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第二章 外堀はこうして埋められる
下準備開始です!
しおりを挟むゆっくりと息を吐いたリュート様は、私の顔をのぞきこみ、何かを確かめた。
多分、魔力譲渡がうまくいったかどうかの確認なんだと思いますが……ち、近いです……よ?
「よし、大丈夫そうだな」
わずかに固い声でそういうと、私の肩をガシリと掴んで微笑みました。
「先に風呂にいってこい。俺は仕事があるから、あとではいる」
有無を言わさない強い口調でそう告げるリュート様に違和感を覚えて眉根を寄せましたけど、よくよく考えてみれば、魔力譲渡したあとは、体にしっとりと汗が……
つまり、お優しいリュート様はストレートに言えば傷つくと考え、遠回しに汗臭いとおっしゃられているのではっ!?
そ、それは大問題です!
いけません、乙女のいろいろがピンチですよ!私っ!
「そ、そうですね!至急入って参ります!」
「え、あ、お、おう?」
「汗がいっぱいですものね、申し訳ございません!」
「へ?」
「すぐにきれいにして参りますっ」
「えっと……ルナ?」
戸惑っているリュート様を置いて、私はお風呂の準備をし、急ぎリュート様が準備をしてくださったお風呂場に逃げ込みます。
汗臭いだなんて、乙女としては致命傷ですよ?
うぅ……リュート様に嫌われたりしていないかしら。
そうですよね、肌もベタベタしてる感じがしますし、リュート様は我慢してくださっていたのに、私ったらべったりくっついてしまったのですもの!
どうしましょう、この世界にも制汗スプレーみたいなものはないでしょうか。
せめて、汗のにおいをなんとか……
あ、洗浄石をすぐに使えば良かったのではっ!?
これは失念でした……でも、匂いもとれるのでしょうか。
あの洗浄石の効果って、どれくらい有効なのでしょう。
そんなとりとめもないことをつらつら考えながら入浴していたら、あっという間に時間が過ぎ、念入りに体を磨き上げたあと、お風呂を出ると、リュート様は何故かぐったりしている様子でした。
「りゅ、リュート様?」
「っ!……は、早かったな。ちゃんと湯船につかったか?」
「はい。どうかしたのですか?ぐったりされてますが……」
「あー、いや……いろいろあってな……」
「いろいろ?お仕事ですか?」
「あー、まー、そんなとこ」
「あまり無理してはダメです。リュート様はすぐ頑張りすぎるのですから」
いけませんよと唇をとがらせて言うのに、彼は心ここにあらずといった様子で……そんなに大変な仕事があったのでしょうか。
昨日は、飄々とこなしているようにしか見えませんでしたが、やっぱり商会の運営というのは大変なのですね。
「とりあえず、俺も風呂入ってさっぱりしてくるわ」
「はい、気分が悪いときは長風呂厳禁ですからね?」
「了解」
本当にどうしたのでしょう、とても元気がありません。
先ほどまでは普通だったような気がするのですが、自己嫌悪に陥っているような様子です。
お仕事で失敗して、落ち込んでいらっしゃるとか?
なにか元気づけられるようなものはないでしょうか……ここはやはり、癒やしですか?
そうですね、それが必要なのかもしれません。
力加減を間違えたら窒息させてしまうのが難点ですが、癒やしになるとおっしゃられていましたから、頑張らないと!
むしろ、リュート様の方から埋めてくださったらいいのに……自分の好きな力加減というものがあるでしょうし、今度提案してみましょう。
きっと喜んでくださいますよね?
いいことを思いついたとほくそ笑みながらキッチンに移動し、私はあらかじめリュート様から預かっていたカツオとイカを取り出します。
カツオもイカも、あちらで処理してくださっていたので、簡単に下準備ができますね。
まずは、時間がかかりそうな鰹節のほうからはじめましょう。
カツオはすでに三枚おろしの状態になっておりますから、これを沸騰直前のお湯で煮ていきます。
沸騰させてしまうと、鰹の身が崩れてしまいます。
注意しなくてはなりません。
全部お湯で煮たら、今度はしばらく干して身を引き締めます。
だいたいの目安は1時間くらいでしょうか。
これをなまり節というのですが、前世の父方の祖父はこれが好きだったんですよね。
父方の祖父は、燻製を作るのも好きだったので、趣味が高じて鰹節にまで手を出したのですけど、やっぱりプロとは違いますので、荒節までが精一杯だったようです。
それまでの行程は、兄と一緒に手伝ったことがあるので覚えておりますが、その後が問題ですよね。
しかも、荒節も時間がかかりますから、できるときにやっておかないといけません。
ただ、ヨウコくんの発酵石の器は、鰹節にとって良い菌を培養してくれるのでは無いかと、ちょっぴり期待しております。
荒節と本枯節は全く違う味わいなので、できることならうまみの強い本枯節を作りたいところ。
ただし、時間と手間がかかりすぎるのが難点ですけどね……
昔の人は、よく鰹節なんて見つけましたよね、本当にびっくりしちゃいます。
驚くべきは、堅魚という干した魚や、煮堅魚という煮てから干したもの、堅魚煎汁という煮堅魚の煮汁を煮詰めて作ったもの、この3種類がすでに弥生時代から古墳時代にはあったというのですもの。
室町時代には、焙乾という技法を導入して、私たちのよく知る鰹節ができたらしいです。
昔は、囲炉裏の上に平籠を設置して、そこにカツオを入れていたようで、お料理の時に煮炊きしますよね、その煙で燻したわけですから合理的ですよね。
人間って食べ物に困らないように、いろいろ工夫する生き物で、手間を惜しまず努力してきた結果が、私たちの豊かな食文化なのでしょう。
地球には魔法がないから、様々なやり方で長期保存の方法を模索した。
この世界は、保存するのに特化した氷魔法などがある上に、違う種族が管理しているから、食の工夫をほとんど行ってこなかった。
その違いなのか、それとも、本来は食に対して貪欲であると思われる人間が、食の改良をできなかったことが原因なのでしょうか。
お料理も作ってくれる人がいれば、覚える必要はありませんものね。
どこの家も、キャットシー族を雇っているようですし……リュート様が教えてくださいましたが、称号持ちの家は、必ず一人雇っているようですし、称号を持たない財政困難な家は数件まとまって集金してキャットシーを雇うそうです。
レシピを買って料理をしようという人があまりにも少ない現実に、めまいがしそうですね。
お料理は楽しいのに……
そんなことを考えながらなまり節を作っていると、ぬっと伸びてきた腕に驚きました。
こんないたずらをするのは、リュート様以外いらっしゃいません!
「リュート様、お料理中は背後から脅かさないでください」
「びっくりさせるつもりはなかったんだが……何してんのかなって」
「なまり節を作っております。これを燻製器の中に入れて乾燥させ、鰹節を作るんです……とはいっても、荒節ですが」
「どう違うんだ?」
湯上がりのリュート様が背後にいる……み、見てもいいかしら。
目の毒なのは承知の上で、好奇心が抑えきれません!
チラリと見ると、いつもよりもしっとりとした肌や髪、いい男は濡れていると色気が倍増するんだって!と綾音ちゃんが言っていましたが、私もいまになって理解しました。
親友の言葉に間違いはありませんでした……リュート様が色っぽすぎます、規格外の色気にあてられ、がっくりと膝から崩れ落ちた私を、リュート様が慌てて支えてくださいます。
「ど、どうしたっ!?」
「いえ……その……す、すごい……です」
「は?え?なに?」
うろたえているリュート様の胸元にぐりぐり額を押し当てて、水もしたたるいい男を体現しているなんて、なんてかっこいいのでしょう!と、堪能してしまう私に罪はありません。
リュート様は、理由はわからないが甘えているということだけは理解したようで、やんわりと抱きしめてくださいました。
ふふっ、幸せですね。
「ったく、何が何だかわかんねーが、あぶねーから気をつけてくれよ。料理中にめまいとか、シャレになんねーからな?」
それはリュート様のせいなのです……とも、いえず、一応「はい」と返事をしてから、猫のように甘えます。
当たり前のように受け止めてくださって、私を心配して慈しんでくれるリュート様。
私は、この世界一幸せな召喚獣に違いありません。
これほどの主は、そうそう見つかりませんよ?
ふふ、ガルムやタロモたちが異論を唱えても、スルーです。
リュート様が一番なのです!
「落ち着いたら、さっきの説明よろしく」
「あ、そうでした!」
湯上がりリュート様の色気ですべて吹き飛んで、すっかり忘れておりました。
「えっとですね、一般的に鰹節というものは、荒節にカビ菌をつけて寝かして熟成させます。香りが良くてうまみ成分がたっぷりなんですが、荒節はそのカビをつけて寝かさないので、完成が早いぶんコクがありません。花鰹は荒節を削っているものになるそうですよ」
兄のうんちくですから、間違いないと思います。
絶対にどこかから拾ってきた知識ですよね。
一応、荒節までの工程をリュート様に説明すると、驚いたような顔をして口元を引きつらせました。
「そんなに面倒なのかっ!?しかも、燻製器はどうすんの?」
「それはお店にある燻製器を使わせていただきます。キュステさんから許可は得てますから大丈夫です。荒節は本枯節とは違いますから、そこまででも……」
「いやいやいやいや、基準がおかしいからな?燻して放置して、また燻して……っていうのを15回も繰り返すって聞いたら、そりゃ驚くだろ」
「一応、15回きっちりしたことはないですよ?祖父がこれくらいでいいだろうって言うくらいで止めていたので、だいたい一週間くらいですね」
本来なら、もっと時間がかかるものですよ?
6~8時間燻製させて、半日以上休ませて、また……という作業を15回ですもの、半分以下ですから大丈夫です。
「……すげーんだな、荒節だけでも手間かかりすぎだろ」
安易に食べたいって言ったけど、これからは考えないとな……と、ため息をついておりますが、それは困ります。
だって、リュート様が食べたいものを作りたいのですから。
「作れるものは作ります。ですから、ちゃーんとおっしゃってください。作れないなら、無理だっていいますから」
「それでも工夫して作っちまいそうで……」
「できるだけ努力はしますよ?」
「ほら……」
「でも、それはリュート様も同じでしょう?」
調理道具やざまざまな便利道具たちは、前世の知識を頼りに試行錯誤した結果です。
生半可な努力でできたと思えないような代物が、ほら、後ろにもございますよ?
オーブンレンジなんて、絶対に大変だったと断言できますもの。
「むぅ……待てよ。焙乾って、燻製器に入れるんだよな?煙を利用し、燻して乾燥させるのか。つまり、殺菌しつつ乾燥させて、カツオの中の水分を抜いていくんだろ?」
「ま……まあ……そうなると思います」
「ふーん?あ、そうだ、フライヤーの追い込みしてくる」
「え……それって、ギムレットさんと打ち合わせしてからって言ってませんでした!?」
「簡単だったから作れたんだよ。ちょっと待っててくれな」
ひらひら手を振ってリビングに戻るリュート様の後ろ姿を見送りながら、やっぱり仕事人間なんですよね……とため息が出てしまいました。
しかし、今は私も忙しい身です。
なまり節を作っている間に、今度はイカの塩辛の下ごしらえをしなくては!
すでに、大量のイカは捌いていただいております。
皮もとってある半透明で綺麗な身を、細切りにしていきましょう。
醤油があったら、このまま食べたいくらいの鮮度ですね。
さすがに、時間凍結のアイテムボックスの中にいただけのことはあります。
念のために、洗浄石で一度きれいにしてから切っていきましょうか。
地球だと、寄生虫がー!ってなりますけど、洗浄石だけで綺麗になるのはありがたいです。
リュート様がくださった万能アイテムのおかげで、下ごしらえの手間が省けて助かりました。
全部細切りにできたら、塩を振ってザルに並べて一晩冷蔵庫へ……水分が出るから受け皿を忘れてはいけません。
大量のゲソは、目とくちばしをすでに取り除かれている状態ですから、このままアイテムボックスに戻して違う料理に使いましょう。
続いて「え、捨てないんですかいっ!?」と、驚かれてしまった肝です。
こちらは、墨袋やいらない部分を取り除き、たっぷりの塩にまぶして、同じくザルに並べて一晩寝かしましょう。
茹でたカツオを冷水で冷やしておきましたが、どうやらなまり節も完成ですね。
身が欠けたりしないようにするのが一番難しいですが、きれいにできて良かったです。
さて、イカとカツオは下準備ができましたから、次はベリリの酵母に……
「よし!できたぞ!」
そんな時でした、リュート様が満面の笑みを浮かべてこちらへやってきて魔石と何かが入った袋を差し出します。
「これは?」
「んー、なんて言ったらいいかな。その袋の中身は、砂漠の魔物の素材なんだが、水分を吸い取る性質を持つ物だ。そして、この魔石は冷却系の魔術を刻んである。こっちのガラスの器に砂竜の鱗の粉末を敷いて、なまり節を入れるといい具合に水分が抜けるだろう」
「竜……なのですか?アレン様たちと同じ?」
「いや、アレンの爺さんたちは正確に言うと『竜人族』であって、知性の無い竜とは違う。砂竜は知性の無い魔物だからな」
そうだったのですか……納得ですと頷きながら袋の中をのぞき込むと、黄土色と緑が混ざった複雑な色をした砂と思えてしまう粒子が入っておりました。
「長時間手を入れていると水分を持って行かれるから、気をつけてな」
「は、はい!」
手がしわしわになるなんて、とんでもありません!
気をつけましょう……こ、これは危ないです。
リュート様に言われたとおり、平らな器に砂竜の鱗の粉末を敷き、その上になまり節をならべ、さらに砂竜の鱗の粉末をかけました。
なまり節が見えませんが、大丈夫でしょうか。
「なまり節の水分がぬけたら、その粒が大きくなるからわかりやすいだろう。水分が抜けてカラカラになってから、燻製器に入れて香り付けをすればいい」
「リュート様は、本当にすごいですね。行程を聞いただけで、こんな物を考えついてしまうだなんて……」
「まあ、ルナの手助けをしたかった一心というか、ほら……アレだ。手間がかかると、その分かまってもらえねーだろ?」
ひゃうっ……こ、この方、何を言い出すのでしょうかっ!
しかも、最後の言葉は耳元ですよっ!?
思わず手に持っていた、砂竜の鱗の粉末が入った袋を取り落としてしまいそうでした。
危なかった……セーフです。
「リュート様!」
「だって、事実だろ。俺だって、ルナにかまってほしい」
だ、ダメです、何ですか……こ、このイケメンは、私の息の根を止めにかかっているのでしょうか。
顔に熱が上がっていく感覚とともに、心臓がバクバクうるさくてしかたありません。
全身の血が逆流しそうな勢いですよっ!?
「ま、まだ、べ、ベリリの酵母の仕込みがありますのでっ!」
「ふーん?なあ、これを思いついたご褒美はくれねーの?」
「はいっ!?」
「ご褒美」
あ、これは……あのご褒美ですよね?
あっちのほうをご所望ですよね?
食べたいとかでは無く、ほっぺにちゅーですよね?
「ほら、早く」
「わ、私はいま、お魚やイカで生臭いですから!」
そう言った瞬間、光がはじけて鼻についていた匂いがきれいさっぱり消えているのを感じました。
そうですよね……リュート様は魔法のプロですものね。
匂いくらい消すのは、朝飯前です。
「ルナ」
「は、はい、わ、わかりました……」
羞恥心でぷるぷる震えている私を眺めながら、上機嫌のリュート様は嬉しそうに頷き、身をかがめて「ここにちょうだい」というように右頬を近づけました。
うぅ……湯上がりでしっとりした肌がうらやましい。
なんですか、そのきれいな頬は!
男性だったら、もっとヒゲとかでチクチクになりませんか?
しかも、何故そんなに嬉しそうなのです……私のちゅーって、そんなに嬉しい……ご褒美になりますか?
恥ずかしさで心の中で照れ隠しの言葉を並べながらも……どこか嬉しく思う気持ちもあって、自然と口元が緩みました。
目を閉じて待っているリュート様の顔を、間近でじっくり眺め、やっぱりカッコイイなぁ……なんて思いながら、彼のすべすべな頬に軽く口づけます。
その瞬間、本当に嬉しそうに顔がほころぶ。
なんて顔をなさるのでしょう、胸がぎゅっと締め付けられて言葉になりません。
困ってしまいました……いえ、嫌では無く嬉しくて……幸せな感じです。
不可思議な心の動きを噛みしめながら微笑んでくれるリュート様に微笑み返し、互いにどこかはにかんだような笑みになってしまったことが、気恥ずかしくも嬉しかった。
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