上 下
79 / 214
第五章

79

しおりを挟む

 アドラーは、残りの全員を後退させた。

「さっき見かけた廃神殿。あそこに行け」

 古代遺跡の一つに籠もるように指示する。
 普通の野宿よりは安全なはず。

「エスネさん、後は頼む。あの二人は、何とか返してもらうから」

 ライデンのトップギルドの副団長にパーティを託し、腰に付けた財布をぽんっと叩いた。
 アドラーは、金で解決するつもりだった。

 もちろん、後で”シロナの祝祭”団に請求するが。

「こんな事で、戦いなんてごめんだからな」

 もし捕まったのがリューリアとキャルルなら、アドラーは容赦しない。
 土下座で済むなら頭をこすりつけるが、いざとなれば実力行使も迷わない。

 だが、いい歳をした冒険者が先に剣を抜いて捕まったとあっては、刃傷沙汰にするつもりはない。
 剣と魔法の世界に慣れてはいても、アドラーには前世で身につけた常識がある。

 しかしこの世界には、常識がない者もいる。

 素手で歩きだしたアドラーの横に、並ぶ者があった。
 アドラーは一瞬横を向き、正面を向いてから、二度見した。

「くるなっ! 戻れ、みんなのとこに居てくれ!」
「そうもいかない! 捕まったのは私の部下だからな!」

 青のエスネだった。
 その横顔は、使命感に燃えていてきりりと美しい。

「いやいや、困ります」
「ふっ、貴公に任せて背を向けるほど、私は臆病ではないぞ?」

「いや、ぜんぜん違うし。あんたが来ると……」
 ややこしくなりそうだ、と言おうとしてアドラーは控えた。

 ブロンドの長髪に凛々しさのある美形、さらに青い瞳に合わせた専用の青い鎧と白いマント。
 鎧の胸部は大きく膨らみミュスレアでも負ける。

『捕虜になる為に冒険者となった』としか、アドラーには見えなかった。

「お願いです、エスネさん……ここは引いて下さい。男三人なら、何とでもなりますから!」

 土下座して頼むべきか、アドラーは本気で迷っていた。

「何を騒いでる。お前らも仲間か?」

 村の正門前で言い争う二人に、リザード族が銛を突きつけた。
 槍でなく銛、返しの付いた魚を取る生活道具に囲まれてアドラーは思った。

『あまり武器を持たない平和な部族なんだな』と。

「わたしは、エスメラルドティーナ・フラウ・ローエンベルトだ! シロナの祝祭団の副団長にして、銀剣のランクを持つライデンの冒険者である!」

 長い本名を持つエスネは、堂々と自己紹介をした。

「心配するな。皆はちゃんと逃してきた」

 不安を隠そうともしないアドラーに、ウインクしながら告げたエスネは、更に続けた。

「先の二人は、私の部下だ。非礼は重ねてお詫びする! どうか彼らを返してはくれないだろうか?」

 リザード族の一人が、銛をひっくり返して木の柄の方でアドラーをつついた。
 紳士的な対応である。

「話は中で聞く、こっちさ来るだ」

 アドラーは、団員達の方を見る。
 大人しく退いて、もう五百歩は離れていた。

 リザード族もそちらを追う気はないようで、アドラーは安心して捕まることにした。

「むっ、今のでは駄目か?」
 渋々といった感じで丸腰のエスネも捕まる。

 縄などかけられなかったが、リザード族の一人がアドラーの肩をぽんっと叩く。
 慰められたようで、アドラーは悲しくなった。

 村の中では、ハボットともう一人が縛られて転がされていた。

「このっきさまら! トカゲ風情がシロナの幹部にこの仕打ち! 団が知れば皆殺しだぞ!?」

 ハボットは威勢よく騒いでいて、エスネを見つけるとさらに元気になる。

「おお、エスネ様! わざわざこんな薄汚い所まで! トカゲどもっ! 今直ぐ縄を解け、エスネ様の聖剣ミュルグレスの錆になりたいか!」

 黙って聞いていたアドラーは、リザード族に申し訳なくなった。
 見知らぬ魔物が出て警戒してたところに、余計な仕事を増やしてしまったのだ。

 少しでも手間を減らそうと、自分は武器を持ってないと手をあげてアピールする。
 つられて、エスネも両手をあげた。

「んなっ!? エ、エスネ様! け、剣も持たずに何故こんな所へ!?」
 ハボットは、やっと本気で慌てだす。

 エスネに代わり、アドラーが答えた。
「話し合いに来たんだよ。だからその口を閉じろ」

 あと一言でも喋れば、ハボットの髭面を蹴ってやろうとアドラーは決めた。
 だがハボットは、「ぐぬぬ」と言ったきり黙り込む。

 アドラーとエスネは、小さな小屋に入れられた。
 隣の小屋には、ハボットと道連れの若者が縛られたまま放り込まれる。

「くっ、虜囚の辱めを受けるなど、このエスネ一生の不覚……」
「だから来るな、って言ったのに……」

「何か申したか?」
「いいえ、何も」

 アドラーには、まだ余裕があった。
 地下牢や水牢に入れられなかったのは幸運。

 湿って虫が出る健康に悪い場所に閉じ込められれば、力ずくでも逃げるしかない。

『ここのリザード族に迷惑かけたくないなあ、これ以上』
 アドラーは心底から願う。

 しばしの間、隣の小屋からのハボットの罵声だけが響く。

「アドラー! エスネ様に何かあったら! 指一本でも触れたら!」
 などと騒いでいる。

 かつての”太陽を掴む鷲”の副団長で、アドラー達に借金を押し付けて置き去りにした張本人のグレーシャ。
 彼女と幼馴染だというエスネは、丁寧に膝を揃えて座り、三つ指を付いてアドラーに謝罪をした。

「こんな事になって申し訳ない。部下の不始末は私の責任だ。私に出来る事なら何でもしよう。何でも言ってくれ」

「何でも?」
 目の前で頭を下げたブロンドの女冒険者にアドラーは聞き返す。

「ああ、何でも言うことを聞く!」
 エスネは、ぱっと顔をあげた。

「ふむ、ならば……」
 アドラーは、エスネに命令することにした。

「ああっ! ちょっと、いやー!」
 二人の小屋から怪しい声が漏れ出した。

「そ、そんなー! おやめになってください……」

「なっ!? アドラー、きさま! 何をやっておるか!?」
 隣の小屋のハボットが大きくわめく。

「あっやだ! 胸当ては着けたままだなんて、どういう趣味?」
 エスネの棒読みが続く。

「くっ、仕方ないわ。これも私の責任だもの……だめぇ、リザード族が見てるぅ」

 アドラーが地面に指で書いた文字を、エスネが読み上げていた。
 一層うるさくなったハボットのとこへ、リザード族の見張りがやってきて棒で殴って黙らせる。

 アドラーの方はちらりと見ただけで、見張りは去っていった。

「こんなとこか。もういいよ、委員長」
「こ、これに何の意味があるのだ? それに私は副団長だぞ?」

「ごめんごめん。やっと静かになった……いや、警戒の度合いや見張りの数を確かめる為さ」

 アドラーは、剣と魔法が支配する非道な世界にも慣れていた。

 ハボットが静かになったので、休める内に休もうとアドラーは横になる。
 エスネと一番離れた壁際まで転がって、壁を向いて目を閉じる。

 眠る前のアドラーの背中に、エスネが声をかけた。

「……な、なあアドラー殿、貴公は年齢は幾つだ? 若くも見えるが、時折凄く落ち着いて見える」

 この質問は、かつてのアドラーは苦手だった。
 だが、最近は普通に答えることが出来る。

 前世の経験や知識があっても、精神は今の入れ物に強く引っ張られる。
 エルフ族なども、数十年生きていても見た目と体が若ければ、言動や行動も若い。

 精神だけが成熟するなど、どだい無理な話だとアドラーはこの世界で知った。

「うーんと、もう二十三かなあ。こっちに生まれてから」
「な、なんだ! 私より若いではないか!」

「グレーシャと同い年だっけ? エスネは」
「エスネさん、だぞ? けど貴公には呼び捨てを許そう。わたしもアドラーと呼んで良いか?」

「どうぞどうぞ。エスネも休むと良い、何があるか分からないし……」
「うん、そうだな。おやすみ、アドラー」

 エスネも素直に横になる。
 冒険者らしく寝床は選ばない。

 わざわざオカバンゴ・デルタの奥地へ踏み込んだアドラーの今日の収穫は、これだけだった。

 ふと「みなは無事に飯を食ってるだろうか」と思い立つ。
 ミュスレアもダルタスもマレフィカもブランカも居る、身の心配はほとんどない。

 だがちょうどこの頃、キャルルが大冒険をやらかすなど、アドラーでさえ予想してなかった。
しおりを挟む

処理中です...