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第1章
5. 筆先の策士
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初めての呼び出しから数日後、紫燕は再び外廷を訪れていた。目の前には相変わらず、腹が立つほどに整った顔が控えている。
「これで、いかがでしょう」
紫燕がずいと差し出したのは、一通の文だった。その文面に視線を落とし、文瑜の表情が僅かに変わる。
「梅妃様が詠閔様に返したお手紙です」
「待て。詠閔は現在、内侍省の監視下にあるはずだ。文を送るなどできるはずが――」
そこまで言いかけて、文瑜は答えに思い当たったようだった。
「君が書いたのか」
「『詠閔様』と、宛名が書かれているでしょう。蘭妃様の文に書かれたものを比較してみれば、誰が犯人なのか分かるはずです」
梅妃にこの三文字を書かせるためには、詠閔に宛てて手紙を書かせるのが一番自然だというのが紫燕の導き出した結論だった。紫燕の手元には、幸いなことにかつて詠閔が鈴花に送った文がある。一通分の見本があれば、筆跡を真似るには十分だ。
「それに、梅妃様が詠閔様を不貞の相手に仕立てあげたのには訳があるはずだと思っておりました」
偽造された文によって罪を被せられるのは蘭妃だけではない。梅妃には詠閔を陥れるだけの理由があったはずだ。
「詠閔様は確かに後宮では恋文の依頼の絶えない噂のお人ですが、一方で梅妃様が排除したいと思われるほどの権力を握っているわけではありません。つまり、詠閔様の場合、問題は権力闘争ではなく――」
「痴情のもつれということか」
ややうんざりとした調子で文瑜が口にした。
わざわざ一宮女に過ぎない鈴花の恋文にまで断りの文を送るような生真面目な人物だ。梅妃に秋波を送られたとして、詠閔は丁重に断ったのだろう。そして、そのことが四花妃の自尊心をいたく傷つけたであろうことは想像に難くはない。
「そう考えて、梅妃様に宛てた手紙にはこう書いて送ったんです。審議にかけられた際に自分を擁護してもらえるなら、貴女の望みにも答えましょう。私とて、皇帝陛下への忠節の代償に貴女に罪を被せられては割に合いません、と」
まるで物語を読み上げるようにして台詞を諳んじ、紫燕は文中の一節を指さす。
「告白したも同然でしょう」
そこに書かれたのは、お渡りの無い陛下のことなど案じる必要はない、もしも明日の夜に自分の暮らす金梅宮を訪れてくれるのならば、蘭妃が詠閔に送った手紙は一方的なものであると援護しよう、という内容だった。
蘭妃の文に書き足されたものに一致する筆跡と、梅妃が此度の不貞疑惑を仕組んだことを示唆する言葉。この二つの証拠があれば、梅妃を訴求することはできるはずだ。
「梅妃から詠閔に送られた文を、よく手に入れられたな」
感心したように呟いた文瑜の言葉に、紫燕はぎくりとする。これも、彼女が後宮内で築き上げた流通網のおかげだ。梅妃から文を預かった年若い侍女から始まり、詠閔が拘束されている内侍省にまで届けられる過程には、紫燕と関わりのある人物が何人も存在する。その中から最終的に梅妃を裏切って文を紫燕に横流しした人物が出たのは、梅妃がそれだけ反感を買っていたということでもあるのだが。
後宮で暗躍していることがこれ以上文瑜にばれたら、面倒臭いことになるに決まっている。そう判断し、紫燕は余所余所しく拱手して答えた。
「これで蘭妃様の疑いも晴れるかと。それでは、私は失礼いたします」
そうして、文瑜が再び口を開くよりも早く、紫燕は逃げるようにして御史台を飛び出したのだ。
頼まれていた仕事は終えたのだから、これで文瑜が紫燕に関わってくることはないだろう。
(これからは文瑜宛の代筆は断るようにしよう)
依頼の割合を考えれば痛手ではあるのだが、背に腹は代えられない。これ以上あの男に関われば、商売自体が立ち行かなくなる可能性があるのだから。
ともかくは御史大夫様のしつこい追求の手からは逃れられたようだと枕を高くして良く眠る日々が続いたある日、儚い平穏は突如として破られた。
「紫燕、起きてよ!」
薄い布団の上から紫燕を揺さぶる鈴花の声と、何やら騒々しい木香殿の外の様子。房室の中に差し込んで来たばかりの朝陽に目を細め、紫燕はのそりと寝台から立ち上がる。寝ぼけた頭を抱えて外に向かい、そしてそのまま絶句した。
「紫燕様」
自分の目前で跪き、腕を組んだ宦官たちの姿。その背後に見える、妙に美しく飾り立てられた輿。興奮したようにこちらを見つめる鈴花の眼差し。
紫燕は自分の顔が引き攣るのを自覚していた。
そんな彼女の内心の抵抗も空しく、一番手前に跪いていた宦官が仰々しく口を開いた。
「蘭妃様がお呼びです。蘭水宮へお越し願えますでしょうか」
「これで、いかがでしょう」
紫燕がずいと差し出したのは、一通の文だった。その文面に視線を落とし、文瑜の表情が僅かに変わる。
「梅妃様が詠閔様に返したお手紙です」
「待て。詠閔は現在、内侍省の監視下にあるはずだ。文を送るなどできるはずが――」
そこまで言いかけて、文瑜は答えに思い当たったようだった。
「君が書いたのか」
「『詠閔様』と、宛名が書かれているでしょう。蘭妃様の文に書かれたものを比較してみれば、誰が犯人なのか分かるはずです」
梅妃にこの三文字を書かせるためには、詠閔に宛てて手紙を書かせるのが一番自然だというのが紫燕の導き出した結論だった。紫燕の手元には、幸いなことにかつて詠閔が鈴花に送った文がある。一通分の見本があれば、筆跡を真似るには十分だ。
「それに、梅妃様が詠閔様を不貞の相手に仕立てあげたのには訳があるはずだと思っておりました」
偽造された文によって罪を被せられるのは蘭妃だけではない。梅妃には詠閔を陥れるだけの理由があったはずだ。
「詠閔様は確かに後宮では恋文の依頼の絶えない噂のお人ですが、一方で梅妃様が排除したいと思われるほどの権力を握っているわけではありません。つまり、詠閔様の場合、問題は権力闘争ではなく――」
「痴情のもつれということか」
ややうんざりとした調子で文瑜が口にした。
わざわざ一宮女に過ぎない鈴花の恋文にまで断りの文を送るような生真面目な人物だ。梅妃に秋波を送られたとして、詠閔は丁重に断ったのだろう。そして、そのことが四花妃の自尊心をいたく傷つけたであろうことは想像に難くはない。
「そう考えて、梅妃様に宛てた手紙にはこう書いて送ったんです。審議にかけられた際に自分を擁護してもらえるなら、貴女の望みにも答えましょう。私とて、皇帝陛下への忠節の代償に貴女に罪を被せられては割に合いません、と」
まるで物語を読み上げるようにして台詞を諳んじ、紫燕は文中の一節を指さす。
「告白したも同然でしょう」
そこに書かれたのは、お渡りの無い陛下のことなど案じる必要はない、もしも明日の夜に自分の暮らす金梅宮を訪れてくれるのならば、蘭妃が詠閔に送った手紙は一方的なものであると援護しよう、という内容だった。
蘭妃の文に書き足されたものに一致する筆跡と、梅妃が此度の不貞疑惑を仕組んだことを示唆する言葉。この二つの証拠があれば、梅妃を訴求することはできるはずだ。
「梅妃から詠閔に送られた文を、よく手に入れられたな」
感心したように呟いた文瑜の言葉に、紫燕はぎくりとする。これも、彼女が後宮内で築き上げた流通網のおかげだ。梅妃から文を預かった年若い侍女から始まり、詠閔が拘束されている内侍省にまで届けられる過程には、紫燕と関わりのある人物が何人も存在する。その中から最終的に梅妃を裏切って文を紫燕に横流しした人物が出たのは、梅妃がそれだけ反感を買っていたということでもあるのだが。
後宮で暗躍していることがこれ以上文瑜にばれたら、面倒臭いことになるに決まっている。そう判断し、紫燕は余所余所しく拱手して答えた。
「これで蘭妃様の疑いも晴れるかと。それでは、私は失礼いたします」
そうして、文瑜が再び口を開くよりも早く、紫燕は逃げるようにして御史台を飛び出したのだ。
頼まれていた仕事は終えたのだから、これで文瑜が紫燕に関わってくることはないだろう。
(これからは文瑜宛の代筆は断るようにしよう)
依頼の割合を考えれば痛手ではあるのだが、背に腹は代えられない。これ以上あの男に関われば、商売自体が立ち行かなくなる可能性があるのだから。
ともかくは御史大夫様のしつこい追求の手からは逃れられたようだと枕を高くして良く眠る日々が続いたある日、儚い平穏は突如として破られた。
「紫燕、起きてよ!」
薄い布団の上から紫燕を揺さぶる鈴花の声と、何やら騒々しい木香殿の外の様子。房室の中に差し込んで来たばかりの朝陽に目を細め、紫燕はのそりと寝台から立ち上がる。寝ぼけた頭を抱えて外に向かい、そしてそのまま絶句した。
「紫燕様」
自分の目前で跪き、腕を組んだ宦官たちの姿。その背後に見える、妙に美しく飾り立てられた輿。興奮したようにこちらを見つめる鈴花の眼差し。
紫燕は自分の顔が引き攣るのを自覚していた。
そんな彼女の内心の抵抗も空しく、一番手前に跪いていた宦官が仰々しく口を開いた。
「蘭妃様がお呼びです。蘭水宮へお越し願えますでしょうか」
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