10 / 42
9.
しおりを挟む
沈黙が、空気に重くのしかかっていた。
母の「……そう、分かったわ」という一言が、私の心に突き刺さったまま抜けない。今以上の言葉を発するのが怖い。
せっかく勇気を出して打ち明けたのに。ようやく見つけた「好きになれること」を、ただ受け入れてほしかっただけなのに。そんな自己中心的な考えが過ってしまうことが辛かった。
悪いことをしてしまったのは私だ。
母の表情は見るからに悲しみに沈み、私の言葉は、気持ちはまるで届いていないようだった。
「……随分と冷たい反応ですね、スプライント夫人」
沈黙を破ったのは、意外なことにクレイヴ先生だった。
「娘さんがようやく心から夢中になれるものを見つけたというのに、それを素直に喜ぶこともできないのですか?彼女はずっとそれで悩んでいたようですよ」
先生の声には珍しく棘があった。誰かを責めるような冷たい声。母はその言葉に僅かに肩を震わせるが、すぐに静かに目を伏せる。
「……違います」
母の声はかすかに震えていた。
「私はただ、怖いのです」
「怖い?」
私は思わず問い返す。意味が分からなかった。母様も好きになれることを見つけられるようにと応援して共に頑張ってきたことだろう。なのに全く予想していなかった『恐怖』という感情が出てきた。
母様は顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。その瞳には、哀しみと躊躇い、そして――強い覚悟があるように見えた。
「……まずは、あなたの父親のことを話さなければなりません」
私の父親。
かつては侯爵家の当主だったはずの人。けれど、私が幼い頃に亡くなっていて、顔も声も、ほとんど記憶にない。どんな人間だったのかすら知らない。それは少し異常なことなのかもしれないが、私には母様がいればそれでよかったから、気にしたことがなかったし、直接聞いたこともほとんどなかった。
だって母様は父の話題が出ると、どことなく悲しい顔をするから。だからずっと話題に出すことはなかった。
「あなたは、父方の血――スプライント家について知っていますか?」
母の問いに、私は首を横に振る。
「いいえ……。お母様も、誰も、私にその話はしなかったから」
興味がなかったから、調べることもなかった。
母は小さく息を吐くと、ゆっくりと……ゆっくりと話し始める。
「あなたの父の家系――フレイムハルト=スプライントーー彼の生まれであるこの侯爵家は、代々優れた魔術研究者を輩出してきた家です。この国の魔法技術の発展に、大きく貢献してきた家系……それは誇るべきことのように聞こえるでしょう」
そこで母は少し言葉を区切る。
「けれど、それは同時に呪いでもあったのです」
呪い――?
不穏な言葉に思わず息をのむ。
「スプライント家の者は、皆あまりにも魔法に囚われすぎる。魔法に触れられなければ、まるで空っぽの人形のようになってしまう。逆に魔法に触れ始めれば、のめりこみすぎて、自らの命を削るほどに執着してしまう――」
「命を、削る?」
私は震える声で聞き返す。少しだが、既に覚えがあったから。
母は目を伏せ、寂しげに微笑んだ。
「あなたの父も、そうでした」
「……」
「彼は優秀な魔術師でした。歴代のスプライントの中でも、特に優れた才能を持っていた。けれど、その才能の代償に……彼は、魔法以外のことにはほとんど興味を持てなかったのです。貴女と同じように。彼は貴女が興味を持った複合魔法の第一人者ですよ」
母の言葉が、まるで霧が晴れていくように、私の中に落ちていく。
――ずっと感じていた。複合魔法だけが特別に感じられて、それ以外のことに興味が湧かなかったこと。
それなのに、母は私にさまざまなことを学ばせようとした。舞踏、音楽、刺繍、詩作……。
もしかして、それは――。
「貴女を、父と同じ道に行かせたくなかったのです」
母の声が、言葉が胸に刺さる。
父の執着を引き継ぐように同じものに興味を持ってしまった私には何も言うことができなかった。
「あなたには、魔法以外の生き方を見つけてほしかった。だから、最初に魔法に興味を持たなかった時は心の底から安心しました。貴女には申し訳ないけれど。だから、スプライントの子供だからと、ここへの入学を国から命じられた時も何も言わずに送り出した。でも……本当は魔法に呪われる人生ではなく、もっと自由で、幸せな道を選んでほしかった」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれた。
「お母様……」
母様は、ずっと私のために。
私が「魔法しかない」人間にならないように、他の好きなものを探し続けてくれていた。
私はずっと、それが束縛だと思っていた。でも、違った。
それは、私を守ろうとする愛だった。
涙が止まらなかった。
母の「……そう、分かったわ」という一言が、私の心に突き刺さったまま抜けない。今以上の言葉を発するのが怖い。
せっかく勇気を出して打ち明けたのに。ようやく見つけた「好きになれること」を、ただ受け入れてほしかっただけなのに。そんな自己中心的な考えが過ってしまうことが辛かった。
悪いことをしてしまったのは私だ。
母の表情は見るからに悲しみに沈み、私の言葉は、気持ちはまるで届いていないようだった。
「……随分と冷たい反応ですね、スプライント夫人」
沈黙を破ったのは、意外なことにクレイヴ先生だった。
「娘さんがようやく心から夢中になれるものを見つけたというのに、それを素直に喜ぶこともできないのですか?彼女はずっとそれで悩んでいたようですよ」
先生の声には珍しく棘があった。誰かを責めるような冷たい声。母はその言葉に僅かに肩を震わせるが、すぐに静かに目を伏せる。
「……違います」
母の声はかすかに震えていた。
「私はただ、怖いのです」
「怖い?」
私は思わず問い返す。意味が分からなかった。母様も好きになれることを見つけられるようにと応援して共に頑張ってきたことだろう。なのに全く予想していなかった『恐怖』という感情が出てきた。
母様は顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。その瞳には、哀しみと躊躇い、そして――強い覚悟があるように見えた。
「……まずは、あなたの父親のことを話さなければなりません」
私の父親。
かつては侯爵家の当主だったはずの人。けれど、私が幼い頃に亡くなっていて、顔も声も、ほとんど記憶にない。どんな人間だったのかすら知らない。それは少し異常なことなのかもしれないが、私には母様がいればそれでよかったから、気にしたことがなかったし、直接聞いたこともほとんどなかった。
だって母様は父の話題が出ると、どことなく悲しい顔をするから。だからずっと話題に出すことはなかった。
「あなたは、父方の血――スプライント家について知っていますか?」
母の問いに、私は首を横に振る。
「いいえ……。お母様も、誰も、私にその話はしなかったから」
興味がなかったから、調べることもなかった。
母は小さく息を吐くと、ゆっくりと……ゆっくりと話し始める。
「あなたの父の家系――フレイムハルト=スプライントーー彼の生まれであるこの侯爵家は、代々優れた魔術研究者を輩出してきた家です。この国の魔法技術の発展に、大きく貢献してきた家系……それは誇るべきことのように聞こえるでしょう」
そこで母は少し言葉を区切る。
「けれど、それは同時に呪いでもあったのです」
呪い――?
不穏な言葉に思わず息をのむ。
「スプライント家の者は、皆あまりにも魔法に囚われすぎる。魔法に触れられなければ、まるで空っぽの人形のようになってしまう。逆に魔法に触れ始めれば、のめりこみすぎて、自らの命を削るほどに執着してしまう――」
「命を、削る?」
私は震える声で聞き返す。少しだが、既に覚えがあったから。
母は目を伏せ、寂しげに微笑んだ。
「あなたの父も、そうでした」
「……」
「彼は優秀な魔術師でした。歴代のスプライントの中でも、特に優れた才能を持っていた。けれど、その才能の代償に……彼は、魔法以外のことにはほとんど興味を持てなかったのです。貴女と同じように。彼は貴女が興味を持った複合魔法の第一人者ですよ」
母の言葉が、まるで霧が晴れていくように、私の中に落ちていく。
――ずっと感じていた。複合魔法だけが特別に感じられて、それ以外のことに興味が湧かなかったこと。
それなのに、母は私にさまざまなことを学ばせようとした。舞踏、音楽、刺繍、詩作……。
もしかして、それは――。
「貴女を、父と同じ道に行かせたくなかったのです」
母の声が、言葉が胸に刺さる。
父の執着を引き継ぐように同じものに興味を持ってしまった私には何も言うことができなかった。
「あなたには、魔法以外の生き方を見つけてほしかった。だから、最初に魔法に興味を持たなかった時は心の底から安心しました。貴女には申し訳ないけれど。だから、スプライントの子供だからと、ここへの入学を国から命じられた時も何も言わずに送り出した。でも……本当は魔法に呪われる人生ではなく、もっと自由で、幸せな道を選んでほしかった」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれた。
「お母様……」
母様は、ずっと私のために。
私が「魔法しかない」人間にならないように、他の好きなものを探し続けてくれていた。
私はずっと、それが束縛だと思っていた。でも、違った。
それは、私を守ろうとする愛だった。
涙が止まらなかった。
1,505
あなたにおすすめの小説
【完結】六歳下の幼馴染に溺れた夫。白い結婚を理由に離縁を申し立てたら、義弟(溺愛)に全力で求婚されました
恋せよ恋
恋愛
夫が愛でるのは、守ってあげたくなるような「可憐な少女」。
夫が疎むのは、正論で自分を追い詰める「完璧な妻」。
「シンシア、君はしっかりしているから、大丈夫だろう?」
六歳年下の幼馴染ジェニファー子爵令嬢を気遣う貴方。
私たちは、新婚初夜さえ済ませていないのよ?
完璧な家政、完璧な社交。私が支えてきたこの家から、
ニコラス、貴方って私がいなくなったらどうなるか……。
考えたこともないのかしら?
義弟シモンは、学生時代の先輩でもあるシンシアを慕い
兄ニコラスの態度と、幼馴染ジェニファーを嫌悪する。
泣いて縋るあざとい少女と、救世主気取りの愚かな夫。
そして、義姉であるシンシアを慕うシモン。
これは、誇り高き伯爵夫人、シンシアの物語である。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
七光りのわがまま聖女を支えるのは疲れました。私はやめさせていただきます。
木山楽斗
恋愛
幼少期から魔法使いとしての才覚を見せていたラムーナは、王国における魔法使い最高峰の役職である聖女に就任するはずだった。
しかし、王国が聖女に選んだのは第一王女であるロメリアであった。彼女は父親である国王から溺愛されており、親の七光りで聖女に就任したのである。
ラムーナは、そんなロメリアを支える聖女補佐を任せられた。それは実質的に聖女としての役割を彼女が担うということだった。ロメリアには魔法使いの才能などまったくなかったのである。
色々と腑に落ちないラムーナだったが、それでも好待遇ではあったためその話を受け入れた。補佐として聖女を支えていこう。彼女はそのように考えていたのだ。
だが、彼女はその考えをすぐに改めることになった。なぜなら、聖女となったロメリアはとてもわがままな女性だったからである。
彼女は、才覚がまったくないにも関わらず上から目線でラムーナに命令してきた。ラムーナに支えられなければ何もできないはずなのに、ロメリアはとても偉そうだったのだ。
そんな彼女の態度に辟易としたラムーナは、聖女補佐の役目を下りることにした。王国側は特に彼女を止めることもなかった。ラムーナの代わりはいくらでもいると考えていたからである。
しかし彼女が去ったことによって、王国は未曽有の危機に晒されることになった。聖女補佐としてのラムーナは、とても有能な人間だったのだ。
前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。
真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。
一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。
侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。
二度目の人生。
リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。
「次は、私がエスターを幸せにする」
自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
誰からも必要とされていないから出て行ったのに、どうして皆追いかけてくるんですか?
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢ミリーシャは、自身が誰からも必要とされていないことを悟った。
故に彼女は、家から出て行くことを決めた。新天地にて、ミリーシャは改めて人生をやり直そうと考えたのである。
しかし彼女の周囲の人々が、それを許さなかった。ミリーシャは気付いていなかったのだ。自身の存在の大きさを。
【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-
七瀬菜々
恋愛
ブランチェット伯爵家はずっと昔から、体の弱い末の娘ベアトリーチェを中心に回っている。
両親も使用人も、ベアトリーチェを何よりも優先する。そしてその次は跡取りの兄。中間子のアイシャは両親に気遣われることなく生きてきた。
もちろん、冷遇されていたわけではない。衣食住に困ることはなかったし、必要な教育も受けさせてもらえた。
ただずっと、両親の1番にはなれなかったというだけ。
---愛されていないわけじゃない。
アイシャはずっと、自分にそう言い聞かせながら真面目に生きてきた。
しかし、その願いが届くことはなかった。
アイシャはある日突然、病弱なベアトリーチェの代わりに、『戦場の悪魔』の異名を持つ男爵の元へ嫁ぐことを命じられたのだ。
かの男は血も涙もない冷酷な男と噂の人物。
アイシャだってそんな男の元に嫁ぎたくないのに、両親は『ベアトリーチェがかわいそうだから』という理由だけでこの縁談をアイシャに押し付けてきた。
ーーーああ。やはり私は一番にはなれないのね。
アイシャはとうとう絶望した。どれだけ願っても、両親の一番は手に入ることなどないのだと、思い知ったから。
結局、アイシャは傷心のまま辺境へと向かった。
望まれないし、望まない結婚。アイシャはこのまま、誰かの一番になることもなく一生を終えるのだと思っていたのだが………?
※全部で3部です。話の進みはゆっくりとしていますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。
※色々と、設定はふわっとしてますのでお気をつけください。
※作者はザマァを描くのが苦手なので、ザマァ要素は薄いです。
【完】王妃の座を愛人に奪われたので娼婦になって出直します
112
恋愛
伯爵令嬢エレオノールは、皇太子ジョンと結婚した。
三年に及ぶ結婚生活では一度も床を共にせず、ジョンは愛人ココットにうつつを抜かす。
やがて王が亡くなり、ジョンに王冠が回ってくる。
するとエレオノールの王妃は剥奪され、ココットが王妃となる。
王宮からも伯爵家からも追い出されたエレオノールは、娼婦となる道を選ぶ。
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる