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04 ー touch ー
23-2
しおりを挟む夜道をとぼとぼ歩きながら、色々な事を思う。
去年も、今ぐらいの寒い時期、
どうしようもなく、悲しくて、こうして一人で夜の中を歩いていた。
あの頃は、あの人とはもう二度と会わないと、何もかも壊れて二度と戻らないと思っていた。
雨に打たれて、雪の中でぶっ倒れて、自分は雪のように溶けて消えるのだ、なんて考えていた。消えて、雨になれば、もう一人ではなくなる。あの写真みたいな空の中に行ける、なんて。
でも、今日のこの感情は、あれとは違う。
その前の冬は、初めて好きだと言われたことに、ただ混乱し、怯えていた。
その怖さとも違う。
何が違うのだろう。
昨夜からずっとそのことを考えている。
静かな夜道を歩いていて、住宅街の一角に少し明るくなっている場所があるのが見える。
引かれるようにそちらへ向かうと、門の奥に白い壁の小さな建物があって、入り口のちょっとした広場の植え込みにぽつぽつとした電球で飾られ、外壁のレリーフがライトアップされている。
民家ではないのか。
何かの集会所なのだろうかと門に掛かっているプレートを見ると、教会と書いてある。
その下には何かからの引用の言葉、誕生の謂《いわ》れなどの文章が記されている。
(ああ、ではこれが)
神様か。
今日が誕生日だとかいう。
扉の中からは、小さな合唱が聞こえてくる。
目に見えない、いないかもしれない人の誕生日を祝っている。
どういう心情なのだろう。それを信じ、それにすがるのは。
ダッフルコートのフードの中から、ライトに照らされたレリーフを見上げ、その静かな歌にじっと耳を澄ませる。
歌詞はわからない。きっと誕生日の歌か何かなのだろう。
高くきれいな女性の声と、ゆったりとした男性の声。
……何だっけ、これ。
いつか聞いた事がある。
そうして気付いた。
いつか、班長が酔っ払って歌っていた鼻歌だ。
離れると決めたのに、電車の中で偶然会って、駅から俺の家まで一緒に歩いた時の。
あの辛かった、悲しかった時の。
その同じ曲を聴きながら、遠い昔の事のように思う。
あの時も、勝手に一人になって、勝手に寂しがっていた。
今日も、同じだ。
俺はまた独りぼっちだ。
だけれど。
(違う)
同じだけれど。
でも、あの時のように、悲しかったり、苦しかったりはしない。
昨日は、あの人は行ってしまったけれど、戻って来て、明日もきっと会う。
それがわかっている。
一人立ち尽くして遠去かる車を見送って、待ってもやっぱり戻ってこなくて、
それでも、寂しいけれど、あの頃みたいに二度と会わないと言った訳じゃない。
離れてはしまったけれど、あの人があの部屋にまた戻って来る事を知っている。
知っているから、あそこに荷物を残して来られたのだ。
明日も会うから、こんな所まで煙草を買いに来たんだ。
あの時とは違う。
白い壁に照らされたレリーフをぼんやり見つめて、
ぱっ、と、その光が頭の中にまで射したように感じた。
思い出す。
憶えている。
その時のこと。その時の気持ち。
(ある)
今、俺の中に、あの時の記憶がある。
感情。情景。起きた出来ごと。
憶えているお陰で、今、その時のことと現状の比較が出来る。
あの時の悲しかった、苦しかった事を、俺は憶えている。
憶えているから、あの時と比較して、明日も会えると知っている今が、どれだけ悲しくないか、つらくないか、確認できている。
思い出があるからだ。
急に、その事実にどきどきしている。
思い出がある。
辛かった、苦しかったことだけれど。
思い出があるって、すごい。
あの時と比べて、今がそういう状態ではないと、少しの安堵まで感じている。
あの時の状況に比べれば、今は苦しくない。泣かなくていい。
悲しまなくていい。
俺はあの時より少し、強くなっている。
不思議だった。
思い出なんて、過去の時間だ。
それこそ、今ここに無いものだ。
もう遠く過ぎ去って、今どこにも無い。さわれもしない。見えもしない。
けれど、自分の中に、確かに強く刻まれたもの。
そのおかげで、俺は何とか、耐えていられる。
悲しまないで生きていられる。
記憶が、ある。
それは自分を支え、強くしてくれるもの。
俺にしか見えない、俺だけのもの。
ガラスのコップが砕けても、心に残るもの。
その意味を、やっと少しだけ理解する。
歌っている人達の声が聞こえる。
目に見えない、無いかも知れないものを深く信じる、
人間の弱さ。心許なさ。空しさ。
けれど、
それはいつか何かのかたちとなって、きっと誰かに、そっと触れるのだ。
それに気付いた時に「信じる」という思いが生まれるのだろう。
人の心が、見えて、さわれるものなのだとわかった時のように。
記憶がある。
それだけで、俺は、少しだけ強くなる。
あの時よりも、今。
そして、今より、これから先も、きっと。
この気持ちを憶えている限り。
この気持ちを、忘れたくない、と思う限り。
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