中学生捜査

杉下右京

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第10話 死んでも気づかれない人間

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「何があったんだろうな。このホームレスに。」
そう言って亡骸に合掌をしたのは愛知県警捜査一課の北野という刑事だった。
「ご丁寧に遺書が残されてますよ。自殺で間違いないっすね。」
そう言ったのは同じ刑事で北野の後輩の沢村という若い男だった。
遺書には「私は死んでも気づかれない人間です。もう耐え切れません。よって死にます。」と書かれてあった。
「誰かに見捨てられての自殺ってところか。」
北野はそう言って遺体を見ている小太りの男に声をかけた。
「おい。沼田。死因は?」
「言うまでもありません。見ての通り、首吊りです。死後一週間ほど経過していると思われます。死後1年近く経過しておりますな。」
そう答えたのは愛知県警鑑識課の沼田という男だった。遺体は首を吊ったままで腐敗が進んでおり、強烈なにおいを放っていた。
「自殺なら俺らの出る幕はねえな。」
北野はそう言って沢村を連れて出て行った。

「廃ホテルで腐敗遺体発見ですか。」
新聞を広げながらそう言ったのはこれまで数々の難事件を解決してきた中学生、久野隆だ。
「首吊り遺体で見つかったんですってね。そのうえ腐敗しているとなると見るに堪えないでしょうね。」
そう言ったのは隆と行動を共にしている加納マリアだった。
「ええ、首吊りというものは非常に醜く、汚いものなんですよ。」
「それ、どっかで聞いたことがあります。」
マリアはそう反応した。
「首を吊って長時間放置されると腐敗が進みます。そうなると匂いが発生します。遺体特有の匂いだといいますねぇ。糞尿は垂れ流され続け、体液が遺体から垂れ始めます。さらに腐敗が進むと首と体が離れて体だけが地面に落ちて首だけが縄で吊るされた状態にまでなります。」
隆は平然とそう語ったが、生々しく想像してしまうマリアは気持ちが悪くなってきた。
「ひどいですね。首吊りって。」
「ええ、自殺する側は綺麗な死を選んだつもりかもしれませんが実際は醜いものなんですよ。」
隆は続けた。
「行ってみますか。」
「どこに?」
「廃ホテルですよ。」

遺体の見つかった廃ホテルは名古屋市は守山区にあった。守山区の志段味あたりは開発が進み人口が増えてきているが、山も多い。そんな山奥にたたずむ廃ホテルだった。
行く途中に隆は電話をかけていた。話の内容から勘案するに沼田だろう。隆と沼田は日頃から仲が良いようだ。毎回隆は沼田に捜査情報を教えてもらっている。隆は電話を切ると
「沼田さんからです。」
と言った。
「そんなことは分かってますよ。何かわかったんですか?」
「亡くなった人は遺書を残していましたねぇ。」
マリアは新聞の文面を思い出した。
「ええ。」
「その遺書には私は死んでも気づかれない人間です。もう耐え切れません。よって死にます。と漢字で書かれていたそうです。」
隆は漢字という言葉を強調して言った。
「それが何か?」
「ホームレス生活において字を書くということはあまりありませんからねぇ。かなり長くそのような生活をしていると漢字が書けなくなっていしまっていることもあるのではないでしょうか。」
「何が言いたいのですか?」
「亡くなったホームレスはこの生活を始めてそこまで時間がたっていないか字を書く習慣があった可能性があるということですよ。」
マリアは頷いた。隆は続ける。
「ああ、あと、もう1つ可能性がありますねぇ。」
隆は少し間を置くと
「遺書は別の人物が書いたのではないかという可能性です。ホームレスの自殺で遺書を残すなんて言う人はあまりいないようですから。」
「なるほど。」
マリアはそう言った。

廃ホテルへはゆとりーとラインで行った。大曽根駅まで歩いたら後はバスに揺られているとホテルに近い所に着いた。
廃ホテルはかなり朽ち果てていた。窓ガラスは割れ。剥がれかけた看板からはホテル秋月という文字がかろうじて読み取ることができた。秋月という人が経営していたのだろうか、なんてことをマリアは考えていた。
「これが遺体の見つかった廃ホテルですか。」
ホテルを見ながらマリアは言った。
「ええ。しかし、随分臭いますねぇ。」
隆が言った通り、ホテルの中からはカビ臭い匂いが漂ってきている。
「廃墟マニアの間では廃墟臭と言っているそうですよ。」
隆はそんな豆知識を口にした。ホテルの中に入ると更に強烈な廃墟臭が立ち込め始めた。
「かなり臭いますね。」
マリアは鼻と口を手で押さえながらそう言った。
「そうですねぇ。」
隆はいつも通り仕立ての良いスーツにチェスターコートを羽織った隙のない顔でそう言った。
「それにしてもここまで匂いが強いのに自殺したと考えられるホームレスはよく暮らせましたねぇ。」
「確かに。いくらホームレスでもこの匂いには耐えられませんよね。」
マリアは納得しているようにそう言った。
「ここが遺体が発見された客室ですね。」
隆はそう言って客室の中に入った。客室は至ってシンプルというのが隆とマリアの感想だった。こういうホテルにありがちな風呂とトイレが同じ部屋にあるという造りで、シングルベッドが置いてあった。
さすがの隆もこの客室には長くいられなかった、先ほどに増して匂いが強烈だったからである。
早々に部屋から出て行った隆とマリアはホームレスの死について不審感を強めた。本当に自殺だったのか、仮に自殺だったとしても誰かが遺体を運んだのだろうと隆は推理した。

ちょうどその頃死んだホームレスの身元が判明した。遺体は杉下昌幸という人物だった。山田の家に戻ってからその事実を沼田から聞いた隆は沼田との電話を切ると
「これは驚きましたねぇ。まさか杉下運送の社長が死体となって発見されるとは。」
と言った。
「杉下運送って大手運送メーカーですよね。よくコマーシャルでやってますよ。」
「ええ、その、杉下運送です。確か死んだ杉下は1年ほど前に失踪していましたねぇ。会社から警察に捜索願が提出されましたが大した手がかりもつかめずに今もなお彼を見つけることはできていませんでした。それもそのはず、杉下はなんの前触れもなく失踪したといいますからねぇ。」
「つまり、失踪した杉下は失踪後ホームレスになっていた。」
マリアはそう状況を整理した。
「そういうことになりますね。」
ここで隆が疑問符を打った。
「しかし、妙ですねぇ。もし彼が失踪してずっとホームレス生活をしていたのなら遺書にそのことも書くのではないですかねぇ。」
「確かに。」
「やはり、遺書は何者かによって偽造された可能性が高いということでしょうねぇ。」
隆がそういうと電話がかかってきた。かけてきたのは他ならぬ愛知県警刑事部長猪俣真一だった。

「ホームレスの遺体があの杉下運送の社長だったていう話知ってる?」
猪俣はなんの前置きもなくそう尋ねてきた。
「ええ、存じ上げております。」
「さすがだね。この情報は正式に発表されていない。それなのに知っているということはこの事件に興味があるということかな?」
隆はその質問には直接答えず
「今、事件とおっしゃいましたね?ということは警察としても殺人という観点も入れて捜査をしているという解釈をしてよろしいでしょうか。」
「我々警察としても当初は自殺だと思って捜査はしていなかったんだがまあ被害者が大手運送会社の失踪した社長となると捜査せざる負えないでしょ?」
「ええ、後々殺人だと発覚した場合になんの捜査もしなかった警察は袋叩きにされてしまいますからねぇ。」
「袋叩き、か。まあその通りだね。」
「で?そちらで何か掴めたのですか?」
「北野と沢村と協力して捜査してくれないかな?」
「返答になっていません。」
「こりゃ、失礼。今から捜査に入るんだ。何も掴めてないよ。で、どうだろう?」
「いつも愛知県警刑事部の方々には勝手に捜査に首を突っ込んで迷惑をおかけしておりますからねぇ。それに捜査一課の方々からは日々、邪魔な存在として扱われているのですが、どういう風の吹き回しでしょう。」
突然の誘いで動揺したはずなのに隆は冷静を保ってそう言った。
「まあ確かに、うちの連中が君を邪魔者扱いしていたことについては申し訳ないと思ってるよ。だけどもね。君が捜査に首を突っ込んで事件が解決していることもまた事実だろう?」
隆は答えなかった。猪俣は続ける。
「うちの連中も本当は君に感謝してるんだよ。でも一般人に捜査協力なんて正式にできないから毛嫌いしてるだけなんだよ。」
「つまり、あなたが僕との捜査協力を認めれば捜査一課の方々は快く受けてくれるということですか?」
「そうゆうことだ。」

分かり切ったことかもしれないが猪俣の言ったことは嘘に等しいほどあてにならなかった。毎度の如く北野は高圧的な態度を隆に取った。
「なんで俺たちがあなた方の協力をしなきゃならないんですかねぇ。」
隆と共にマリアもいた。
「猪俣刑事部長の命令ではありませんか?」
隆はいつもと変わらぬ様子でそう尋ねた。
「ええ、あの人もあの人ですよ。どうして俺たちがあなた達と一緒に。」
そう言ったのは北野の後輩の沢村という若手刑事だった。
「バカ!口を滑らすなよ。」
北野がそう言って沢村の頭を叩いた。捜査一課の刑事たちも猪俣を恐れているようだ。
「ご安心を。刑事部長に話すつもりなどありませんから。」
隆がそういうと
「で?どんな捜査をするのでしょうか?」
北野のその言葉に隆は興味を示し
「ほお。どんな捜査。つまりあなた方は我々が普段どのような捜査をしているか探るつもりなのですか?」
と反応した。
「まあそれはともかく。質問に答えていただけませんかねえぇ。」
北野はいつもの嫌味ったらしい口調でそう言った。その瞬間に隆は今自分が語った仮説が当たっていることを悟った。
「自殺した杉下の身の回りについて調べるしかなさそうですねぇ。」

いくら大手運送会社の元社長の失踪事件だったとしても自殺の可能性は極めて高く、捜査本部が設置されることもなかった。つまり、北野たちの捜査は秘密裏に進められているものなのである。まず北野たちは杉下運送を訪れた。
杉下運送は大きな本社ビルを構えていた。いかにも経営は順調そうに見受けられた。
ビルの中に入った北野と沢村と隆とマリアの4人は受付に行った。
「愛知県警の北野です。」
「沢村です。」
北野と沢村は手慣れた様子で警察手帳を示した。
受付で対応をしていた30代ぐらいの女性は少し驚いた顔になった。
「失踪した杉下元社長についてお話を伺いたくて参りました。」
「そういえば、杉下社長の失踪後に新たに社長になった人がいましたよね。その方に会わせていただきたいのですが。」
沢村がそういうと受付の女性は
「社長ですね。少々お待ちください。」
と言った。

しばらくして北野たちは社長室に案内された。
その部屋はよくドラマで見る社長室と酷似していた。部屋の壁には絵画が飾られており、窓からは名古屋の高層ビルを望むことができた。社長のものであろうデスクに腰かけていた人物こそがこの部屋の主でもありビルの主でもある船本恵太だった。船本は大柄で50代ぐらいの中年の男だった。杉下が社長だった時は専務を務めていたようだ。
「お忙しいところ申し訳ありません。」
北野がそう詫びを入れると
「いえいえ。」
マリアはなんとなく船本が高圧的な態度をとって来るのではないかと思っていたが、決してそんなことはなく人柄の良さが伺える人物だった。
「それはいいんですけど、そちらのお子さんは?」
船本は仕立ての良いスーツを着て一瞬の隙もない中学生を不思議そうに見てそう言った。
「お気になさらず。」
マリアはそんなこと言われても気になるだろ、と思った。
しかし船本はそれ以上追求しようとはしなかった。
「失礼します。」
そんな時に部屋に秘書と思われる女性が入ってきた。お茶を持ってきたのだ。
「船元社長もどうぞ。」
秘書はそう言って船元にもお茶を渡すと部屋から出ていった。
「失踪していた杉下元社長が遺体で発見されたのをご存知ですか?」
「ええ、承知しておりますよ。今朝ニュースで見ました。」
杉下の情報はこのとき既にマスコミによって白日のもとに晒されていた。
「杉下さんの失踪の理由についてなにか分かることはありますか?」
沢村がそう尋ねると
「それが何にも思い当たることがないんですよ。あまりにも突然の失踪でしたから。」
船本はそう言った。
「そうですか。」
北野たちはそれからも形式的な質問を幾つもしたが有力な情報は得られなかった。
「隆さん、めぼしい情報は何も得られませんでしたけどねえ。」
北野は空振りを隆のせいにするかの如くそう言った。
「想定内です。もう一人話を聞いておきたい人物がいます。」
隆はそう言って歩き始めた。

船本の秘書は砂本幸子といった。年は40代ぐらいと見受けられた。
「船本社長について何か思うことはありますか?」
隆は単刀直入にそう尋ねた。砂本は戸惑っている様子だったがやがて
「正直あまり良く思っていません。船本が社長になってから業績は落ちていますし。」
先程茶を持ってきた時とは打って変わって不満そうな顔をしながら砂本は言った。
「おや、そうでしたか。つまり、会社内の中でも船本さんの評判は良くないということですか?」
「ええ。」
「では、杉下社長はどうでしたか?」
「社長はとても明るい人であの方が社長になってから会社が一丸となって業績を上げていたと思います。」
「そうでしたか。」

「1つ、収穫を得ることができました。」
砂本に聞き込みをした隆は何かを得たようだった。
「なんです?」
北野が気になって尋ねると
「受付に浅野という女性がいましたね。」
「ああ、我々の対応をしてた人ですよね?」
「ええ、おそらく彼女は船本社長と特別な関係をお持ちのようです。」
その言葉に北野たちはかなり驚いた。
「なぜそう言い切れるのです?」
「まあ、断言はできませんが、船本社長の呼び方です。先程の砂本さんは船本の事を船本社長と呼んでいました。しかし、浅野さんは社長と呼んでいました。社長に最も近い女性と言うと秘書だと思いますが、その秘書ですら船本の事を社長とは呼ばなかった。つまり、浅野さんは日頃から船本の事を社長と呼んでいる。」
「なるほど。それで親しい関係だと言うんですね?」
「ええ、そして、今回の事件において杉下元社長が失踪して自動的に社長職から退いた。このことによって最も得をする人物は誰でしょう?」
隆は試すような眼をして北野と沢村にそう言った。
「そうか!つまり、船本は自分が社長になるために杉下を自殺に見せかけて殺しったてことですね?」
沢村が納得顔で言うと、
「おい、沢村。行くぞ!久しぶりの手柄だ。」
2人の刑事は走り出していった。

「犯人分かったか?」
隆とマリアが山田の部屋に戻ると山田がいてそう聞いてきた。
「分かりましたよ。」
マリアはそう言った。
「もしかして君、本当に船本が犯人だと思っているのですか?」
「だって隆さんがそう言ったんじゃないですか。」
「その可能性は高いでしょうが、もう1人思いつきませんかねぇ。」
マリアには隆の言わんとすることが分からなかった。
「浅野ですよ。」
ここでようやくマリアが隆に追いついたようだった。
「なるほど。自分の男を社長にするために杉下を殺したということですね。」
「ええ、船本が社長となってから業績は確かに落ちているようですが船本社長はとても人柄のよさそうな人でした。無論人には裏の顔があるといいますが、僕の経験上彼が自らの私利私欲のために殺人を犯すとは思えないんですよ。どうでしょう?」
隆はいきなりマリアにそう尋ねた。
「どうというと?」
「僕にはどうも女性の考え方や思いを分からないようですので。」
それは間違いない。この男は人のことなど考えないところがある。
「まあ、社長の女となると鼻が高いですからねぇ。そういうのに執着のある人は殺人を犯したりするかもしれませんね。」
「そうですか。」
隆はそう言ってサイダーを飲み始めた。

北野と沢村は船本を任意で事情聴取をしていた。
「お前が社長になるために杉下を自殺に見せかけて殺したんじゃないのか!」
北野はそう言って机を強く叩いた。
「僕は杉下さんを殺したりなんかしてません。本当です。」
北野に罵声を浴びせられ続けたせいか船本は先程よりも弱弱しくなっていた。
「それを信じたいのは山々なんだけどね。実際杉下が死んで得をしているのはあなたなんでねぇ。疑わざるを得ないんですよ。」
ゆっくりとはしているが威圧じみた声でそう言ったのは沢村だった。
「そんな。」
船本が下を向いていると北野の携帯がやかましく鳴った。掛けてきた人物の名前を見た途端に北野の顔が曇った。
「なんなんですかねぇ。」
「やあ。」
そう。電話を掛けてきたのは他ならぬ久野隆であった。
「あなたの事です。船本さんに事情聴取をなさっていますね。無論任意ではあると思いますが。」
「そうですけど。それが何か?」
「いえ、事情を伺っているのなら浅野さんとの関係について聞いていただけますか?」
「どうしてそんなこと。」
北野が不満を示すと
「ああ、あと船本さんが社長になってから浅野さんに変化があったかどうかも聞いておいてください。」
「あのですねぇ。」
北野がそう言うと電話はプツリと切れてしまった。
「切りやがった。」
北野は小声で毒づいた。

北野から返事の電話があったのはそれから15分程経過したころだった。
「聞きましたよ。船本に。」
「そうですか。で、どうでした?」
「隆さんが睨んだ通り、浅野と船本は愛人の関係でした。」
「そうですか。それで?」
北野は礼も言わずに聞く隆に腹は立ったが怒っても仕方がないのでいやいや説明した。
「浅野は船本に早く社長になれと迫っていたそうです。そして社長になった時に結婚するという約束を交わしていたそうですよ。」
「なるほど。要するに、浅野は社長の妻という地位が欲しかったということですね。」
「まあそういうことでしょうね。うまく船本を手に入れたのでしょう。」
「人柄の良い人ですからねぇ。だからこそ、付け入る隙があったのでしょう。」
「で、誰が犯人なんです?今までの話の流れからすると船本と浅野のどちらかでしょう?どっちなんです。」
北野が急かすようにそう言った。
「そんなことはすぐに分かるじゃないですか。」
隆は続ける。
「杉下の遺書と思われた紙と2人の筆跡が一致するかどうか調べればいいんですよ。」
隆がそう言った瞬間に電話は切られた。

筆跡鑑定の結果、杉下の遺書と思われていた紙の筆跡と船本の筆跡は一致しなかった。
船本は白。残るはもう1人しかいない。隆とマリアは再び杉下運送の本社ビルへ向かった。

浅野は以前と変わらず受付に立っていた。浅野は突然やって来た男女の中学生に驚いた様子を見せた。
「ちょっとよろしいですか?」
隆は軽く頭を下げるとそう言った。
「私ですか?」
隆とマリアは誰もいない用途も不明な部屋に案内された。部屋の窓からは相変わらず高層ビルが見えていた。
「杉下元社長が遺体で発見されたのはご存知ですか?」
浅野はいきなり何なのかと不審に思った。
「知ってますけど。あなた方なんなんです?」
それには答えずに隆は
「実は筆跡鑑定のご協力を頂きたいと思いましてね。」
と言った。
「は?」
「杉下さんは遺書を残していましたがその遺書が偽造されたものかもしれないという疑惑が持ち上がりましてね。あなたにもご協力願いたいんですよ。」
浅野は黙り込んだ。それを見たマリアが
「何か問題でも?」
と言った。
「なんで私なんです?」
やがて浅野はそう言った。
「仕方ありません。この際はっきりと申し上げておきますが我々はあなたが杉下さんを殺害したと考えています。」
「どうして私がそんなことをしなくてはならないのですか?それに、杉下は自殺だったんじゃ。」
「遺体の見つかった廃ホテルに我々も行ってみたんですがね。カビの匂いが漂ってきまして。とても人の住めるような臭いではなかったんですよ。そこから事件性を疑うに至ったというわけです。」
浅野は答えなかったので隆は続けた。
「あなた、船本社長の愛人ですよね?そして船本さんが社長になってから結婚をして社長夫人という名を得たかったのでしょう。そのためには杉下さんが邪魔となります。つまり、あなたには動機があるんですよ。」
「全部あなた方の妄想でしょう?私が殺したっていう証拠はあるんですか!」
浅野は大声でそう言ったがその反論もマリアによってねじ伏せられた。
「だからその証拠を作るために筆跡鑑定へのご協力をお願いしているのですよ。」
「すべて、正直にお話しますね?」
隆がそう促しても答えない浅野を見て
「浅野さん!」
と激した。やがて浅野の口が開いた。
「あなたみたいな男にはわからないでしょうけどねぇ。女にとって社長の妻になるってのは目標なのよ。それも大手運送会社の社長の妻になるなんてみんな私にひれ伏す。それを味わいたかったの。」
「あなた、そんなことで人一人を殺すんですか!」
マリアがそう言うと、浅野はにやりと笑って
「あなたも大人になれば分かるわよ。」
黙るマリアに隆が代わった。
「あなたには社長の妻になりたいという願望が異常に強かった。僕は男性ですから当然、女性の考えることは測りかねますが、純粋に恋愛を楽しめなかったあなたは酷く醜いものであると僕は思いますよ。」
隆は冷静で残酷ともいえる声でそう言った。浅野は答えられなかった。隆の言葉は確実に響いたようである。
「もらってきますよ。」
そう言って部屋に入ってきた北野と沢村は浅野を連行していった。
「ああもう1つだけ、よろしいですか?」
隆はそう言って浅野を呼び止めた。
「なぜ、廃ホテルを選んだのですか?しかもあんなに臭うホテルに。」
「ひどい匂いの中に葬りたかったんですよ。」
浅野はそう言うと歩き始めた。
隆とマリアもことは終わったと認識して部屋から出た。
その時だった。浅野の前に砂本が立ちはだかった。
「あなたが殺したのね。」
それに答えずうつむく浅野に砂本は隠していたナイフを取り出して腹部に一突きした。さらに砂本は刃物を抜いて縦に振って何回も切りつけた。浅野は血を流して倒れると北野と沢村は砂本を取り押さえた。その時にはもう浅野の意識はなかった。
「もしもし、人が刺されました。杉下運送の本社ビルです。」
そう119番通報をしたのは隆だった。
ビルが一瞬にして修羅場と化したのだった。

結局、砂本は杉下の愛人で杉下を殺したのが浅野であることが分かり、その復讐のために浅野を殺したのだった。

「いや、大変だったね。」
山田の家に帰ると山田がそう言って来た。どうやら騒ぎはもう報道されているようである。大手運送会社の本社ビルで起きた殺人事件をマスコミが素早く嗅ぎつけたのだろう。
「結果として、浅野にとどめを刺すことになりましたねぇ。砂本の行為は。」
隆はサイダーを開けると飲み始めた。
「だけど、衝撃の結果となりましたね。」
マリアはそう言った。
「今回の事件は女性ならではの思いが交差したっきりに起こったのでしょうねぇ。」
「愛人と言うと男が女を操っているイメージがありますけど、今回の場合、女が男を操っていたことになりますね。」
そこに一通の電話がかかってきた。

「ごめんね。うちの北野と沢村のチョンボのせいで被疑者を殺させちゃって。」
電話を掛けてきたのは愛知県警刑事部長の猪俣真一だった。2人は回転寿司を食べていた。
「あの場で突然刃物を出せば防ぎようもありませんよ。」
「とはいえ、被疑者が目の前で殺されるなんてことは警察官にとって汚点だ。しかるべく処分を下しておきますよ。」
「あなたは何も分かっていないようですねぇ。誰かの首を取って済む話ではありませんよ。」
「あら、そうなの?」
「ええ。砂本にはしっかりと罪を償ってもらいたいですねぇ。」
隆はそう言ってマグロを口にした。
「でも、被疑者が死んだとなるとマスコミは大騒ぎですよ。警察への批判が殺到していますよ。」
「まあ、無理もないでしょうねぇ。」
「何より恐ろしいのはマスコミに煽られた国民の怒りですよ。国民の命を守っているのにこういうことがあったら批判される。おかしいと思わない?」
「まあ、賛否両論あると思いますがねぇ。」
隆はそうはぐらかした。
「船本は継続して杉下運送の社長を務められるそうですねぇ。」
「そうみたいだね。まあ、今回の一件で船本に非はないからね。でも、かなり堪えているらしいよ。」
「というと?」
「自分の愛人が自分のために殺人を犯す。彼の心にすごいダメージを与えているみたい。」
「まあ複雑な気持ちなのでしょう。」
「僕たちも、女性には気をつけなきゃならんねぇ。操っているつもりでも実は操られている。恐ろしいもんだよ。」
「そのうえ女性という生き物はしたたかですからねぇ。」
隆と猪俣の女性談義は午後9時を持ってお開きとなった。
後に廃ホテルは遺体の見つかった場所となり心霊スポットとして栄華を極めた。
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