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01 ー nothing ー
36-2
しおりを挟むいつも、会えるような気がして公園を走る。根拠も確信も無い。
屋上に行けば会えたみたいに、公園に行けばいるような気がしただけだ。この間もそう思って走りに出かけ、ちゃんと会えた。
いなければ、ただ走って、このごちゃごちゃを少しはまとめて、嗜めて、落ち着こう。
いるかなと期待して走りに行き、やっぱりいなくて、ただ普通に走って帰った事も何度かあった。
そんなのいつもの事だから、いなくても。
そう、思ったのに。
心臓が、ぎゅっと痛くなった。
雑木林の遊歩道の、切れそうな街灯のベンチに、彼がポツンと座っていたからだ。
うなだれて、星なんか見てない。
一人でまた、何か考え事に嵌ってしまったのだろうか。
「海…」
気に掛かって仕方のない奴。
優しくしたい人。
優しくせざるを得ない人。
駆け寄りながら声をかけると、ハッとして立ち去ろうとする。
「待って!」
すれ違いざま、咄嗟に手が出て、細い手首を強く掴んでしまう。
びく、と相手が怯え、一瞬振り払おうとしたが、ーーーーーー止まった。
耐えた……。
俯いて、密かに息を詰めて、じっとしている。
耐えてくれている……。
「……ごめん、大丈夫……?」
思わず謝ると、背を向け、俯いたまま、かすかに頷いた。
胸が一杯になった。
手を掴まれたまま、振り解かない。
いつもなら一度抵抗するのに、じっと耐えて、掴ませたままにしてくれている。手首の脈が速い。
きつく掴んだ手首を離し、改めてその手をそっと握る。
誰もいない遊歩道。
繋いだ手から、物凄い緊張が伝わってくる。
それでも、振り払わずに黙って耐えてくれている。ここに、いてくれる。
冷たい手。
この緊張する手を、温めたい。背中に手を回して、体温を分け与えたい。
訳の分からない感情が湧き上がってきて、衝動のままもっと触れたくなってしまう。けれどギリギリで抑えた。今こんなに緊張して、けれど我慢して受け入れてくれているのに、これ以上脅かす事はとても出来ない。
「今日は、どうしたの」
手を繋いだままに聞いてみる。相手は緊張したまま、「星を…」と答える。
嘘だろう。また俯いて、何か考えに沈んでいた。
そんなだから君がいつも気になって、声を掛けてしまうんだ。
「そう。少しは見られた?」
「……あまり。遠くて……」
手首の脈が異常に速い。
「双眼鏡、あるから、取ってこようか」
首を振る。
「いい、もうピークは終わったから」
「……終わったのに、ここで何してたの。寒いのに」
「何も」
「何も?」
「ただ、座ってた。考えていた」
「何を……?」
「色々……」
「……色々か」
フッと笑う。その色々の中に、僕のことは入っているんだろうか。
「……手……」
もう限界なのか、怯えは消えないまま小さく呟く。
「ああ……うん」
力を緩めると、身体が引かれ、そろそろと手が離れて行く。
短い時間だけど、ずっと我慢してくれていた。触れさせてくれていた。
手を離す時も、払うのではなく、そっと引く様にする。拒否の姿勢ではなく。
「今日は、大丈夫そうだな」
「何が」
「泣いていないから」
「……そんなにいつも、泣いたりしない」
少し怒った様に言う。声がかすれている。
「泣いてもいいよ。……僕は、いいよ」
少し黙って、ただ二人で佇んでいた。
「……帰ります……」
彼は背中を向けたまま頭を上げた。
「うん。お休み。風邪引くなよな」
「……」
海は黙りこくって、公園を出て行った。
その後姿を見送り、触れた手を握り締めた。
冷たかった手の感触。か細い手首の脈の速さ。
……逃げなかった。逃げないでくれた。
掴めば何度か嫌だと言って振り払っていたのに、ずっと触れさせてくれていた。
耐えてくれていた。僕を。僕のために。
返してくれなくていい、と言った。それは無理をさせたくないと思ったからだ。
けれど、返してくれた。僅かの間、無理をしていてくれた。
我慢してくれていたその気持ちを思うと、こっちが泣きそうだった。
そしてはっとした。
この前もここで、指先を引っ掛けるようにして、こうしていた。
向こうも躊躇うように、手を伸ばそうとしていたんだ。繋ごうとしてくれていたんだ。
僕は、彼をどう思っているのだろう。この気持ちは何だろう。
他の何かに例えようもない、この気持ちは。
ランニングコースに戻って、真っ直ぐ走り続けた。
無闇に高揚していた。
あのまま、腕を引っ張って、ガッと抱き締めたかった。
もっと近づきたい、触れてあげたい、という気の迷いの挙句に、おかしな事になる所だった。
気の迷い?おかしいかな?
間違っているだろうか?
思考ではなく、ただ感じているだけの心に、正解不正解などあるのだろうか?
彼はどうして、耐えてくれたのだろう。いつもみたいに反射的に拒否しないで。
あれも何かの気の迷いなのかも知れない。
だとしても。
それで今こんなに感動して、昂っている。
気に入っている、では済まないような感情。
気に入ってる、じゃない。気になってる、んだ。
いま、好きな人がいて……とあの子に言った時、気に掛かっていたのは、君。
この気持ちは、「好き」に属するものなんだろうか。
今までの彼女達と比べても、彼に対する今のこの気持ちがどういうものか、分かる訳ではなかった。
ただ、その感情にどうしても名付ける必要があるとすれば、それは、何かとても大切なもの、という言い方が一番近かった。
触れられなくて、だから触れたい、脆そうな、危なっかしいもの。
近づくと離れてしまって、あの風船のように、手放し見失ったら二度と戻らないもの。
思い出や記憶みたいに、きっと、失いたくはないと思うもの。
迷っているなら、灯台や星図を一緒に探したい、のではなく、自分がそれになってあげられたら。
その居場所に、現在位置に。
心の中に、沢山の思いが流れ星のようにキラキラと降る。
いつも気になっている。
謎めいて、単純で、頑なで、柔らかい。不思議な存在。
傍にいて、名前を呼んで、話して、触れて、もう少し知りたい。
懐かしくて、悲しくて、大切なもの。
僕の中のほんの小さい、でも深くて大事な部分に共鳴するもの。
屋上で写真を拾ってあげた時の事を思い出す。
あれしかない、という叫び。
何だか分からないけれど、
心の奥底にある、ただ一つの大事な、失いたくないもの。
君の事も、この気持ちも
きっと、そうだ。
失えない。
その気持ち、その気の迷い。
気の迷いが与えた、その昂りを感じながら、
足に羽が生えたように、その高揚のまま、
飛ぶように、夜の道を駆けた。
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