『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました

皇 翼

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9.

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沈黙が、空気に重くのしかかっていた。

母の「……そう、分かったわ」という一言が、私の心に突き刺さったまま抜けない。今以上の言葉を発するのが怖い。
せっかく勇気を出して打ち明けたのに。ようやく見つけた「好きになれること」を、ただ受け入れてほしかっただけなのに。そんな自己中心的な考えが過ってしまうことが辛かった。
悪いことをしてしまったのは私だ。

母の表情は見るからに悲しみに沈み、私の言葉は、気持ちはまるで届いていないようだった。

「……随分と冷たい反応ですね、スプライント夫人」

沈黙を破ったのは、意外なことにクレイヴ先生だった。

「娘さんがようやく心から夢中になれるものを見つけたというのに、それを素直に喜ぶこともできないのですか?彼女はずっとそれで悩んでいたようですよ」

先生の声には珍しく棘があった。誰かを責めるような冷たい声。母はその言葉に僅かに肩を震わせるが、すぐに静かに目を伏せる。

「……違います」

母の声はかすかに震えていた。

「私はただ、怖いのです」
「怖い?」

私は思わず問い返す。意味が分からなかった。母様も好きになれることを見つけられるようにと応援して共に頑張ってきたことだろう。なのに全く予想していなかった『恐怖』という感情が出てきた。

母様は顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。その瞳には、哀しみと躊躇い、そして――強い覚悟があるように見えた。

「……まずは、あなたの父親のことを話さなければなりません」

私の父親。
かつては侯爵家の当主だったはずの人。けれど、私が幼い頃に亡くなっていて、顔も声も、ほとんど記憶にない。どんな人間だったのかすら知らない。それは少し異常なことなのかもしれないが、私には母様がいればそれでよかったから、気にしたことがなかったし、直接聞いたこともほとんどなかった。
だって母様は父の話題が出ると、どことなく悲しい顔をするから。だからずっと話題に出すことはなかった。

「あなたは、父方の血――スプライント家について知っていますか?」

母の問いに、私は首を横に振る。

「いいえ……。お母様も、誰も、私にその話はしなかったから」

興味がなかったから、調べることもなかった。
母は小さく息を吐くと、ゆっくりと……ゆっくりと話し始める。

「あなたの父の家系――フレイムハルト=スプライントーー彼の生まれであるこの侯爵家は、代々優れた魔術研究者を輩出してきた家です。この国の魔法技術の発展に、大きく貢献してきた家系……それは誇るべきことのように聞こえるでしょう」

そこで母は少し言葉を区切る。

「けれど、それは同時に呪いでもあったのです」

呪い――?
不穏な言葉に思わず息をのむ。

「スプライント家の者は、皆あまりにも魔法に囚われすぎる。魔法に触れられなければ、まるで空っぽの人形のようになってしまう。逆に魔法に触れ始めれば、のめりこみすぎて、自らの命を削るほどに執着してしまう――」
「命を、削る?」

私は震える声で聞き返す。少しだが、既に覚えがあったから。

母は目を伏せ、寂しげに微笑んだ。

「あなたの父も、そうでした」
「……」
「彼は優秀な魔術師でした。歴代のスプライントの中でも、特に優れた才能を持っていた。けれど、その才能の代償に……彼は、魔法以外のことにはほとんど興味を持てなかったのです。貴女と同じように。彼は貴女が興味を持った複合魔法の第一人者ですよ」

母の言葉が、まるで霧が晴れていくように、私の中に落ちていく。
――ずっと感じていた。複合魔法だけが特別に感じられて、それ以外のことに興味が湧かなかったこと。
それなのに、母は私にさまざまなことを学ばせようとした。舞踏、音楽、刺繍、詩作……。
もしかして、それは――。

「貴女を、父と同じ道に行かせたくなかったのです」

母の声が、言葉が胸に刺さる。
父の執着を引き継ぐように同じものに興味を持ってしまった私には何も言うことができなかった。

「あなたには、魔法以外の生き方を見つけてほしかった。だから、最初に魔法に興味を持たなかった時は心の底から安心しました。貴女には申し訳ないけれど。だから、スプライントの子供だからと、ここへの入学を国から命じられた時も何も言わずに送り出した。でも……本当は魔法に呪われる人生ではなく、もっと自由で、幸せな道を選んでほしかった」

その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれた。

「お母様……」

母様は、ずっと私のために。
私が「魔法しかない」人間にならないように、他の好きなものを探し続けてくれていた。
私はずっと、それが束縛だと思っていた。でも、違った。
それは、私を守ろうとする愛だった。
涙が止まらなかった。
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