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侯爵家の娘として生まれた私は、幼い頃から未来が決められていた。親と社会が敷いたレールを歩いていた、と言う方が正しいだろうか。
エスペランツァ侯爵家は、代々王宮ご用達の魔道具開発を専門とする家柄だ。
もともと名のある貴族だったが、近年は魔法自体の技術が飛躍的に発展し、市民や魔力が少ない者でも扱える魔道具という存在は王宮からもより重用されるようになった。侯爵家の一族でも随一才能があった父は王国随一の魔道具職人と呼ばれ、貴族社会でも一目置かれる存在である。
そんな家の娘である私は、生まれて間もなく特別な役割を担うことになった。私が五歳の時、カイデン・ロストーク王太子の婚約者に決まったのだ。
「お前はこのフレストブルグの未来の王妃となるのだよ、ミアータ。国王となる彼を一番近くで支える役割だ。出来るね?」
幼い私は、その言葉の意味を深く考えることもなく頷いてしまった。そうすれば両親が喜んでくれると、全てが丸く収まると知っていたから。ただ、目の前にいる六歳の少年が、私の婚約者で未来の夫なのだと受け入れるだけだった
カイデンは、幼いながらも既に王子様然とした男の子だった。柔らかそうな金色の髪に優しそうなスカイブルーの瞳。王族らしい気高さと、温和そうな雰囲気を持つ少年。
その柔らかい容姿の通り、彼はとても優しい人だった。
「初めまして、ミアータ。僕はカイデン=ロストーク。これからよろしくね。君のお父様はああ言っていたけど、僕が君の事を守って支えて見せる。だから安心して、僕に頼って……僕の隣に居て欲しい」
初めて出会った日に、そう言って幼い彼が微笑んでくれたことを、私は今でも覚えている。
それから私たちは常に共にあった。会わない日なんてほとんどないくらいに。
それと同時に、私はその日から貴族としてのいろはや王妃教育、教養など目が回るような分刻みの予定が組まれていった。
しんどいことが多い日々を送りながらも、その中では唯一カイデンとの時間を楽しみにしていた。彼は真面目で、優しくて、そして時折、子供らしい茶目っ気を見せることもあった。
その表情のどれもが、私にとって魅力的に映って仕方がなかった。一緒の地獄に落ちる人間。同じ墓に入る人間。これから死ぬまでの全てを共有する人間――。
******
とある十歳の日、私は少し背伸びをしたかった。
少しだけ大人向けの小説を読んでいた私は、キスというものに興味を持った。そして、無邪気にそのことをカイデンに話したのだ。
「キスって、どんな感じなのかしら?」
その時、カイデンは少し驚いたような顔をした後、静かに微笑んだ。
「……じゃあ、してみるかい?」
冗談のような、けれどどこか真剣な声音。私は少し頷き、彼の顔が近づくのをじっと見つめた。
そっと触れるだけの、淡いキスだった。それが、私の初めてのキス。
それからも何度か、そういう瞬間があった。二人だけの特別で神聖な行為。
そしてデビュタントの時も、ダンスの相手はもちろんカイデンだった。社交界の華々しい舞踏会でも、彼は必ず私の側にいた。
この婚約は、貴族と王族の力関係で決まったものだった。けれど、私は確かに、そこに愛情があると思っていた。しかし、それは幻想だったのだ。
彼が他の女性とキスを交わし、その手を引いて消えていくのを見たあの時。私の中の何かが、音を立てて崩れ去った。
私だけのものだと思っていた彼の微笑みも、言葉も、唇も。全ては、私だけのものではなかったのだ。
そして私は思い知った。
この婚約は、ただの義務でしかなかったのだと。彼の言葉や行為はきっと全て婚約者としての義務から。それなら、私のこの十数年の想いは、いったい何だったのだろう。
夜風が頬を撫でる。
私は静かに目を閉じた。今はまだ、涙を流せるほどに状況を飲み込めていなかった。
けれど、胸の奥にある心臓を貫きそうな程の痛みが、確かに私の心を変化させ始めていた。
エスペランツァ侯爵家は、代々王宮ご用達の魔道具開発を専門とする家柄だ。
もともと名のある貴族だったが、近年は魔法自体の技術が飛躍的に発展し、市民や魔力が少ない者でも扱える魔道具という存在は王宮からもより重用されるようになった。侯爵家の一族でも随一才能があった父は王国随一の魔道具職人と呼ばれ、貴族社会でも一目置かれる存在である。
そんな家の娘である私は、生まれて間もなく特別な役割を担うことになった。私が五歳の時、カイデン・ロストーク王太子の婚約者に決まったのだ。
「お前はこのフレストブルグの未来の王妃となるのだよ、ミアータ。国王となる彼を一番近くで支える役割だ。出来るね?」
幼い私は、その言葉の意味を深く考えることもなく頷いてしまった。そうすれば両親が喜んでくれると、全てが丸く収まると知っていたから。ただ、目の前にいる六歳の少年が、私の婚約者で未来の夫なのだと受け入れるだけだった
カイデンは、幼いながらも既に王子様然とした男の子だった。柔らかそうな金色の髪に優しそうなスカイブルーの瞳。王族らしい気高さと、温和そうな雰囲気を持つ少年。
その柔らかい容姿の通り、彼はとても優しい人だった。
「初めまして、ミアータ。僕はカイデン=ロストーク。これからよろしくね。君のお父様はああ言っていたけど、僕が君の事を守って支えて見せる。だから安心して、僕に頼って……僕の隣に居て欲しい」
初めて出会った日に、そう言って幼い彼が微笑んでくれたことを、私は今でも覚えている。
それから私たちは常に共にあった。会わない日なんてほとんどないくらいに。
それと同時に、私はその日から貴族としてのいろはや王妃教育、教養など目が回るような分刻みの予定が組まれていった。
しんどいことが多い日々を送りながらも、その中では唯一カイデンとの時間を楽しみにしていた。彼は真面目で、優しくて、そして時折、子供らしい茶目っ気を見せることもあった。
その表情のどれもが、私にとって魅力的に映って仕方がなかった。一緒の地獄に落ちる人間。同じ墓に入る人間。これから死ぬまでの全てを共有する人間――。
******
とある十歳の日、私は少し背伸びをしたかった。
少しだけ大人向けの小説を読んでいた私は、キスというものに興味を持った。そして、無邪気にそのことをカイデンに話したのだ。
「キスって、どんな感じなのかしら?」
その時、カイデンは少し驚いたような顔をした後、静かに微笑んだ。
「……じゃあ、してみるかい?」
冗談のような、けれどどこか真剣な声音。私は少し頷き、彼の顔が近づくのをじっと見つめた。
そっと触れるだけの、淡いキスだった。それが、私の初めてのキス。
それからも何度か、そういう瞬間があった。二人だけの特別で神聖な行為。
そしてデビュタントの時も、ダンスの相手はもちろんカイデンだった。社交界の華々しい舞踏会でも、彼は必ず私の側にいた。
この婚約は、貴族と王族の力関係で決まったものだった。けれど、私は確かに、そこに愛情があると思っていた。しかし、それは幻想だったのだ。
彼が他の女性とキスを交わし、その手を引いて消えていくのを見たあの時。私の中の何かが、音を立てて崩れ去った。
私だけのものだと思っていた彼の微笑みも、言葉も、唇も。全ては、私だけのものではなかったのだ。
そして私は思い知った。
この婚約は、ただの義務でしかなかったのだと。彼の言葉や行為はきっと全て婚約者としての義務から。それなら、私のこの十数年の想いは、いったい何だったのだろう。
夜風が頬を撫でる。
私は静かに目を閉じた。今はまだ、涙を流せるほどに状況を飲み込めていなかった。
けれど、胸の奥にある心臓を貫きそうな程の痛みが、確かに私の心を変化させ始めていた。
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