イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

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第二章 ローザリア戦記

軍部顧問のファブリシオ

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 宮廷で過ごすようになってからも、時々、イリスの夢を見た。

 大抵は彼女も宮廷にいて、わたしよりも真面目に職務に当たっていた。聖典を何度も繰り返し読んでいて、何がどこに書いてあるかまで覚えていたし、毎朝大聖堂に行ってはお祈りするのが日課だった。
 けれど彼女は孤独だった。
 アレンは故人で、ミランダはエルアリンドと結婚していて、宮廷にはいない。神学校に行った兄からの手紙はなく、他人よりも他人のような関係だった。エルアリンドはイリスを自分のもののように扱い、何をするにも彼の許可が必要だった。
 オーランドもサーリもルカも、イリスを見ない。それでもイリスは聖女として、国と皇帝のために、ただひたすらの努力を続けていた。

 それが本当にイリスの生活だったのかは分からない。もしかすると全て、わたしの妄想なのかもしれなかった。

 だけどそんな夢を見た朝は、目覚めると泣いていた。悲しいのかも、よく分からなかった。
 不安と孤独の中にあって、イリスはどれほど寂しかっただろう。彼女が唯一自分の意志で決めたのは、自分の死、くらいなものだった。

 その日、わたしはファブリシオに会いに行った。彼が城に来るという話を聞いたからだ。

 ルシオを除く彼の息子たちは宮廷で働いていたけれど、彼自身は領地と帝都を行き来していて、こちらにいないことも多い。
 エルアリンドの後にローザリアの軍部顧問となったファブリシオだけど、あの男とは異なり、既に国の頂点に近い立場にいるファブリシオに、貪欲さは欠けていた。
 貪欲なのは、むしろわたしだった。
 夢で見たイリスが通ったよりも遥かに足繁く軍部に顔を出し、兵士たちにかけている守護と強化の魔法について常に見直しを行い、列強諸国最強の兵士団を作り上げていた。

 ローザリアが戦争に負ければ、イリスの責任になる。イリスの責任になれば、裁判で不利になる。不利になれば、わたしたちは死ぬ、またしても――……。だから、貪欲にならざるをえなかったのだ。

 ファブリシオはしばらく帝都に留まるらしい。彼の到着を待ち構え、シルワ公爵の紋章が付いた馬車が城に入った瞬間、会いに行った。
 息子たちに出迎えられ、馬車から降りているファブリシオがいた。背が高く、いつ見ても丁寧に整えられている髭の男性を見ると、やっぱり嬉しくなる。

「おじさま!」

 ファブリシオはわたしに気がつくと破顔した。目尻に優しく皺が寄る。

「イリス、会う度に美しくなっていく。君の誕生日に行けなくてすまなかった。風邪をこじらせてしまってね」

 聖女であるわたしにも、へりくだる態度を取らない彼のことが、わたしは好きだった。

「おじさま、到着されたばかりですけれど、お話できませんか?」

「もちろんだとも、川辺を歩こうか」

 彼が差し出した腕に、自分の手をそっと乗せ、歩き始めた。
 城に沿うように流れる川には水鳥がいて、土手には夏の花が咲く。時々市民たちが水浴びをしている姿があった。川幅は広く、流れは穏やかだ。この景色は故郷に似ていて、見ると心が安らいだ。
 従者たちは距離を取って付いてくる。だから会話が誰かに聞かれるおそれはなかった。

 歩きながら、ファブリシオは、ふと眉を顰める。
  
「末の息子と度々会っていると聞いたが、迷惑をかけてはいないだろうか。まったく誰に似たのだか、どうも吹けば飛ぶほどに軽い性格をしている男で、性格矯正のために神学校に入れたが、私の思惑とは異なる生活をしているらしい」

「ルシオさんはいいお友達です。お話も面白いし。兄とも、いい友人のようですよ」

 会えばいつもルシオはディマの話をしてくれる。ルシオがディマのことをとても好きな様子は、話し方を見れば分かった。だから、好感を抱いていたのは本心だ。
 ディマの話をすると、ファブリシオの顔はますます曇った。
 
「君の兄のことを、さり気なく陛下に話しているんだけどね。こちらに戻って来ていいとは、未だにおっしゃらない」

「おじさまのご親切には、いつも感謝しております」

「役に立っていると嬉しいがね」

「わたしの本当の望みは、家族とまた一緒に暮らせることだけです。その欲を素直に話せるのは、お母様の他にはファブリシオおじさまだけですわ」
 
 今じゃなくても、いつかテミス家が窮地に立たされたときに、役に立ってくれればいい。
 ファブリシオが城に来た用事が何かは分かっていた。それぞれの暮らしの話をした後で、わたしはそれを切り出した。

「レッドガルド王が、兵士の派遣をフォーマルハウト家に依頼したようですね」

 ファブリシオは突然足を止めた。わたしを見下ろすその表情は、にわかに厳しい。

「どこでそれを?」

「わたしは聖女ですよ。秘密が持てるとお思いでした?」

 数日前にレッドガルドから使者が来ていた。オーランドはわたしに話の内容を隠していたけど、時期的に間違いないだろうとカマをかけただけだ。
 ふむ、とファブリシオは髭を撫で付ける。

「……君は宮廷人の振る舞いが格段に上手くなった。私でさえ本心が分からない。もう、会った頃のうぶな少女ではないな」

「だって、おじさまから立ち振舞いは学びましたもの」

 聞いたファブリシオもまた、本心を覆い隠すような、素晴らしい笑みを浮かべる。

 先手必勝だと考えた。大陸での熱がにわかに高まっている。
 慎重に言葉を選びながら、わたしは言った。

「スタンダリア王国の立てた王が、挙兵をしたと聞きました。王はスタンダリアから兵の支援を受けているのでしょう?」

「それで君は何が言いたい? 心の清い君のことだ、争いを止めろとでも言うのかね」

「いいえ、争いは免れません。むしろ戦い、必ず勝利を収めなくてはならないと考えています。そのためには、盤石な布陣とする必要があるでしょう」
 
「ローザリア兵は、君のおかげで世界最強だ。それ以外に、ということだろうね?」

 選択肢を間違えてはいけない。小さく息を吸い込んで、はっきりと告げた。

「戦場からクリステル家を外して頂きたいのです」

「不可能だ」

「では負けます。レッドガルドはスタンダリアに奪い取られるでしょう」

「いや、それでも無理だ」

 ファブリシオが譲れない理由も分かる。

 ローザリア帝国の戦い方はこうだ。国の持つ兵士たちと、各家の持つ兵士たちがそれぞれ合わさり戦場へ行く。兵士たちは各家で固まり布陣され、従うのは自らの家長の命令のみだ。家長たちは銘々の戦い方を繰り広げるから、全体としてのまとまりには欠ける。
 もっともそれはローザリアだけではなく、ほとんど全ての国に言える。未だ領主たちの権力は健在だということだ。
 
 その中で、クリステル家を外すことはできないのだ。彼らはローザリアにおいて、大いなる権力を握っている。彼らを戦場から外すということは、クリステル家に真っ向から喧嘩を売るようなものだ。裏付けるように、ファブリシオは言った。

「クリステル家がどのような家か承知の上で言っているのか」

 けれどわたしだって譲れない。

「先帝リオン様のお姉様が嫁いだ家という意味以外に、どのような家だとおっしゃるのです? それはレッドガルドと天秤にかけ、クリステル家に傾くというほどのものですか」

 ファブリシオが唸る。それ以外に理由はないのだ。

「なぜクリステル家を置くと負けると思うのだね」

「彼らが裏切るからです」

「まさか」ファブリシオは小さく笑うが、わたしの真剣な顔を見て、笑いを引っ込めた。追い打ちとばかりに、わたしは言う。

「戦場から追い出せと言うのではございません。ただ要所には置かないでいただきたいのですわ」

「要所でない場所など戦場にはないのだよ」

 聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調だ。

「おじさまはクリステル家を将軍に任命されるおつもりだったのでしょう? 他の方を将軍にしてください」

 先帝の姉が嫁いだ家を立てるため、大きな戦場ではクリステル家が将軍を務めていた。ファブリシオは困ったように眉を下げる。

「だがクリステル家は常に将軍を務めているんだ。他の者など置いてしまえば、貴族の勢力図が変わる。そうなればクリステル家だけではない、他の諸侯からの反発も大きくなる」

「だったら、誰もが納得し黙る者を、将軍として抜擢すればいいのですわ」

 ようやくここまで話が持ってこれたと、心の中でほっと息を吐いた。

「心当たりがあるようだね」

「ガモット家」

 小説の中で、後にクリステル家を排除する戦いで、手柄を上げた将軍だ。アリアが彼らを抜擢し、そうして見事、勝利を収める。小説でもそうなのだから、現実でもガモット家は戦上手なのだろう。
 アリアの手柄を奪い取るようで申し訳ないけれど、彼女は主人公なのだから、この先も上手くやるでしょう。
 だけどファブリシオはやはり消極的だった。

「……無理だ」

「いいえ、無理ではないはずです」

「借金まみれのガモット家だ。かつて戦場で負け無しだったかもしれないが、今はもう、見る影もない。それを将軍に任命するなどという頓狂なことはできない」

「無理だとおっしゃるのがそんな理由でないことは知っています。彼らはセオドア様の寵臣でしたもの、彼らを将軍として任命することの禁忌は承知の上です。その上で言っているのです」

 セオドア時代の家臣のほとんどは、処刑されるか領地の多くを没収され、貧相な生活を送っていた。輝かしいローザリア帝国における黒歴史を築いたセオドアにまつわる話はタブーで、いつにしても皆、一様に口が重くなる。

「軍神と恐れられたヘンリー・ガモットは処刑され、今は息子が当主だ。戦争ができるという保証はない」

「ヘンリー・ガモットの息子、アール・ガモットもセオドア様の時代、戦場に出ていたはずです。父親の戦いぶりを、間近で見ていた方ですよ? それに何度かアール・ガモットが任された戦場もあったはずです。彼もまた、勝利を収めているでしょう?」

「だがね――」

「おじさま。勝利に貪欲にならなくては、ローザリア帝国は負けてしまいます。クリステル家に割り当てる戦地の規模を縮小し、その分をガモット家に当ててください。そうしてアール・ガモットを将軍に。
 ガモット家は戦場において最強だったと聞いています。その彼らを呼び戻すことで、帝国内外に、我が国の勝利への意志を見せつけるのです。反発などありません。むしろ兵たちの士気が上がるはずです」
 
 だって小説で、ガモット家を呼び戻した時の国民達の反応は凄まじかった。狂喜乱舞、とでも言うのか。負け知らずのガモット家は、誰が皇帝でも関係ないくらい、人気者だったのだ。

 ファブリシオは押し黙った。小説を知らない彼にとっては大博打だ。
 その頭の中では計算が行われているに違いない。聖女といえどただの小娘の話を聞くべきが否か――。
 結局、この場で彼は答えなかった。
 
「少し、考えさせてくれ」

「時間はあまりありません。まごついていたら、レッドガルドを失うことになりますもの」

 そう言って、わたしはファブリシオに笑いかけた。
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