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八章

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「リュー姉、くすぐったい」
「我慢なさい」

 ご機嫌なリューリアが鼻歌交じりでキャルルを洗う。
 両膝立ちで弟の髪から長い耳の裏をごしごしと。
 先日も風呂に入ったキャルルは垢も少なく、次女は満足していた。
 三十分で金貨1枚は取れるサービスを受けながら、キャルルは我慢する。

「余りべたべたしないでくれる」と言っても良いが、それでは姉が悲しむ。

 もっと小さな頃に、長女のミュスレアと比べてリューリアに酷いことを言ったことがあった。
「大きい姉ちゃんは好きだけど、小さい姉ちゃんは嫌い」と。

 歳が近いのに子供扱いする次女への反発だったが、効果は大きすぎた。
 大粒の涙が溢れたリューリアは、ミュスレアの胸に飛び込むと大声で泣き出したのだ。

 同じく悲しくなったキャルルが泣きながら「今のはうそ、リューねえも好き」と飛びつくまで騒ぎは収まらなかった。

 以降、キャルルは「ばか。ぶす。うざい」とは言っても「嫌い」と言うことはなくなった。
 構おうとする姉を無理に押しのけるのも諦めた。
 姉のしたいようにさせる、自分がちょっと我慢してれば良いと分かったのだ。

「……まあ別に、不幸ではないんだけど」と思いながら、キャルルは姉の手から早めに逃げ出した。

「あとは自分で洗うから!」と嘘を付いて湯船に飛び込む。
 手が空いたリューリアは、やれやれと言ってから他の子の面倒をみようと立ち上がった。

 風呂に追い立てられた女の子の誰もが、親や環境に恵まれないか、または強引に連れてこられたもの。
 年長のリューリアが世話してくれるとあって、子供らは嬉しそうに寄ってくる。

 その様子を、城下で娼館を経営する遣り手婆どもが見つめる。
「どうもおかしいね」
「ああ変だね。この子ら、希望を持っているよ」

 気付いた婆たちは、皺だらけの額を寄せて会議をする。
 雇い主のブルゴーニュ公ウードに報せるべきか、長い世渡りの嗅覚を働かせる。

 ババアどもには、希望の原因が分かる。
 守るように子供らの世話をするリューリアと、女の子の裸からは目をそらして湯に浸かるキャルルだ。

 この上玉な姉弟の目が死んでいない、それどころか生命力に溢れ、絶対の自信が満ちている。
 ババアどもはひそひそと会話を交わす。

「これは何かあるね」
「あたしゃ揉め事はごめんだよ」
「……ご報告を申し上げるかい?」

 密談を続ける遣り手婆の横を、キャルルがこっそり通り抜けた。
 ババアの一人が気付いて手を伸ばす。

「これお待ち! あんたは城主様がご所望だよ!」
「知るか、くそばばぁ!」

 年寄りに捕まるキャルルではない。
 するりと手をかわして飛び出した所で閃き、立ち止まった。
 脱衣所で余裕を持って辺りを見回し、屋根に潜む黒猫を見つけると、キャルルは手信号を送る。

 ようやく遣り手婆が追いつき、少年を捕まえる。
「やれやれ、すばしっこい子だねえ。けどその元気も何時まで続くかねぇ……城主様は恐ろしいお方だよ」

 脅しの台詞も、キャルルの長い耳には右から左。
 この城のボスは「ボクが倒す!」と、キャルルは心に秘めていた……。

 そしてアドラー達は、八人で城を包囲していた。
 緊急事があれば、忍び込んだバスティが報せる。
 城内の配置も、バスティを経由してアドラーの下に届いていた。

 ミュスレア、ダルタス、マレフィカ、ブランカ、イグアサウリオ、バシウム、そしてリヴァンナ。

 一騎当千の冒険者が合計八人、城内の兵士は八百ほどだが、騎士団が常駐していた。
 金羊毛騎士団トワゾンドール、ブルゴーニュ公に仕える大陸三大騎士団の一つ。
 アドラーも名前だけは知っている。

「大陸最強の騎士団らしいが……城内では馬に乗れない。出会い頭にたたっ斬る。目標は地下倉庫、ここにリューリアとキャルルを含めて二十五人が囚われている。突入は、俺とミュスレアとダルタスとリヴァンナ。残りは所定の位置、マレフィカの合図で陽動を開始してくれ」

 全員がしっかりと頷いた。
 守りが堅い、特に魔法が張り巡らされた城塞を、一瞬とはいえ麻痺させる必要があった。

 まずは東にブランカ、西にバシウムとイグアサウリオが散る。
 マレフィカがほうきに乗って城の上空へ、そしてアドラー達は南から攻める。

 オークのダルタスが斧を振り上げ言った。
「やれやれ、結局は力攻めか」

 心外だとアドラーは言い返す。
「綿密な作戦だ! 三点同時攻撃だぞ!」

 ミュスレアも槍を構えてダルタスに味方した。
「けど、南門はこじ開けるんでしょ?」
「まあ、それはそうだけど……」

 何時もの三人が、今日は中央にリヴァンナを囲って歩き出す。
 作戦の成否は、彼女のネクロマンサーの力にかかっていた。

「緊張しないで。駄目なら駄目でなんとかするから」
「うん。頑張る」

 争奪戦は一旦忘れて、ミュスレアがリヴァンナに声をかけた。
 急に仲良くなった二人を見て、アドラーは一つ安心する。
 そろそろ、原因が自分ではないかと気付いていたのだ。

 巨大な城を包囲した八人は、上空のマレフィカを経由して連絡を取り合い、そしてタイミングを図る。

 丁度その時、城主のウードがキャルルの腕を引き寄せ、寝台に投げ込もうとしていた。
 このウード、戦に出たことはないが膂力は強かった。
 これまでに何度も、ベッドで女の手足を引きちぎってしまう程に。

 そして「やれ」と、アドラーが命じた。

 祖竜のブランカと灼熱の魔法使いバシウムの一撃が、城を東西から襲う。
 一瞬にして城を守るクリスタルが二つ砕けて溶けた。

 南からは声を一つも立てずにアドラー達が殴り込む。
 城門は、オークの斧が三回振るわれたところで破壊された。

「爆発だっ!」
「て、敵襲!?」
「火が、火が出たぞ!!」

 城内は一瞬で恐慌に陥り、最初の一撃に合わせて反撃したキャルルが、ウードの股間を蹴り上げていた。

 金羊毛騎士団トワゾンドールの動きは流石に早い。
 直ぐにウードの下に駆けつけ、扉を跳ね開ける。

「ウード様、異変です! 東西より魔法攻撃、防御が一瞬で吹き飛びました! って、あれ?」

 騎士が見たのは、股間を抑えて床にうずくまる主君と、その顔をもう一発蹴り上げた美少女の姿だった。

「貴様! 間諜か!? 幼き少女を送り込むなど卑劣な……!」
 騎士は素早く剣を抜いたが、その前に美少女が脇を駆け抜ける。
「ボクは、男だよっ!」と捨て台詞を残して。

 城内では騎士団とキャルルの追いかけっこが始まる。
 だが薄い絹の服一枚をまとったエルフの少年が、重装備の騎士に捕まるはずがない。

 それと同時に、南壁にあった3つ目のクリスタルまで砕かれる。
 侵入したアドラー達があっさりと攻略していた。

「こうなれば、私の魔法が通じるのよねー」
 上空のマレフィカが、城の魔法制御室に介入し、全ての通信と探知を落とす。

 城内に侵入した全ての敵を、机上のガラスに投影する最新の魔法防御がダウンした。
 再起動までは僅かに数分だったが、再び映ったガラスを見た魔法制御室の魔術師達は驚愕する。

 城内のあらゆる場所から、敵の反応が出ていた。
 その数は三百を超える。

 集中を解いたリヴァンナが報告する。
「やったよ、アドラー」
「よくやった、リヴァンナ」

 褒められたダークエルフの娘は、普段の無表情を脱ぎ捨てとろける顔になった。
 一瞬眉毛が三角になったミュスレアもここは抑える。
 敵地で喧嘩するほど常識知らずではない。

 レイスにファントムにグールにマミー、城内と周辺からありったけの死霊をネクロマンサーは集めていた。
 現れたアンデッドは、魔法の探知にかかり反応を出す。

 情報と統制を失った城は、本来の防御力の一割も発揮できず、アドラー達はやすやすと地下倉庫へ辿り着く。

 再び扉をオークの斧が切り裂くと、そこにはリューリアを中心に二十四人の瞳があった。
 有翼族の一家もいるが、ほとんどは年端もいかない各種族の少女。
 アドラーは、作戦を変えたことが正しかったと確信した。

「お兄ちゃん!」と、リューリアが勢いよく飛びつく。
 姉のミュスレアも、三百の死霊を操るリヴァンナもこれは止められない。

「リュー、無事か? 無事だな?」
 妹分の頭を撫でたアドラーが、他の二十三人に向き直る。

「自分はアドラー・エイベルデイン。生まれはアドラクティア、今はライデンの小さなギルドの団長。今から君たちを助け出す。この先の事も心配しなくていい、だから俺を信じてくれ。アドラー団長だ、頼むぞみんな」

 それからアドラーは、全員に強化魔法をかけた。
 全開とはいかなくても、走れるだけの力は宿る。

「さあ、行くぞ!」と先頭に立ったアドラーの裾を、リューリアが引っ張った。

「ん、どうした?」
「あのね、キャルルがどっかいっちゃった」

 リューリアは慌てることなく告げた。
 ただしアドラー達は慌てた。

 少しだけ混乱しかけた大人達を見て、次女は大きな声ではっきりと言った。

「大丈夫よ、あの子はあれで強くなってるから! なんたってわたしの弟だもの!」

 今、キャルルのことを一番信用しているのは、一番近くで一番長く見てきた姉だった。
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