鈴蛍

久遠

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 五分ほどで、大敷屋に着いた。大敷屋という屋号は、漁法の一種である大敷網に由来している。大敷屋もかつては網元だった。
 初盆だけに大勢の人が集まっていた。
「おっ、総領さん。良く来て下さった。まあ、こっちへ来て座ってごしない」
 大敷屋の当主・喜一郎に言われるまま進んだ席に、祖父と父が居た。洋平は洋太郎の横に座った。
「この子が、いま話をしていた恵比寿家の総領、洋平君だ」
 喜一郎が、一同に声を掛けた。 
 どうやら、自分の噂話になり、どうせ精霊舟流しに来るのなら、早めに呼んで紹介しようということか、と洋平は推測した。考えてみると、洋平は大敷屋の家族は良く知っていたが、親戚となると、村に住んでいる者でも、ほとんど口を利いたことがなく、まして村の外に出ている者などは面識すらなかった。
「皆、見とけよ。だんさんの人徳と、若だんさんの頭の両方もっておられえけん、大した者になりなさあが」
 喜一郎の言葉に、
「将来は何に成りなさる?」
「議員になりなさるか?」
「恵比寿水産はどうなさる?」
 と、誰彼となく訊ねてきた。 
「いや、親父はどげ考えてござるか知らんけんど、わしは、洋平は自由にしたらええと思っちょうけん。これから先、いつまでも今のような豊漁が続くとは思っちょらんけん。洋平の代になったら、陸(おか)の時代になると思うだが。恵比寿は、有能な誰かが継いだらええと思っちょうけん。それこそ、大敷屋さんの跡継ぎに継いでもらってもおかしくないだが」
父の洋一郎が代わって答えた。彼は、恵比寿家の長男という立場に縛られ、自身の夢を断念したことを、いまでも苦い思い出として記憶に残していた。そのため、少なくとも洋平には、恵比寿の事業からは開放し、自由な道を歩ませたいと思っていたのだった。
 喜一郎は、洋太郎の一つ下ではあるが、二人は幼馴染で、洋太郎が恵比寿水産を立ち上げたときからの片腕であった。今も専務の要職に就いており、形ばかりとはいえ、洋太郎が若くして会社を父に譲ったのは、この喜一郎が健在だったからと言えた。
 喜一郎の長男、つまり律子の父もまた、洋一郎を助ける立場にある人だった。言わば、大敷屋は二代続いての大番頭格の家柄だったので、洋平が後を継がないのであれば、美穂子の婿次第では、より後継者の資格がある家門と言えた。
「おらは、まだ何になるか決めていないけんど、政治家になんかなりませんけん。所詮、国会議員といったって、わざわざ向こうから、お祖父ちゃんに頭を下げに来るじゃないですか。おあらは何になるにしたって、お祖父ちゃんのような人間に成りたいけん」
 父に続いて、洋平はきっぱりと言い放った。
 これは彼の本音だった。政治家であれ、銀行の頭取であれ、あるいは警察署長、校長、郵便局長、住職であれ、世間で言うところの社会的地位のある立派な面々が、恵比寿家にやって来ては、祖父に頼み事をして頭を下げている様を、幼少の頃より見続けてきた洋平の、実に率直な思いだったのである。
 零時近くになって、永楽寺の住職の来訪があり、つれて大工屋の婆さんに伴われて美鈴もやって来た。
 ところが、誰かに声を掛けられて目を外した隙に、洋平は美鈴の姿を見失った。洋平はあわてて彼女を探そうとしたが、なにしろここは大敷屋である。恵比寿の屋敷のように勝手な行動は制限された。それでもトイレに立つふりをして、できる限り彼女の姿を探したが、見つけ出すことはできなかった。
――鈴ちゃんはどこに行ったのだろう。律子とは顔を合わせたのだろうか……? そうだとすれは、どのような雲行きなのだろうか。おとなしい律子のことだから、滅多なことはしないだろうが……。
 そのとき二人が律子の部屋で対峙していたことなど、洋平は知る由もなかった。

 深夜一時前になり、精霊舟流しが始まった。
 元来、美保浦の精霊舟流しは、初盆の家々で臨時に作られた仏壇に供えられていた果物や野菜などを布に包んで流していたのが始まりだった。
 明治の終わり頃、永楽寺の三代前の住職の初盆のとき、手に持てるくらいの小型の舟を作り、海に流したことを契機に、各家々でも真似をするようになった。しかも、当初は小戸まで歩いて行き、そこから海に流していたのだが、いつ頃からか、船を出して沖まで出るようになり、つれて精霊船自体も大型化していった。
 精霊舟は、故人と近しかった数人の者が担いで運び、残りの者は後ろを付いて行った。洋平の耳には、住職の読経だけが響いていた。
 精霊舟流しから帰ると、時計の針は二時半を回っていた。洋平は、ベッドに横になったものの、とても眠れる状態ではなかった。納屋での興奮がいまだ冷めやらず、美鈴との二十日間の思い出が、次から次へと浮かんできては頭の中を駆け巡り、休ませることを許さなかった。
 洋平が眠りについたのは、はっきりと日の明るさが差し込むようになってからだった。

 洋平はわずかなまどろみの後、いつもと変らず、六時過ぎに起きて恵比寿神社へ行った。ラジオ体操を終えた彼は、見送りの時間まで、再び横になった。気が滅入らない分だけ、寝ている方がましだったのである。
 二時間ほど経った頃、母に起こされて、少し早めに大工屋に行くと、美鈴はすでに帰り支度を終えていた。
「総領さん、だんだん、だんだん」
 大工屋の人々が口々に言い、
「洋平君、本当に有り難うね」
 と、美鈴の両親が洋平の手を取って頭を下げた。
「冬休みになったら、すぐに戻って来るから。そしたらクリスマスもお正月も一緒にやろうね」
 洋平には、美鈴が努めて明るく言ったように見えた。
「うん、待っちょうけん。雪が積っちょったらスキーやソリもできるけん」
 洋平も、これから先にある楽しいことだけを考えるようにしていた。
 バスの時刻になり、表に出た。
 バス停は大工屋のすぐ前にあった。洋平は、美鈴に掛ける最後の言葉を捜していたが、何も思い浮かばず、そっと手を握り締めただけだった。洋平が少し力を込めると、美鈴は強く握り返してきた。それに応えて、洋平も手に力を込めた。お互いの気持ちを確かめ合うには、それだけで充分だった。
 やがて、西の方からバスが姿を現し、ゆっくりと近づいて来た。洋平はこんな寂しい気持ちでバスを待ったことはなかった。バスを待つのは、祖父と街へ出掛けるときで、いつもわくわくして待っていた記憶しかなかったのだ。
 バスは揺るぎない速さで迫って来て、とうとう眼前に止まってしまった。最後のお別れの挨拶を済ませ、美鈴たちは乗り込んで行き、発進のクラクションが鳴った。
 美鈴はバスの一番後ろの差席に座り、こちらに向いて手を振っていた。バスは海岸に向かって、しだいにその速度を速めていった。洋平は離されまいとして、バスを追って走りながら手を振った。
 美鈴は、拳を作り洋平に向けていたが、彼にはわからなかった。目に涙が溜まっていて、彼女がぼやけてしまっていたからだ。美鈴は何かわめいているようにも見えたが、むろんその言葉は聞き取れるはずもなかった。
 無常にも、バスは海岸通りに入るための角を曲がり、ついに美鈴の姿は消えた。
 洋平は、両手で涙を拭いながら、とぼとぼと海岸通りを歩いた。
 遠く視線の先で、盆踊りに立てられた櫓の解体作業が、昨日までの賑やかな祭りの終わりを告げていた。ただでさえ切ない情景が、美鈴と別れたばかりの洋平には、一層寂寞な印象となって沁みこんでいた。
 洋平は、再び溢れそうになる涙を堪えて、顔を上げ、潮風の匂いを嗅いだ。
 お盆を過ぎると、空には鰯雲がその高いところに薄く棚引き、かすかではあるが、しかし確実に空気の色も変わったとわかる。それは季節の変わり目を如実に物語っていた。
 心の中を海風がすーっと吹き抜けていった。華やかだった去り行く季節に、寂寥感を抱かずにはいられない洋平だった。

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