海のこと

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02 ー he ー

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ぐるぐると、時計の針だけがただ回っているような日々。

仕事中、ふと班長と目が合ってしまい、あっ、と思い、うつむく。

見ないでくれ、と思ったが、目が合うって事は、向こうが見て来るだけではなく、こっちも相手を見ているからだ。……あの人のせいじゃない……

……何を、見てる……俺も……。


気温の低い日。
晴れていたのに、午後から急に天候が崩れて、今年初めての雪が降って来た。最初は皆珍しそうに喜んでいたが、風が強く、序々に荒れ模様になって来て、今日は全員、早めに勤務を切り上げて帰って良いとの通達が来た。
思いがけない早退許可に賑わいながら引き上げる人々の中、班長は何かの会議に出ていて、まだ戻って来ていなかった。

海はいつものように皆の後にロッカー室に入り、カバンを取って、少し迷う。
それから、誰もいなくなった作業室に引き返し、班長の机の上に折り畳み傘をそっと置いて、退室した。


地元の駅に着いても、まだ雪は降り続いていた。
風は止んだようだが冷たい空気が全身を包んで、息が白くなる。

雪だから、傘など無くても平気だ。濡れるのは慣れてるし、別に構わない。
コートの襟を立てて、積もった雪で足を取られないようにゆっくり歩く。

毎年降るような地域ではないから、雪はここに来てからは、おそらくまだ片手で数える程度しか知らない。
自分の人生の中では、一体何度目の雪なんだろう。そんな事も、もちろん分かるわけがない。

雪はただ冷たく、美しく、建物や看板でごちゃつく街を全部、真っ白に塗り潰す。
何もかも見えなくなって、綺麗な世界が創り出されていく。
歩道は沢山の人の歩いた足跡である程度の道が出来ていて、歩きやすくなってはいたが、踏み荒らされて汚くも見える。
せっかくの、綺麗な世界なのに。

ふと思い立ち、駅に折り返して公園へ向かう。
案の定、こんな夜は誰も通らず、誰にも踏まれていない一面の平らな白が、森の中で静かに横たわっていた。


しんとした空気の中、消えそうな街灯に照らされた雪の森は、普段とは違う神秘的な雰囲気を湛えている。
海は少しどきどきしながら、その中にそっと一歩を踏み入れる。
サクリ、と足元が優しく崩れて、爪先を包み入れる。
その瞬間、ああ、跡がついてしまった、と後悔した。
この雪をこの美しいままに留められたのに。
愚かな行為を呪いそうになった次の瞬間、ちょんちょんと小さな足跡に気が付いた。小鳥が、何かいいものでも落ちていたのか、または、自分と同じように、この上を歩いてみたかったのか。

とっくに先客がいたのだ。
ほっと微笑んで、白い息を吐く。
そのかわいらしい足跡を追うように、そろそろと遊歩道の中へ入って、雪の下の敷石か何かにつまづきバランスを崩す。あっ、と思う間もなくひっくり返ってしまった。

「……痛……」

積もっているといっても、人ひとりの体重を受け止める程の厚みはない。ひっくり返ったまま痛みにぼやいた。
そのまま空を見上げると、灰色の雲から降り続ける雪は、まるで沢山の白い星が舞い落ちて来るようで、しばらく見とれてしまう。

落ちてくる雪だけをただ見つめていると、まるで自分の方が空に向かって浮いて行くようだった。
屋上で寝転がって、あの空に溶けていきたいと思っていた感覚にも近くて、しばらくこのままでいたかった。

綺麗な白。

俺の真っ黒なこの身にも静かに雪が積もって、保護色みたいに白く覆い隠してくれる。
真っ白い雪に覆われて、そのまま見えなくなってしまえばいい。
全部見えなくなって、何も分からなくなってしまえば、それで終わる。

苦しい事も、寂しい事も。過去も、未来も。

今まで気にした事などなかった。気にしても意味はなく、なくても毎日仕事をして、生活していられた。
分からなくても支障は無かった。

けれど、あの人が来て、色々言って来るようになってから、どう対応していいか分からない感情や、何も無い自分に不安が生じて、調子が狂った。
分からないものが沢山ある事に気付かされて、バランスが乱れて、それが苦しくなった。


見えない、分からないもの。

遠くて触れられないもの。

かたちのないもの。

……こころ。


分からないものは、無くても構わないのに、
だから、そこから離れてしまえば楽になるかと思ったのに、
以前よりもっと辛くなってるのは、何故なんだろう。


分からない自分が、愚かで、嫌でたまらない。
いつも消えてしまいたいと思ってしまう。

このまま、降り続く雪に埋もれて、春になったら、溶けて消える。
それもいいな。
溶けて消え、雫になって、雨になるのもいい。

燃えられない彗星みたいに、永遠に同じ場所を彷徨うのなら、雨になって降り、雫になって雲になり、また雪になって降り、溶ける。その方がいい。
周るのは同じでも、ここだと循環になれる。
環になって、サイクルとして巡る。繰り返す。拡がる。

この環の中に入れる。たった一人ではなくなる。
それは少し幸せな空想だった。

ぱっと、燃えて煙となり、空気となり雨となって降る。それがいいと思っていた。
けれど、このまま埋もれて、土と水になって……ああ、人は半分以上水で出来ているのだから、可能だ。水になって、やはり、雨となってここに降る。
どっちもいい。
雨が雪になるなら、雪でもいい。

顔の上にも容赦なく降り落ちて来る雪に手をかざす。
黒い手袋の上にも、ふわふわした雪のかけらが落ちる。
後から後から暴力的に降ってくる癖に、その小さなひとかけらは、よく見ると、とても繊細な星の形をしていた。

(星だ)

これは、目に見える、さわれる、小さな星だ。

手袋を脱いで、降る雪を受け止める。
けれど、雪は触れた指先ですぐに溶け、消えて無くなった。

触れた感触もなく、温度もなく、小さな雫だけが残った。
 
 
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