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彼女が去ったあと
7.妹ですか……
思い沈黙がおりる中、クロイツェル侯爵は遥か昔を思い出すように遠くを見て、悲しげに目を伏せる。
何を思い、何を考えてそうしているのかはわからないが、彼なりの考えがあったのだろう。
私に話をしてくれるのはありがたいが、苦しんでまで告げなければならないことなのだろうかと、疑問すら感じる。
「あの子が生まれた日、髪色が黒であることを知り、私たちは喜びとともに絶望を感じたのです。ご存知かどうかわかりませんが、オーディナル様の愛し子は、物心がつく前に大神殿へ連れて行かれ、保護されるのです」
大神殿が保護?
そんな話を聞いたことがなかった私は、思わず眉をひそめてしまった。
オーディナルの愛し子という存在そのものが、稀有であるために知る者が少なかったからだろう。
「私たちは……大神殿から、あの子を隠しました。病弱だと偽り、外へ出すこともなく、領地で大切に育ててきたのです。ですが、いま考えれば……それは私たちの身勝手な愛情だった。子供にとって、とてもつらい日々だったように思います」
娘を奪われたくない親心と、その理由がわからずとも親のためにおとなしくしていたであろうルナティエラ嬢の幼い姿が見えたような気がした。
彼女にとって、どちらが正解であったかなどわからない。
大神殿に行ったとしても、幸せであったといい切れないものがある。
引き離されたのに、親には捨てられたのだと言い含められ、親元に帰りたいなどと言い出さないように刷り込まれる可能性だってあっただろう。
国王陛下がこの事実をご存知であったとなれば、大神殿に対して懐疑的であったのではないかと考えられる。
つまり、親元で保護している方が安全であった……ということにはならないだろうか。
彼女の存在が『オーディナルの愛し子』だと知られないために、国王陛下自らが動いていたとなれば、彼らばかりを責めることは出来ない。
「そのことをルナティエラ嬢は、知らないのですね」
「10年前の熱病で、記憶をほとんど失ってしまいましたから……」
「私と同じか」
「ベオルフ殿も、熱病にかかって苦労されたと聞いております」
「私の場合は、すべての記憶を失いました。どこで生まれたかもわかりません。苦しんでいる私を保護してくれただけではなく、養子として迎えてくれた父には、感謝しかありません」
「あの方は素晴らしい御仁だ。私も、彼のように娘に尊敬される親になりたかった……」
大事だからこそ隠し育ててきたクロイツェル侯爵夫妻は、なかなか子供が恵まれなかったと聞く。
そんな中で授かった子供がルナティエラ嬢なのだ。
大切なわが子と共に過ごしたい親心を、誰が笑えるだろう。
神殿は高位の者になればなるほど、会うことがかなわない相手となる。
『オーディナルの愛し子』となれば、簡単に面会することも出来ないはずだ。
国王陛下でさえ会うことが難しくなる相手に、親だから会わせてくれと言っても取り合ってくれるはずがない。
俗世から切り離された神殿というが、どこよりも俗世にまみれているという噂が絶えない場所でもあった。
「熱病を患い、記憶の殆どを失ったあの子の髪色が祖母譲りの天色に変わったことで、私たちはとても安堵したのです。これで奪われないと」
それはそうだろう。
黒髪が『オーディナルの愛し子』である証なのだから、それが失われたらわかるはずもない。
「ですが、それを快く思わない者もいたのです。主神の寵愛を失った汚れた子と罵る者さえ現れる始末で……そんな馬鹿な者を娘のそばに置いておくわけにはいかず、解雇しましたが……」
「どこの誰がそのようなことを?」
「あの子の家庭教師を勤めていた、ジュリアス・ホーディングという王都の学園で教師をしていた者です」
「ジュリアス・ホーディング……学園では優秀な成績を収めていましたが、性格に難があると学園長から一度だけ聞いた覚えがあります」
成績優秀で性格的にも問題がないと私を褒めてくださった学園長が、ただ一度だけ愚痴とともに口にした名前であった。
何故か頭に残っていたのは、あの温厚な学園長が珍しく怒りを滲ませた表情を見せたからかもしれない。
「そうだったのですか。最初はとても大人しく、人がよさそうだったので雇い入れたのですが……まるで人が変わってしまったかのように娘を罵倒し始めたので、恐ろしくなったものです」
「その男についても、少し調べてみましょう」
「お願いします」
ルナティエラ嬢が『オーディナルの愛し子』であると知っていて家庭教師をしていた男にとって、彼女がその地位を失ったことがショックだったのか、それとも……他に何かあったのかわからないが、要注意人物であることに変わりはないだろう。
「その男を解雇してからです。私たちの心に変化が現れました。あれほど大事にしていた娘を見ることができなくなってしまったのです。姿を見れば罵声を浴びせようとし、手をあげようとする。それだけはしたくないと、あの子がいない者のように扱っていた……」
「それだって、あの子を傷つけるとわかっていたのに……どうすることも出来なかったのです」
二人の辛そうな表情を見ていると、こちらまで胸が痛む。
心から大切にしたかったのだ……このお二人は。
言葉と物理的な暴力もつらいだろうし、存在そのものが無いように扱われるのもつらいだろう。
どちらが良かったのかなんてわからないが、少なくとも……このお二人は、自らが行おうとする暴力から彼女を守ったのだ。
それを後ろから操っていたのは、あの黒狼の主に違いない。
彼女が『オーディナルの愛し子』であるから狙ったと思っていたが、力を失っても執拗に狙うということは、別の目的があると考えたほうが自然だ。
しかし……彼女は本当に力を失ったのだろうか───
私の勘は、『失っていないが、本人は自覚していない』という線が濃厚だろうと訴えてくる。
なにせ、あののんびりしたルナティエラ嬢だ。
そんな力があったのですね!と、目を丸くして驚くくらいはやってくれる。
これだから、天然娘は……
「そんな私たちのもとから、オーディナル様が娘を取り上げたのは仕方がないことです。もう二度と会えないと思うとつらいのですが、あんな得体のしれないものに狙われない神々の世界で幸せに暮らしてくれているなら、それで……それで十分です」
疲れた瞳に涙をためて、泣くのを必死に堪えているクロイツェル侯爵の痛む心が見え隠れする。
本当なら会って話をしたいだろうに、娘の安全と幸せを願って己の願いに蓋をする。
「私から見れば、あなた方も素晴らしい親だと思います。アレの力は想像を絶する強制力があったでしょう。それに抗い、彼女を傷つけることを拒んだ。自らの心が痛んでも、娘の幸せと安全を願う親心は、いつか彼女に届くはずです」
私がそういうと、クロイツェル侯爵の瞳から涙がこぼれ落ち、うつむいた彼の下にある絨毯に水滴が染み込んでいく。
雨粒のように落ちていく水滴と、小さく震わせる体が夫婦の心の痛みを何よりも物語っていた。
彼らが長年抱えていた心の痛みがどれほどであるか、私にわかるはずもない。
ただ、娘を思う親心がそこにあった。
「ありがとう……」
「いえ、感じたままを言ったまでです」
「娘の心の支えになってくれて……娘を助けてくれて、ありがとう」
それこそ、本当にそうであったかなんてわからない。
彼女をもっと見ていればよかったと後悔したくらいなのだ。
深々と頭を下げるクロイツェル侯爵に、首を振って声をかける。
「私で力になれていたかどうかなどわかりません。ですから、顔をあげてください」
「ベオルフ殿の危機に娘は訪れた。それだけ気にかけていたということだ。もし、ベオルフ殿が娘の婚約者になっていれば、あの子はここにいてくれただろうか」
やはり、幼い頃の顔合わせにはそういう意図もあったのかとため息が出てしまう。
養子にしていただいた恩義に報いるため、家のために働くことはあっても家督は継がないと言っていた私のことを、父と母で考えた結果なのかもしれない。
隣同士の領であり、申し分ない人物であるクロイツェル侯爵の娘ならば……と、思ったのだろうが、問題は本人たちが夫婦になると考えられないことだろう。
私も彼女も、すでに家族に近い感覚なのである。
セルフィス殿下から逃れたいというのなら偽装結婚くらいしただろうが、女として見ることはできなかったに違いない。
ここまでくると、何かストッパーがかかっているような疑問さえ覚えるが、彼女は私にとって女であってはいけないのだ。
……いけない?
自らの心の言葉に疑問を覚える。
何故そう考えるのだろう。
一般的な視点で見ても、彼女の容姿は美しく可憐そのものであるし、全体的に清楚なイメージを抱くが、その肢体は男の劣情を煽るような妖艶さを持っていた。
確かに、ドレスが美しく見える体型ではないだろう。
だが、それを喜ぶ男ばかりではないのも事実である。
もしもの話ではあるが、この国で誰かを絶対に娶らなければならないと国王陛下にでも命じられたら、間違いなくルナティエラ嬢を指名するだろう。
しかし、そうではないのだ。
言葉で言い表すには難しいのだが、強いて言うのなら自分が求める者がここにはいないという感覚だろうか。
彼女も、それに近かったのではないかと思えた。
だからだろうか、誰よりも親しく近い存在であるのに、男女の欲望を感じたことはない。
ただ、安らぎを覚え、共にあることが普通なのだ。
やはり、兄妹に近い感覚である。
「妹がわりと結婚するなんて、考えたこともありません」
「妹ですか……」
「ですから、変なことを考えないでください。出自のわからない私などが侯爵家に入れば、いろいろと面倒なことになります」
それがわかっていても、娘が気に入ったのならと言い出しそうなクロイツェル侯爵である。
ある意味、こういってはなんだが親ばかなのだろう。
困ったことを言う両親に、頬をぷっくり膨らませ腰に手をあて「ダメですよ」というルナティエラ嬢がいる。
そんな未来があったかもしれない……
彼女の夫となる男と共に酒を酌み交わし、少々天然で困るところを語るのだ。
その相手は、あのとき垣間見えた青年だろう。
黄金の光に包まれたホールで、私だけに見えたらしい青を基調とした不可思議な色の瞳をした青年は、どこかで会った気がする。
いつか再び出会い、話すことができたのなら……酒を酌み交わし、飾らない言葉で心のままに語り合いたいものだ。
彼女が残していった守り石を眺め、その光を見ていた私は、不意に予感めいた物を感じた。
彼女は、本人が望む望まないに関わらず、戻ってくるかもしれない。
あの黒狼の主と対決するために……
ならば、私はこれまで以上に鍛錬をし、今度こそ支えになろう。
彼女の笑顔を脳裏に描き、古くから様々な国で語られる英雄伝説に残る『オーディナルの愛し子』を守り続けた『黎明の守護騎士』のように、あの黒狼の主から彼女を守り抜こうと心に誓った。
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