サーチング・サーガ

相有 枝緖

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32 痛くはなかった

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「それじゃあ、頼んでもいい?本名を名乗れないし、やっぱりちょっと不便なのよね」
「え、いいけど。いいの?」
 軽く頼んできたベラに、ルノフェーリは驚いた顔を見せた。

「うん、いいから頼んでるんだけど……。もしかしてめっちゃ痛いとか?」
「ううん、痛くないよ」
「じゃあいいよ、お願い」
「んー、わかった。じゃあこっちに来て」
「うん」

 焚火を回り込んでルノフェーリの方へ行くと、もっとこっちに、と言われたので目の前に膝をついた。
「ちょっと魔力を準備するから待ってね」
「ん」

 軽く言っていたが、呪いをぶち破るレベルの魔力となるとルノフェーリでも準備が必要なのだろう。
 目を瞑ったルノフェーリは、大きく息を吸って吐いた。
 その気配は、人のそれではない。
 いつもは抑えているから気にしていないが、きちんと感じ取れば完全に人外である。

 見た目はくたびれた冒険者だが、その実態は竜なので、人間の魔法も武力も権力も、なんにも気にしていないのを知っている。
 大きな力を持っているから、何にも動じないし怒らない。
 ベラがからかえば怒ったり拗ねたりはするが、本気ではないのがわかる。
 ちょっとした戯れとしか感じないのだろう。

 ぼんやりとルノフェーリを見ていると、彼が藍色の目をぱちりと開いた。
 藍色の中に、焚火のオレンジが映っている。
 彼は、黙ってベラの方に腕をのばした。

 それだけで、ベラはルノフェーリの魔力に包み込まれた。
 圧力を感じるほどの、濃い魔力。
 息をするだけで身体の奥までその魔力が入り込んでくる感じがする。

 魔力の濃さにぼんやりしていると、ルノフェーリがベラを抱き寄せた。
 色の深くなった藍色の目が、ベラの瞳を覗き込んでいた。
 ベラの中にある呪いの魔力を探っているのかもしれない。

 じっと見られて身じろぎしたとたん、後頭部を押さえられた。
 腰に回った腕も、全く動かない。

 目の前に、ほとんど黒にしか見えない瞳が迫る。
「ちょっと――」

 ベラの言葉は、ルノフェーリの口に飲み込まれた。


 強い魔力が、体内に入ってくる。
 熱と魔力の混ざったものがベラの中でぐるぐると渦巻き、どんどん溜まってくる。
 そして奥にあった何かを破壊し、ポン!と飛び出していった。

 そのまま、ルノフェーリはベラに覆いかぶさるようにして舌をからめてきた。
 ずっと無自覚に行使していた呪いが破られたからか、それ以外の理由か、とにかく力が入らない。

 触れる熱は、どんどん遠慮がなくなってきた。
 口は離れることがなく、後頭部を押さえていた手は首もとへと下がり、背中の手は腰の曲線を確かめるようにしてそのままさらに下へ。
 そのうち、呪いが弾けたことによる魔力の欠損を修復される気配があった。

 唇が離れた頃には、ベラはすっかりルノフェーリに身体を任せてしまっていた。

「ベラ、呪いを弾き飛ばしたよ。そのときにベラの魔力に穴が開いたから、そこも塞いだ。俺の魔力で塞いでるけど、そのうち馴染むから大丈夫」
「んー」
「今日はもう休もう」
「んー」
 身体がだるくて、思考が鈍り、ろくに返事も返せない。

 ルノフェーリはベラを抱き上げて、先に用意していたタープの下へと移動した。
「明日にはある程度馴染むと思うから」
 そう言ったルノフェーリはベラを抱きしめたまま、ゆっくりと横になった。

 ベラの意識は、ゆるりと落ちていった。




 朝起きると、ルノフェーリの腕の中だった。

「だから、最初に説明しなさいよね!確かに痛くはなかったけど!!」
 ベラは、ベチン!とルノフェーリの頬を叩いた。

「いたっ。うん、ごめんね。でも解呪できたよ」
「それはありがたいけど!あんた、私が動けないのをいいことにあっちこっち触ったでしょうが!」
 今度は、拳で肩のあたりを殴った。

「痛いってば。いやだって、好きな子が腕の中にいるのに触らないわけないじゃない?」
「一方的に触るとかありえないから!」
「ごめん。次はベラにも触らせてあげるから」
「そういう意味じゃない!もう!」
 次はぺちん、と頭をはたいたけれども、ルノフェーリの表情は緩んだままだった。

 ベラにも自覚はあった。
 本気で殴っていない。

 だって、本気で怒ってはいないのだから。

 それがわかっているルノフェーリは、へにょりと口元を緩めたまま野営の跡を片付けていた。


「ベラの名前、やっと教えてもらえる」
 街道を歩きながら、ルノフェーリは笑顔でそう言った。
「え、もうベラでいいんじゃないかしら」
 ベラは、すっとぼけて答えた。

「やだ!名前は大事なんだから。教えてよ、ベラ」
「どうしよう。ルノはもういいと思うよ。知ったところで何も変わらないでしょ」
「変わる!変わるよ?!愛称で呼ぶのもいいけどさ、パーティ組んでるパートナーの名前くらいちゃんと知っておきたいよ」
「知ってなくても支障はない。それより、次の街はドーブでしょ。海沿いだから、魚が美味しいはずよ」
「ねぇベラ、ちゃんと教えてよ」
「いいじゃない、別に」
「良くないよぅ」
 ベラの手を握ったまま、ルノフェーリは情けなく眉を下げた。
 街道を歩く人影は全く見当たらない。

「ね、ベラ」
「ベーリアーラ、よ」
「え」
「私の名前」
「ベーリアーラ……。綺麗な名前だね」
 ルノフェーリは、大事そうにその名前を口にした。

「そう?ありがと。で、呪いはなさそう?」
「うん、きれいさっぱり何にもないよ。悪意を持った人に知られても、何にも発動しない」
「そっか。ありがとう、ルノ」
「ううん。ファーストキスが呪い解きなんてなかなか刺激的だったし」
「ちょっと!あれは解呪でしょうが」
「もちろん呪いを解いたけど、それだけじゃなかったもん」
「いいえ、ノーカンよ。人口呼吸と一緒」
「でも」
「ほら、そろそろ街に着くわ。海が見えるわよ」
 ベラが目を向けた先には、うっすらと街並みが見えていた。
 それに、潮の香りも少しわかる。


「海って、そんな特別かなぁ?ただの大きな水たまりでしょ」
 ルノフェーリは首をひねった。
「どうかしら。地図を見る限りは、逆じゃない?」
「逆?」
「水の中に浮いてるデカい島が、私たちがいる大陸って感じ。少なくとも、地図ではそうだったわ」
「ああ、そういう。大きさの比率で言えば、そっちの方が合ってるかも。ものすごく上空から見たら、海の方が広いからね」
「やっぱりそうなんだ」
 ベラはふと空を見た。
 空を飛べるルノフェーリだからこそ、実際に知っているのだろう。

「うん。それと、ほかの大陸は少し遠いから、やっぱりでっかい島で合ってるよ」
「ほかの大陸なんてあるんだ」
「もちろん。行ってみたい?」
「そうね、そのうち行ってみたいかな。人の行き来はあんまりないわよね?」
「うん、少し遠いからね。船で一ヶ月以上かかるんじゃないかなぁ。でも、レオンジ帝国は定期的に船で交流してるみたいだよ」
「へぇ。さすが帝国」

 ドーブの街の向こうでは、水平線がキラキラと光を反射していた。
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