イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

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第一章 聖女イリス

その男の破門

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 初めに口を開いたのは、クロードだった。

「エルアリンド・テミス公。あなたは破門です」

 告げられたのが突拍子もないことで、誰もが反応できなかった。エルアリンドは半笑いで、少しの間の後、口を開く。

「ヴァリ司祭。面白くもない冗談を言わないでくれたまえ」

「私は本気ですよ」

 静かに、しかし有無を言わせぬ口調でクロードは言うから、エルアリンドも、彼の本気を悟ったのだと思う。今度は顔を真っ赤にして、クロードに食ってかかった。

「なんだと若造が! なんの権利があって……」

 エルアリンドがクロードに掴みかかる前に、ファブリシオが一歩進んで牽制する。クロードは、なお静かに言った。

「イリスが書いた、私宛ての手紙を、握りつぶしたのはなぜですか」

 エルアリンドに答えられるはずがない。だって自分の欲望だけが動機だから。

「汝、策略することなかれ」

 わたしの声に、みんながわたしを振り返る。

「聖典二百十一編第七節にそう書いてあるわ」

 気がつけばわたしはそう話していた。

「欺き偽る者は現世での富は持つことができる。けれど欺く者は神の国に住むことができない。偽りを働く者は、神の子供となることができない。聖典、聖アグスフェロの章、第五十二編第百九十九節にも、そう書いてある」

 本の内容をすらすらと言えるなんて自分じゃないみたいだ。
 聖典なんて、暗記していたっけ? と思ったけれど、言葉が止まらなかった。

 この男を追放しなくては――そうでしょイリス?
 わたし達に、不幸を撒き散らすこの男を、なんとしてでも排除しなくては。

「なぜエルアリンド・テミスが手紙をクロード・ヴァリ司祭に渡さなかったのか? 簡単よ。聖女を我が物にするためだけが、理由。そのためにディマを捕まえたし、お父様を犯罪者に仕立て上げようとした。全ては己の欲のために。
 神の子である人間は、いずれは等しく神に帰する、魂を同一にする存在だわ。神の子が欺き偽るということは、わたしたちの魂も穢れていく。だから、ヴァリ司祭のおっしゃるとおり、エルアリンド・テミスは破門にするしかない。宮廷にだって、当然、二度と、来れない」 

 わたし自身、神や聖女や聖典なんて、少しも信じていないけれど、この場にいる敬虔な人たちは、わたしの言葉に呆気にとられたようだった。わたしの言葉は、以前よりもはるかに重く、彼らの耳に入り込む。
 エルアリンドでさえも、呆然とわたしを見つめていた。

 小説の中で、エルアリンドはミランダとイリスを自分の所有物のように扱った。きっとアレンのことだって殺したんだ。この男がいたからこそ、不幸への一本道を、テミス家は進んだ。
 それは、当然、物語の話だ。だけど、わたしの中には、たかが物語だと片付けられないほど、怒りが渦巻き噴出していた。
 エルアリンドは、わたしの家族を傷つけた。何よりも大切な、わたしの家族を。だから彼を断罪することに、迷いなんてなかった。

「わたし、彼に二度殴られました。彼こそ聖女を信じない、異端者です」

 お父様とお母様が、エルアリンドを見る目つきが、にわかに険しくなった。

「な……! 私はそこのイリスに、殺されかけたんだぞ!」

「正当防衛よ。またやってもいいのよ? 次は気絶だけじゃすまされないかもしれないけどね」

「なんという娘だ! 何が聖女だ、まるで悪魔じゃないか!」

「聖女を冒涜したと言いがかりをつけ少年を処刑させようとしておいて、自分は彼女を悪魔呼ばわりか」

 侮蔑したように、小さく呟くファブリシオの声がする。
 クロードが、凍り付きそうなほど冷たい声色で告げた。

「先ほど、なんの権限が、と言いましたか。答えましょう。ローザリア帝国西部教会長の権限です。
 あなたはありもしない少年の罪をでっち上げ、教徒の命を奪おうとした。おぞましいほどの罪ですよ」

「馬鹿な! 私は伯爵だぞ! テミス家本家の当主だぞ! 騎士テミス家の上にいる者だ……! それを、こんな、こんなことで、こんな奴らに、奪う権限など……! この小娘が!」

 次の瞬間、エルアリンドは腰に下げていた剣を引き抜くと、わたしに向けて一直線に進んできた。だけど、当たり前のように届かない。
 お父様がわたしを庇うように抱きしめ、エルアリンドに背を向ける。お母様とクロードの魔法陣が、部屋に炸裂した時には、エルアリンドは床に倒れていた。彼の動きを封じているのは、わたしの魔法だった。

「命を奪わないだけ、ありがたいと思いなさい」

 お父様の腕の中から、エルアリンドに声をかけると、彼は血走った目でわたしを睨み付ける。彼の声が出ないのもまた、わたしの魔法のせいだった。
 ファブリシオが、一瞬だけ哀れむような視線をエルエリンドに向けた後、扉の外に向かって叫ぶ。

「近衛兵、そこにいるのだろう! エルアリンド・テミスをつまみ出せ、そうして二度と聖女様に近寄らせるな!」

 彼の声の直後には、兵士達がなだれ込む。
 ずっと見張っていたらしい。
 そうして未だに動けないエルアリンドの体を掴むと、部屋の外へと引きずり出した。
 
 扉が閉まった瞬間に、クロードが、やはり静かな声で言った。

「ヘイブン聖密卿の了解は得ています。早ければ明日にも、あの男の破門は書面にて陛下にも伝えられるでしょう。
 ……何も、今回のことだけではありません。エルアリンド・テミスは二人目の妻に離縁を言い渡しましたが、それが不当な理由だと、教会に訴えがありました。ありもしない、不貞の罪を着せられて、妻は遠方へと追い払われたのです。おそらくは最初の妻にもそうしたのではないかと、疑惑があります。それに加えて今回の騒ぎだ。教会側としても、彼の行動はあまりにも目に余ると、頭を抱えていたところでした」

 それから彼はわたしに向き直ると、小さく頷いた。

「イリス。君だけなら、ディミトリオスに会える。ご両親は、会えない。それでもいいなら、聖堂へ行こう。
 彼は今日中にこの国を経つ」

 それは、わたしが先程尋ねた疑問に対する返答だと分かった。
 驚いて、クロードに再び問う。

「ディマの罪は許されたのでしょう? また、一緒にいられるんでしょう?」

「異端の少年の、罪は許されたとはいえ、今も立場は不安定だ。このまま留まることは危険なんだよ。だから、取り決め通りに神学校へ行かせる。すぐにでも出発させたいが、その前に、時間を作ることができた」

「どうして家族みんなで会えないの?」

 答えたのはお父様だった。

「どうも帝都の奴らに、俺たちは疑惑の目で見られていてね。一家揃うと逃亡すると思われているらしいんだ。だからいつも、見張りが付いて、しかもバラバラにしか会えない。実際、家族揃ったら皆で逃げるだろう?」

 お父様は笑って、わたしを下ろすと、頭をぐしゃりと撫でた。

「イリス、ディマに会って来い。そうしてどうか伝えてくれ。俺とミランダが、いつだって愛しているということを。愛さえあれば、どんな困難だって乗り越えられる。決して絶望するな、生きることだけを考えろと、あの子にそう、伝えて欲しい」

 お母様も、続ける。

「離れていたって、どんなときもわたしたちは家族よ。同じ思い出があって、同じ愛が、流れているんだもの。それを忘れないで欲しいって、ディマに伝えて」

 両親を見ると、なんとも悲しそうに微笑んでいた。彼らは、ディマに会えないと、もう知っていたらしい。わたしだけでも会ってこいと、子供に会う機会を、譲ってくれたんだ。
 胸がいっぱいになる。
 あの温かで穏やかな領地で、わたしたちはぎこちなく、必死に家族になっていった。優しさと愛だけを頼りない指針にして、それだけを信じて、きっと幸せになれると、何度も自分たちに言い聞かせてきた。
 だけどもう、あの場所には戻れない。わたしたちは故郷を出て、まるで知らない場所にいるのだから。

 強く、わたしは頷いた。

「分かった。必ず伝える」

 大好きな両親を抱きしめた瞬間、感極まったファブリシオの嗚咽が、またしても聞こえた。
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