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第4章 赤く咲く花
第41話 知り得ぬ思い
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近頃の皇帝は、母を思い出すようになっていた。
皇后だった母。皇帝が即位し、皇太后となってから一年も経たずに死んだ母。
母は気性の激しい女性だった。
気位が高く、宮女に厳しく当たった。
いつも母の周りの宮女たちは泣いていた。
母を知っていたから、後宮の妃嬪達には元から興味を持てなかった。
どうせ、母のような女ばかりだろう。そう思って近付くこともしなかった。
医局で初めて凜凜を見たとき、そのあかぎれのある手に、みすぼらしい衣に、母が泣かせていた宮女たちを思い出した。
凜凜に最初に声をかけたのは、母への意趣返しだったのかもしれないと、近頃の皇帝は気付き始めていた。
――あなたが泣かせ、下に見ていた宮女などに私はのめり込んでいる。
そう思うと母の鼻を明かせるような気がした。
しかし次第に、凜凜のことを皇帝は心底愛するようになってしまっていた。
気付いたときには手遅れだった。
央賢妃がいずれ失脚することは、央角星の汚職から想定の範囲内だった。
だから央賢妃の元にいる宮女の凜凜を手元に収めておくために、位階を贈るのを急がせた。
央賢妃から賢妃を剥奪した後に彼女を後宮に置いたのも、凜凜のためだった。
央賢妃が死んだとき、皇帝の胸は痛みはしなかった。
――凜凜を母のように虐げた女だ、何を悲しむことがあるだろう?
そう思った。
しかし、凜凜は央賢妃を悼み続けた。
それは母の宮女達には見られない姿だった。
次第に皇帝は央賢妃とは思っていたより悪い人間ではなかったのではないかと思うようになっていった。
しかし、その時にはもう手遅れだった。
央賢妃は死んでいる。凜凜はそれを一生引きずるのだろう。
だからせめて凜凜の願うように、悪鬼ではないといっしょに信じてやりたかった。
凜凜が懐妊したと聞いたとき、皇帝の胸には喜びと共に小さな恐れが湧き出た。
もしも凜凜の子が男であったなら、凜凜は皇后になり、いずれ皇太后となる。
自分の母と同じように。
この健気でひたむきな宮女上がりが母のようになるのだろうか、と不安を抱いた。
しかし皇帝は凜凜の前ではそれをおくびにも出さずに来た。
皇帝は、凜凜の前でずいぶんと嘘をつき続けた。
虚勢を張った。騙した。悲しませた。辛い思いをさせた。すべては憂いなく手元に置くためだった。愛してしまった彼女に、そばにいてほしかった。
すべて、子供が生まれて来さえすれば解決するのではないかという淡い期待と、むしろ悪い方へと転がっていくのではないかという恐怖がない交ぜになった。
皇帝の杞憂は杞憂で終わった。
子は流れた。
その時は心底悲しかった。悲しめた自分にほっとした。気付けば凜凜が母のようになるのではないかという恐れも去っていた。
小さな骸を抱いて嘆く凜凜を前に、感じたことのないような怒りが滾った。
小さな骸を抱き上げたとき、あまりの軽さに悲しみが胸を襲った。
それが仕組まれたことだと言われ、心底憎んだ。
たとえどれほど苛烈と言われようとも、禍根を残そうとも、この不幸をもたらした元凶を一人残らず殺さずにはいられなかった。
首謀者達一派はジワジワと斬り殺させた。死体は豚の餌にして、一欠片もこの世に遺さなかった。
すぐ下の弟は武に長けていた。彼に頼み込み、地方豪族を滅ぼした。
その弟には今、豪族が収めていた土地をそのまま与えている。
首尾は上々だと聞いているが、そんなことはどうでもよかった。
流産が凜凜の心身に与えた被害は大きく。その傷は長引いた
あれほど凜凜とともに央賢妃を信じてやりたかったのに、後宮の動揺を鎮めるためには、悪鬼として祓うほかなかった。ただでさえ弱っている彼女にそれを告げるのは心苦しかった。
凜凜に貴妃の位を与え、居住を始水殿から央麒殿に移した。
大きな反対にあったが、首謀者の名をちらつかせれば、反対派は黙る他なかった。
凜凜は央家の旧知の者達を央家に戻してしまっていたので、ひとりきりだった。これ以上、彼女をひとりにはしたくなかった。
皇帝は凜凜を自分の房のそさらに奥の部屋に閉じ込めた。
あまり人目に触れないように、他の者との接触は最低限で済むように、自分で毒味もするようになった。
凜凜は少し戸惑っているようだったが、文句の一つも漏らさずその処遇を受け入れた。
子を失って、ふたりきりの穏やかな時間が流れた。
凜凜はやつれ、ボロボロだったが、次第に健康を取り戻していった。
このまま、穏やかに、ふたりの時が過ぎればいい。そう思った。
そう願った。
凜凜の心の内など、何一つわからないままに、皇帝はそう願っていた。
皇后だった母。皇帝が即位し、皇太后となってから一年も経たずに死んだ母。
母は気性の激しい女性だった。
気位が高く、宮女に厳しく当たった。
いつも母の周りの宮女たちは泣いていた。
母を知っていたから、後宮の妃嬪達には元から興味を持てなかった。
どうせ、母のような女ばかりだろう。そう思って近付くこともしなかった。
医局で初めて凜凜を見たとき、そのあかぎれのある手に、みすぼらしい衣に、母が泣かせていた宮女たちを思い出した。
凜凜に最初に声をかけたのは、母への意趣返しだったのかもしれないと、近頃の皇帝は気付き始めていた。
――あなたが泣かせ、下に見ていた宮女などに私はのめり込んでいる。
そう思うと母の鼻を明かせるような気がした。
しかし次第に、凜凜のことを皇帝は心底愛するようになってしまっていた。
気付いたときには手遅れだった。
央賢妃がいずれ失脚することは、央角星の汚職から想定の範囲内だった。
だから央賢妃の元にいる宮女の凜凜を手元に収めておくために、位階を贈るのを急がせた。
央賢妃から賢妃を剥奪した後に彼女を後宮に置いたのも、凜凜のためだった。
央賢妃が死んだとき、皇帝の胸は痛みはしなかった。
――凜凜を母のように虐げた女だ、何を悲しむことがあるだろう?
そう思った。
しかし、凜凜は央賢妃を悼み続けた。
それは母の宮女達には見られない姿だった。
次第に皇帝は央賢妃とは思っていたより悪い人間ではなかったのではないかと思うようになっていった。
しかし、その時にはもう手遅れだった。
央賢妃は死んでいる。凜凜はそれを一生引きずるのだろう。
だからせめて凜凜の願うように、悪鬼ではないといっしょに信じてやりたかった。
凜凜が懐妊したと聞いたとき、皇帝の胸には喜びと共に小さな恐れが湧き出た。
もしも凜凜の子が男であったなら、凜凜は皇后になり、いずれ皇太后となる。
自分の母と同じように。
この健気でひたむきな宮女上がりが母のようになるのだろうか、と不安を抱いた。
しかし皇帝は凜凜の前ではそれをおくびにも出さずに来た。
皇帝は、凜凜の前でずいぶんと嘘をつき続けた。
虚勢を張った。騙した。悲しませた。辛い思いをさせた。すべては憂いなく手元に置くためだった。愛してしまった彼女に、そばにいてほしかった。
すべて、子供が生まれて来さえすれば解決するのではないかという淡い期待と、むしろ悪い方へと転がっていくのではないかという恐怖がない交ぜになった。
皇帝の杞憂は杞憂で終わった。
子は流れた。
その時は心底悲しかった。悲しめた自分にほっとした。気付けば凜凜が母のようになるのではないかという恐れも去っていた。
小さな骸を抱いて嘆く凜凜を前に、感じたことのないような怒りが滾った。
小さな骸を抱き上げたとき、あまりの軽さに悲しみが胸を襲った。
それが仕組まれたことだと言われ、心底憎んだ。
たとえどれほど苛烈と言われようとも、禍根を残そうとも、この不幸をもたらした元凶を一人残らず殺さずにはいられなかった。
首謀者達一派はジワジワと斬り殺させた。死体は豚の餌にして、一欠片もこの世に遺さなかった。
すぐ下の弟は武に長けていた。彼に頼み込み、地方豪族を滅ぼした。
その弟には今、豪族が収めていた土地をそのまま与えている。
首尾は上々だと聞いているが、そんなことはどうでもよかった。
流産が凜凜の心身に与えた被害は大きく。その傷は長引いた
あれほど凜凜とともに央賢妃を信じてやりたかったのに、後宮の動揺を鎮めるためには、悪鬼として祓うほかなかった。ただでさえ弱っている彼女にそれを告げるのは心苦しかった。
凜凜に貴妃の位を与え、居住を始水殿から央麒殿に移した。
大きな反対にあったが、首謀者の名をちらつかせれば、反対派は黙る他なかった。
凜凜は央家の旧知の者達を央家に戻してしまっていたので、ひとりきりだった。これ以上、彼女をひとりにはしたくなかった。
皇帝は凜凜を自分の房のそさらに奥の部屋に閉じ込めた。
あまり人目に触れないように、他の者との接触は最低限で済むように、自分で毒味もするようになった。
凜凜は少し戸惑っているようだったが、文句の一つも漏らさずその処遇を受け入れた。
子を失って、ふたりきりの穏やかな時間が流れた。
凜凜はやつれ、ボロボロだったが、次第に健康を取り戻していった。
このまま、穏やかに、ふたりの時が過ぎればいい。そう思った。
そう願った。
凜凜の心の内など、何一つわからないままに、皇帝はそう願っていた。
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