れようっと」
「おらのには、もう鈴ちゃんの写真が入っちょうよ」
洋平は、ペンダントを開いて中の写真を見せた。
「やだ。これって、もしかして私が眠っていたときの写真じゃないの?」
美鈴は、懐中電灯を当てて写真を確認すると、照れながら言った。彼女の顔に、ようやく笑みが戻っていた。だが、その笑みは洋平の不安を一掃するまでには至らなかった。
洋平は、ペンダントを美鈴の首に掛けた。
すると、
「じゃあ。お返しに、これを受け取って」
と、彼女は桜貝のペンダントを首から外し、洋平に差し出した。
「ええの? 大切なものなんじゃないだか?」
「うん。一年生の夏休みに、家族で沖縄に旅行したとき、浜でこれを見つけて、ペンダントにしてもらったの。でも、洋君に貰って欲しいの」
「だんだん、大切にするけん」
洋平は、ペンダントを受け取り、自分の首に掛けた。
二人が家に戻ったとき、時計の針は二十一時半を指しており、花火大会が終わった時刻をとうに過ぎていた。洋平は、母の咎めを覚悟していたが、里恵は二人を見つけると、意外にも優しい笑みを浮かべ、たった一言「楽しかったかい?」と訊ねただけであった。
母の詰問に備え、心に鎧を着ていた洋平は、その意表を衝いた里恵の言葉に、告白しようとした出鼻を挫かれてしまい、真実を言いそびれたままになってしまったのだった。
やがて、大工屋からの迎えで、美鈴は帰って行った。
洋平は、もう一度行水をして汗と雨を流し、精霊舟流しの時間まで、自室で仮眠を取ることにした。
「洋平、起きてるかい?」
扉の外で母の声がした。眠れずにいた洋平が時計を見ると、まだ二十三時を過ぎたばかりで、精霊舟流しの時刻までには間があった。
「お母ちゃん、まだ早いよ」
「喜一郎さんが呼んでおいでだよ」
「大敷屋のお爺さんが、なんで?」
「なんでか知らんけど、うちのお祖父さんも呼んでだから、とにかく一緒に行くよ」
祖父から来いと言われれば、否応なかった。
洋平は、浴衣から船に乗り込むときの衣服に着替え、里恵に連れられて大敷屋へ行った。大敷屋は、恵比寿から北東の方角で、海岸通りに面したところにあった。 ちょうど、道を挟んで盆踊りの櫓が立っていた。
すでに雨は上がっており、二十三時頃といえば、盆踊りが最も盛り上がる時間帯だった。洋平と里恵は、踊りの輪を右手に見ながら、行き交う人ごみの中を歩いて行った。
「おらが、一緒にいるけん。ずっと、ずっと一緒にいるけん……」
洋平は、美鈴の耳元でうわ言のように何度も何度も呟いた。それは、彼女に向けてというだけでなく、彼自身に言い聞かせた魂の叫びでもあった。洋平の真心を聞いた美鈴の、彼の背中に回していた両手に力が込められた。
洋平の胸は、激しい鼓動を打ち続けていた。だがそれは、先ほどの興奮の熱によるものではなく、ひたひたと忍び寄る、得体の知れない黒い影によるものに変わっていた。
洋平は、こうして美鈴をしっかりと抱きしめていても、いとも簡単にこの腕をすり抜け、自分の手の届かないところに行ってしまいそうな不安に駆られていたのだった。
洋平は、その不安を打ち消すことができるまで、美鈴の身体を抱きしめていたかった。だが、無常にも『わあっー』という母屋から聞こえた歓声が、この濃密な空間を切り裂いてしまった。
洋平は、おもむろに美鈴の身体を離し、頬を隠している濡れた髪を掻き分け、両手でそれを包み込むようにしてもう一度言った。
「これからはおらがずっと一緒にいるけん。心配はいらん」
このとき洋平は、子供心ではあるが、真剣に生涯を掛けて美鈴を護って行こうと心に誓っていた。
「……」
美鈴は無言のまま軽く肯くと、左手で拳を作り、手の甲を洋平の眼前に向けた。 洋平は、作った拳を彼女の腕と絡めるようにして、彼女を引き寄せた。
二人はもう一度唇を重ねた。そうすることで、妖しくも、言いようのないやるせなさを帯びていた時間に、終止符を打つことにしたのである。
美鈴は再び着替え始めた。洋平は、振り返って彼女の姿を視界から外し、前もって用意していた品をかばんの中から取り出した。彼は、この冒険が終わったとき、美鈴に渡す品を用意していた。
「鈴ちゃん、これ」
洋平は、着替え終わった美鈴に差し出した。
「ロケットペンダントね。うれしい。この中に洋君の写真を入れようっと」
「おらのには、もう鈴ちゃんの写真が入っちょうよ」
洋平は、ペンダントを開いて中の写真を見せた。
「やだ。これって、もしかして私が眠っていたときの写真じゃないの?」
美鈴は、懐中電灯を当てて写真を確認すると、照れながら言った。彼女の顔に、ようやく笑みが戻っていた。だが、その笑みは洋平の不安を一掃するまでには至らなかった。
洋平は、ペンダントを美鈴の首に掛けた。
すると、
「じゃあ。お返しに、これを受け取って」
と、彼女は桜貝のペンダントを首から外し、洋平に差し出した。
「ええの? 大切なものなんじゃないだか?」
「うん。一年生の夏休みに、家族で沖縄に旅行したとき、浜でこれを見つけて、ペンダントにしてもらったの。でも、洋君に貰って欲しいの」
「だんだん、大切にするけん」
洋平は、ペンダントを受け取り、自分の首に掛けた。
二人が家に戻ったとき、時計の針は二十一時半を指しており、花火大会が終わった時刻をとうに過ぎていた。洋平は、母の咎めを覚悟していたが、里恵は二人を見つけると、意外にも優しい笑みを浮かべ、たった一言「楽しかったかい?」と訊ねただけであった。
母の詰問に備え、心に鎧を着ていた洋平は、その意表を衝いた里恵の言葉に、告白しようとした出鼻を挫かれてしまい、真実を言いそびれたままになってしまったのだった。
やがて、大工屋からの迎えで、美鈴は帰って行った。
洋平は、もう一度行水をして汗と雨を流し、精霊舟流しの時間まで、自室で仮眠を取ることにした。
「洋平、起きてるかい?」
扉の外で母の声がした。眠れずにいた洋平が時計を見ると、まだ二十三時を過ぎたばかりで、精霊舟流しの時刻までには間があった。
「お母ちゃん、まだ早いよ」
「喜一郎さんが呼んでおいでだよ」
「大敷屋のお爺さんが、なんで?」
「なんでか知らんけど、うちのお祖父さんも呼んでだから、とにかく一緒に行くよ」
祖父から来いと言われれば、否応なかった。
洋平は、浴衣から船に乗り込むときの衣服に着替え、里恵に連れられて大敷屋へ行った。大敷屋は、恵比寿から北東の方角で、海岸通りに面したところにあった。 ちょうど、道を挟んで盆踊りの櫓が立っていた。
すでに雨は上がっており、二十三時頃といえば、盆踊りが最も盛り上がる時間帯だった。洋平と里恵は、踊りの輪を右手に見ながら、行き交う人ごみの中を歩いて行った。
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