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2巻
2-3
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すると森を抜けたとたん、ガルが顔をしかめた。
「……これは一体、どういうことだ」
黒煙と、何かが焦げるようなにおいが漂っている。
爆発音がしていたのは、多分ここ。
……そこに広がっていたのは、私たちが全く予想していなかった光景だった。
森を切り開いたような広い空間に、突然現れた大きな屋敷。
もちろん初めて見たけど、ここが目指していたアシュターレ伯爵の屋敷で間違いない。
「なに、これ……」
目の前で起こっていることが理解できない私の口から、小さな声が漏れた。
屋敷の門の前には、たくさんの人が集まっていた。
近くの村に人がいなかったのは、みんなここに集まっていたかららしい。
空気を震わせるほどの罵声や怒号が飛び交い、中には持っていたものを屋敷に向かって投げる人もいる。
嫌な感情が波のように押し寄せてきて、私に向けられているわけじゃないのに体が震える。
(一体、何が……)
さっきから聞こえていた爆発音は、誰かが撃った火属性の魔法が、どこかに着弾した音だったらしい。焦げ臭いにおいと黒煙は、周囲の木が燃えて発生したもの。
とんでもない状況に私が呆然としていると、意識を引き戻すように、ガルに強めに頭を撫でられた。
「襲撃……いや、あの群衆は、何かを訴えておるのか?」
「え?」
そして、ガルは私を抱えたまま、ゆっくりと人が集まっているところに向かう。
村人たちは前世でいうデモ活動みたいにアシュターレ家に不満をぶつけているらしい。
(う……耳が痛い。うるさい)
いろんな大声や爆音が響き渡って、耳がキーンとする。
誰が何を言っているかはわからないけど……誰も、私とガルが紛れ込んだことなんて、気にしていないみたいだった。
まるで、屋敷以外は見えていないとでもいうように。
(怒り、憎しみ、不安、不満……嫌な感情があふれてる。気分が悪くなる……)
私の眼……《祝福の虹眼》には、ここでマイナスの感情がドロドロと渦巻いているのが映っている。
……混ざり合った負の感情は、深く暗い、闇のような色に視える。
暗い色があふれて、私を押しつぶそうとしているように感じてしまう。
チカチカと、視界が霞んでいく。感覚がなくなっていって、呼吸が浅くなる。
気を抜いた瞬間に意識が飛びそうになるのをなんとか堪えて、声を絞り出す。
「ガル……わたし、だめっ……」
「むっ⁉」
掠れた声でどうにか伝えると、ガルは一瞬焦ったような表情になった。
「それはいかん。急ぎ、ここを離れるとしよう」
ガルは冷静に言うと、体を滑らせるように人混みを抜け出して、その場を離れた。
どうやらガルは、私が感情を読み取れることを忘れていたらしい。
(力が……入らない)
一気に大量の負の感情に晒されたからなのか、アシュターレ伯爵邸から離れて安心したからなのか、体から力が抜ける。手足が震えて、思うように動かせない。
「ひとまず、ここまで来れば大丈夫か……?」
屋敷がギリギリ見えるところまで離れて、ガルが私を地面に下ろす。
「なんとか……」
私はガルに答えたあと、木を背もたれにして体を休ませた。
まるで、金属の塊を抱えているみたいに体が重い。
(強すぎる感情は、私にとっては毒や攻撃と同じ……)
手をかざして自分の魔力を確かめると、輝きがいつもよりもかなり薄くなっていた。
多分、私には耐えきれないほどの負荷だったから、魔力を使って体を守ってたんだと思う。
体が重く感じるのは、魔力切れ寸前だからかな。
いくら強い能力でも、限界はあるみたいだね……覚えておこう。
「すまぬな、フィリス。お主の《ギフト》を失念しておった」
「ううん、だいじょうぶ」
ガルが申し訳なさそうに頭を下げたけど、ガルは悪くない。私の《祝福の虹眼》は、ガルもその効果を知らない《ギフト》なんだし、何が起こるのかわからなくても仕方がない。
むしろ、完全に魔力が切れる前に、限界を知れてよかったと思う。
(あのまま感情を浴び続けたら、多分私は……死ぬ)
聖獣のガルに匹敵する魔力量の私が、短時間でほぼ魔力をなくすほどのダメージ。
そんなものを、なんの保護もされていない体で受けたら、間違いなく私は命を失う。
……これからは、負の感情が集まる場所には、なるべく近寄らないようにしよう。
「もう、へいき」
少し休んだらだるさが消えた。魔力が回復するのは早いらしい。
「……もう少し休め。魔力が回復するには、今しばらくかかろう」
「だいじょうぶだよ」
ガルは心配そうだけど、本当にもうなんともない。確かに、まだ完全に魔力が回復したわけじゃないけど、歩くことはできる。
私が立ち上がって歩いて見せると、ガルは安心したように息を吐いた。
「無理だけは、するでないぞ」
「うん」
ガルに、ちょっと乱暴に頭を撫でられた。心配と安心が入り交じって、力加減を間違えたみたい。
(さて、これからどうしようかな)
私が落ち着いたとはいえ、屋敷の様子を確かめるために、また近づくわけにはいかない。
でも、私だけここで待っているわけにもいかない。何かが起きたとき自分の身を守るには、私の力は不十分だから。
私には、魔力を聖獣に近い性質のものに変えて、魔物に狙われにくくなる《ギフト》……《神気》というものがある。だけど、それも絶対じゃない。一人のときに敵に襲われてしまったら、対処できるかどうかわからない。
(ん? 魔力反応?)
どうしたものかと私たちが悩んでいると、屋敷のほうから、誰かがゆっくりと近づいてくるのがわかった。
魔力が視える私の感知範囲は、かなり広い。私たちを捜しているような反応は、少しずつ……でも確実に近づいてくる。
「だれかくるよ」
「敵か?」
私が小声で伝えると、ガルは素早く刀に手をかけて、私が指したほうを睨んだ。
私は視えた魔力反応から、自分に害をなそうとしている相手なのかどうかは判別できる。今近づいてきている人からは、怪しさや害意は感じない。
まぁ、判別できるといっても、完璧じゃないから……一応、警戒は解かないでおくけどね。
「……ちがうとおもう」
「そうか、では会ってみるか」
ちょっと気を張りつつも、私が首を横に振ると、ガルはあっさりと刀から手を離した。
もっと警戒してもいいんじゃないかなぁ……ガルがいいならいいけど。
そして少しすると、私たちの前にある藪がガサガサと揺れた。
「……!」
藪をかき分けて現れたのは、一人の高齢の女性だった。いきなり私たちと遭遇したからなのか、くすんだ銀の髪に葉っぱをつけたまま、動きを止めてしまってる。
(なんだろ……この顔、見覚えがあるような?)
目の前で固まる女性とは、間違いなく初対面。なのに、なぜかその顔には見覚えがある。
それどころか、なんだか懐かしいとさえ思ってしまう……なんでだろう。
私がもやもやしていると、ガルが女性の顔をじっと見て声をかける。
「お主……もしや、フィリスの縁者か?」
「え? ……あっ」
ガルの言葉で、私のもやもやは一瞬で吹き飛んだ。
(そっか、この人……私に似てるんだ!)
見覚えないわけがない。だって、毎日鏡で見てる顔とそっくりなんだもん。
……でも、私に縁のある高齢の女性なんていたっけ。
なんて思っていると、ようやく復活した女性が、藪から飛び出して深く頭を下げた。
「ごめんなさいね……あとをつけるような真似をして。私は、ライラというの」
女性は謝罪と同時に名乗ってくれたけど……ライラという名前に聞き覚えはない。
若干警戒していると、ライラさんは私をじっと見て息を吐いた。
「やっぱり、似ているわね」
「え?」
「あなたは、アリアという女の子を知っているかしら?」
「! ……はい」
いきなりアリアさんの名前が出てきて、私は驚いて目を見張った。
知っているも何も、アリアというのは私の母親の名前。
私が生まれた直後に亡くなってしまっていて、実際に会ったことはないけど、ナディお姉さんから名前は聞いていた。
私が頷くと、ライラさんは嬉しそうに微笑む。
「……アリアは、私の娘なのよ」
「ふぇ、えぇぇ⁉」
ピシャーン! と、体に電流が走った……ような気がした。
衝撃のあまり、私の口から変な音が出る。感情以外に、相手のうそも感知できる《祝福の虹眼》でも、ライラさんが本当のことを言っているのがわかった。
(うそは言ってない……つまり、ライラさんは、私のおばあちゃん⁉)
……まさに青天の霹靂。
にこにこと笑みを浮かべるライラさんは、なんと私の祖母に当たる人だった。
「フィリスに縁があるとは思っておったが……血縁であったか」
ガルも相当驚いたように呟いた。
……私とライラさんの顔がそっくりだったのは、偶然じゃなかったんだね。
すると、ライラさんが何かを思いついたらしく、「あ」と声を出した。
「私の家にいらっしゃらない? あなたのことを、もっと知りたいわ」
私とガルは、顔を見合わせる。
(いいのかな?)
ちょっと迷ったけど、どうせここにいてもアシュターレ家のことはわからないし……私も、ライラさんのことは知りたい。
「ガル、いいかな?」
私が聞くと、ガルは笑って頷いた。
「では、招かれよう」
ガルもいいと言うので、初めて会ったおばあちゃんの家に行くことに。
ライラさんの家は、屋敷に向かう途中に寄った、人がいない村の外れにあった。
「どうぞ。狭いところだけど……」
「お、おじゃまします……」
こぢんまりとした家には誰もおらず、シンと静まり返っていて、なんだか寂しく感じる。
リビングの家具は一人分しかなかったようで、ライラさんが奥から私たちのぶんの椅子を持ってきてくれた。私たちがその椅子に腰かけると、ライラさんがほぅ……とため息をつく。
「……まるで、昔のアリアを見ているみたいだわ」
嬉しそうに、でもどこか寂しそうに、ライラさんがポツリポツリと話し始めた。
私が使わせてもらっている椅子は、アリアさんが子どものときに使っていたものらしい。
当時のアリアさんは、私とほぼ同じ体格だったと、ライラさんは懐かしそうに教えてくれた。
「こうしてあなたと巡り合えたのは、運命なのかしらね」
ライラさんが、私を見て微笑む。
……私が家から出なければ、多分ライラさんと会うことはなかった。
そしてガルやナディお姉さんがいなければ、私はここにはいない。
そう考えれば、運命というのも納得できる。
(不思議なことってあるんだなぁ)
それから私たちは、夕食をごちそうになりながら、いろいろなことを話した。
私が知らない、アリアさんの話。ライラさんが知らない、私の話。
楽しい思い出も、辛い思い出も……時間を忘れてしまうほど話し込んだ。
その途中で、ライラさんに一緒に暮らさないかって提案をされた。
……当然、私はものすごく悩んだよ。でも、ライラさんには申し訳ないけど、私はガルと……ナディお姉さんたちと一緒にいることを選んだ。
ライラさんも、わかっていたって微笑んでくれた。
話が一区切りついたところで、ライラさんがアリアさんの遺品が入った箱を持ってきた。
そしてそれを、私に見せてくれる。
「あの子の遺品を持ってきてくださったのは、ナディ様だったのよ」
「え」
なんと、ライラさんはナディお姉さんとは面識があるんだそう。
……全然知らなかった。
「これは、五年前から一度も開けていないから……私も中を見るのは初めてね」
ライラさんがそう言って、しっかりと封がされていた箱を開けた。
中に入っていたのは、アリアさんが着ていた服や、よく読んでいたという古い本。
ひとつひとつ遺品を見ていくうちに、どんな人なのかわからずあやふやだった母親の姿が、だんだん形になっていくのを感じた。
私がアリアさんに思いを馳せていると、ライラさんがため息をついた。
「アリアは、『自分が死んだら、遺品は母に届けてほしい』と、ナディ様に頼んでいたそうなの。ナディ様は、しっかりと約束を守ってくださったのね」
(そうだったんだ……)
しばらく沈黙が続いたあと、ガルが口を開く。
「フィリスの存在は、そのときから知っておったのか?」
「えぇ。ナディ様から、『アリアがフィリスという女児を産んだ』とは聞いていたの」
ガルの問いかけに、ライラさんは頷いた。
ナディお姉さんとライラさんの交流は、ゲランテに隠れてこっそりと行われていた。だから、ゲランテが公にしていない私を屋敷から連れ出すこともできず、ライラさんに会わせることはできなかったらしい。
でも、名前と成長記録みたいなものだけは、ナディお姉さんから欠かさず手紙で届いていたんだって。
(ナディお姉さん……そんなことまでしてたんだね)
それならそうと、言ってくれたらよかったのに……って、私はまだ幼児だし、それは無茶か。
「あら、これは……」
そのとき、ライラさんが、箱の中に何かを見つけたらしい。
ライラさんが大切そうに手に取ったのは、古びた腕輪。
(魔道具……? なんだろう、この感じ……)
それを見て、私は何とも言えない違和感を覚えた。
うっすらと魔力をまとっているから、多分魔道具なんだろうけど……魔力が不安定というか、ノイズがあるというか。今まで視てきた魔道具に、こんな視え方をするものはなかったはず。
すると、その腕輪を見たガルの魔力が、驚いたように大きく揺れた。
「む、それは、まさか……」
珍しく、ガルがちょっと動揺してる。
(あの腕輪に、何かあるのかな?)
「ガル、どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
理由を聞こうとしたけど、適当にはぐらかされた。今は言いたくないらしい。
(……まぁ、私に関わるようなことだったら、そのうち教えてくれるかな)
なんて考えていると、ライラさんが持っていた腕輪を、私に差し出してきた。
「これは、我が家の女児に、代々受け継がれてきたものなのよ」
「へぇ……」
すごいものなんだなぁ……と思いつつ、なんとなく受け取ると、なぜかライラさんが満足そうに頷いた。
「というわけで、フィリス。それはあなたにあげるわ」
「ぅえっ⁉」
にっこりと笑ったライラさんが、急にとんでもないことを言うから、私は焦って腕輪を取り落としそうになる。
(あ、危な……)
なんとかキャッチして、私は安堵の息をついた。
代々受け継がれてきたっていう大切なものを、なんの躊躇いもなく私にくれるなんて驚き。そんな気軽に渡していいものじゃないでしょ。
慌てて返そうとした私の手を、ライラさんが制する。
「私はアリアにそれを渡したの。そのアリアが産んだ女の子なら、ちゃんと受け継ぐべきでしょう?」
「それは……でも」
「いいの。それはあなたが持っているべきよ、フィリス」
……ライラさんは本気らしい。私が何を言っても、この腕輪を私に渡すという意志は変わらなそう。
それに、ライラさんは、私を孫として扱ってくれている。これで断るのは、ライラさんに失礼かな。
「……だいじに、します」
「ふふふ、よろしくね」
結局、私は根負けして受け取ることにした。ライラさんは、嬉しそうに微笑んでいる。
(こ、壊さないようにしよう……)
家宝ともいえるような、不思議な腕輪……うっかり壊しちゃいました、なんてことは絶対にしちゃいけない。私が腕輪のプレッシャーと戦っていると、ライラさんが眉尻を下げてこっちを見た。
「それで、ひとつだけお願いがあるのだけど……」
「はい?」
……これは、腕輪の対価?
どんなことを言われるんだろうと、私は思わず身構える。
「今晩は、ここに泊まっていってくれないかしら? 一度でいいから、孫と一緒に寝てみたくて……」
ライラさんが言ったのは、私の意表をつくなんとも可愛らしいお願い。
すると、それを聞いていたガルが、ポツリと呟く。
「ふむ……もう日も落ちてしまった。今からイタサに戻るのは不可能だな」
ガルは、遠回しだけど、私がライラさんの家に泊まることを了承した。
変に気を遣わせないように、わざとこういう言い方をしてるんだなって、私にはわかるけど……ライラさんはまだ不安そうな顔をしている。ガルの意図が、いまいち伝わってないみたい。
そこで私とガルは、顔を見合わせて頷いた。遠回しに……じゃなくて、直接言っちゃおう。
「ガル、とまっていいよね」
「うむ。せっかくの誘いだ。今晩はここに厄介になるとよかろう」
ガルの言葉に、ライラさんの魔力が嬉しそうに揺れた。
私も、まだまだライラさんとは話し足りないし、お泊まりはわくわくする。
(ところで……)
ガルはどうするんだろうと思って見上げると、それだけで言いたいことがわかったらしく、こっそりと耳打ちで教えてくれた。
「我はアシュターレ家の様子を探っておく。ここで変身を解くわけにはいくまい?」
「……たしかに」
ガルは眠らなくても平気だから、夜通しアシュターレ伯爵邸を見張っていられる。
そして何より、ガルが完全な人型に変身できる時間は限られてるんだよね。
ライラさんには正体を明かしていないから、狼の姿に戻っちゃうと大変なことになる。
(だから、いったん離れたほうが都合がいい……と)
「じゃあ、よろしく」
「任されよう」
ガルはそう囁いて、私の荷物だけを置いたあと、ライラさんの肩に手を添えた。
「明日の朝、迎えに来るとしよう。それまでは、お主にフィリスを任せるぞ」
「気を遣わせてしまったわね。でも、ありがとう」
「よいよい」
ひらひらと手を振りながら、ガルはライラさんの家を出ていった。
ライラさんになら、私を預けても大丈夫だと思ったらしい。
まぁ、私が心を開いている相手を、ガルは疑ったりしないだろうけどね。
「えぇっと……じゃあ、よろしくね」
「はい!」
緊張しているのか、若干声が硬くなっていて、動きがぎこちないライラさん。
そんなライラさんを安心させようと、私は明るい声で返事をする。
それから寝室に案内されて、ライラさんと一緒にベッドに横になったはいいものの、話が尽きることはなかった。
……結局、辺りが明るくなるまで、ずっと話し込んでしまっていた。
そして翌朝。
私を迎えに来たガルは、目の下に隈を作る私たちを見て、大きなため息をついた。
「なんだ、お主ら。寝ておらぬのか」
「ふぁ……たのしく、なっちゃって」
「ごめんなさいね。すっかり話し込んでしまったわ」
いつもなら日が落ちる頃には眠くなるんだけど、昨日は興奮していたからか、全く眠くならなかったんだよね。でも、ライラさんとたっぷり話せたから、結果オーライ。
あくびをしながら笑う私を見て、ガルが肩を竦めた。
「まぁよい。ところで、アシュターレの様子だが……」
「あ、うん」
……ここに来た本来の目的を忘れていた。
ガルはどんな情報を持ってきたのかと、私は気を引き締める。
「……屋敷の中に人はおるようだが、一向に出てくる気配はないな。籠城でもしておるのやもしれん」
(ありゃ……)
ガルが呆れたように首を振った。
せっかくガルが張り込んでくれたのに、アシュターレ家の現状については、ほぼわからなかったみたい。流石に、夜は村人たちのデモ活動もなかったらしいけど、それでもゲランテたちが出てくることはなかったんだそう。
(ゲランテは新聞にも載ってたし、橋も落ちたままだし……)
橋の事件に関係しているということで、ゲランテは大々的に新聞に取り上げられていた。
もちろん絵姿も載っていたし、高位貴族だから注目度も高いはず。
そんな状態で、屋敷から出て、どこかの宿に泊まっているとは思えない。
橋がまだ直ってないから、王都側に行くのは無理。
他国に逃げるのも……難しいよね。検問で止められそうだし。
(ここにいるのは、間違いないんだろうけど……)
ゲランテたちに出てくるつもりがないなら、多分いつまで待っても無駄に終わりそう。
「一度、イタサに戻るか」
「……うん。それがいいかも」
ガルの提案に、私は頷く。私は気長に張り込んでも構わないけど、イタサで待っているナディお姉さんが我慢できなくなりそう。焦れたナディお姉さんが私たちのあとを追ってこないうちに、現状報告のために戻ったほうがいいよね。
「そう……もう行ってしまうのね」
「……ごめんなさい。でも、いかなきゃ」
私たちの会話を聞いていたライラさんが、寂しそうに呟いた。
すごく名残惜しいけど、私はずっとここにいるわけにはいかない。
「えぇ、わかっているわ。私も、あなたを縛るつもりはないの」
ライラさんはそう言いながら、私をぎゅっと抱きしめた。その声は、少し震えている。
「私のことを、忘れないでいてくれたら、それで十分よ」
「ぜったい……ぜったい、わすれません」
「ありがとう、フィリス」
私を強く抱きしめたまま、ライラさんが涙を流す。
我慢するつもりだったけど、私も泣いてしまった。
「……これは一体、どういうことだ」
黒煙と、何かが焦げるようなにおいが漂っている。
爆発音がしていたのは、多分ここ。
……そこに広がっていたのは、私たちが全く予想していなかった光景だった。
森を切り開いたような広い空間に、突然現れた大きな屋敷。
もちろん初めて見たけど、ここが目指していたアシュターレ伯爵の屋敷で間違いない。
「なに、これ……」
目の前で起こっていることが理解できない私の口から、小さな声が漏れた。
屋敷の門の前には、たくさんの人が集まっていた。
近くの村に人がいなかったのは、みんなここに集まっていたかららしい。
空気を震わせるほどの罵声や怒号が飛び交い、中には持っていたものを屋敷に向かって投げる人もいる。
嫌な感情が波のように押し寄せてきて、私に向けられているわけじゃないのに体が震える。
(一体、何が……)
さっきから聞こえていた爆発音は、誰かが撃った火属性の魔法が、どこかに着弾した音だったらしい。焦げ臭いにおいと黒煙は、周囲の木が燃えて発生したもの。
とんでもない状況に私が呆然としていると、意識を引き戻すように、ガルに強めに頭を撫でられた。
「襲撃……いや、あの群衆は、何かを訴えておるのか?」
「え?」
そして、ガルは私を抱えたまま、ゆっくりと人が集まっているところに向かう。
村人たちは前世でいうデモ活動みたいにアシュターレ家に不満をぶつけているらしい。
(う……耳が痛い。うるさい)
いろんな大声や爆音が響き渡って、耳がキーンとする。
誰が何を言っているかはわからないけど……誰も、私とガルが紛れ込んだことなんて、気にしていないみたいだった。
まるで、屋敷以外は見えていないとでもいうように。
(怒り、憎しみ、不安、不満……嫌な感情があふれてる。気分が悪くなる……)
私の眼……《祝福の虹眼》には、ここでマイナスの感情がドロドロと渦巻いているのが映っている。
……混ざり合った負の感情は、深く暗い、闇のような色に視える。
暗い色があふれて、私を押しつぶそうとしているように感じてしまう。
チカチカと、視界が霞んでいく。感覚がなくなっていって、呼吸が浅くなる。
気を抜いた瞬間に意識が飛びそうになるのをなんとか堪えて、声を絞り出す。
「ガル……わたし、だめっ……」
「むっ⁉」
掠れた声でどうにか伝えると、ガルは一瞬焦ったような表情になった。
「それはいかん。急ぎ、ここを離れるとしよう」
ガルは冷静に言うと、体を滑らせるように人混みを抜け出して、その場を離れた。
どうやらガルは、私が感情を読み取れることを忘れていたらしい。
(力が……入らない)
一気に大量の負の感情に晒されたからなのか、アシュターレ伯爵邸から離れて安心したからなのか、体から力が抜ける。手足が震えて、思うように動かせない。
「ひとまず、ここまで来れば大丈夫か……?」
屋敷がギリギリ見えるところまで離れて、ガルが私を地面に下ろす。
「なんとか……」
私はガルに答えたあと、木を背もたれにして体を休ませた。
まるで、金属の塊を抱えているみたいに体が重い。
(強すぎる感情は、私にとっては毒や攻撃と同じ……)
手をかざして自分の魔力を確かめると、輝きがいつもよりもかなり薄くなっていた。
多分、私には耐えきれないほどの負荷だったから、魔力を使って体を守ってたんだと思う。
体が重く感じるのは、魔力切れ寸前だからかな。
いくら強い能力でも、限界はあるみたいだね……覚えておこう。
「すまぬな、フィリス。お主の《ギフト》を失念しておった」
「ううん、だいじょうぶ」
ガルが申し訳なさそうに頭を下げたけど、ガルは悪くない。私の《祝福の虹眼》は、ガルもその効果を知らない《ギフト》なんだし、何が起こるのかわからなくても仕方がない。
むしろ、完全に魔力が切れる前に、限界を知れてよかったと思う。
(あのまま感情を浴び続けたら、多分私は……死ぬ)
聖獣のガルに匹敵する魔力量の私が、短時間でほぼ魔力をなくすほどのダメージ。
そんなものを、なんの保護もされていない体で受けたら、間違いなく私は命を失う。
……これからは、負の感情が集まる場所には、なるべく近寄らないようにしよう。
「もう、へいき」
少し休んだらだるさが消えた。魔力が回復するのは早いらしい。
「……もう少し休め。魔力が回復するには、今しばらくかかろう」
「だいじょうぶだよ」
ガルは心配そうだけど、本当にもうなんともない。確かに、まだ完全に魔力が回復したわけじゃないけど、歩くことはできる。
私が立ち上がって歩いて見せると、ガルは安心したように息を吐いた。
「無理だけは、するでないぞ」
「うん」
ガルに、ちょっと乱暴に頭を撫でられた。心配と安心が入り交じって、力加減を間違えたみたい。
(さて、これからどうしようかな)
私が落ち着いたとはいえ、屋敷の様子を確かめるために、また近づくわけにはいかない。
でも、私だけここで待っているわけにもいかない。何かが起きたとき自分の身を守るには、私の力は不十分だから。
私には、魔力を聖獣に近い性質のものに変えて、魔物に狙われにくくなる《ギフト》……《神気》というものがある。だけど、それも絶対じゃない。一人のときに敵に襲われてしまったら、対処できるかどうかわからない。
(ん? 魔力反応?)
どうしたものかと私たちが悩んでいると、屋敷のほうから、誰かがゆっくりと近づいてくるのがわかった。
魔力が視える私の感知範囲は、かなり広い。私たちを捜しているような反応は、少しずつ……でも確実に近づいてくる。
「だれかくるよ」
「敵か?」
私が小声で伝えると、ガルは素早く刀に手をかけて、私が指したほうを睨んだ。
私は視えた魔力反応から、自分に害をなそうとしている相手なのかどうかは判別できる。今近づいてきている人からは、怪しさや害意は感じない。
まぁ、判別できるといっても、完璧じゃないから……一応、警戒は解かないでおくけどね。
「……ちがうとおもう」
「そうか、では会ってみるか」
ちょっと気を張りつつも、私が首を横に振ると、ガルはあっさりと刀から手を離した。
もっと警戒してもいいんじゃないかなぁ……ガルがいいならいいけど。
そして少しすると、私たちの前にある藪がガサガサと揺れた。
「……!」
藪をかき分けて現れたのは、一人の高齢の女性だった。いきなり私たちと遭遇したからなのか、くすんだ銀の髪に葉っぱをつけたまま、動きを止めてしまってる。
(なんだろ……この顔、見覚えがあるような?)
目の前で固まる女性とは、間違いなく初対面。なのに、なぜかその顔には見覚えがある。
それどころか、なんだか懐かしいとさえ思ってしまう……なんでだろう。
私がもやもやしていると、ガルが女性の顔をじっと見て声をかける。
「お主……もしや、フィリスの縁者か?」
「え? ……あっ」
ガルの言葉で、私のもやもやは一瞬で吹き飛んだ。
(そっか、この人……私に似てるんだ!)
見覚えないわけがない。だって、毎日鏡で見てる顔とそっくりなんだもん。
……でも、私に縁のある高齢の女性なんていたっけ。
なんて思っていると、ようやく復活した女性が、藪から飛び出して深く頭を下げた。
「ごめんなさいね……あとをつけるような真似をして。私は、ライラというの」
女性は謝罪と同時に名乗ってくれたけど……ライラという名前に聞き覚えはない。
若干警戒していると、ライラさんは私をじっと見て息を吐いた。
「やっぱり、似ているわね」
「え?」
「あなたは、アリアという女の子を知っているかしら?」
「! ……はい」
いきなりアリアさんの名前が出てきて、私は驚いて目を見張った。
知っているも何も、アリアというのは私の母親の名前。
私が生まれた直後に亡くなってしまっていて、実際に会ったことはないけど、ナディお姉さんから名前は聞いていた。
私が頷くと、ライラさんは嬉しそうに微笑む。
「……アリアは、私の娘なのよ」
「ふぇ、えぇぇ⁉」
ピシャーン! と、体に電流が走った……ような気がした。
衝撃のあまり、私の口から変な音が出る。感情以外に、相手のうそも感知できる《祝福の虹眼》でも、ライラさんが本当のことを言っているのがわかった。
(うそは言ってない……つまり、ライラさんは、私のおばあちゃん⁉)
……まさに青天の霹靂。
にこにこと笑みを浮かべるライラさんは、なんと私の祖母に当たる人だった。
「フィリスに縁があるとは思っておったが……血縁であったか」
ガルも相当驚いたように呟いた。
……私とライラさんの顔がそっくりだったのは、偶然じゃなかったんだね。
すると、ライラさんが何かを思いついたらしく、「あ」と声を出した。
「私の家にいらっしゃらない? あなたのことを、もっと知りたいわ」
私とガルは、顔を見合わせる。
(いいのかな?)
ちょっと迷ったけど、どうせここにいてもアシュターレ家のことはわからないし……私も、ライラさんのことは知りたい。
「ガル、いいかな?」
私が聞くと、ガルは笑って頷いた。
「では、招かれよう」
ガルもいいと言うので、初めて会ったおばあちゃんの家に行くことに。
ライラさんの家は、屋敷に向かう途中に寄った、人がいない村の外れにあった。
「どうぞ。狭いところだけど……」
「お、おじゃまします……」
こぢんまりとした家には誰もおらず、シンと静まり返っていて、なんだか寂しく感じる。
リビングの家具は一人分しかなかったようで、ライラさんが奥から私たちのぶんの椅子を持ってきてくれた。私たちがその椅子に腰かけると、ライラさんがほぅ……とため息をつく。
「……まるで、昔のアリアを見ているみたいだわ」
嬉しそうに、でもどこか寂しそうに、ライラさんがポツリポツリと話し始めた。
私が使わせてもらっている椅子は、アリアさんが子どものときに使っていたものらしい。
当時のアリアさんは、私とほぼ同じ体格だったと、ライラさんは懐かしそうに教えてくれた。
「こうしてあなたと巡り合えたのは、運命なのかしらね」
ライラさんが、私を見て微笑む。
……私が家から出なければ、多分ライラさんと会うことはなかった。
そしてガルやナディお姉さんがいなければ、私はここにはいない。
そう考えれば、運命というのも納得できる。
(不思議なことってあるんだなぁ)
それから私たちは、夕食をごちそうになりながら、いろいろなことを話した。
私が知らない、アリアさんの話。ライラさんが知らない、私の話。
楽しい思い出も、辛い思い出も……時間を忘れてしまうほど話し込んだ。
その途中で、ライラさんに一緒に暮らさないかって提案をされた。
……当然、私はものすごく悩んだよ。でも、ライラさんには申し訳ないけど、私はガルと……ナディお姉さんたちと一緒にいることを選んだ。
ライラさんも、わかっていたって微笑んでくれた。
話が一区切りついたところで、ライラさんがアリアさんの遺品が入った箱を持ってきた。
そしてそれを、私に見せてくれる。
「あの子の遺品を持ってきてくださったのは、ナディ様だったのよ」
「え」
なんと、ライラさんはナディお姉さんとは面識があるんだそう。
……全然知らなかった。
「これは、五年前から一度も開けていないから……私も中を見るのは初めてね」
ライラさんがそう言って、しっかりと封がされていた箱を開けた。
中に入っていたのは、アリアさんが着ていた服や、よく読んでいたという古い本。
ひとつひとつ遺品を見ていくうちに、どんな人なのかわからずあやふやだった母親の姿が、だんだん形になっていくのを感じた。
私がアリアさんに思いを馳せていると、ライラさんがため息をついた。
「アリアは、『自分が死んだら、遺品は母に届けてほしい』と、ナディ様に頼んでいたそうなの。ナディ様は、しっかりと約束を守ってくださったのね」
(そうだったんだ……)
しばらく沈黙が続いたあと、ガルが口を開く。
「フィリスの存在は、そのときから知っておったのか?」
「えぇ。ナディ様から、『アリアがフィリスという女児を産んだ』とは聞いていたの」
ガルの問いかけに、ライラさんは頷いた。
ナディお姉さんとライラさんの交流は、ゲランテに隠れてこっそりと行われていた。だから、ゲランテが公にしていない私を屋敷から連れ出すこともできず、ライラさんに会わせることはできなかったらしい。
でも、名前と成長記録みたいなものだけは、ナディお姉さんから欠かさず手紙で届いていたんだって。
(ナディお姉さん……そんなことまでしてたんだね)
それならそうと、言ってくれたらよかったのに……って、私はまだ幼児だし、それは無茶か。
「あら、これは……」
そのとき、ライラさんが、箱の中に何かを見つけたらしい。
ライラさんが大切そうに手に取ったのは、古びた腕輪。
(魔道具……? なんだろう、この感じ……)
それを見て、私は何とも言えない違和感を覚えた。
うっすらと魔力をまとっているから、多分魔道具なんだろうけど……魔力が不安定というか、ノイズがあるというか。今まで視てきた魔道具に、こんな視え方をするものはなかったはず。
すると、その腕輪を見たガルの魔力が、驚いたように大きく揺れた。
「む、それは、まさか……」
珍しく、ガルがちょっと動揺してる。
(あの腕輪に、何かあるのかな?)
「ガル、どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
理由を聞こうとしたけど、適当にはぐらかされた。今は言いたくないらしい。
(……まぁ、私に関わるようなことだったら、そのうち教えてくれるかな)
なんて考えていると、ライラさんが持っていた腕輪を、私に差し出してきた。
「これは、我が家の女児に、代々受け継がれてきたものなのよ」
「へぇ……」
すごいものなんだなぁ……と思いつつ、なんとなく受け取ると、なぜかライラさんが満足そうに頷いた。
「というわけで、フィリス。それはあなたにあげるわ」
「ぅえっ⁉」
にっこりと笑ったライラさんが、急にとんでもないことを言うから、私は焦って腕輪を取り落としそうになる。
(あ、危な……)
なんとかキャッチして、私は安堵の息をついた。
代々受け継がれてきたっていう大切なものを、なんの躊躇いもなく私にくれるなんて驚き。そんな気軽に渡していいものじゃないでしょ。
慌てて返そうとした私の手を、ライラさんが制する。
「私はアリアにそれを渡したの。そのアリアが産んだ女の子なら、ちゃんと受け継ぐべきでしょう?」
「それは……でも」
「いいの。それはあなたが持っているべきよ、フィリス」
……ライラさんは本気らしい。私が何を言っても、この腕輪を私に渡すという意志は変わらなそう。
それに、ライラさんは、私を孫として扱ってくれている。これで断るのは、ライラさんに失礼かな。
「……だいじに、します」
「ふふふ、よろしくね」
結局、私は根負けして受け取ることにした。ライラさんは、嬉しそうに微笑んでいる。
(こ、壊さないようにしよう……)
家宝ともいえるような、不思議な腕輪……うっかり壊しちゃいました、なんてことは絶対にしちゃいけない。私が腕輪のプレッシャーと戦っていると、ライラさんが眉尻を下げてこっちを見た。
「それで、ひとつだけお願いがあるのだけど……」
「はい?」
……これは、腕輪の対価?
どんなことを言われるんだろうと、私は思わず身構える。
「今晩は、ここに泊まっていってくれないかしら? 一度でいいから、孫と一緒に寝てみたくて……」
ライラさんが言ったのは、私の意表をつくなんとも可愛らしいお願い。
すると、それを聞いていたガルが、ポツリと呟く。
「ふむ……もう日も落ちてしまった。今からイタサに戻るのは不可能だな」
ガルは、遠回しだけど、私がライラさんの家に泊まることを了承した。
変に気を遣わせないように、わざとこういう言い方をしてるんだなって、私にはわかるけど……ライラさんはまだ不安そうな顔をしている。ガルの意図が、いまいち伝わってないみたい。
そこで私とガルは、顔を見合わせて頷いた。遠回しに……じゃなくて、直接言っちゃおう。
「ガル、とまっていいよね」
「うむ。せっかくの誘いだ。今晩はここに厄介になるとよかろう」
ガルの言葉に、ライラさんの魔力が嬉しそうに揺れた。
私も、まだまだライラさんとは話し足りないし、お泊まりはわくわくする。
(ところで……)
ガルはどうするんだろうと思って見上げると、それだけで言いたいことがわかったらしく、こっそりと耳打ちで教えてくれた。
「我はアシュターレ家の様子を探っておく。ここで変身を解くわけにはいくまい?」
「……たしかに」
ガルは眠らなくても平気だから、夜通しアシュターレ伯爵邸を見張っていられる。
そして何より、ガルが完全な人型に変身できる時間は限られてるんだよね。
ライラさんには正体を明かしていないから、狼の姿に戻っちゃうと大変なことになる。
(だから、いったん離れたほうが都合がいい……と)
「じゃあ、よろしく」
「任されよう」
ガルはそう囁いて、私の荷物だけを置いたあと、ライラさんの肩に手を添えた。
「明日の朝、迎えに来るとしよう。それまでは、お主にフィリスを任せるぞ」
「気を遣わせてしまったわね。でも、ありがとう」
「よいよい」
ひらひらと手を振りながら、ガルはライラさんの家を出ていった。
ライラさんになら、私を預けても大丈夫だと思ったらしい。
まぁ、私が心を開いている相手を、ガルは疑ったりしないだろうけどね。
「えぇっと……じゃあ、よろしくね」
「はい!」
緊張しているのか、若干声が硬くなっていて、動きがぎこちないライラさん。
そんなライラさんを安心させようと、私は明るい声で返事をする。
それから寝室に案内されて、ライラさんと一緒にベッドに横になったはいいものの、話が尽きることはなかった。
……結局、辺りが明るくなるまで、ずっと話し込んでしまっていた。
そして翌朝。
私を迎えに来たガルは、目の下に隈を作る私たちを見て、大きなため息をついた。
「なんだ、お主ら。寝ておらぬのか」
「ふぁ……たのしく、なっちゃって」
「ごめんなさいね。すっかり話し込んでしまったわ」
いつもなら日が落ちる頃には眠くなるんだけど、昨日は興奮していたからか、全く眠くならなかったんだよね。でも、ライラさんとたっぷり話せたから、結果オーライ。
あくびをしながら笑う私を見て、ガルが肩を竦めた。
「まぁよい。ところで、アシュターレの様子だが……」
「あ、うん」
……ここに来た本来の目的を忘れていた。
ガルはどんな情報を持ってきたのかと、私は気を引き締める。
「……屋敷の中に人はおるようだが、一向に出てくる気配はないな。籠城でもしておるのやもしれん」
(ありゃ……)
ガルが呆れたように首を振った。
せっかくガルが張り込んでくれたのに、アシュターレ家の現状については、ほぼわからなかったみたい。流石に、夜は村人たちのデモ活動もなかったらしいけど、それでもゲランテたちが出てくることはなかったんだそう。
(ゲランテは新聞にも載ってたし、橋も落ちたままだし……)
橋の事件に関係しているということで、ゲランテは大々的に新聞に取り上げられていた。
もちろん絵姿も載っていたし、高位貴族だから注目度も高いはず。
そんな状態で、屋敷から出て、どこかの宿に泊まっているとは思えない。
橋がまだ直ってないから、王都側に行くのは無理。
他国に逃げるのも……難しいよね。検問で止められそうだし。
(ここにいるのは、間違いないんだろうけど……)
ゲランテたちに出てくるつもりがないなら、多分いつまで待っても無駄に終わりそう。
「一度、イタサに戻るか」
「……うん。それがいいかも」
ガルの提案に、私は頷く。私は気長に張り込んでも構わないけど、イタサで待っているナディお姉さんが我慢できなくなりそう。焦れたナディお姉さんが私たちのあとを追ってこないうちに、現状報告のために戻ったほうがいいよね。
「そう……もう行ってしまうのね」
「……ごめんなさい。でも、いかなきゃ」
私たちの会話を聞いていたライラさんが、寂しそうに呟いた。
すごく名残惜しいけど、私はずっとここにいるわけにはいかない。
「えぇ、わかっているわ。私も、あなたを縛るつもりはないの」
ライラさんはそう言いながら、私をぎゅっと抱きしめた。その声は、少し震えている。
「私のことを、忘れないでいてくれたら、それで十分よ」
「ぜったい……ぜったい、わすれません」
「ありがとう、フィリス」
私を強く抱きしめたまま、ライラさんが涙を流す。
我慢するつもりだったけど、私も泣いてしまった。
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