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気がついた時、俺の視界は狭かった。唇に柔らかい感触。
状況はさっきのままだ・・・
そうか、それが普通なんじゃないか。前がたまたま、奇跡的にそうなっただけで普通はあんなことにならないんだよ。
よくよく考えてみれば、一度起きたから二度目があるという考えが間違っていた。二度あることは三度あるというが、一度あることは二度あるというのは少し強引過ぎる。
そんなことより、今はアシアがどんなリアクションをするかが気になった。
「おい、アシア起きろ、俺らなんとも・・・」
・・・なくはなかった。
顔を離して気が付いた。そもそも目の前にいるのがアシアじゃない。
黒い髪の毛が肩まで伸びた少女。今朝の夢に出てきた少女と全くの同一人物がそこにいた。
懐かしく感じたのは、こっちの世界で会っていたからか。それより、俺は今こいつと何してたんだ?やっぱり、キスなのか・・・
ほんのりと残る唇の感触。アシアより柔らかかった・・・って、俺は何を考えてるんだ。そうだ、アシアは?
俺はその場でクルッと一回転した。河原、橋、芝生の坂。どこか懐かしい風景。しかしそこに、アシアの姿は無かった。
やっぱり来てしまったんだな、夢の世界に。しかも前と全く同じ夢。アシアの言った通りだ。今頃はあいつも俺を探しているんだろうな・・・
ダラダラと考えていてもらちがあかないので、とりあえず情報収集から始めることにした。こっちでの記憶はもうあんまり残ってない。俺がこっちでなんて呼ばれていたのかすらもう忘れた。今度はいつ戻れるかも分からないからこっちでしばらく生きる覚悟をしないと。前は十五年だったからな・・・
俺は目の前で目を閉じたまま座っている制服の少女に目を向けた。ちなみに俺も制服だった。
セミロングの黒髪に整った顔。座っているから正確に分からないが多分高身長。なんというか、生徒会長でもやっていそうだ。スタイルは・・・いや、なんでもない。何にせよさっきまで俺とキスしてたんだ。俺のことはよく知って・・・
「てめぇ、今あたしの胸見て何か考えただろ!」
「うおっ!?」
別に、胸だけ他に追いついていないなとか考え・・・すいませんやっぱり考えていました。
いつの間にか目を覚ましていたらしい。でもって俺は、容姿に似合わない荒々しさに少々戸惑っている。予想をひっくり返す口の悪さだ。生徒会長ではなさそうだな。
「・・・もしかして、敦也君?」
少女は首を傾げながら俺の顔を見つめる。そう、俺のイメージはこんな感じで・・・
「え!?」
「どうしたの?」
「あ、いや・・・」
さっきまのキャラはどうしたんだよ。
少女が駆け寄って来る。
「やっぱり、敦也君だ・・・」
顔が近い。って、今涙が。どうして泣く?ついさっきまでキスしていた相手の顔を見ただけだろう。
いや、そもそもおかしいな。さっきまでキスしていたやつの顔をみて、もしかして○○君?なんて聞くわけ無いだろ、今の俺なら有り得るけど。今の俺と同じ境遇なら・・・
「あっ。」
「えっ?」っと、少女は肩をビクつかせて言った。
「あのさあ、一つ聞いても良いかな。」
「えっ・・うん。」
とっさに思いついたのがこれだった。
「ペテルギアって、知ってるか?」
少女は黙って考えるような素振りを見せた。
「悪い、知らないよな。いいんだ別に・・・」
「知ってるよ。」
さすがにそんな偶然はな・・・
「知ってるのか!?」
俺は思わず少女に迫り寄った。
少女の肩が上がる。
「あ、すまない。」
「敦也君も・・・そうなの?」
「も」ってことは、やっぱりこの娘も・・・
「ああ、俺は王都で騎士をやっていたんだが、あることがきっかけでこっちの世界に来てしまった。」
「王都の騎士?」
「あ、なんか自慢みたいでうざかったな。」
「ううん、いいの。それより、向こうでの名前は?」
「アスラ=シウリス。」
それを聞いた途端、少女の顔が曇った。
少女はうつむいたまま・・・
「そうか、アドロア=シウリスの息子か・・・」
「どうして父の名を?」
「本人じゃねえが、この際息子でも構わねえ。」
何を言っているのかさっぱりだ。気付けばさっきまでの口調に戻っているし・・・
「覚悟しろ、父の仇!」
「はあ?」
瞬間、顔の前に繰り出された拳。俺は反射的にその腕を掴んだ。思っていたより軽い。
「仇?何か知らないけど一旦落ち着けよ。」
「親を殺したやつの息子が目の前にいるんだ。落ち着いてられるか!」
「俺の親父が何をしたのか分からないが、俺には関係ないだろ。それに、今は現実に戻ることの方が大事じゃないのか?」
「現実・・・」
その瞬間力が弱まり、その拍子で俺はバランスを崩し・・・
「いたっ・・・」
「あ、すまん。」
ベタだな。さすが夢と言うべきか。
俺は仰向けになる少女の上に四つん這いの格好で覆いかぶさっていた。さっきまで狂気に満ちていた少女はというと・・・なぜだか分からないうちに大人しくなっていた。
そして少女はそのままの体勢で呟いた。
「そうか。そうだよね。現実に戻って来れたんだから、夢であったことなんてどうでもいいよね・・・私、何考えてるんだろう。」
さっきまでの話し方に戻ってそう言った。俺はそのまま横に転がって、寝転ぶ彼女の隣に同じように寝転んだ。
俺とは何かずれている気がする。現実に戻って来れた・・・か。
「さっきの言葉、敦也君も同じ夢を見ていたんだね。」
少女はそう言った。ちなみに今更だが、この世界での俺の名は敦也らしい。そういえば今朝の夢でも俺はそう呼ばれていたな。
「なんか映画みたいだね。」
少女は笑った。さっきまでの狂乱ぶりが嘘のようだ。
「私ね、六年くらい夢の中にいた気がするの。敦也君もそうだった?」
やっぱりそうか。まさか俺と同じ境遇の者がアシア以外にもいたとは・・・
それより―
「なあ、さっきから何言ってんだ?夢を見ていた?夢を見ているのはむしろ今なんじゃないのか?」
そうだ、今俺はアシアとキスしたせいで夢を見ているんだ。
「まあ、あれだけ長い夢だと、現実と錯覚してもおかしくないよね。」
いや、そうじゃない。俺には分かる。確かに俺はあっちで最初に生まれたんだ。こっちでの誕生は現実で言う六年前だった。
「まあ、こっちが現実なんだっていう証拠もないんだけどね。」
かと思いきや、今度はそんなことを言う。前言撤回も甚だしい。
「私はね。ただ、こっちが現実であって欲しいって思ってるだけ。だって、こっちでの人生の方が明るいし、何より私は、この世界であなたを愛したから。それが全部夢だなんて思いたくないから・・・」
それを聞いた瞬間、急に後ろめたい気持ちになった。
「なあ。」
だから・・・
「ん?」
俺はこの時決めた。
「正直に言うよ。ごめん。俺、こっちでのこと、ほとんど覚えてない。お前の名前も思い出せない。」
少女が暗くなるが分かった。
「・・・そうだよね。だってあなたにとってこっちは夢なんだも・・・」
「だから!」
少女は顔を上げた。よく見ると目が涙ぐんでいる。
「だからさあ。俺に教えてくれないか?この世界でのこと・・・」
「え?」
この少女の言う通りだ。前にこの世界に来た時、俺は十六年間生きて、この少女と出会って、そして恋をした。それを無理に夢だと思い込む必要は無かったんだ。どっちも現実。それで良かった。それに、俺がここに来るのは二度目。それを夢の一文字で済ませて言い訳がない。
「ここにいる間はここが現実。とりあえず今はそれで良いかなって・・・」
ただ、夢でないなら何なのかっていう疑問が残るわけだが、そんなのは後で考えればいい。とりあえず今は・・・
「で、教えてくれるか?」
初め、驚いた顔をしていた少女は、やがて小さく微笑んだ後、
「・・・うん。分かった。」
涙を拭うなりそう言った。
「これからよろしく、えっと・・・」
「詞弥。」
「えっ?」
「だから、私の名前。」
「ああ・・・よろしくな。」
詞弥か。一瞬アシアかと思って驚いた。今頃上手くやってるかな・・・もしかしたら、既に記憶喪失者扱いを受けているかもしれない。
「呼んでくれないの?」
「え、何を?」
「詞弥って。」
むっとした表情。その時の顔は今朝あっちの世界で見た夢の中に出てきた少女そのものだった。今思えばあの夢は俺がこの世界に来ることの暗示だったのかもしれない・・・
「ねえ?」
「・・・会っていきなり下の名前で呼ぶってのは・・・なあ、名字はなんて言うんだ?」
「呼んでくれないなら教えない。」
いたずらっぽく笑う。まあこの手のやつは呼んだところで教えてはくれないだろうな。教えたら次から名字で呼ばれるのだから。
「それに、会ってすぐじゃないよ、私達。」
「確かに事実上そうだけど。ええ、でも・・・」
今の俺は、目の前の美人と口づけを交わした時の俺とは全く別の記憶を持った、いわば外見そのままの別人なんだぞ。関係は最初からやり直す方が良いと思うのだが。
「さっき、敦也くん言ったよね。この世界でのこと教えてくれって。」
「まあ、確かに言ったけど・・・」
「だから、教えてあげます。」
詞弥大先生は得意気に言った。
「この世界では私達、仲良しカップルとして学校でも結構有名なんですよ。」
有名って言っても、いい意味じゃないだろそれ。完全に妬みの対象だろ。
「もうそれは非リアどころかリア充にとっても憧れのカップル像なんですから。」
「リア充が非リアって単語を発するのは嫌われるから辞めとけ。」
「あ、確かにそうですね。」
これは多分知らないうちに周りの人を傷つけてるタイプだな。あと俺が思うに、憧れられている理由は、仲の良さとか以前にビジュアルの方な気がする。
自分で言うのもなんだが、俺もそこそこな方だし、何より、目の前にいる深夜アニメの女生徒会長的ビジュアルこそ、憧れの的となった大きな要因な気がする。
「とにかく、分かったでしょ。」
「何が?」
「はぁ~。それでも主席なの?」
「え、俺主席なの?」
「うん、しかも高校に入学してから今までずっと。」
確かにあっちでも成績は優秀で、高校卒業後は成績不振者だったアシア姫の騎士兼参謀にも推薦されたわけで、ただまあ、キス禁止という普通に聞くと馬鹿みたいな条件付きだったが・・・
それなら最初から俺以外を騎士に推薦すればよかったんじゃないのか。結果俺達は条件を無視してこうしてこっちの世界に来てしまっているんだし。何を考えての俺なのかがさっぱり分からない。
「で、さっきの話だけどつまりですね、私達が学校で名字呼びしているところを誰かが見たら、絶対変な詮索をされると思うのです。」
「自意識高いですね。」
「美人生徒会長ですから。」
自分で言ってしまうのか。あと、本当に生徒会長だったのか!?
「生徒会長ってことは、俺達は二年生か?」
「ううん、一年だよ。」
と、人差し指を出しながら当たり前のように答える。
「え、一年なの?」
てっきり生徒会長は二年でしかなれないと思っていた。
「二年生で生徒会長に立候補した人が一人いたらしいんだけど、その先輩が選挙直前の中間試験で赤点を三つ取って、担任に強制的に辞退させられたらしいの。で、もうひとりの立候補者だった私がそのまま就任したってわけね。」
というか、一年で生徒会長に立候補するあたりすごいな。普通一年は書記か会計スタートだろ。よっぽどの自信家だな。
「そういえば何の話してたんだっけ?」
「お前の自意識が高いって話だろ。」
「ああ、そうだ。呼び方の話だ。」
聞けよ・・・
「記憶喪失がバレたら色々と面倒くさいでしょ。」
「まあ、確かに。」
あっちの世界で一度経験しているから分かる。
「だから敦也くんは今まで通りにしないと行けないのよ。」
「それは・・・一理あるな。」
「でしょ。だから、さあ、恋人の私を呼び捨てしなさい。」
「え、今言うのか?」
「はぁ、しょうがない。雰囲気作ったげる。」
しきりに腕が重くなる。
「く、くっつき過ぎだ!」
「やだ、敦也さんったら、いつものことじゃない。」
「新婚夫婦のやり取りだろこれ。」
「もう、つれないわね。」
「それより、腕組は辞めよう。恥ずいから。」
「確かにこれは初めてしたわ。」
いつものことじゃなかったのか・・・
「いつも通りにしてくれ・・・」
「はいはい、分かりましたよ。」
腕の締め付け感がなくなり、今度は手のひらに手のひらが触れる。指の一本一本が指と指の間に収まり、指先が手の甲に触れる。
「・・・なんかこっちの方がドキドキするね。」
「・・・あ、ああ。」
それについては同感だ。
「なあ詞弥。」
「なに?・・・って、ぁああ!」
「どうした?」
「いや、いやあ、自然過て・・・」
「合格か?」
「それはもう、主席合格だよ。」
いいね!と言わんばかりに親指を立てる。
「そりゃどうも。」
案外自分でも驚いている。手を握っていると、何故か自然と言葉に出た。記憶は戻っていないが、どこか感覚的なところで思い出しでもしたのだろうか。
「ねえ、敦也君。」
「なんだ。」
「もっかい言ってもらっていい?」
「嫌だ。」
「ケチぃ~」
「いいじゃん一回くらい」とか「あ、もしかして恥ずかしがってる?かわいいな~」とか言う詞弥には目もくれず、俺はオレンジに輝く川を眺めていた。
「もう夕方だな・・・」
「あ、ほんとだ。敦也くん、家の場所分かんないでしょ。」
「あ、そういえば考えてなかった。」
この世界の俺には、この世界の家が、家族がいるわけだ。あんまり思い出せないな・・・
「私が送ったげる。」
「良いのか?」
「私の家と近いし。」
「こっち。」と言う詞弥に手を引かれ、俺はすぐそこに見えていた橋を渡った。
「あれ・・・」
あれ?って、そんな事言わないでくれ。あんたが唯一の頼りなんだ。不安になるだろう。
「この橋はいつも渡ってたんだよね・・・でももう渡った後なのかな・・・」
ふと思い出す。こっちのことよく話すからつい忘れていたが、詞弥もこっちに来るのは六年ぶりなんだったな・・・
「あ、多分こっちだ。」
先が思いやられそうだ。
「さあ行こ。」
「あ、ああ。」
その後も俺は、詞弥の自信無さげ発言を聞きながら引っ張りまわされるのだった・・・
で、着いたのが。
「駅・・・」
と、詞弥。
「ああ、ここ地元じゃなかったのか。高校の最寄り駅ってとこか?」
まあ確かに、高校生は大体住んでる地域が違うもんだしな。高校で出来た彼女と住んでいる地域が一緒ってことはあんまり無いわな。俺はポケットに手を突っ込んだ。やっぱり入ってる。
「先に中入ってるぞ。」
俺が手に持っていたICカードをかざそうとすると、
「ちょっとストップ!」
「なんだ、定期券ならポケットかカバンに・・・」
「うん、それは分かってるよ。だからそうじゃなくて・・・」
そうじゃなかったらどうしたんだよ。
「ごめん、間違えた。」
両手を合わせた詞弥が頭を下げている。
「あ、マジすか。」
「うん・・・さっきの橋、逆だった・・・」
最初から間違ってるじゃないか。いや、何も覚えていない俺が言えることじゃないけど。
「まあ、詞弥にとってもこの街は六年ぶりなわけだし、仕方ないよな・・・」
「ごめんね。」
「じゃあ、戻るか。」
「うん・・・」
言いながらも動かなかった詞弥だったので、
「え、あっ。敦也君!?」
今度は俺が詞弥の手を引いた。
「何を気にしてるんだ?」
「・・・私さ、向こうでの六年間、ずっとこっちのことを考えながら過ごしてたの。こっちが夢だってことを認めたくなかったから・・・」
手から震えが伝わってくる。
「・・・でも、戻ってきて気付いた。私、この世界のことちゃんと覚えていなかった。私にとって、この世界はそんなものだったんだなって思うと・・・」
「そうでもないだろう。」
「え?」
「詞弥はさあ、六年前にあった出来事を詳細に語れるか?まあ衝撃的な記憶とか、印象の強い記憶なら覚えているだろうが、それでも断片的にしか話せないだろ。その前後に何があったか、その時誰が何を言ったか、そこまで細かく話すなんて正直無理な話だ。」
そうだろと、俺は詞弥に尋ねた。
「・・・うん。」
「この世界での記憶が欠けているのは、詞弥がこの世界を捨てたからなんかじゃない。記憶なんてのは時が経てば自然に消えていくものなんだよ。むしろ詞弥はよく覚えている方だと思うよ。詞弥は誰よりもこの世界を大切に思ってる。だって同じ期間眠っていたのに、俺は全部忘れてるんだぜ。」
「自慢にならないよ、それ。」
詞弥は軽く笑って見せた。
「ほんとにね・・・」
横目で詞弥を見る。その目は、もう下を見ていなかった。
「そういえば敦也君、車とか電車とか見ても驚かないんだね。私のことは忘れたくせに・・・」
「いや、交通機関はあっちにも同じくらいあっただろ?」
「へ~、やっぱり王都住まいは違うね。所詮私は田舎者ですよ~。」
「そういえばお前、向こうだと別人なんだな。」
「あ、シヴァちゃん?」
「誰だよ。」
「向こうのあたし。シヴァって名前なの。なんか詞弥と似てるよね。」
確かに。そういえば俺の名前もアスラと敦也。少し似ている気がする・・・
「さっきの質問の答えだけど、育った環境のせいだよ多分。」
「どんな環境で過ごせば、あんな野蛮な喋りになるんだよ・・・」
山賊出身か?
色々と聞きたいことが浮上してきたが、残念ながらさっきの橋に到着。
「またベタな場所でキスしたもんだな・・・」
橋の上からさっきいた芝生を眺める。
「ベタだから良いんだよ。」
隣で詞弥が言った。
「そうだな・・・」
なんだか、前にもこんな風にしていたことがあるような気がした。
さて、思いにふけるのはこれぐらいにして、俺達は日が暮れるまでに家に帰らなければならない。ここからは再び詞弥先生にバトンタッチだ。
「こっからは頼んだぞ、詞弥先生。」
「今度こそ任せたまえ。」
結局この後、俺達は何度か迷い、それでも着実に家との距離は縮まって行った。
駅を出て三十分・・・・
「ありがとうな。」
「どういたしまして。思ったより近かったんだね・・・すごい遠回りしちゃったよ。」
「まあ、そのおかげで色々聞けたし・・・そういや詞弥、一人で家帰れるか?」
最初は覚えていると思っていたから心配していなかったが・・・
「ほんとに近いから、安心して。絶対迷わない自身あるから。」
と言われてもな・・・
「じゃあ敦也君、家族との再開頑張ってね。」
そう言い残して去っていった詞弥は・・・すぐ横の扉に入っていった。はは・・・俺ら、いつから付き合ってたんだろう・・・
詞弥のことは後にして、今の俺には最優先事項が他にあった。家族との六年越しの再開。
しかし問題なのは六年のブランクが俺にのみあるってことだ。家族は俺を見て驚きもしないだろうし、普段通りに話してくるだろう。俺はそれに自然な感じで返さなければならない。
ちなみに、さっきの帰り道の中で、詞弥が俺の家族について色々教えてくれたのでどんな人がいるかは分かっている。
なぜそんなことまで知ってるのかと俺が聞いた時、あいつは「彼女なら知ってて当然でしょ。」などと言っていたが、ここに来てその真相が幼馴染だからということに気付いた。
ちなみに俺の家庭は、母、俺、弟の三人で構成されたシングルマザー世帯らしい。ポケットに入っていたスマホの中に写真もあった。
スマホにはパスワードが掛かっていたが、最近のスマホは便利なもので、俺が親指をかざすだけでロックは解除された。中身が別人でも体が同じなら良いらしい。
その他俺の呼び方、逆に俺がどう呼んでいたかなど、最低限度必要な情報を見に付けて今玄関に立っている。表札には『荒川』の二文字。ここに来て、ようやく自分のフルネームを言えるようになったわけだ。
一度深呼吸をする。そーっとドアに手を伸ばし・・・なんだこの絵面は。はたから見れば、家出した高校生が結局行く宛もなく、渋々帰ってきたみたいじゃないか。まあ、俺は実際六年間家出していたようなもんなんだけど・・・
「あ、敦也やん。ナイスタイミング~。お母さん家の鍵忘れちゃってて・・・」
・・・あーしまった。このパターン考えてなかった。てっきり家にはもう全員帰っているものだと思っていた。
とりあえず俺は後ろに振り返り、
「おかえり・・・か、母さん?」
「どうしたん?」
「いや別に・・・」
写真ってあれ、十年くらい前に撮ったやつのはずだよな・・・
なのに俺の前にいたのは二十代後半くらいの女性だった。いや、母親のはずなんだけど・・・
「母さん何歳だっけ?」とはさすがにこのタイミングでは聞けないか。
「寒いからはよドア開けて。」
「あ、ごめん。あれ、鍵どこだ?」
「もうお母さんも若ないんやから。死んでまうで。」
大げさだろ。
そして俺は、このチャンスを逃さなかった。
「今何歳だっけ?」
「・・・十八。」
「矛盾してんぞ。」
「はいはい、四十二ですよ~」
え・・・ガチですか・・・正直まだ十八の方が信じられるレベルだった。
「あっ、あった。」
ようやく鍵を手にした俺は、
「遅い~」
素早くドアを開け、寒さに震える四十二歳ピチピチマザーを先に通し、後に続いて中に入った。
家の中は予想外にも真っ暗だった。てっきりいるものだと思っていた弟はまだ帰ってきていないらしい。
「ただいま~」
母がそう言う。ということはやっぱり中に居るのだろうか。いや、ならば部屋に光が灯っていないはずがない。だからおそらく、母はいつもお世話になっている自宅に対して挨拶したのだろう・・・と思っていたのだが、
トントントントン・・・
突如鳴り出す足音。それも、ものすごく軽快な音で。俺は自然と隣の母に目を向けたが、片足立ちをしていた母は靴箱の上に手を置いてバランスを保っていたので、足は地面から離れることはなかった。
それでも足音はなり続けている。それどころか、さっきよりも音が大きくなっているのに気付いた。
近づいてきている。しかし暗闇のせいで、何が迫ってきているのかが目で確認できない。
俺は正体不明の何かの出現をいつでも動ける万全の体勢で待ち構えてていたが、母は履いていた低めのヒールを脱ぐのに夢中だった。
足音がすぐそこまで到達し、直後俺の足に何かが当たる。俺は驚いて一歩下がった。
「大和、ただいま~」
ヒールを脱ぎ終えた母がそう言った。俺は少しホッとしてそれでも大和と言う名前に聞き覚えが無かったのでまた少し不安になった。
俺の弟は涼也で家族はそれで最後のはず・・・
謎の四人目について考えていると、当の本人が俺の足に・・・擦り寄ってきた?
俺はとっさに自分の足元に目を向ける。さっきまで全然見えないと思ったらそんなところにいたのか。
黒い毛むくじゃらが俺の足に頭を擦り付けていた。やがて上を見て、大和は言った。
「にゃあん。」
今まで見えなかったのは、相手が猫で身長が低かったからだと分かったと同時に、今まで猫ごときにビクビクしていた自分が恥ずかしくなってきた。
黒猫の大和は以前として俺の足に擦り寄りこっちを見るという動作を繰り返している。
どうやら懐かれているようだ。そう思い、俺はこっちを見つめる大和の後頭部へ手を伸ばし・・・
噛みつかれた―
我が家は二階建だった。
今俺は、一階のリビングでこたつに足を突っ込んで、抜けなくなっている。もちろん物理的には可能なのであるが、抜けないものは抜けないのである。
目の前に見えるカレンダーは十一月のもので、ここに来てようやく、日本に四季があると言うことを思い出した。記憶では冬は十二月からなのだが、十一月の今でも、こたつが必要になる程に夜は寒い。日中はそうでもなかったのだが・・・
さっきの大和だが、俺にすがりついてきたのは単に腹が空いていたからだったらしく、キャットフードを皿に出してやると、平らげるなりこたつの中に消えていった。だから今、足の裏に猫の毛が当たっている。こそばゆいが気持ち良い。お腹の毛も触って・・・
イタッ!
そういえば、俺の弟こと涼也はまだ帰ってこないのか。詞弥は可愛いと言っていたが、八時になっても帰ってこない中学二年生のどこが可愛いんだよ。
「なあ、敦也~」
台所から母が・・・
「うわっ。」
四十二歳の母は新妻的フリフリエプロンを身にまとっていた。若さの秘訣はそれですか。心が若いと見た目も若くいられるんですか。
「うわっ。ってなんや。・・・まあええわ、涼也が今日は彼女と晩御飯食べてくるって言ってきたからウチらも食べよっか。」
スマホで涼也とのトーク履歴を見せながらそう言ってきた。
って、弟彼女いんの?
「青春してるわね~」
それも晩飯を食いに行く程なのか。
どこに可愛い要素があるのかね・・・
その後、俺は晩飯の肉じゃがを平らげ―
「はい、お待ちどう。今日の夕食は肉じゃがでーす。」
テーブルに並べられた二人分の白米と肉じゃが。これがたまたまであったことを願わんばかりだ。もしこれが若作りプロジェクトの一貫なら、これから先も新妻を演じるという名目のもと、テーブルには肉じゃがが並べられ続ける気がする。
・・・あ、これ一ヶ月はいけるわ。
それから風呂に入り―
浴室は約三畳。風呂の中というのは考えことをするのには丁度いい。今の俺は大量の考え事を抱えていて頭が破裂する寸前まで来ている。朝から、いや、こっちでは昼からになるのか?なにせ色々とありすぎた。
シャワーを止め浴槽へ。
だってアシアとキスをしていると、気付いた時には相手が詞弥に変わっていたんだぜ・・・!?
俺は浴槽から飛び出した。反射的に・・・心臓が止まりそうな感覚に脳より先に体が危険を察知しての行動だったので、俺の脳はまだ何があったのかを認知していない。少ししてやっと気付く。
「水じゃんこれ!」
俺は瞬時にシャワーをひねり、冷えた体を温める。この間約三秒。今も心臓がバク付いている。
若くなければショック死していたかも知れない。あとで母にも言っておこう。見た目は二十代で通るが実際は四十代。もし俺と同じようなことになれば冗談抜きで心配だ。
歯を磨き―
風呂から上がった俺は、体を拭いたバスタオルをそのまま腰に巻き付け、目の前の洗面器に向かった。歯を磨く習慣や浴槽に浸かる習慣はあっちの世界にも同じようにあったのでそのあたりは違和感無かった。
俺はまず歯ブラシを・・・歯ブラシを取ろうとしたが、そこには歯ブラシが三本。どれが自分の歯ブラシなのか、覚えているはずもない。まず、このピンク色のは確実に違う。きっと母だ。そうなると、残るは緑と紫の二本なのだが、俺は感覚で自分が好きだと思った方を取った。
あとで母が白髪を抜きに来たとき、紫の歯ブラシをくわえていた俺を見て何も言わなかったので、多分正解だったのだろう。
そして現在に至る―
今寝室に居る。風呂では冷水に浸かり考え事をするどころではなくなったので、その分を今考えている。
王都ペテルギアでアシア姫の騎士を務めていた俺は、早朝にそのアシアにキスされる。気付いた時にはキスの相手がアシアから詞弥に変わっていて、時間は昼過ぎだった。
つまり、二つの世界の間に時間的な関連性はなく、一方の世界で眠っている時間=もう一方の世界で活動している時間にはならない、ラグは長くて十分。
それから、詞弥は王都を知っていた。つまり俺やアシアと同じ境遇の人間は少なくとももう一人いたということだ。
王都で言う六年前に、この日本にやってきた原因はアシアとのキスだった。ということはだ、この日本から王都へ移動する手段は・・・
おそらく、詞弥とのキスだ―
しかし、世界を移動するための鍵が女の子とのキスか・・・考えを確信に変えようにも、それだと簡単に確かめられないな。
そもそも俺は、何をゴールとしているのだろうか。詞弥となんとかしてキスをし、王都へと戻ることか?それでこっちの世界はほったらかしにするのか?昨日の俺ならそうしただろう。だが、今の俺はこちらの世界が現実である可能性を少しながら見出してしまった。そう簡単に捨て去ることは出来ない。
これからどうしようかな・・・
「兄ちゃん、なんでここにおるん?」
俺は後ろを振り返った。そこに立っていたのは、写真にも写っていた奴だった。
「お、涼也じゃん。おかえり。」
にしても中学二年生にして夜の十時帰宅とは、とんだ不良弟だ。俺のことを兄ちゃんと呼ぶあたりまだましか。というかそんな時間まで彼女といたのか・・・
「ただいま・・・だからなんでおるん。ここ俺の部屋やん。」
「へ?」
二階に上がった時、俺は部屋を二つ見つけていた。そのうち一部屋はここで、もう一部屋は驚く量の紙で床が埋め尽くされた、簡単に言えば足の踏み場も無い程散らかった部屋だった。
俺は結構綺麗好きで、ペテルギアの王宮にある自分の部屋も、床には何も落ちていないし棚の上もスッキリしている。だから、この部屋が自分のモノだと一瞬で分かった、はずなんだが・・・
「あ、ごめん。ぼけてた・・・」
「なんで、あのぐちゃぐちゃな部屋とここを間違えるんや。」
ほんと、どうやったらあんなぐちゃぐちゃな部屋が完成するんだろうか。前にこっちにいた時の自分に聞きたいね。
部屋から廊下に出た俺は一度後ろに振り返って、
「なあ、涼也。」
「ん?」
「お前って、まだ童貞か?」
「うっさい、俺そういうノリ嫌いやねん。」
勢い良く扉が閉められた・・・
男子トークが苦手、か。なんかちょっとだけ詞弥の言い分が分かった気がした。
さて、これはいったいどうしたものか―
扉を開けるなり待っていたのはコピー用紙によって作られた真っ白な床だった。真っ白と言うと少し語弊があるな。よく見るとまだらに模様が入っている。
俺はその中から一枚を選び取った。
絵だ。それに、結構上手い。世界的な画家に匹敵するかと聞かれたら、まだまだ未熟だが、普通の高校生とは思えないレベルには上手かった。それにこの数、何日でこの床が完成したのかは分からないが、一日にいったい何枚描いたらこうなるんだ。というか一高校生にこれだけのモノを描く時間があるものなのか?
いつの間にか感心していた俺だが、今気付いた。ここは俺の部屋、ってことは今の今まで自画自賛をしていたことに。
こっちの俺にはこんな才能があったのか・・・となると、俺と詞弥が通っている高校って、もしかして美術校なのか。
俺は部屋の奥に、布を被されたカンバスを見つけた。床に落ちた絵を拾い上げながら奥へと進んでいく。俺が通った後に道が出来ていく。
布と取り払った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
そこには、正面から見た宮殿の絵がでかでかと書かれていた。
絵の完成度もなかなかだが、何より、その絵の宮殿が王都ペテルギアの、俺が毎日過ごしている宮殿そのものだったことが俺を絶句させた。
六年前の俺は十五年という時間を経て、この世界に順応してもなお、俺は王都の事を完全に捨てきれないでいた。どこかでは王都やアシアの事を考えていた。やっぱり、今の俺にはどちらの世界も捨てられないな・・・
気持ちの整理が一段落ついたところで、今日はもう眠ることにする。きっと明日からまた学校に通う毎日が始まるんだ。
俺はカンバスに布を被せ、落ちているコピー用紙をとりあえず勉強机の上にかためて、十一時十二分、ベッドの上にて眠りに就くのであった。
状況はさっきのままだ・・・
そうか、それが普通なんじゃないか。前がたまたま、奇跡的にそうなっただけで普通はあんなことにならないんだよ。
よくよく考えてみれば、一度起きたから二度目があるという考えが間違っていた。二度あることは三度あるというが、一度あることは二度あるというのは少し強引過ぎる。
そんなことより、今はアシアがどんなリアクションをするかが気になった。
「おい、アシア起きろ、俺らなんとも・・・」
・・・なくはなかった。
顔を離して気が付いた。そもそも目の前にいるのがアシアじゃない。
黒い髪の毛が肩まで伸びた少女。今朝の夢に出てきた少女と全くの同一人物がそこにいた。
懐かしく感じたのは、こっちの世界で会っていたからか。それより、俺は今こいつと何してたんだ?やっぱり、キスなのか・・・
ほんのりと残る唇の感触。アシアより柔らかかった・・・って、俺は何を考えてるんだ。そうだ、アシアは?
俺はその場でクルッと一回転した。河原、橋、芝生の坂。どこか懐かしい風景。しかしそこに、アシアの姿は無かった。
やっぱり来てしまったんだな、夢の世界に。しかも前と全く同じ夢。アシアの言った通りだ。今頃はあいつも俺を探しているんだろうな・・・
ダラダラと考えていてもらちがあかないので、とりあえず情報収集から始めることにした。こっちでの記憶はもうあんまり残ってない。俺がこっちでなんて呼ばれていたのかすらもう忘れた。今度はいつ戻れるかも分からないからこっちでしばらく生きる覚悟をしないと。前は十五年だったからな・・・
俺は目の前で目を閉じたまま座っている制服の少女に目を向けた。ちなみに俺も制服だった。
セミロングの黒髪に整った顔。座っているから正確に分からないが多分高身長。なんというか、生徒会長でもやっていそうだ。スタイルは・・・いや、なんでもない。何にせよさっきまで俺とキスしてたんだ。俺のことはよく知って・・・
「てめぇ、今あたしの胸見て何か考えただろ!」
「うおっ!?」
別に、胸だけ他に追いついていないなとか考え・・・すいませんやっぱり考えていました。
いつの間にか目を覚ましていたらしい。でもって俺は、容姿に似合わない荒々しさに少々戸惑っている。予想をひっくり返す口の悪さだ。生徒会長ではなさそうだな。
「・・・もしかして、敦也君?」
少女は首を傾げながら俺の顔を見つめる。そう、俺のイメージはこんな感じで・・・
「え!?」
「どうしたの?」
「あ、いや・・・」
さっきまのキャラはどうしたんだよ。
少女が駆け寄って来る。
「やっぱり、敦也君だ・・・」
顔が近い。って、今涙が。どうして泣く?ついさっきまでキスしていた相手の顔を見ただけだろう。
いや、そもそもおかしいな。さっきまでキスしていたやつの顔をみて、もしかして○○君?なんて聞くわけ無いだろ、今の俺なら有り得るけど。今の俺と同じ境遇なら・・・
「あっ。」
「えっ?」っと、少女は肩をビクつかせて言った。
「あのさあ、一つ聞いても良いかな。」
「えっ・・うん。」
とっさに思いついたのがこれだった。
「ペテルギアって、知ってるか?」
少女は黙って考えるような素振りを見せた。
「悪い、知らないよな。いいんだ別に・・・」
「知ってるよ。」
さすがにそんな偶然はな・・・
「知ってるのか!?」
俺は思わず少女に迫り寄った。
少女の肩が上がる。
「あ、すまない。」
「敦也君も・・・そうなの?」
「も」ってことは、やっぱりこの娘も・・・
「ああ、俺は王都で騎士をやっていたんだが、あることがきっかけでこっちの世界に来てしまった。」
「王都の騎士?」
「あ、なんか自慢みたいでうざかったな。」
「ううん、いいの。それより、向こうでの名前は?」
「アスラ=シウリス。」
それを聞いた途端、少女の顔が曇った。
少女はうつむいたまま・・・
「そうか、アドロア=シウリスの息子か・・・」
「どうして父の名を?」
「本人じゃねえが、この際息子でも構わねえ。」
何を言っているのかさっぱりだ。気付けばさっきまでの口調に戻っているし・・・
「覚悟しろ、父の仇!」
「はあ?」
瞬間、顔の前に繰り出された拳。俺は反射的にその腕を掴んだ。思っていたより軽い。
「仇?何か知らないけど一旦落ち着けよ。」
「親を殺したやつの息子が目の前にいるんだ。落ち着いてられるか!」
「俺の親父が何をしたのか分からないが、俺には関係ないだろ。それに、今は現実に戻ることの方が大事じゃないのか?」
「現実・・・」
その瞬間力が弱まり、その拍子で俺はバランスを崩し・・・
「いたっ・・・」
「あ、すまん。」
ベタだな。さすが夢と言うべきか。
俺は仰向けになる少女の上に四つん這いの格好で覆いかぶさっていた。さっきまで狂気に満ちていた少女はというと・・・なぜだか分からないうちに大人しくなっていた。
そして少女はそのままの体勢で呟いた。
「そうか。そうだよね。現実に戻って来れたんだから、夢であったことなんてどうでもいいよね・・・私、何考えてるんだろう。」
さっきまでの話し方に戻ってそう言った。俺はそのまま横に転がって、寝転ぶ彼女の隣に同じように寝転んだ。
俺とは何かずれている気がする。現実に戻って来れた・・・か。
「さっきの言葉、敦也君も同じ夢を見ていたんだね。」
少女はそう言った。ちなみに今更だが、この世界での俺の名は敦也らしい。そういえば今朝の夢でも俺はそう呼ばれていたな。
「なんか映画みたいだね。」
少女は笑った。さっきまでの狂乱ぶりが嘘のようだ。
「私ね、六年くらい夢の中にいた気がするの。敦也君もそうだった?」
やっぱりそうか。まさか俺と同じ境遇の者がアシア以外にもいたとは・・・
それより―
「なあ、さっきから何言ってんだ?夢を見ていた?夢を見ているのはむしろ今なんじゃないのか?」
そうだ、今俺はアシアとキスしたせいで夢を見ているんだ。
「まあ、あれだけ長い夢だと、現実と錯覚してもおかしくないよね。」
いや、そうじゃない。俺には分かる。確かに俺はあっちで最初に生まれたんだ。こっちでの誕生は現実で言う六年前だった。
「まあ、こっちが現実なんだっていう証拠もないんだけどね。」
かと思いきや、今度はそんなことを言う。前言撤回も甚だしい。
「私はね。ただ、こっちが現実であって欲しいって思ってるだけ。だって、こっちでの人生の方が明るいし、何より私は、この世界であなたを愛したから。それが全部夢だなんて思いたくないから・・・」
それを聞いた瞬間、急に後ろめたい気持ちになった。
「なあ。」
だから・・・
「ん?」
俺はこの時決めた。
「正直に言うよ。ごめん。俺、こっちでのこと、ほとんど覚えてない。お前の名前も思い出せない。」
少女が暗くなるが分かった。
「・・・そうだよね。だってあなたにとってこっちは夢なんだも・・・」
「だから!」
少女は顔を上げた。よく見ると目が涙ぐんでいる。
「だからさあ。俺に教えてくれないか?この世界でのこと・・・」
「え?」
この少女の言う通りだ。前にこの世界に来た時、俺は十六年間生きて、この少女と出会って、そして恋をした。それを無理に夢だと思い込む必要は無かったんだ。どっちも現実。それで良かった。それに、俺がここに来るのは二度目。それを夢の一文字で済ませて言い訳がない。
「ここにいる間はここが現実。とりあえず今はそれで良いかなって・・・」
ただ、夢でないなら何なのかっていう疑問が残るわけだが、そんなのは後で考えればいい。とりあえず今は・・・
「で、教えてくれるか?」
初め、驚いた顔をしていた少女は、やがて小さく微笑んだ後、
「・・・うん。分かった。」
涙を拭うなりそう言った。
「これからよろしく、えっと・・・」
「詞弥。」
「えっ?」
「だから、私の名前。」
「ああ・・・よろしくな。」
詞弥か。一瞬アシアかと思って驚いた。今頃上手くやってるかな・・・もしかしたら、既に記憶喪失者扱いを受けているかもしれない。
「呼んでくれないの?」
「え、何を?」
「詞弥って。」
むっとした表情。その時の顔は今朝あっちの世界で見た夢の中に出てきた少女そのものだった。今思えばあの夢は俺がこの世界に来ることの暗示だったのかもしれない・・・
「ねえ?」
「・・・会っていきなり下の名前で呼ぶってのは・・・なあ、名字はなんて言うんだ?」
「呼んでくれないなら教えない。」
いたずらっぽく笑う。まあこの手のやつは呼んだところで教えてはくれないだろうな。教えたら次から名字で呼ばれるのだから。
「それに、会ってすぐじゃないよ、私達。」
「確かに事実上そうだけど。ええ、でも・・・」
今の俺は、目の前の美人と口づけを交わした時の俺とは全く別の記憶を持った、いわば外見そのままの別人なんだぞ。関係は最初からやり直す方が良いと思うのだが。
「さっき、敦也くん言ったよね。この世界でのこと教えてくれって。」
「まあ、確かに言ったけど・・・」
「だから、教えてあげます。」
詞弥大先生は得意気に言った。
「この世界では私達、仲良しカップルとして学校でも結構有名なんですよ。」
有名って言っても、いい意味じゃないだろそれ。完全に妬みの対象だろ。
「もうそれは非リアどころかリア充にとっても憧れのカップル像なんですから。」
「リア充が非リアって単語を発するのは嫌われるから辞めとけ。」
「あ、確かにそうですね。」
これは多分知らないうちに周りの人を傷つけてるタイプだな。あと俺が思うに、憧れられている理由は、仲の良さとか以前にビジュアルの方な気がする。
自分で言うのもなんだが、俺もそこそこな方だし、何より、目の前にいる深夜アニメの女生徒会長的ビジュアルこそ、憧れの的となった大きな要因な気がする。
「とにかく、分かったでしょ。」
「何が?」
「はぁ~。それでも主席なの?」
「え、俺主席なの?」
「うん、しかも高校に入学してから今までずっと。」
確かにあっちでも成績は優秀で、高校卒業後は成績不振者だったアシア姫の騎士兼参謀にも推薦されたわけで、ただまあ、キス禁止という普通に聞くと馬鹿みたいな条件付きだったが・・・
それなら最初から俺以外を騎士に推薦すればよかったんじゃないのか。結果俺達は条件を無視してこうしてこっちの世界に来てしまっているんだし。何を考えての俺なのかがさっぱり分からない。
「で、さっきの話だけどつまりですね、私達が学校で名字呼びしているところを誰かが見たら、絶対変な詮索をされると思うのです。」
「自意識高いですね。」
「美人生徒会長ですから。」
自分で言ってしまうのか。あと、本当に生徒会長だったのか!?
「生徒会長ってことは、俺達は二年生か?」
「ううん、一年だよ。」
と、人差し指を出しながら当たり前のように答える。
「え、一年なの?」
てっきり生徒会長は二年でしかなれないと思っていた。
「二年生で生徒会長に立候補した人が一人いたらしいんだけど、その先輩が選挙直前の中間試験で赤点を三つ取って、担任に強制的に辞退させられたらしいの。で、もうひとりの立候補者だった私がそのまま就任したってわけね。」
というか、一年で生徒会長に立候補するあたりすごいな。普通一年は書記か会計スタートだろ。よっぽどの自信家だな。
「そういえば何の話してたんだっけ?」
「お前の自意識が高いって話だろ。」
「ああ、そうだ。呼び方の話だ。」
聞けよ・・・
「記憶喪失がバレたら色々と面倒くさいでしょ。」
「まあ、確かに。」
あっちの世界で一度経験しているから分かる。
「だから敦也くんは今まで通りにしないと行けないのよ。」
「それは・・・一理あるな。」
「でしょ。だから、さあ、恋人の私を呼び捨てしなさい。」
「え、今言うのか?」
「はぁ、しょうがない。雰囲気作ったげる。」
しきりに腕が重くなる。
「く、くっつき過ぎだ!」
「やだ、敦也さんったら、いつものことじゃない。」
「新婚夫婦のやり取りだろこれ。」
「もう、つれないわね。」
「それより、腕組は辞めよう。恥ずいから。」
「確かにこれは初めてしたわ。」
いつものことじゃなかったのか・・・
「いつも通りにしてくれ・・・」
「はいはい、分かりましたよ。」
腕の締め付け感がなくなり、今度は手のひらに手のひらが触れる。指の一本一本が指と指の間に収まり、指先が手の甲に触れる。
「・・・なんかこっちの方がドキドキするね。」
「・・・あ、ああ。」
それについては同感だ。
「なあ詞弥。」
「なに?・・・って、ぁああ!」
「どうした?」
「いや、いやあ、自然過て・・・」
「合格か?」
「それはもう、主席合格だよ。」
いいね!と言わんばかりに親指を立てる。
「そりゃどうも。」
案外自分でも驚いている。手を握っていると、何故か自然と言葉に出た。記憶は戻っていないが、どこか感覚的なところで思い出しでもしたのだろうか。
「ねえ、敦也君。」
「なんだ。」
「もっかい言ってもらっていい?」
「嫌だ。」
「ケチぃ~」
「いいじゃん一回くらい」とか「あ、もしかして恥ずかしがってる?かわいいな~」とか言う詞弥には目もくれず、俺はオレンジに輝く川を眺めていた。
「もう夕方だな・・・」
「あ、ほんとだ。敦也くん、家の場所分かんないでしょ。」
「あ、そういえば考えてなかった。」
この世界の俺には、この世界の家が、家族がいるわけだ。あんまり思い出せないな・・・
「私が送ったげる。」
「良いのか?」
「私の家と近いし。」
「こっち。」と言う詞弥に手を引かれ、俺はすぐそこに見えていた橋を渡った。
「あれ・・・」
あれ?って、そんな事言わないでくれ。あんたが唯一の頼りなんだ。不安になるだろう。
「この橋はいつも渡ってたんだよね・・・でももう渡った後なのかな・・・」
ふと思い出す。こっちのことよく話すからつい忘れていたが、詞弥もこっちに来るのは六年ぶりなんだったな・・・
「あ、多分こっちだ。」
先が思いやられそうだ。
「さあ行こ。」
「あ、ああ。」
その後も俺は、詞弥の自信無さげ発言を聞きながら引っ張りまわされるのだった・・・
で、着いたのが。
「駅・・・」
と、詞弥。
「ああ、ここ地元じゃなかったのか。高校の最寄り駅ってとこか?」
まあ確かに、高校生は大体住んでる地域が違うもんだしな。高校で出来た彼女と住んでいる地域が一緒ってことはあんまり無いわな。俺はポケットに手を突っ込んだ。やっぱり入ってる。
「先に中入ってるぞ。」
俺が手に持っていたICカードをかざそうとすると、
「ちょっとストップ!」
「なんだ、定期券ならポケットかカバンに・・・」
「うん、それは分かってるよ。だからそうじゃなくて・・・」
そうじゃなかったらどうしたんだよ。
「ごめん、間違えた。」
両手を合わせた詞弥が頭を下げている。
「あ、マジすか。」
「うん・・・さっきの橋、逆だった・・・」
最初から間違ってるじゃないか。いや、何も覚えていない俺が言えることじゃないけど。
「まあ、詞弥にとってもこの街は六年ぶりなわけだし、仕方ないよな・・・」
「ごめんね。」
「じゃあ、戻るか。」
「うん・・・」
言いながらも動かなかった詞弥だったので、
「え、あっ。敦也君!?」
今度は俺が詞弥の手を引いた。
「何を気にしてるんだ?」
「・・・私さ、向こうでの六年間、ずっとこっちのことを考えながら過ごしてたの。こっちが夢だってことを認めたくなかったから・・・」
手から震えが伝わってくる。
「・・・でも、戻ってきて気付いた。私、この世界のことちゃんと覚えていなかった。私にとって、この世界はそんなものだったんだなって思うと・・・」
「そうでもないだろう。」
「え?」
「詞弥はさあ、六年前にあった出来事を詳細に語れるか?まあ衝撃的な記憶とか、印象の強い記憶なら覚えているだろうが、それでも断片的にしか話せないだろ。その前後に何があったか、その時誰が何を言ったか、そこまで細かく話すなんて正直無理な話だ。」
そうだろと、俺は詞弥に尋ねた。
「・・・うん。」
「この世界での記憶が欠けているのは、詞弥がこの世界を捨てたからなんかじゃない。記憶なんてのは時が経てば自然に消えていくものなんだよ。むしろ詞弥はよく覚えている方だと思うよ。詞弥は誰よりもこの世界を大切に思ってる。だって同じ期間眠っていたのに、俺は全部忘れてるんだぜ。」
「自慢にならないよ、それ。」
詞弥は軽く笑って見せた。
「ほんとにね・・・」
横目で詞弥を見る。その目は、もう下を見ていなかった。
「そういえば敦也君、車とか電車とか見ても驚かないんだね。私のことは忘れたくせに・・・」
「いや、交通機関はあっちにも同じくらいあっただろ?」
「へ~、やっぱり王都住まいは違うね。所詮私は田舎者ですよ~。」
「そういえばお前、向こうだと別人なんだな。」
「あ、シヴァちゃん?」
「誰だよ。」
「向こうのあたし。シヴァって名前なの。なんか詞弥と似てるよね。」
確かに。そういえば俺の名前もアスラと敦也。少し似ている気がする・・・
「さっきの質問の答えだけど、育った環境のせいだよ多分。」
「どんな環境で過ごせば、あんな野蛮な喋りになるんだよ・・・」
山賊出身か?
色々と聞きたいことが浮上してきたが、残念ながらさっきの橋に到着。
「またベタな場所でキスしたもんだな・・・」
橋の上からさっきいた芝生を眺める。
「ベタだから良いんだよ。」
隣で詞弥が言った。
「そうだな・・・」
なんだか、前にもこんな風にしていたことがあるような気がした。
さて、思いにふけるのはこれぐらいにして、俺達は日が暮れるまでに家に帰らなければならない。ここからは再び詞弥先生にバトンタッチだ。
「こっからは頼んだぞ、詞弥先生。」
「今度こそ任せたまえ。」
結局この後、俺達は何度か迷い、それでも着実に家との距離は縮まって行った。
駅を出て三十分・・・・
「ありがとうな。」
「どういたしまして。思ったより近かったんだね・・・すごい遠回りしちゃったよ。」
「まあ、そのおかげで色々聞けたし・・・そういや詞弥、一人で家帰れるか?」
最初は覚えていると思っていたから心配していなかったが・・・
「ほんとに近いから、安心して。絶対迷わない自身あるから。」
と言われてもな・・・
「じゃあ敦也君、家族との再開頑張ってね。」
そう言い残して去っていった詞弥は・・・すぐ横の扉に入っていった。はは・・・俺ら、いつから付き合ってたんだろう・・・
詞弥のことは後にして、今の俺には最優先事項が他にあった。家族との六年越しの再開。
しかし問題なのは六年のブランクが俺にのみあるってことだ。家族は俺を見て驚きもしないだろうし、普段通りに話してくるだろう。俺はそれに自然な感じで返さなければならない。
ちなみに、さっきの帰り道の中で、詞弥が俺の家族について色々教えてくれたのでどんな人がいるかは分かっている。
なぜそんなことまで知ってるのかと俺が聞いた時、あいつは「彼女なら知ってて当然でしょ。」などと言っていたが、ここに来てその真相が幼馴染だからということに気付いた。
ちなみに俺の家庭は、母、俺、弟の三人で構成されたシングルマザー世帯らしい。ポケットに入っていたスマホの中に写真もあった。
スマホにはパスワードが掛かっていたが、最近のスマホは便利なもので、俺が親指をかざすだけでロックは解除された。中身が別人でも体が同じなら良いらしい。
その他俺の呼び方、逆に俺がどう呼んでいたかなど、最低限度必要な情報を見に付けて今玄関に立っている。表札には『荒川』の二文字。ここに来て、ようやく自分のフルネームを言えるようになったわけだ。
一度深呼吸をする。そーっとドアに手を伸ばし・・・なんだこの絵面は。はたから見れば、家出した高校生が結局行く宛もなく、渋々帰ってきたみたいじゃないか。まあ、俺は実際六年間家出していたようなもんなんだけど・・・
「あ、敦也やん。ナイスタイミング~。お母さん家の鍵忘れちゃってて・・・」
・・・あーしまった。このパターン考えてなかった。てっきり家にはもう全員帰っているものだと思っていた。
とりあえず俺は後ろに振り返り、
「おかえり・・・か、母さん?」
「どうしたん?」
「いや別に・・・」
写真ってあれ、十年くらい前に撮ったやつのはずだよな・・・
なのに俺の前にいたのは二十代後半くらいの女性だった。いや、母親のはずなんだけど・・・
「母さん何歳だっけ?」とはさすがにこのタイミングでは聞けないか。
「寒いからはよドア開けて。」
「あ、ごめん。あれ、鍵どこだ?」
「もうお母さんも若ないんやから。死んでまうで。」
大げさだろ。
そして俺は、このチャンスを逃さなかった。
「今何歳だっけ?」
「・・・十八。」
「矛盾してんぞ。」
「はいはい、四十二ですよ~」
え・・・ガチですか・・・正直まだ十八の方が信じられるレベルだった。
「あっ、あった。」
ようやく鍵を手にした俺は、
「遅い~」
素早くドアを開け、寒さに震える四十二歳ピチピチマザーを先に通し、後に続いて中に入った。
家の中は予想外にも真っ暗だった。てっきりいるものだと思っていた弟はまだ帰ってきていないらしい。
「ただいま~」
母がそう言う。ということはやっぱり中に居るのだろうか。いや、ならば部屋に光が灯っていないはずがない。だからおそらく、母はいつもお世話になっている自宅に対して挨拶したのだろう・・・と思っていたのだが、
トントントントン・・・
突如鳴り出す足音。それも、ものすごく軽快な音で。俺は自然と隣の母に目を向けたが、片足立ちをしていた母は靴箱の上に手を置いてバランスを保っていたので、足は地面から離れることはなかった。
それでも足音はなり続けている。それどころか、さっきよりも音が大きくなっているのに気付いた。
近づいてきている。しかし暗闇のせいで、何が迫ってきているのかが目で確認できない。
俺は正体不明の何かの出現をいつでも動ける万全の体勢で待ち構えてていたが、母は履いていた低めのヒールを脱ぐのに夢中だった。
足音がすぐそこまで到達し、直後俺の足に何かが当たる。俺は驚いて一歩下がった。
「大和、ただいま~」
ヒールを脱ぎ終えた母がそう言った。俺は少しホッとしてそれでも大和と言う名前に聞き覚えが無かったのでまた少し不安になった。
俺の弟は涼也で家族はそれで最後のはず・・・
謎の四人目について考えていると、当の本人が俺の足に・・・擦り寄ってきた?
俺はとっさに自分の足元に目を向ける。さっきまで全然見えないと思ったらそんなところにいたのか。
黒い毛むくじゃらが俺の足に頭を擦り付けていた。やがて上を見て、大和は言った。
「にゃあん。」
今まで見えなかったのは、相手が猫で身長が低かったからだと分かったと同時に、今まで猫ごときにビクビクしていた自分が恥ずかしくなってきた。
黒猫の大和は以前として俺の足に擦り寄りこっちを見るという動作を繰り返している。
どうやら懐かれているようだ。そう思い、俺はこっちを見つめる大和の後頭部へ手を伸ばし・・・
噛みつかれた―
我が家は二階建だった。
今俺は、一階のリビングでこたつに足を突っ込んで、抜けなくなっている。もちろん物理的には可能なのであるが、抜けないものは抜けないのである。
目の前に見えるカレンダーは十一月のもので、ここに来てようやく、日本に四季があると言うことを思い出した。記憶では冬は十二月からなのだが、十一月の今でも、こたつが必要になる程に夜は寒い。日中はそうでもなかったのだが・・・
さっきの大和だが、俺にすがりついてきたのは単に腹が空いていたからだったらしく、キャットフードを皿に出してやると、平らげるなりこたつの中に消えていった。だから今、足の裏に猫の毛が当たっている。こそばゆいが気持ち良い。お腹の毛も触って・・・
イタッ!
そういえば、俺の弟こと涼也はまだ帰ってこないのか。詞弥は可愛いと言っていたが、八時になっても帰ってこない中学二年生のどこが可愛いんだよ。
「なあ、敦也~」
台所から母が・・・
「うわっ。」
四十二歳の母は新妻的フリフリエプロンを身にまとっていた。若さの秘訣はそれですか。心が若いと見た目も若くいられるんですか。
「うわっ。ってなんや。・・・まあええわ、涼也が今日は彼女と晩御飯食べてくるって言ってきたからウチらも食べよっか。」
スマホで涼也とのトーク履歴を見せながらそう言ってきた。
って、弟彼女いんの?
「青春してるわね~」
それも晩飯を食いに行く程なのか。
どこに可愛い要素があるのかね・・・
その後、俺は晩飯の肉じゃがを平らげ―
「はい、お待ちどう。今日の夕食は肉じゃがでーす。」
テーブルに並べられた二人分の白米と肉じゃが。これがたまたまであったことを願わんばかりだ。もしこれが若作りプロジェクトの一貫なら、これから先も新妻を演じるという名目のもと、テーブルには肉じゃがが並べられ続ける気がする。
・・・あ、これ一ヶ月はいけるわ。
それから風呂に入り―
浴室は約三畳。風呂の中というのは考えことをするのには丁度いい。今の俺は大量の考え事を抱えていて頭が破裂する寸前まで来ている。朝から、いや、こっちでは昼からになるのか?なにせ色々とありすぎた。
シャワーを止め浴槽へ。
だってアシアとキスをしていると、気付いた時には相手が詞弥に変わっていたんだぜ・・・!?
俺は浴槽から飛び出した。反射的に・・・心臓が止まりそうな感覚に脳より先に体が危険を察知しての行動だったので、俺の脳はまだ何があったのかを認知していない。少ししてやっと気付く。
「水じゃんこれ!」
俺は瞬時にシャワーをひねり、冷えた体を温める。この間約三秒。今も心臓がバク付いている。
若くなければショック死していたかも知れない。あとで母にも言っておこう。見た目は二十代で通るが実際は四十代。もし俺と同じようなことになれば冗談抜きで心配だ。
歯を磨き―
風呂から上がった俺は、体を拭いたバスタオルをそのまま腰に巻き付け、目の前の洗面器に向かった。歯を磨く習慣や浴槽に浸かる習慣はあっちの世界にも同じようにあったのでそのあたりは違和感無かった。
俺はまず歯ブラシを・・・歯ブラシを取ろうとしたが、そこには歯ブラシが三本。どれが自分の歯ブラシなのか、覚えているはずもない。まず、このピンク色のは確実に違う。きっと母だ。そうなると、残るは緑と紫の二本なのだが、俺は感覚で自分が好きだと思った方を取った。
あとで母が白髪を抜きに来たとき、紫の歯ブラシをくわえていた俺を見て何も言わなかったので、多分正解だったのだろう。
そして現在に至る―
今寝室に居る。風呂では冷水に浸かり考え事をするどころではなくなったので、その分を今考えている。
王都ペテルギアでアシア姫の騎士を務めていた俺は、早朝にそのアシアにキスされる。気付いた時にはキスの相手がアシアから詞弥に変わっていて、時間は昼過ぎだった。
つまり、二つの世界の間に時間的な関連性はなく、一方の世界で眠っている時間=もう一方の世界で活動している時間にはならない、ラグは長くて十分。
それから、詞弥は王都を知っていた。つまり俺やアシアと同じ境遇の人間は少なくとももう一人いたということだ。
王都で言う六年前に、この日本にやってきた原因はアシアとのキスだった。ということはだ、この日本から王都へ移動する手段は・・・
おそらく、詞弥とのキスだ―
しかし、世界を移動するための鍵が女の子とのキスか・・・考えを確信に変えようにも、それだと簡単に確かめられないな。
そもそも俺は、何をゴールとしているのだろうか。詞弥となんとかしてキスをし、王都へと戻ることか?それでこっちの世界はほったらかしにするのか?昨日の俺ならそうしただろう。だが、今の俺はこちらの世界が現実である可能性を少しながら見出してしまった。そう簡単に捨て去ることは出来ない。
これからどうしようかな・・・
「兄ちゃん、なんでここにおるん?」
俺は後ろを振り返った。そこに立っていたのは、写真にも写っていた奴だった。
「お、涼也じゃん。おかえり。」
にしても中学二年生にして夜の十時帰宅とは、とんだ不良弟だ。俺のことを兄ちゃんと呼ぶあたりまだましか。というかそんな時間まで彼女といたのか・・・
「ただいま・・・だからなんでおるん。ここ俺の部屋やん。」
「へ?」
二階に上がった時、俺は部屋を二つ見つけていた。そのうち一部屋はここで、もう一部屋は驚く量の紙で床が埋め尽くされた、簡単に言えば足の踏み場も無い程散らかった部屋だった。
俺は結構綺麗好きで、ペテルギアの王宮にある自分の部屋も、床には何も落ちていないし棚の上もスッキリしている。だから、この部屋が自分のモノだと一瞬で分かった、はずなんだが・・・
「あ、ごめん。ぼけてた・・・」
「なんで、あのぐちゃぐちゃな部屋とここを間違えるんや。」
ほんと、どうやったらあんなぐちゃぐちゃな部屋が完成するんだろうか。前にこっちにいた時の自分に聞きたいね。
部屋から廊下に出た俺は一度後ろに振り返って、
「なあ、涼也。」
「ん?」
「お前って、まだ童貞か?」
「うっさい、俺そういうノリ嫌いやねん。」
勢い良く扉が閉められた・・・
男子トークが苦手、か。なんかちょっとだけ詞弥の言い分が分かった気がした。
さて、これはいったいどうしたものか―
扉を開けるなり待っていたのはコピー用紙によって作られた真っ白な床だった。真っ白と言うと少し語弊があるな。よく見るとまだらに模様が入っている。
俺はその中から一枚を選び取った。
絵だ。それに、結構上手い。世界的な画家に匹敵するかと聞かれたら、まだまだ未熟だが、普通の高校生とは思えないレベルには上手かった。それにこの数、何日でこの床が完成したのかは分からないが、一日にいったい何枚描いたらこうなるんだ。というか一高校生にこれだけのモノを描く時間があるものなのか?
いつの間にか感心していた俺だが、今気付いた。ここは俺の部屋、ってことは今の今まで自画自賛をしていたことに。
こっちの俺にはこんな才能があったのか・・・となると、俺と詞弥が通っている高校って、もしかして美術校なのか。
俺は部屋の奥に、布を被されたカンバスを見つけた。床に落ちた絵を拾い上げながら奥へと進んでいく。俺が通った後に道が出来ていく。
布と取り払った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
そこには、正面から見た宮殿の絵がでかでかと書かれていた。
絵の完成度もなかなかだが、何より、その絵の宮殿が王都ペテルギアの、俺が毎日過ごしている宮殿そのものだったことが俺を絶句させた。
六年前の俺は十五年という時間を経て、この世界に順応してもなお、俺は王都の事を完全に捨てきれないでいた。どこかでは王都やアシアの事を考えていた。やっぱり、今の俺にはどちらの世界も捨てられないな・・・
気持ちの整理が一段落ついたところで、今日はもう眠ることにする。きっと明日からまた学校に通う毎日が始まるんだ。
俺はカンバスに布を被せ、落ちているコピー用紙をとりあえず勉強机の上にかためて、十一時十二分、ベッドの上にて眠りに就くのであった。
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私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
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