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第七章
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しおりを挟む突然始まった修羅場に、アドラーは気配を消した。
「おいおい、彼女にも話してないのかよ」と突っ込みたいが、二人とも二十歳前後で、口を出す場面ではないと思ったのだ。
「クリミア、分かってくれ! 俺は自分の力を試したいんだ……何時か戻ってくるから……!」
アストラハンは、傷つけない別れ文句を持ち出した。
こんな事を吐く男が戻ってくる可能性は、旅立った鮭が川に戻って来るより低い。
気丈にもクリミアは、縋り付くこともせず涙も見せなかった。
「アスラ、あなたの夢は知ってるわ。縛るつもりもないの! けど、もう少しだけ側にいて。せめて生まれてくる子に……名前を付けるまで……」
アドラーは気配を消したまま、アストラハンの後頭部を平手打ちした。
お別れ会は披露宴となる。
無責任かと思われたアストラハンは、吹っ切れた顔をしていた。
「アドラーさん、本当に申し訳ありません。これからはここで彼女と子供を守ります」と。
孤児だった彼には当たり前の決断で……男の団員達からは、手荒い祝福を受けていた。
かなり強めに殴られても、アストラハンは笑顔だった。
家族が出来た喜びと、黙って行こうとしたのも『この一発』で許してもらえたから。
「この若さでお婆ちゃんになるなんてねえ」
千五百歳を超えるアクアも喜びの乾杯をする。
最初にクリミアのお腹の子供に気付いたのは、女神アクアだった。
一人の気配が二人になれば、神さまなら分かる。
この世界でも、一番人気の神さまは子孫繁栄と母子健康を司る大地母神の一門。
彼女らの保護があるから、魔物が住む世界で人々は命を繋ぐことができた。
アドラーも、急に盛り上がった雰囲気を楽しんでいた。
お別れの寂しさよりも、新しい命を祝う方がずっと良い。
幻影団の最年長であるアストラハンとクリミア、二人の婚約と妊娠の発表は、若者の多い二つの団に衝撃を与えた。
リューリアは、同世代のクリミアと仲良くなっていて、ありったけの笑顔でお祝いした後にアドラーのところへやって来る。
「知ってる? クリミアさん、19歳なんだって」
「へーそうなんだー。アストラハンが21だっけ……」
アドラーは再び包囲された兵士の気分になっていた。
次女はさらに付け加える。
「わたしも、来年19なんだけど?」
思わぬ伏兵にアドラーは逃げ道を探したが、何処にもありそうにない。
そして包囲網が閉じる。
「お姉ちゃん、もうすぐ26かあ……」
ついでにキャルルもやってくる。
「姉ちゃんの何が不満なの? やっぱり性格?」
アドラーは大きく首を横に振る。
むしろ自分では釣り合わないと思ったことしかない。
だが、ひょっとすると好意を持たれているのかも、くらいの自覚はアドラーにもあった。
「ふ、不満なんてないが……。リュー、キャル、良いかい? こんな商売してると、長生きする気がしない。だからお前らにも早く足を洗って欲しいと思ってるんだ」
「そーいうのは良いから」
「兄ちゃん、話をずらしても駄目だよ?」
姉弟の堅い包囲は崩れない、殲滅まであと僅か。
「うっ……それに、寿命も結構違うだろ?」
異種族婚でよくある理由をアドラーは持ち出した。
ミュスレアは百五十年から二百年は生きて、アドラーはどんなに長くても百歳までなのだが、姉弟は大きなため息を付いた。
「良いじゃないの。あと三十年しても、お姉ちゃん全然老けないわよ?」
「そうそう。兄ちゃんが寝たきりになっても、姉ちゃんはぴんぴんしてるし」
アドラーは、自分にはメリットしかない事に気付いたが、逆にそれが心の足枷になってしまう。
「もう、戦いの時みたいにしゃきっとしてよね!」
煮え切らないアドラーにリューリアが怒り、キャルルが別の手を提案した。
「いっそ、姉ちゃんをけしかけたら?」
「駄目よ。お姉ちゃんもそっち方面はさっぱりだから」
「うーん、ダルタスでも攻めてるのになあ」
「えっ、何それ? 詳しく聞かせなさいよ!」
キャルルは、ダルタスがギルド対抗戦で出会ったハーモニアに、クエストから帰る度に会いに行ってると姉にバラした。
その隙に、気配を殺したアドラーがこっそりと逃げ出す。
当のミュスレアは、魔女や女神と一緒に、振る舞い酒を次々に飲み干していた……。
翌日出発する予定だったが、せっかくなのでもう一晩となり、アドラーは昼過ぎまで寝ていた。
「二日酔いには、温泉だなあ……」
お湯にのんびりと足を付けて汗をかくくらい、アドラーはリラックスしていた。
何だかんだと言われても、アドラー達の結束は固い。
新しい武器や力を手に入れた者も増え、団の中に問題は全くない。
団長としては、もう数日はゆっくりしたいところだった。
そこへ、幻影団の若者が服のまま飛び込んできた。
「アドラーさん! 神殿の表に使いが来てます。ライデンからと言ってますが、あきらかに軍人です。どうしましょう?」
アドラーは、少し考えた。
思い当たる節は幾つもあるが、ルーシー国まで捕らえにやって来るような事はやっていないはず。
ライデン――ミケドニア帝国――の名を騙るのは、普通の国ではリスクが高すぎる。
「会うから入れてあげてくれるかな。ごめんね、使い番みたいなことさせて」
幻影団の若者は、喜んで走っていく。
歴戦のアドラーやダルタスは、彼らには憧れの先輩冒険者なのだ。
使いの男は、アドラーに伝言を持ってきていた。
命令を出したのは、侯爵へ昇進したバルハルト。
手紙や連絡球で伝えられぬ重大事は、信用出来る人を走らせるのが確実で早い。
「アドラー様、突然のご無礼お許し下さい」
風の精霊の盗み聞きを防ぐ魔法を発動させた男は、口頭で告げた。
「バルハルト閣下より、サイアミーズに動きありライデンにて待つと」
「了解した。ところで、閣下は帰り路については?」
「レオン王国の沿岸に、軍艦が来ております」
「直ぐに出発するが、一緒に戻るか?」
「いえ、自分は先に馬を飛ばしますので。これを大使館でお見せ下さい」
使いの男は、魔法で封印された書状をアドラーに渡すと、休む間もなく去って行く。
許可なき者が開けば燃えるか文字が消える魔法がかかった書状は、普通の封蝋も施されていて印章もあった。
王冠を被った横を向く獅子の顔、この紋章を持つ家は大陸に一つしかなく、アドラーでも知っていた。
ミケドニア帝国を統べるアグリシア家の、直系男子のみが許されるものだった。
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