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第五章

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 キャルル、ブランカ、バスティは、誰にも告げずに廃神殿の隠し通路へ踏み込んだ。

「下へ続いてる! 行くぞ!」
 隊長気取りのキャルルは、迷わず先へ進む。

「待つにゃ!」
「待ってよ!」
 神と竜の化身がそれに続いた。

「いいのか? だんちょーやリューリアに怒られるぞ?」
 ブランカは黙って行動するのが良くないことくらい分かる。

「へーきへーき。バレなきゃ良いんだ」
 キャルルの好奇心は止まらない。

「あれ、よっと……ブランカ、ちょっと手伝って!」
「仕方ないなあ」

 キャルルは、背負った長い剣を抜こうとして失敗した。
 ブランカが鞘から抜いて少年の手に持たせてやる。

「へへっ、ありがと! いくぞお前ら!」
 ヒカリゴケが生える地下へ向かって、キャルルはどんどん進む。

 まだ下の姉よりも小柄で、ようやく150センチを超えたキャルルにエルフの剣は長過ぎた。
 あと10年もすれば、緩やかに成長して190を超える青年に育つのだが。

 そのキャルルより少し背の低いブランカを、少年は妹分だと思っていた。

 一方、将来は全長二百メートルを超える祖竜の子供は、キャルルを群れで一番弱い守ってあげる対象だと思っていた。

 そしてバスティは、幼い二人が無茶をしないように見守らねばと思っていた。

 半熟どころか卵のようなパーティが、謎の古代神殿へ挑む。

「何もないな」
「何も出ないね」

「良い事だにゃ。さっさと戻るにゃ……」

 かつての神殿の地下には、目立つものはなかった。
 リザード族も使用していたのか、所々に彼らの描いた壁画がある程度。

「この絵、ブランカに似てない?」

 キャルルが剣を向けたのは、巨大な翼を持つ竜とその前に立つ女性を、リザード族が拝む壁画。

 女の姿は長い髪に人に近い顔、それに長い尻尾で、リザード族とはあきらかに違う。

「そうかなー。あたしの方がかわいくない?」
 ブランカは余り乗り気でない。

「そういうこという女って、性格悪いんだよね。リューねえみたいに」
「なんだとっ!?」

 生意気なことを言うキャルルを、ブランカが追い回す。
 剣を持って追いかけっこなど、アドラーが見たら激怒するのだが、ここには怒る大人がいない。

「待て、待つにゃ。何か変だにゃ」

 二人の後を追うバスティの髭は、何かを捉えていた。
 敵や魔物の気配ではなく、自分に近いものの存在を。

 階段を駆け下り、通路を走って奥の部屋へ入り込んだキャルルが突然止まる。

「わっ! 危ない!」
 小さな背中にぶつかるようにして、ブランカも止まる。

「いてて、なんだよ急にっ!」
「ブランカ、この部屋なんだろ?」

 二人が見回す薄明かりの部屋には、幾つかのレバーや計器が並ぶ。

「引いていいかな?」
「良いんじゃない?」

 キャルルが好奇心のままにレバーの一つに手をかけて、ブランカの返事で引いた。

「んにゃ!? おいバカやめるにゃ!」

 追いかけて来たバスティには分かった。
 この部屋だけは、これまでの地上の種族が作ったものではない。
 自分に近い存在、神族か魔族が手を加えたものだと。

 そして変化は地上で現れた。
 アドラーの視線の先で活動を始めた、古代遺跡の塔がそれである。


 エスネを抱えて逃げようとしたアドラーは、思い出していた。

 起動した塔の姿が、彼の記憶を刺激したのだ。

「あれは……アドラクティア大陸での最後……!」

 二足種族の天敵、昆虫型モンスターの来る方角へ、少数の精鋭を選んで調査に向かったアドラー。

 アドラクティア大陸で最強のパーティは、魔物が生まれ出る塔を見つけた。
 塔の破壊を決断したアドラーは、激闘を繰り返しながらも作戦を成功させる。

 しかし、最後の最後、いざ脱出の場面でアドラーは吹き飛ばされた。
 塔は魔物を生み出すのではなく、何処かから呼び寄せるものだった。

 過大な転移魔法は、アドラーを未知の大陸まで転移させ、今に至る。

「そうだった、そうだった。いやー、どうしようか?」
「な、何がだ?」

 アドラーはエスネに尋ねてみたが、当然ながら彼女には意味不明。
 それほどにアドラーは焦っていた。

「まずい、なんてものではない。このままではこっちもアドラクティアの二の舞だな……」

「なんの事か分からぬぞ! そ、それよりも、リザード族が! いけにえは嫌だ!」

 リザード族は、神にエスネを捧げるべく祭壇を取り囲む。
 ひとまずは安全なとこへ逃げる為に、アドラーは飛んだ。

 脚力に任せた大ジャンプ、片手で抱えたエスネからは、飾りの花や果実が飛び散る。

「うん、んんーー!? ア、アドラー、待ってくれ! 服が、いや最後の鎧がなくなってしまう!」

 近くの屋根に飛び移った時に、エスネが腕からすり抜けた。
 保温の為に全身に油を塗られた全裸の美女は、べとべとのぬるぬるであった。

「エ、エスネ、暴れると落ちる!」
「そ、そんなこと言われても! こ、こんな格好で動けるものか!」

 肌に模様を描いた染料と油が混ざって光り、所々に花びらだけが張り付いたエスネの姿は、踊り子が脱ぐ店の最後の見せ場よりも卑猥。

 思わずアドラーも目をそらす。

「あの、じゃあこれを……」

 肩から腰までを覆う、旅用のマントをアドラーは差し出した。
 団長になった時に買った、革で出来た実用品。

 涙目のエスネは、無いよりはましとマントにくるまった。

「良いですか? 飛ぶよ」
「飛ぶってお主、そんなこと……うわっ!?」

 両手でエスネを抱えたアドラーは、再び跳ねた。
 屋根を伝って追手のリザード族を避け、湖岸の物見やぐらまで辿り着く。

「ここで、じっとしてて下さいね」
 やぐらの上に全裸マントのエスネを置いて、アドラーは一人で降りる。

 人間離れした動き、トップクラスの冒険者でもありえぬ動きを見たエスネは、呆然としたまま素直にうなずいた。

 アドラーは、地上に降りてからやぐらのはしごを外す。
 そして、集まってきたリザード族に告げた。

「湖から、塔から敵が来るぞ! 今直ぐだ! 逃げろ、ここは俺が食い止める!」

 暗い湖面には、既に数百のナフーヌが溢れ、真っ直ぐに村を目指して押し渡ってきていた。

 リザード族も、それに気付く。

「神の怒りだ! いけにえを!」とシャーマンは叫び、それに同調する者もあったが、アドラーに指一本も届かない。

「使いを廃神殿に出せ。俺が必ず、ここで食い止める。だからお前らは逃げてくれ!」

 アドラーの必死の叫びに、理解のあるリザードの若者達が動いた。

「アドラーさん、これを」
 ハプシェが、普通の剣を一本アドラーに手渡した。

「ありがたい! 助かる!」
 鉄で出来ている以外は、何の取り柄もない武器だが、無いよりは遥かにまし。

 アドラーは、湖へ向けて歩く。
 法術と神授、二種類のバフを最大にして。

 アドラーの動きを見せつけられたリザード族は、二つに別れて道を作り、もう邪魔はしなかった。
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