夜明けのムジカ

道草家守

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自己嫌悪2

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 前触れはなかったように思う。
 ある日唐突にアルバは探掘に行かなくなり、ムジカに歌い方を教え始めた。
 声楽の基礎から、今まで絶対に教えようとしなかった指揮歌の音程まで。
 一音でも外せば何度でもやり直しをさせられ、与えられた課題が終わるまで食事を抜かれた。口答えをすれば拳と罵声が飛んできた。
 指揮歌は特殊な発声法の上、音程を半音、息継ぎを一つでも間違えれば効力が大幅に半減することなんてどうでもいい。生きるために死にものぐるいで歌い方を覚えた。思い出したくもない日々だった。
 今でもバイオリンの音を聞くと、心がすくむときがある。

 歌がない時は、今までの探掘成果を教え込まれた。知らない歌を延々と繰り返し続けるうちに、日にちの感覚がなくなっていった。
 その期間が1年ほど。
 スリアンが現れなければ、ムジカは喉がつぶれるか餓死していただろう。
 保護されてから間もなくアルバは死んだ。エーテル症によって骨すら残らず。
 亡霊すら残らなかった。
 執着していたのはムジカではなく、研究成果を受け継がせることだったのだと気づいた。

「親父が死んだ後、最悪だった。よくぞここまでって感じでいろんな場所から借金していたことがわかって。借金の形にあたしを女衒に売る算段がつけられてたんだ」

 今でもどろりとした怒りが湧いてくる。
 晩年、アルバは喉が衰えており、それを補うために変声器トランスレータを購入していた。
 変声器は奇械アンティークの型によって専用品が必要だ。だが探掘屋シーカー向けに用意されている万能型は、中層部に家が一軒持てるほどの法外な値段がする。
 それをアルバは借金で入手していたのだ。 

 スリアンが交渉し、借金の半分を肩代わりしてくれなければ、ムジカはすぐに下着のような衣装を着て街頭にたっていただろう。エーテルと薬にやられてぼろぼろになっていた。
 それでも借金を返せることを証明するために、法外な金を用意しなければならなかった。だが、ムジカが朝から晩まで酒場で働いたとしても、一生かかっても用意することはできない。
 しかも期日は迫っている。

「だからあたしは探掘屋シーカーになるしかなかったんだ。あたしが持っている能力で確実に稼げるのがそれしかなかったから。捕まえようとする借金取りから逃げて、第5探掘坑に潜り込んだ」

 無謀なのは重々承知していた。死ぬのならそれで良かった。
 父親の思い通りになるのだけは嫌だったのだ。
 案の定死にかけた挙句、自律兵器ドールに遭遇し破れかぶれに歌ったおかげで、アルバよりも強力に奇械アンティークを従わせられると気づいた。無意識に口ずさむくらいに、体にしみこんでしまっていることに吐き気がしたが。
 そしてムジカは無事に自律兵器ドールを捕獲し、堂々と金を用意できた。差し出される大金を前にした借金取りたちの惚け顔は、大変胸がすいたものだ。
 ただ自律兵器ドールを止められたのは後にも先にもあの時だけだが。

「あたしは親父が大嫌いだ。親父があたしに押しつけた歌が嫌いだ。だから、あたしは誰かのためには歌わない。あたしのためだけに歌う」

 探掘のために歌を利用することも嫌だったが、一人で生きるために目をつぶった。なにせ、借金はまだ半分残っているのだ。半分でも、普通の少女には払いきれない途方もない金額である。潜らなくてはならない。
 それに、父親の執着した遺跡の果てをこの目で見て、そんなものなかった、あるいは大したことはなかったと鼻で笑って壊すつもりだった。
 そういう意味では、ムジカも先祖の呪縛に囚われているのだろう。だがそれもムジカで終わりなのだ。
 思い出し口に出して、怒りと共に指先に熱が戻ってくる。湧き上がってくる活力にムジカはほっとした。
 いつだって怒りはムジカの原動力だった。怒れるのならまだ大丈夫だ。
 たったあれだけの言葉で動揺するのは、ムジカとしても予想外だったのだ。

 じくじくとした傷が未だに痛むことに、未だに父親の影を払拭できていないことを思い知ったが、はき出せたおかげですこしましな気分になれた。
 それでも立ち上がるにはまだ足りなくて、ムジカは足を伸ばして壁に背中を預けてラスを振り仰ぐ。

「まあ、そういうわけだ。世話かけたな」
「……ムジカは、歌いたくないということでしょうか」
「端的に言えば、そうだ」

 青年人形は、薄暗い部屋の中でも鮮やかな紫の瞳をゆるりと瞬かせた。

「俺はムジカのための自律兵器ドールです。あなたの希望を叶えます」

 いつもの返答と違うような気がしたが、やはりいたわりの言葉も、変な同情もないことにムジカは安心した。
 ムジカはそれしかなくとも自分でこの道を選んだ。だから後悔など何もない。

「あーあ挨拶もせずに帰ってきちまったから、ウォースターさんには悪いことしたなあ。明日にでも謝りに行くか。仕事は……うんだめだろう、けど」

 少し、気が抜けたようだ。
 たちまち押し寄せる睡魔に、ムジカはこっくりこっくりと船をこぎ始める。
 肌寒さはあるものの、慣れないことをした疲れが一気に出たのだろう。酒が回ったのもあるのかも知れない。

「ムジカ、眠るのなら寝室へゆくのが最適です。ここは適切ではありません」
「うー、ちょっと寝て、から……。じぶんで、うごき、たくない」
「了解しました」

 ラスの声が聞こえ、ムジカの体がふわりと浮く。
 しっかりした腕に抱かれながら、ムジカの意識は眠りの底に滑り落ちていったのだった。
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