夜明けのムジカ

道草家守

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自己嫌悪1

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 どう帰ったのか、覚えていない。
 ムジカが我に返った時には、自宅の玄関の壁を背に座り込んでいた。
 あそこから出て行って正解だったと思う。
 これ以上居たら、あの男を殴り飛ばしたくなっただろうから。

 早鐘のような鼓動が収まらない。吐き気がする。思考がぐちゃぐちゃで叫び出したい衝動に駆られた。
 自分の中で整理をして納得をして、しまい込んだと思っていたのに、ただ嫌なものをすべて箱の中に押し込んでいただけだったのだと気づいてしまった。
 ましになったと思っていたのに。強くなったと思っていたのに。

「ムジカ」

 アルトとテノールの中間。
 あきれも、いたわりも、戸惑いも、一切含まれない平坦な呼びかけだった。

「荷物はムジカの分も運搬してきました。ほかに何をすれば良いですか」

 この人形がついてきていることは知っていた。何も言わず、当然のようにただ後ろを歩いて。
 それを、ありがたいと思う日がくるとは思わなかった。
 下手に感情が含まれていれば、ムジカは無様に当たり散らしていただろう。ムジカの挟持が許さなかったとしても。
 おかげでほんの少しましな気分になったムジカは、膝に埋めていた顔を上げて、目の前に立つ銀色と紫の瞳の美しい人形を見上げた。

「となりに、座れ。そんで、話を聞け」
「はい」

 ラスが従順に膝を折り曲げてムジカの左隣に座った。
 こいつは人形だ。ならばこれは、独り言だ。
 そう自分に言い聞かせて、ムジカはゆっくり話し始めた。
 いまこぼしておかなければ、動けなくなると思ったからだった。

「あたしの親父はな、探掘屋シーカーだったんだ」

 けして、同じとは言わない。
 スカート地が厚いおかげで、10月の肌寒い季節でも床から寒さは上がってこない。
 だが昔は違った。部屋の一番寒い物置に閉じ込められて、足下から忍び寄る寒さで凍えながら必死に泣くのをこらえた。
 泣けば喉をつぶすなと余計に殴られるからだ。

「腕はそうでもなかった、と思う。同じ第5探掘坑に潜ってた連中から見れば、捜索方法も、奇械アンティークの見つけ方もお粗末だ」

 一時期は、父親の探掘に同行させられていたからわかる。今のムジカのほうがうまくやるだろう。

「だけど、親父は奇械アンティークを従えられた。生身で指揮歌を歌えたから」

 ラスは何も言わなかった。当然だ、話を聞けと命じたのだから。
 けれどちらりと隣を伺えば、紫の瞳が静かにこちらを向いて聞く姿勢を保っている。人形だが、人形だからこそ、ありがたいのかも知れないと思った。
 だからムジカは先を続けた。スリアンも詳しくは知らない、ムジカの経験してきたことを。

「親父は先祖代々の言い伝えられた黄金期の遺産を探し続けてた。『遺産さえ掘り起こせば全部変わる』が口癖で、ちっさいころのあたしでもやべえと思うくらいにはのめりこんでた。なんでも親父のおやじも、そのまた親父もずっとそうだったらしい。それで親父は指揮歌だけを武器に第5探掘坑を潜っていた」

 母親は知らない。おぼろげながら柔らかくて優しい手があったような記憶がある。だがはっきりものを考えるようになる頃には、くそみたいな父親の背中についてバーシェの薄暗い霧の中で暮らしていた。
 どうやらバーシェの遺跡にある噂が今まで調べてきた先祖の言い伝えと合致したらしい。だが先祖代々同じ早合点を繰り返して空振りを繰り返してきたのだろうと想像がついたムジカは全く興味がなかった。
 まさか本当にあるとは思わなかったが、とムジカは銀の人形を見やる。

「あたしは飲んだくれる親父が大嫌いだった。探掘がうまくいかなければ酒を飲んで当たり散らして、親父がオズワルドさんと別れてからは、あたしを探掘に連れて行って手伝いをさせたんだ」

 12歳以下の探掘規制がないころだったから自由だったのだ。奇械アンティークのおとりにさせられて、死に物狂いで父親の見よう見まねで指揮歌を歌った。
 そこでアルバから盗み見た探掘技術や歌い方が今の飯の種になっている。
 だが酒場で働いているほうがずっとましだった。アルバには気に入らないことがあれば殴られ、稼ぎが良ければ取り上げられ、部屋に帰ってくることすら嫌になる親だった。

「親父はあたしが人前で歌うことを嫌った。てめえの歌は人に聴かせるもんじゃねえってていうのが口癖だった。親父の前以外で歌ったら火が付いたみてえに怒られたよ」

 ムジカは一時期チップを稼ぐために酒場の舞台に立っていたことがある。
 10にも満たない少女だったからか酔客はもちろん、わざわざ聴きにくる客までいてムジカの懐は温かかった。
 にもかかわらず、それを知ったアルバは今までで一番怒り狂い、ムジカが動けなくなるほど殴った挙句、酒場をやめさせられた。
 そのときに、アルバはムジカが歌うのが嫌いなのだと思った。命じられて唄った指揮歌ですら顔を背けたのだ。

「だから言われても歌わねえって思った。絶対親父みたいにはなるもんかと誓ってたのに」

 ムジカはぐっと膝を抱える手に力を込める。

「なのに親父はあたしに歌を教え始めた。何かのたがが外れたみたいに」
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