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第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌
皇帝と偽聖女
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アリアの口枷を解いてやるが、無表情のまま、ディマを見つめるばかりで言葉を発しようとはしない。感情というものがごっそりと削げ落ちてしまっているように見える。
思考する力がないのだろうかと思った瞬間、彼女は軽蔑するような、低い声を発した。
「その格好、あなた、皇帝になったの。オーランド様とルカ様を殺した?」
アリアはどうやら、反乱の行く末を何も知らされてはいないらしい。
横たわる偽の聖女を、立ったまま見下ろした。ディマは彼女に質問には答えず、速やかにこちらの疑問をぶつけた。
「君の部屋で、聖女の成れ果てを見つけた。あの水晶結晶を、君は体内に取り込んだのか? それで聖女の力を得たんだろう」
アリアはディマを見つめたまま、答えない。与えられた時間はあまりなかった。
「ライラは、僕の手が届く範囲にいる」
初めてアリアの顔面に、人間らしい表情が現れた。怒りだった。
「このクズッ!」
アリアが身を起こそうとして、魔術に弾かれ痛みに悲鳴を上げた。
「あの子になにかしたら、なんとしてでもお前を殺す!」
「君が素直に話すなら、危害は加えない。質問の答えをくれないか。一から百まで、僕が納得できるように話してくれ」
憎々しげな表情を浮かべたアリアだったが、やがて観念したのか、話し始めた。眼光だけは鋭く光り、ディマを焼き尽くそうという願望を抱いているように見えたものの。
「……あれはダビド・ネルド=カスタが持っていた水晶結晶の欠片。ルカ様が彼の城から奪ったものよ。そして――そう。わたしはあれを削って飲んで、イリスと同等の力を得た。ルカ様がそうしろとおっしゃったから」
「なぜルカがネルド=カスタの企みを知れた?」
「ヘルでの戦闘の際、タイラー・ガンとクロード・ヴァリが、スタンダリアの魔法兵を一人捕らえ、聞き出したとルカ様は言っていた」
ディマは絶句した。ヘルでも平常通りだったクロードと、日に日に疲弊していったタイラーを思い出した。
ではヘルで、あの先の見えない戦闘を行っている最中、二人は下々に悟られないように敵兵の尋問を行っていたのか。敵兵の中身はイリスと同じ年ほどの少女だったと、クロードは言っていなかったか。まさか。だが、事実だろうという予感がした。
頭の中で、急速に解が出来上がっていく。
まずネルド=カスタが、聖女を作る方法を見つけた。動機は優秀な司祭、クロード・ヴァリへの敵対心か。
(そうだエンデ国で、あの成れ果て部屋に、ネルド=カスタが入っていた。水晶を持ち出した可能性は高い)
その水晶を兵士に与え、聖女を作り出そうとした。
それを兵士から聞き出したどちらかが――恐らくは上下関係に逆らえなかったタイラーの方だろう。ヘルを生き延びた後、タイラーが、ルカへと兵士の作り方を伝えたのだ。
ディマはタイラーのイリスへの態度を思い出した。尊敬し、哀れみ、どこか許しを欲するような態度だった。帝国を裏切り、ディマ側に味方することを即座に決めたのも、そのためか。
彼はアリアが自分の情報で作られた存在だと、気付いていたのではないのか。クロードもだ。彼も一貫して、聖女はイリスだと言っていた。
ともかくルカはその情報を握り、ネルド=カスタがヘルに同行したことを知り、空になった彼の実験場を見に行った。使える兵はヘルへ総動員していたのだろう。手薄な城に残されていた成果は、焼き払ったか奪い取った。
彼はだが、それをどう使うか、まだ持て余していたに違いない。彼にしてみればローザリア帝国はかつてないほど発展していた。誰もオーランドの父親を知らない上に、聖女もいる。スタンダリアから聖女を作れる技術を盗んでも、ジュリアン王を初めとする彼等は大っぴらには言えなかったはずだ。新たに聖女を作る実験をしていたなど、破門されかねない事実だ。
その上、ネルド=カスタはディマが殺し、ジュリアン王も事故で死んだ。偶然にも、盗みの被害者は両名とも亡くなった。異議を唱える者は死んだ。
(ジュリアン王の事故死――それさえも、ルカが命じたことか? いや、まだ結論を出すのは早い)
ルカにとって順風満帆だった状況に現れたのが、他ならぬディミトリオス・フォーマルハウトだ。皇帝の血を引く、帝国の唯一の後継者を、なんとしてでも排除する必要がある。
だからルカには、新たな聖女が必要だった。新たな聖女を擁立し、イリスを偽物とし、偽の聖女を擁立したテミス家もろとも、ディマを葬り去るつもりだった。誰もオーランドの血に気付かないうちに。
ルカには勝機があったに違いない。
なぜなら教皇は、リオンテール家の息のかかったヘイブン家の出身者だ。
アグスフェロ・ヘイブンは、ルカにとって従順な犬だったはずだ。彼がアリアを聖女だと認めてくれさえすればいい。だが彼は従わないどころか噛みついた。聖女はイリスのままだと、そう主張した。
先手を打っていたのかディマなのかルカなのか。あるいは互いに出し抜こうとして、互いの目論見が外れたのか。結果として泥沼の反乱は起こり、帝国の首は置き換わった。
イリスの手帳の記載を思い出す。
“この世界の異物はわたし、だけではない”
(……ヘイブン教皇。彼にも、会わなくては)
あの記述を見つけた際に真っ先に思い出したのは、イリスがかつて小説と異なる容貌だと言っていた、彼のことだった。会いたいと打診はしているが、許可はまだ、降りておらず、強硬手段としてエンデ国へ乗り込もうかと考えていた。
だが今は、アリアが優先だ。
ディマは再び、目の前のアリアを見た。
「水晶結晶を取り込んで、適合すれば聖女の力を得ることができる。戦場で君とイリスの間を魔力が行ったり来たりしてしまったのは、あの瞬間、元々のイリスの聖女の力と、君が得た力が拮抗したか、イリスが上回った――そういうことか。
君は逃げ、すぐにまた水晶を取り込んだ。だからイリスの中から力が消えた? そうして君が眠っている間に、体の中の水晶結晶が排出されたことにより、また、イリスに力が戻った」
アリアは投げやりに頷いた。
「ルカ・リオンテールはなぜ君に目をつけた? やはりライラの母親の血筋からか」
「初め、ルカ様は金と引き換えにライラを連れて行くつもりだった。ミランダ・テミスの娘が聖女なのだから、リオンテール家の血にその力が馴染むだろうとお考えになったのよ。それまでに、相当な犠牲があったようだけど。
ライラの母親は、リオンテール家の末席の娘だった。ミランダみたいに、自分も平民と結婚して幸せになれると思い込んでしまったのね。若い女性だったから、ミランダ・テミスの成功は、砂漠に落ちた針を見つけるほどの奇跡なのだと、気付けなかった。案の定大失敗。
嫁いだ男は……わたしの父親は、酒乱で怒鳴るし殴るし、結局殴られた時に頭に出来た傷が原因で、赤ん坊のライラを残して彼女は死んでしまった。だからライラは、ほとんどわたしが育てたのよ。
ルカ様は、聖女の力に適合する娘をお探しだった。自分の家の末席の娘の子供なら、どう扱ってもいいと思ったようね。それでライラのところに来たけど、わたしも側を離れたくなくて、付いていった。ルカ様の領地で、死んだ娘たちの残骸を見て、ライラも死んでしまうと思った。だからわたしが代わりになると言ったのよ。わたしが適合したのは偶然よ。シューメルナの好みに合ったのかしら。血は重要じゃなかったということね」
「元々、どこにいた? 帝都郊外に昔から住んでいたように振る舞ったのは闇の魔術によるものか?」
「北部の小さな町よ。父の代で店を畳んだ鍛冶屋だったのは、本当。帝都に住んでいた娘ということにすれば、田舎者よりオーランド様のお好みに合うだろうと思った。あなたとの出会いも、偶然だと疑われずに済むだろうと。まさかミランダがあの場所を何度も訪れていたなんて、知らなかったもの」
話の筋は通っているように思えた。
ディマは、彼女の傍らの椅子に、ようやく腰掛ける。
「考えても分からなかったことがある。なぜ君は僕に見つけさせたんだ? 本物の聖女として現れるのは、何も僕の前でなくとも良かったはずだ」
諦めにも似た表情で、アリアは答えた。
「ルカ様にはね、腹案があったのよ。もし、あなたが身を引かず、皇帝になるという野望を抱き、イリスを切り捨てるなら、彼女を処刑した後で、彼女が本物だということにしようとしていた。
ディミトリオス、あなたはイリスの負担を減らそうと色々動いていたでしょう? 魔術を作ったり、人を雇ったり。だからルカ様は、あなたがわたしを見つけたら、必ず宮廷に連れてくると確信していたのよ」
ディマがアリアを城へ連れて行ったのは、彼女が小説の通りに聖女になると思っていたからだ。結果としてルカの思惑通りになったにせよ。
時が戻る前のディミトリオスも聖女の成れ果てを知り、同じように動いたのか。彼には小説の内容を把握することはできない。とすると、ディマの知らない方法で、彼が真実を掴んだということだ。
「あなたは偽の聖女のわたしを連れてきて、本物の聖女を殺したことになる――間接的にだけどね。わたしを連れてきたあなたは、どの道、これで否応なく断罪される」
ディマは眉間に皺を寄せた。話としては分かるが、彼女の動機について、理解ができなかった。
「捨て身だ。なぜそこまでして君はルカに従った? その筋書きだと、君も無事ではない」
アリアの赤く光る瞳が、ディマ静かに見つめた。その目は侮蔑を含んでいるように、ディマには思えた。
「分からないの? 彼こそ、希望だった。地獄のような父親から、わたし達を、救ってくれたから。彼のためなら、わたし、死んでも良かった。あなただって、一緒でしょう?」
ある意味では、聖女を信じ死んだ者と同じだ。
「僕は違う。イリスのために死ぬのではなく、彼女と一緒に生きるために戦った」
率直なディマの言葉に、初めて、アリアが微笑んだ。意外なことに、邪気のない笑みだった。本来だったらこの少女は、これほど穏やかに笑うのだろうと予感させるほどの、優しい笑顔に思えた。
「……わたしとライラは、一度、イリスを見たわ。クリステル家の反乱を収めに行く隊列の先頭で、兵士たちを率いていた。綺麗、だったなあ。
この汚れた世界で、イリスだけが美しかった。彼女一人だけが輝いていた。イリスはわたしに憧れていたと言っていたけど、ほんとはね、わたしの方だったの。このローザリアに住む女の子で、彼女に憧れない人なんていない。……わたしも、彼女になりたかった。なれると思ったの」
でも――と彼女は言う。笑みは崩れ、悲痛な表情のまま泣き出した。
「……本当はただ、ライラと一緒に暮らせれば、それで良かったのかもしれない。わたし、こんなに傷ついて、人も傷つけて。きっと殺されるのね。わたし、何がしたかったんだろう。皇妃になれば、幸せになれると思っていたの。ありもしない光を信じて、子供だったのはわたしの方だわ。ライラの方が、遥かに現実的だった」
ディマの胸に、虚しさが広がった。
「妹と一緒に暮らすことが、君の望みだったのか」
拘束された四肢のため、涙を拭うこともできずに頬を濡らすアリアは、それでも泣くまいとするかのように歯を食いしばりながら小さく頷いた。
ディマは、口の中でつぶやいた。
――なんだ、僕と、同じじゃないか。
右手で頬を拭ってやると、驚いたように彼女は目を見張った。
「君は間違っていた。だけど、僕も間違っていた。僕達が全員で望み通り生きる方法が、他にもあったのかもしれないと、今は思う」
アリアは今度、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ルシオ・フォルセティが蘇らなければ、あなたはそんな台詞は吐けなかった」
「そんなことはないさ」
ディマは椅子から立ち上がった。聞きたいことは、聞き出せた。再びアリアを見下ろすと、告げる。
「君はこれから、教皇庁の尋問官によって拷問に遭うだろう。吐くものがないのに吐けと言われ、最後は犯してもいない罪を認め、どうか殺してくれと泣いて懇願するという。君の行く末に待っているのは処刑だろう。そうでなければ、教皇庁の地下牢で、生涯日の光を見ることもなく、死ぬまで闇に幽閉だ」
アリアの表情は再び引きつった。
それはきっと、時が戻る前に、イリスが受けた拷問と同じだ。イリスはそれでも、自分が聖女であるという意思を曲げなかった。当たり前だ。本物は彼女だったのだから。
だがディマは、アリアを拘束する魔法陣に手をかざすと、それを解除した。アリアの瞳が更に驚愕に見開かれる。ディマに怯えているようにも見えた。
拘束具はアリアの動きを封じるとともに、彼女の身を守るものでもあった。それを解かれたということは、今やアリアの魔力を遥かに上回っているディマが、彼女を好きにいたぶれるということだ。当然ディマには、そのつもりはなかった。
「君の妹のライラは、僕の命の恩人だ。君の魔法から、僕の命を救ってくれた。だから彼女の願いを一つ、叶えようと思う」
ディマはまっすぐに彼女の目を見つめ、言った。
「僕は君を、ここから逃がす」
思考する力がないのだろうかと思った瞬間、彼女は軽蔑するような、低い声を発した。
「その格好、あなた、皇帝になったの。オーランド様とルカ様を殺した?」
アリアはどうやら、反乱の行く末を何も知らされてはいないらしい。
横たわる偽の聖女を、立ったまま見下ろした。ディマは彼女に質問には答えず、速やかにこちらの疑問をぶつけた。
「君の部屋で、聖女の成れ果てを見つけた。あの水晶結晶を、君は体内に取り込んだのか? それで聖女の力を得たんだろう」
アリアはディマを見つめたまま、答えない。与えられた時間はあまりなかった。
「ライラは、僕の手が届く範囲にいる」
初めてアリアの顔面に、人間らしい表情が現れた。怒りだった。
「このクズッ!」
アリアが身を起こそうとして、魔術に弾かれ痛みに悲鳴を上げた。
「あの子になにかしたら、なんとしてでもお前を殺す!」
「君が素直に話すなら、危害は加えない。質問の答えをくれないか。一から百まで、僕が納得できるように話してくれ」
憎々しげな表情を浮かべたアリアだったが、やがて観念したのか、話し始めた。眼光だけは鋭く光り、ディマを焼き尽くそうという願望を抱いているように見えたものの。
「……あれはダビド・ネルド=カスタが持っていた水晶結晶の欠片。ルカ様が彼の城から奪ったものよ。そして――そう。わたしはあれを削って飲んで、イリスと同等の力を得た。ルカ様がそうしろとおっしゃったから」
「なぜルカがネルド=カスタの企みを知れた?」
「ヘルでの戦闘の際、タイラー・ガンとクロード・ヴァリが、スタンダリアの魔法兵を一人捕らえ、聞き出したとルカ様は言っていた」
ディマは絶句した。ヘルでも平常通りだったクロードと、日に日に疲弊していったタイラーを思い出した。
ではヘルで、あの先の見えない戦闘を行っている最中、二人は下々に悟られないように敵兵の尋問を行っていたのか。敵兵の中身はイリスと同じ年ほどの少女だったと、クロードは言っていなかったか。まさか。だが、事実だろうという予感がした。
頭の中で、急速に解が出来上がっていく。
まずネルド=カスタが、聖女を作る方法を見つけた。動機は優秀な司祭、クロード・ヴァリへの敵対心か。
(そうだエンデ国で、あの成れ果て部屋に、ネルド=カスタが入っていた。水晶を持ち出した可能性は高い)
その水晶を兵士に与え、聖女を作り出そうとした。
それを兵士から聞き出したどちらかが――恐らくは上下関係に逆らえなかったタイラーの方だろう。ヘルを生き延びた後、タイラーが、ルカへと兵士の作り方を伝えたのだ。
ディマはタイラーのイリスへの態度を思い出した。尊敬し、哀れみ、どこか許しを欲するような態度だった。帝国を裏切り、ディマ側に味方することを即座に決めたのも、そのためか。
彼はアリアが自分の情報で作られた存在だと、気付いていたのではないのか。クロードもだ。彼も一貫して、聖女はイリスだと言っていた。
ともかくルカはその情報を握り、ネルド=カスタがヘルに同行したことを知り、空になった彼の実験場を見に行った。使える兵はヘルへ総動員していたのだろう。手薄な城に残されていた成果は、焼き払ったか奪い取った。
彼はだが、それをどう使うか、まだ持て余していたに違いない。彼にしてみればローザリア帝国はかつてないほど発展していた。誰もオーランドの父親を知らない上に、聖女もいる。スタンダリアから聖女を作れる技術を盗んでも、ジュリアン王を初めとする彼等は大っぴらには言えなかったはずだ。新たに聖女を作る実験をしていたなど、破門されかねない事実だ。
その上、ネルド=カスタはディマが殺し、ジュリアン王も事故で死んだ。偶然にも、盗みの被害者は両名とも亡くなった。異議を唱える者は死んだ。
(ジュリアン王の事故死――それさえも、ルカが命じたことか? いや、まだ結論を出すのは早い)
ルカにとって順風満帆だった状況に現れたのが、他ならぬディミトリオス・フォーマルハウトだ。皇帝の血を引く、帝国の唯一の後継者を、なんとしてでも排除する必要がある。
だからルカには、新たな聖女が必要だった。新たな聖女を擁立し、イリスを偽物とし、偽の聖女を擁立したテミス家もろとも、ディマを葬り去るつもりだった。誰もオーランドの血に気付かないうちに。
ルカには勝機があったに違いない。
なぜなら教皇は、リオンテール家の息のかかったヘイブン家の出身者だ。
アグスフェロ・ヘイブンは、ルカにとって従順な犬だったはずだ。彼がアリアを聖女だと認めてくれさえすればいい。だが彼は従わないどころか噛みついた。聖女はイリスのままだと、そう主張した。
先手を打っていたのかディマなのかルカなのか。あるいは互いに出し抜こうとして、互いの目論見が外れたのか。結果として泥沼の反乱は起こり、帝国の首は置き換わった。
イリスの手帳の記載を思い出す。
“この世界の異物はわたし、だけではない”
(……ヘイブン教皇。彼にも、会わなくては)
あの記述を見つけた際に真っ先に思い出したのは、イリスがかつて小説と異なる容貌だと言っていた、彼のことだった。会いたいと打診はしているが、許可はまだ、降りておらず、強硬手段としてエンデ国へ乗り込もうかと考えていた。
だが今は、アリアが優先だ。
ディマは再び、目の前のアリアを見た。
「水晶結晶を取り込んで、適合すれば聖女の力を得ることができる。戦場で君とイリスの間を魔力が行ったり来たりしてしまったのは、あの瞬間、元々のイリスの聖女の力と、君が得た力が拮抗したか、イリスが上回った――そういうことか。
君は逃げ、すぐにまた水晶を取り込んだ。だからイリスの中から力が消えた? そうして君が眠っている間に、体の中の水晶結晶が排出されたことにより、また、イリスに力が戻った」
アリアは投げやりに頷いた。
「ルカ・リオンテールはなぜ君に目をつけた? やはりライラの母親の血筋からか」
「初め、ルカ様は金と引き換えにライラを連れて行くつもりだった。ミランダ・テミスの娘が聖女なのだから、リオンテール家の血にその力が馴染むだろうとお考えになったのよ。それまでに、相当な犠牲があったようだけど。
ライラの母親は、リオンテール家の末席の娘だった。ミランダみたいに、自分も平民と結婚して幸せになれると思い込んでしまったのね。若い女性だったから、ミランダ・テミスの成功は、砂漠に落ちた針を見つけるほどの奇跡なのだと、気付けなかった。案の定大失敗。
嫁いだ男は……わたしの父親は、酒乱で怒鳴るし殴るし、結局殴られた時に頭に出来た傷が原因で、赤ん坊のライラを残して彼女は死んでしまった。だからライラは、ほとんどわたしが育てたのよ。
ルカ様は、聖女の力に適合する娘をお探しだった。自分の家の末席の娘の子供なら、どう扱ってもいいと思ったようね。それでライラのところに来たけど、わたしも側を離れたくなくて、付いていった。ルカ様の領地で、死んだ娘たちの残骸を見て、ライラも死んでしまうと思った。だからわたしが代わりになると言ったのよ。わたしが適合したのは偶然よ。シューメルナの好みに合ったのかしら。血は重要じゃなかったということね」
「元々、どこにいた? 帝都郊外に昔から住んでいたように振る舞ったのは闇の魔術によるものか?」
「北部の小さな町よ。父の代で店を畳んだ鍛冶屋だったのは、本当。帝都に住んでいた娘ということにすれば、田舎者よりオーランド様のお好みに合うだろうと思った。あなたとの出会いも、偶然だと疑われずに済むだろうと。まさかミランダがあの場所を何度も訪れていたなんて、知らなかったもの」
話の筋は通っているように思えた。
ディマは、彼女の傍らの椅子に、ようやく腰掛ける。
「考えても分からなかったことがある。なぜ君は僕に見つけさせたんだ? 本物の聖女として現れるのは、何も僕の前でなくとも良かったはずだ」
諦めにも似た表情で、アリアは答えた。
「ルカ様にはね、腹案があったのよ。もし、あなたが身を引かず、皇帝になるという野望を抱き、イリスを切り捨てるなら、彼女を処刑した後で、彼女が本物だということにしようとしていた。
ディミトリオス、あなたはイリスの負担を減らそうと色々動いていたでしょう? 魔術を作ったり、人を雇ったり。だからルカ様は、あなたがわたしを見つけたら、必ず宮廷に連れてくると確信していたのよ」
ディマがアリアを城へ連れて行ったのは、彼女が小説の通りに聖女になると思っていたからだ。結果としてルカの思惑通りになったにせよ。
時が戻る前のディミトリオスも聖女の成れ果てを知り、同じように動いたのか。彼には小説の内容を把握することはできない。とすると、ディマの知らない方法で、彼が真実を掴んだということだ。
「あなたは偽の聖女のわたしを連れてきて、本物の聖女を殺したことになる――間接的にだけどね。わたしを連れてきたあなたは、どの道、これで否応なく断罪される」
ディマは眉間に皺を寄せた。話としては分かるが、彼女の動機について、理解ができなかった。
「捨て身だ。なぜそこまでして君はルカに従った? その筋書きだと、君も無事ではない」
アリアの赤く光る瞳が、ディマ静かに見つめた。その目は侮蔑を含んでいるように、ディマには思えた。
「分からないの? 彼こそ、希望だった。地獄のような父親から、わたし達を、救ってくれたから。彼のためなら、わたし、死んでも良かった。あなただって、一緒でしょう?」
ある意味では、聖女を信じ死んだ者と同じだ。
「僕は違う。イリスのために死ぬのではなく、彼女と一緒に生きるために戦った」
率直なディマの言葉に、初めて、アリアが微笑んだ。意外なことに、邪気のない笑みだった。本来だったらこの少女は、これほど穏やかに笑うのだろうと予感させるほどの、優しい笑顔に思えた。
「……わたしとライラは、一度、イリスを見たわ。クリステル家の反乱を収めに行く隊列の先頭で、兵士たちを率いていた。綺麗、だったなあ。
この汚れた世界で、イリスだけが美しかった。彼女一人だけが輝いていた。イリスはわたしに憧れていたと言っていたけど、ほんとはね、わたしの方だったの。このローザリアに住む女の子で、彼女に憧れない人なんていない。……わたしも、彼女になりたかった。なれると思ったの」
でも――と彼女は言う。笑みは崩れ、悲痛な表情のまま泣き出した。
「……本当はただ、ライラと一緒に暮らせれば、それで良かったのかもしれない。わたし、こんなに傷ついて、人も傷つけて。きっと殺されるのね。わたし、何がしたかったんだろう。皇妃になれば、幸せになれると思っていたの。ありもしない光を信じて、子供だったのはわたしの方だわ。ライラの方が、遥かに現実的だった」
ディマの胸に、虚しさが広がった。
「妹と一緒に暮らすことが、君の望みだったのか」
拘束された四肢のため、涙を拭うこともできずに頬を濡らすアリアは、それでも泣くまいとするかのように歯を食いしばりながら小さく頷いた。
ディマは、口の中でつぶやいた。
――なんだ、僕と、同じじゃないか。
右手で頬を拭ってやると、驚いたように彼女は目を見張った。
「君は間違っていた。だけど、僕も間違っていた。僕達が全員で望み通り生きる方法が、他にもあったのかもしれないと、今は思う」
アリアは今度、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ルシオ・フォルセティが蘇らなければ、あなたはそんな台詞は吐けなかった」
「そんなことはないさ」
ディマは椅子から立ち上がった。聞きたいことは、聞き出せた。再びアリアを見下ろすと、告げる。
「君はこれから、教皇庁の尋問官によって拷問に遭うだろう。吐くものがないのに吐けと言われ、最後は犯してもいない罪を認め、どうか殺してくれと泣いて懇願するという。君の行く末に待っているのは処刑だろう。そうでなければ、教皇庁の地下牢で、生涯日の光を見ることもなく、死ぬまで闇に幽閉だ」
アリアの表情は再び引きつった。
それはきっと、時が戻る前に、イリスが受けた拷問と同じだ。イリスはそれでも、自分が聖女であるという意思を曲げなかった。当たり前だ。本物は彼女だったのだから。
だがディマは、アリアを拘束する魔法陣に手をかざすと、それを解除した。アリアの瞳が更に驚愕に見開かれる。ディマに怯えているようにも見えた。
拘束具はアリアの動きを封じるとともに、彼女の身を守るものでもあった。それを解かれたということは、今やアリアの魔力を遥かに上回っているディマが、彼女を好きにいたぶれるということだ。当然ディマには、そのつもりはなかった。
「君の妹のライラは、僕の命の恩人だ。君の魔法から、僕の命を救ってくれた。だから彼女の願いを一つ、叶えようと思う」
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