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#3 【瘴気洞窟侵入】(2019年14号)[2/2]

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 午後5時30分

「絶対に生きて会おう!」
「ああ! 頼んだぞ!」

 早瀬、峰守、2人の生死を賭けた闘いが静かに始まった。

        〇

 暗闇の中、およそ2キロメートルを1人進む峰守。
 頼りは自分たちで作った地図だけ。
 無事出口に辿り着けるのか。
 もし迷えば……死。

「落ち着け、落ち着け……」

 自然と呼吸が荒くなる。
〈氣〉を正常に保つのが難しく、護身札を余計に消費してしまう。

 護身札は持つのか……。

        〇

 峰守が出発してすぐ、早瀬は鈍い頭痛に襲われていた。
 低酸素の影響だ。
 徐々に時間の感覚も解らなくなってゆく。

 一方、峰守は地図を頼りになんとか順調に進んでいた。
 護身札は今使用しているので最後。そのあとは自身で護身の術を施すしかないが、自分でも焦りを感じている今、それはできるだけ避けたい。

        〇

 そして、午後6時30分。聖浄域を出ておよそ1時間。
 峰守は洞窟から脱出する事ができた。

 すぐに電波の届くところまで移動し、電話した。

「早瀬が瘴気洞窟で遭難した!」
『何ぃッ!? 場所は? ――わかった! すぐに向かう!』

 それは瘴気地帯探査の仲間たちだった。

        〇

 仲間が到着したのはそれから約20分後の事だ。
 峰守は地図を広げ、目的地とそのルートを仲間たちに説明した。

「早瀬がいるのはここだ」
「わかった」
「頼んだぞ」

 早瀬の居所は地図上で把握できている。これでもう大丈夫だ。早瀬は助かる。

 ……そのはずだった。
 しかし夜8時。

「おい! 帰ってきたぞ!」

 仲間の声に峰守は顔を上げた。しかし、すぐにおかしな事に気付く。
 帰ってきたのは、洞窟に向かったのと同じ人数なのだ。

「おい、早瀬は?」

 洞窟に向かった2人は、1人は焦り、1人は悲痛な表情を浮かべ言った。

「瘴気が濃すぎる! 視界が頼りにならない上に、感覚だけでは危険すぎて進めない!」
「……すまん」

 瘴気は夜が更けるほど濃くなる事が多い。
 その上この洞窟は、入り組んでいて、崖のような段差や、身体を擦るような細く狭い道、おろし金のような岸壁地帯、剣山のような鍾乳石など、瘴気がたち込めずとも危険が非常に多い。

 峰守はついにレスキューを要請する事にした。

        〇

 レスキューが到着したのは夜8時40分。

「ここからは私が指揮を執ります」

 救助隊隊長・石清水いわしみず陽介ようすけは、峰守たちに洞窟内へは進入禁止命令を出した。
 そして、夜間の捜索が困難で二次被害が大いに予想されるため、明るくなるのを待って捜索する事を告げた。

 峰守たちは従うしかなかった。

        〇

 翌朝、救助本部に地図の専門家が呼ばれ、ある作戦が立てられた。

「ここが遭難している早瀬さんのいる〈聖浄域〉です。地上だとどの辺りになりますか?」
「計算してみます。地図をお借りしても?」
「もちろん」
「少々時間をいただきます。お待ちください」

 専門家に峰守から預かった地図のコピーを託すと、石清水は部下に指示を出した。

「よし、君たちは掘削機くっさくきを準備してくれ。できるだけ早くな」
「わかりました」

 それは聖浄域の上から穴を掘り、中に酸素を入れる作戦だった。

 本来、通常の掘削ならばそれに適した異能を有する者がいて、地震などの災害時にはその者たちに救援を要請する事が多い。
 しかし、瘴気洞窟へ掘り進むとなると、大変危険が伴う。そのため、自身が掘り進むタイプの異能者はもちろんこの作戦から除外された。
 また、遠隔での掘削を可能する能力も、能力の先端と能力者の間で多少なりとも〈感応〉が生じる。そのため、瘴気の影響により鈍る恐れがあり、これも除外された。

 だが、なんと、掘削機の用意ができたのは夜の8時だった。
 斜面から深く掘るタイプの掘削機がなかなか見つけられなかったのと、山中の森林部に掘削機を運ぶのに大きく手間取ったためだった。

「洞窟には、あとどのくらいで辿り着く?」

 石清水が尋ねると外注の掘削班班長は渋い顔を作った。

「このペースですと、あと12時間程です」
「何ぃッ! 作業ペースを上げるように現場全体に伝えろッ!」

 その時、早瀬が遭難してすでに丸1日経っていた。
 救助の様子を見守っていた峰守は、ただただ祈った。

(頼む。頑張ってくれ……)

 穴が空けば酸素や食料を届ける事ができる。そうすれば、救助の時間が稼げる。

 しかし翌朝。
 作業は止まっていた。

        〇

 石清水よりも前に、掘削班の班長が現場に怒鳴り声をあげた。

「どうなってるんだッ!」
「それが、その、地図に誤差があったようです」

 手作業で作られた洞窟の地図。当然と言えば当然だった。
 穴は聖浄域には辿り着かなかったのだ。

 座標図として地図を信用できない以上、これ以上の掘削は難しい。
 何らかの当てをつけて掘り続けても、近い場所に回数を重ねる分だけ洞窟の崩落を招く事になりかねなかった。
 それに、穴の数だけ瘴気が外に漏れ出す危険性がある。
 
 遭難から丸2日経った。

 早瀬はもう無理か――。

 そんな空気が救助の現場に漂い出す。

 しかし一方、峰守たちは全く諦めてはいなかった。

 昨夜から、これまで探索の際に撮影してきた洞窟内の映像をくりかえし見返し、チェックしていた。
 何度も一時停止し、地面や壁の形などの細かな目印を確認してゆく。
 視界が悪く、方向感覚が鈍っても早瀬のもとへ辿り着ける方法を探していたのだ。

 さらに知り合いのつてで、瘴気洞窟侵入に詳しい八條はちじょうという男も駆け付けてくれた。

 そしてしばらくすると、峰守は石清水のもとに赴いた。

「やはり我々に潜らせてください」
「……わかりました」

 新たな手立てがない以上、救助隊も峰守たちに委ねる他無かった。

 すでに遭難から50時間以上。
 八條ともう1名が、視界が悪いなか、早瀬の救助へと向かった。

        〇

 午後5時。八條たちが洞窟に侵入して1時間。
 なんとか聖浄域に辿り着いた。

 しかし、姿が見当たらない。

「早瀬さんッ! どこだッ!? どこにいるんだ、早瀬さんッ!」

 返事がない。

 しかし、その時、地面から生える鍾乳石の陰に人の姿を見付けた。

「早瀬さんッ!?」

 瘴気洞窟に閉じ込められてから2日。
 ようやく、早瀬のもとに救助の手が辿り着いた。

 しかし、生きているのか?
 ――判らなかった。

「おいっ! 早瀬さんッ!?」

 危険な状態かもしれない。
 動かしていいものか判らず、八條は早瀬の肩を軽く叩く。

「早瀬さん! 早瀬さんっ! 助けに来ましたよっ!」

 何度も、何度も、叩いた。
 手には次第に力が籠ってしまう。

 すると――。

「……うっ」

 かすかに動いた。

「良かった! 酸素ボンベです! それと水分も! 焦らずゆっくり飲んでください!」

 早瀬は生きていた。
 この時、体温はわずか33度を下回っていた。

 間一髪の救出劇だった。

 その後、信じられない事に、早瀬は八條たちの持ってきた護身札を装備し、担架を使わずに自らの足で脱出した。
 早瀬が再びその空気を吸ったのは、遭難から60時間後の事だった。

      ◇ ◇ ◇

 事故から3年。記者からのインタビューに早瀬はこう答えた。

「洞窟にいる時は、なんで自分は瘴気洞窟侵入なんて危険な事をしてたんだろうって、後悔し続けていました」

「でも、救助の光を見た時、僕たちがやらなければ他の人が苦しむ事になる。それならば、僕たちが1つでも多くの地図を作って他の人の助けになろう。これからもずっと瘴気洞窟の調査を続けようと決めたんです」

 早瀬はあの事故から、わずか2週間後には、地図を改良しようと再び瘴気洞窟に侵入したという。
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