蒼碧の革命〜人魚の願い〜

蒼河颯人

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第二章 南の国へ

第二十一話 うたかたの恋

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 ──出立する少し前、アリオンとアーサーが、ずっしりとした丸太を使って鍛錬をしていた時のこと。
 互いに何合か撃ち合った後、アーサーは口を開いた。
 
「……ふぅ。あんたはただ持久力の問題があるだけだ。身体のキレも問題ないし、攻めや守りという基本の型もしっかりしている。心配しなくても、腕そのものは問題ないと思う。スタミナつけないとな」
「そうか……安心した。ありがとう」
 
 張りの戻った頬を滑り落ちる汗が、水晶のように輝いている。
 背中に流した髪を低い位置で結った王子の表情は、どこか嬉しそうだった。
 
 そこへひゅーっと口笛の音が聞こえてくる。
 アリオンが後ろを振り返ると、ヘーゼル色をした瞳の少女が立っていた。
 にこにこ笑っている。
 一体いつからいたのだろうか。
 
「へぇ~結構あんたやるじゃん! 鍛錬なら、私付き合うよ。男性相手の方が私にとっても良い修行になるしな」
「こいつ腕は確かだから、トレーニング相手として適役だ。……因みに、相手している時は女と思わなくてもいいぞ」
「……最後の一言は余計だ」
「……おいコラ。今俺はアリオンの相手をしてるんだぞレイア」
 
 横から飛んできた丸太を、アーサーは素手ではっしと受け止めた。口ではやや批判めいたことを言っているが、よく見ればにやりと笑みを浮かべている。
 
「……ひょっとしてお前妬いてるのか? 寂しかったら後で相手してやるからちょっと待ってろ」
「馬鹿。そんなわけあるか!」
「……おやおや」
 
 苦笑するアリオンの横で二人が取っ組み合いの応酬をしていると、くすくす笑う声が聞こえてきた。赤褐色の髪の少女だった。
 
「ふふふ。この二人仲良いでしょ? ほっとくと殴り合い、叩き合いと言う名のじゃれ合いを始めちゃうんだから! 仲良すぎて見ているこっちがにやにやしちゃうわよね」
「……俺達猫じゃないんだけどな」
 
 レイアの頭を押さえつけているアーサーは、半分呆れた顔をしている。
 
「ところで、立ち入ったこと聞いても良い? 個人的な興味なだけなんだけど」
「ああ。大丈夫」
 
 セレナが急に話題をふってきた為、アリオンは首を縦に動かした。
 彼女から何かを尋ねられるだなんて、珍しい。
 
「アリオンは今、気になる人はいるの?」
「いた……といえば良いのかな」
 
 その場がおお、と少しどよめいた。
 まあ、王子たるもの、十七で色恋話しや婚姻の話しがゼロの方が少ないだろう。
 
「好きだった。でも、十年前に起きた戦争でその人は行方不明になってしまった」
「まあ! 十年前ということは、あなたがまだ七つ位のころね。きっかけは何だったの?」
「父親と一緒にアルモリカに来ていた彼女が、海で溺れそうになったところを僕が助けたんだ」
 
 やや伏し目がちになったその視線は、どこか切なげだった。
 
「……明るくて、笑顔がとても可愛い娘だった……」
 
 ⚔ ⚔ ⚔
 
 ダムノニア王国。
 今は滅亡したその国名を口にする気にもなれず、言葉として出なかった。
 その国の第一王女、ジャンヌ・ロアン。
 彼女は国王のたった一人の愛娘で、おっとりとした姫だった。
 そして好奇心旺盛な心も併せ持つ彼女は、海を見たい一心で父親であるエオン・ロアン王と共にアルモリカに来ていた。
 その日何故か連れている共がおらず、一人だった。
 
 丁度海で泳いでいたアリオンは彼女の悲鳴を聞きつけた。
 声のする方向に泳いでいくと、彼女は手足をバタつかせ、顔だけ水の上に出しているような状態だった。
 少し離れたところに、花で彩られた帽子が浮かんでいる。
 落ちたのか流されたのか分からないが、きっとこれをとろうとして海に落ち、溺れたに違いない。
 慌てて泳いで彼女の元に向かい、自分につかまらせ、城の近くにある砂浜まで連れて行ったのだった。
 
 それがきっかけで彼女と一緒に遊ぶようになった。
 カンペルロ王国がダムノニア王国を侵略し、占領下に置くその日が来るまで……
 
 ⚔ ⚔ ⚔
 
 今となっては全て懐かしい思い出だ。
 あれきり、彼女には会っていない。
 そして今現在、思い出の大切な海は同じ敵国によって奪われてしまっている。
 
 そこまで話すと、彼は静かに目を伏せた。
 
「あの国はカンペルロ王国によって滅ぼされ、既にない。探しに行きたかったが、家臣達に止められ行くにも行けなかった。まあ、齢七つの子供が人探しに向かう場所ではないが」
 
 ダムノニア王国が滅ぼされ、行方不明となってしまった王女、ジャンヌ。王一族は全て殺害されたと聞かされた為、その情報が誤っていなければ、彼女は既に死んでいるだろう。
 
 この腕で一度は助けた命。
 今はもう失われている命。
 何故罪のないあの姫が巻き込まれねばならないのか。
 指の間からこぼれ落ちる砂のように、アリオンはどこか虚しさを感じた。
 
「──そうだったのね。踏み込み過ぎちゃったようね。ごめんなさい」
 
 セレナは申し訳無さそうに頭を垂れた。
 それを目にしたアリオンは慌てて首を横に振った。両手を広げ左右に動かすジェスチャーもしている。

「いいや、気にしなくても大丈夫だよセレナ。今まで誰にも話していなかったことだから、お陰で反対にすっきりしたよ」
 
 幼い頃の、淡い想い出。
 だけど、その灯火は彼の心の中に灯ったまま。
 きっとその火はくすぶり続け、ずっと消えないままだろう。

 (そっか……アリオンは、彼女のことが本当に好きだったんだね……)
 
 レイアは少し胸がちくりと傷んだが、顔には出さないでいた。全然関係ないはずの自分の胸が何故痛むのか、良く分からなかった。
 
「十年も昔のことか。アリオンは一途なんだな」
 
 王子は顔を上げた。
 
「私……というより、全員ではないが、私達人魚族は、そういうものが多いんだ」
 
 (人魚は一生でただ一人を愛し、死してなおその者をずっと愛し続ける……そういう生き物だって、どこかで聞いたことがあるな)
 
 でも彼はいずれ国を建て直さねばならない。
 一人では無理だ。
 共同統治と言えば良いのだろうか。
 連れ添い、支え会える伴侶が必要だ。
 彼だってずっと一人のままではいられないから、この恋を、いつかは忘れないといけない……。
 
 彼をまとう世界は、何故か残酷だ。
 少しは優しく微笑んでくれれば良いのに、現実はそれを許さない。

(アリオン……)
 
 ふと顔を上げ、窓の方へと視線を向けた王子は、どこか寂しげな目をしていた。
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