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第十章 森の泉に住まう者

10-18 騎士科の教師オルソ・ディール

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 リュート様と真白のやり取りを眺めて苦笑を浮かべていた私たちだったが、不意に時空神様が私にピッタリと寄り添って明後日の方向を見つめた。
 それにあわせてリュート様も動きを止め、同じ方向へ視線を向ける。
 時空神様の体に遮られて誰がやってきたのかわからないが、十神である時空神様が張っている結界をものともせずに突っ込んでくるなんて、通常では考えられない。

「時空神様……少し話があるのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

 低く張りのある声の主を、盾となっている時空神様の体をよけて顔を覗かせて見てみる。
 見事な体躯に重厚な鎧を装備した熊のように大きな男性は見たことがあった。
 今回の遠征訓練では騎士科を引率している、リュート様の元担任の先生だったはず――

「オルソ・クルトヘイム……いや、今はオルソ・ディールだったカナ……何か用カイ?」

 え? クルトヘイムって……ランディオ様と同じ【守護騎士】を称号に持つ家の方?
 目をパチクリさせていた私に気づいたのだろう、チェリシュが私の耳にこっそりと「ランちゃんの弟なの」と教えてくれた。
 確かに、ランディオ様と目元が似ている気がする。

「此方の朝食で作ったというパンについてなのですが……」
「ああ、その事ネ。何か問題デモ?」
「……大地母神の神殿とやり合うおつもりですか?」
「んー……ランディオから聞いていないってことは、巻き込むつもりが無いと判断しているのだけど、どうスル? リュートくん」
「私は貴方にお伺いしているのです、時空神ゼルディアス様。大地母神マーテル様とやりあうおつもりですか? それにリュートを巻き込もうと言うのなら、見過ごせません」

 厳しい響きを宿す硬く低い声は、覚悟を持った者の声であった。
 この方は、真偽を確かめ、リュート様を守るためにここへやってきたのだと知り、胸が熱くなる。

「えーと、単なる兄妹喧嘩にリュートくんを巻き込むなって話カナ? 困ったネ……どう説明しようカナ」

 流石の時空神様も困った様子で天を仰ぐ。
 クルトヘイム家にとって、大地母神様と時空神様が衝突することを避けたいが、オルソ先生は巻き込まれてしまうリュート様を心配したのだ。
 加護を持つ家同士、大地母神様の加護を持つクルトヘイム家と、時空神様の加護を持つレイブン家が戦うならわかるが、リュート様を巻き込むのは納得がいかないということなのだろう。

「オルソ先生、この件でクルトヘイム家とレイブン家が争うことは無いから安心してくれ。それと、このパンはルナの世界にあるパンで……大地母神の考えや意向を無視した代物でも無いんだ」
「大地母神様の恩恵であるパンは、形を変えること無く語り継ぐ……それが神殿の教えだが……」
「そもそも、それを本当に大地母神が言ったのか? マーテルは、そんなこと言わねーだろ。俺と同じく旨い物が好きな奴なのに」
「お、お前は……また……相手は十神だと言っているだろうに」
「俺はちゃんと許可を取っているし、オルソ先生が相手だから素で話してるんだよ」
「……はぁ……まあ、そうだな。お前にとって、十神とは言え……親しい存在なのだな」
「ルナほどじゃねーけどな……」

 それはそうだなと頷いたオルソ先生は、時空神様の背に庇われ、膝の上にチェリシュを抱く私を見つめた。
 リュート様の手を逃れ、ヌルの頭上から私の元へ弾け飛んできた真白も、何かを察したように羽毛を膨らませている。

「俺がルナちゃんを守るのは変なことじゃないデショ? だって、俺は時空神で召喚術師の家に加護を与える者ダヨ。召喚獣は、俺の庇護下にあるんだからネ」
「普段は此方の世界にいらっしゃらないようですが?」
「それこそ、時空神の仕事だから仕方が無いデショ? それに、彼女は父上の加護を持つ者ダ。丁重にもてなさないと、父上に――滅ぼされル」

 時空神様、最後に本音がポロリですよ?
 それを聞いたオルソ先生は頬をひくりと引きつらせてリュート様を見るのだが、彼も間違い無いというように頷いて見せた。

「リュート……お前なぁ……なんで、そんなとんでもない方を召喚するのだっ!?」
「え? ルナ以外ねーだろ。むしろ、俺、よくやった! って感じで、微塵も後悔してねーな」

 リュート様の迷いがない言葉に胸に喜びが広がり、それと同時に頬が熱くなる。
 う、嬉しい……とても嬉しいですリュート様!

「あ、ルーがベリ……もがもが」
「チェリシュ、今はいいですからね? 今は……」

 真剣な話の最中でもベリリ報告をしようとするチェリシュの口を塞いで言い聞かせると、納得してくれたのか可愛らしくコクコク頷いてくれた。
 油断も隙も無いとは、まさにこのことである。
 チラリと此方を見たリュート様の色気漂う笑みを見なかったことにして、頬をペチペチ叩いて元に戻すよう努力していると、私たちの様子から何かを察したというように、オルソ先生が額を押さえていた。

「まさか……お前……まさか……本気かっ!?」
「本気」
「召喚術とは……」
「それを言わないでくれ」

 どういう意味だろうと首を傾げていた私に、時空神様が振り返り見て「叩いたら違う意味で赤くなるよ」と心配してくれた。
 私ではなくチェリシュの頭上に着地していた真白を手に取り、いつもリュート様がやっているようにもにもにして気持ちを落ち着ける。

「え? 何でっ!? 真白なんかやったっ!?」
「いいえ、何か……落ち着くなぁって……もちもちして触り心地がいいなぁと」
「んー……真白もマッサージされているみたいに気持ちいいー! ルナならもっとやってもいいよー!」
「ま、まっしろちゃん、チェリシュも、チェリシュもー!」
「ルナの次ねー!」
「あいっ!」

 だ、大丈夫だろうか……一抹の不安を覚えながら微笑ましい約束を取り交わすチェリシュと真白を見つめたが、時空神様が何とも言えない表情でチラリと視線をよこしたので、この後の未来が見えたような気がした。
 この間に、何故かリュート様はガッチリとオルソ先生に肩を組まれて、頭を寄せ合いヒソヒソと内緒話をしている。
 なんだか……とても仲の良い先生と生徒という感じだ。
 純粋にリュート様の心配をして此方へやってきたらしいオルソ先生を、心から慕っていることがリュート様の態度から見て取れる。
 元クラスメイトといい、オルソ先生といい、リュート様にとって騎士科はとてもいい環境だったのだろう。

「まあ、つまり――これは俺たち兄妹喧嘩の産物では無く、むしろ、妹の状況を確認して、万が一の際は助けようとしているんだよネ」

 より強い結界を張った後、神妙な面持ちで時空神様がそう言った。
 流石に聞き捨てならない内容だったのだろう。
 弾かれたように此方を見たオルソ先生は、私たちを順々に見渡した後、リュート様を静かに見つめた。

「本気か? 大地母神の神殿にいる神官を相手にするんだぞ? あの枢機卿は一筋縄ではいかん……しかも、兄も知っていると言うことは、全面戦争だろうが」
「それくらい大事になってんだよ。大地母神……マーテルの様子がおかしいんだ」
「……兄は何も言っていなかったが……そんなことになっていたのか。しかも、神殿が一枚噛んでいるという情報は……」
「神殿に詳しい人からの情報と、アレンの爺さんとロン兄が調査した結果、間違い無い。黒の騎士団……まあ、アイツらを派遣したが、良くない動きをしている」
「何故俺に言わないのだ……ったく、クルトヘイムの家を出ても、俺も一応【守護騎士】なんだぞっ!?」
「それは、ヴォルフの親父さんに言ってくれよ」

 リュート様が溜め息交じりにそういうと、オルソ先生は一瞬目を見開いてから滲むような淡い笑みを浮かべる。

「そうか、ヴォルフの……親父か……お前は今でもそう言ってくれるのだな」
「何言ってんだ。俺にとっちゃ、白騎士団長よりもヴォルフの親父って感じが強ぇーんだからさ。普通だろ?」
「ありがとうな。忘れないでいてくれて」
「忘れねーよ。良い意味で忘れたりしねーよ。アイツは俺の親友だからな」

 迷いの無い言葉。
 強い眼差し――
 リュート様の中で、ヴォルフ様は今でも心を支え、良い方向へ導く相手であるのだと感じた。
 リュート様以外にヴォルフという名前を聞いてこういう顔が出来るのは、シモン様とトリス様だ。
 ヴォルフ様の話題になるとリュート様たちとは違い、レオ様とイーダ様は必ず影が差す。
 それが、とても気がかりだった。
 人の死が心に深い傷を残すのは事実だ。
 親しい人であればあるほど、そうなるのも理解出来るが……大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。
 人の死を乗り越えるのは容易くない。
 だからこそ、ジュストの件でリュート様へ向けられる憎悪が未だにあるのだ。
 難しい……な――

「つまり、このパンの噂を広げて、怪しい奴らをあぶり出す作戦なのですね?」
「そういうことダヨ。君の心配することは何も無いから、安心してネ」
「違う意味で心配なんですが……とりあえず、騎士科の方でも先輩方を見習ってやらせてみようと思います。そうすれば、もっと広まることでしょう」
「それはいい考えダネ。よろしく頼むヨ。あ、レシピはリュートくんから受け取ってネ」

 多目に作っていたレシピの束を取り出したリュート様から受け取ったオルソ先生は、パンなのにレシピがいるのかと首を傾げ、手にしたレシピを読んで頬を引きつらせた。

「こんなに手がこんでいるのかっ!?」
「アイツら、三交代制で寝る間も惜しんで仕込んでいたから……」
「何故、違う方向へ頑張るんだろうな……アイツらは……」
「いや、それだけ旨いんだって!」
「絶対にお前の影響だろうが!」

 全く……と、溜め息をついて首を振るオルソ先生は小さな声で「心配して損した」と言ったが、とても安堵した様子がうかがえる。
 本当に仲が良い教師と生徒だ。

「これだけのレシピを作る彼女も心配ですが……リュートがいるから大丈夫でしょうし、春の女神様も側にいらっしゃるということは、太陽神ソルアストル様や月の女神セレンシェイラ様が常に見張っているような状態ですから、問題無いでしょう」
「父上や最強の守護者もいるしネ……」

 オーディナル様だけではなく、ベオルフ様も数に入っているのかと苦笑を浮かべていると、もにもにしていたら溶けた餅のようにでろんでろんになってしまった真白が「真白ちゃんもいるしぃ~、ベオルフは強いもんねぇ~」と間延びした声を出した。
 今まで聞いたことの無い真白の声に反応して此方を改めて見たリュート様は、ぎょっとして走り寄り、私の手の中にいた真白を拾い上げる。

「おーい、鳥類の尊厳はどこへやった? これ以上溶けたら、戻れなくなるぞ」
「ふーふーふー、真白ちゃんは……とーってもリラックスしてるから、リュートの言葉もどこ吹く風なのだー」
「リュー! 次はチェリシュの番なのっ!」
「……そうか。グッドラック、真白」

 リュート様は何かを悟ったような表情のまま、真白をチェリシュの手に渡す。
 それを見届けた時空神様の両手が私の耳を塞ぎ、リュート様とオルソ先生も無言でそれに習う。
 その直後に、真白の悲鳴がこだましたのは言うまでも無い。

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