『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました

皇 翼

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静かな学院の廊下を歩く2つの足音が、やけに響いている気がした。

私は母――アドレアナの横を歩きながら、ちらりと彼女の横顔を盗み見る。いつも通り端正な顔立ちに、優雅な所作。けれど、その表情はどこか固く、目元には微かな陰が落ちていた。

……まあ、当然だろう。

娘が魔法の演習で「うっかり」魔物を殺し、演習場を血まみれにしてしまうという問題を起こしたのだから。そのうえ、他の生徒からは怖がられて化け物扱いだ。
この学院ではこういう命令違反には厳しい。だからこそ学院としては問題視しないわけにはいかないし、私は最近、教師たちの手に負えない「問題児」になりつつある。授業では寝こけるか、魔法の授業では関係ないことをこそっと試している。それでいて、テストの点数には特に何も響いていない前と同じスコア。きっと、気に食わないだろう。この学院の教師はプライドが高すぎる人が多い。

案内された職員室の一角。母が3回ノックをして面談室に入ると、そこにはすでにクレイヴ先生と校長が待っていた。

「お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。スプライント夫人」

校長が形式的な挨拶をする。母は静かに言葉と会釈を返し、そのまま席に着いた。私も隣に腰を下ろす。

「さて、今回の件ですが……」

校長が話し始めるのを横で聞きながら、私は自分の手を膝の上で握りしめた。

複合魔法のこと……これは私にとっては、大きな前進だった。
今までは何をやってもどこか他人事のようだった。貴族の嗜み、婚約者との関係、社交の場での会話。全部「そうするべきだから」やっていたに過ぎない。でも――この複合魔法だけは違う。心から楽しいと思える。私が私であるために、必要なものだと感じさえする。

「授業中に命令を無視して行われた危険な行為であり、お母様の方からも――」

だからこそ、これを機に母に打ち明けたかった。決して危険なものではないのだと伝えたかった。だからこそ校長の『最高学年でもない、アカデミック資格もない低学年の生徒が危険な魔法に手を染めている』という嫌な言い方が気に食わなくて、思わず遮ってしまった。

「母様」

そう強く声を掛けると、私は母を見た。

彼女は私を見つめ返してくる。その瞳に映るのは、困惑、憂い、そして――哀しみ。

どうして?

言葉にはできなかったけれど、心の中でそう問いかけた。私は、今やっと「好きになれること」を見つけたのに。それを伝えようとしているだけなのに。

「私、魔法が好きです。特に複合魔法は、単純な魔法よりもずっと奥が深くて、面白くて……。今日の演習だって、本当は複合魔法を使うつもりはなくて、無意識下のうちに出てしまっただけで、私はいつもならきちんと制御出来ていて――」

我ながらしどろもどろな回答で言い訳だった。こんなんじゃ本来であれば伝わることも伝わらないどころか、懐疑の念を生み出すだろう。
そこまで私が説明したところで、母がふっと目を伏せた。

「リーシャ……」

柔らかく、けれど確かな悲しみを含んだ声だった。

「お母様、私は……!」

認めてほしかった。今まで何をしても、本当の意味で「これが自分の道だ」と思えたことはなかった。でも、今は違う。複合魔法は、今や私のすべてだ。

けれど――母の口から出た言葉は、ただ一言だった。

「……そう、分かったわ」

それだけ。
短く、悲し気な頷き。その声音に、何かを諦めたような響きがあった。
私は、何かを言い募ろうとした。でも、何を言えばいいのかわからなかった。何を言っても、これ以上は聞いてもらえないような、この母からの失望はぬぐえないような感覚があった。
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